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「はい、布城でございます」
電話の向こうの京の声に、朝霞は拳を握り締めた。朝霞はまだ学生会室にいて、そこから布城家に電話をかけているのであった。
「小母様、朝霞です」
「まあ、朝霞くん? 崇ならまだ帰っていないわよ。今日は一緒じゃなかったのね。何か急用だったら、帰り次第電話させるけど?」
京の声は明るかった。朝霞は深呼吸を京に気づかれないようにしてから、
「あの、小母様、事後承諾はいけないことだと思っているのですが、突然決まったものですから。学生会のみんなで合宿をすることになったのです。それで、今日から始めようということになって……。すみません、小母様、会長として申し訳ないと思っています」
と言った。
「合宿? それはどのくらいの期間なの?」
「それは……合宿と言っても、全国の陬生学園の学生会で構成しているものですから、おそらくそれぞれの学園を回るはずです。申し訳ありません。陬生学園のことはあまりよくご存知ではなかったですね。うちの学生会はかなり変わっていますから、新学期までには終わるでしょう、としかお答え出来ないのです。でも、何の心配もありません。僕が約束します」
「朝霞くんが一緒だから安心しています。亮介さんには巧く言っておくわ。でも、崇に時々は連絡するように言っておいてね、朝霞くん」
京の明るい声が、朝霞を苦しめる。だが、それを声に出すような朝霞ではなかった。
「もちろんです、小母様。それでは、崇くんをお預かりしますね」
「お願いね、朝霞くん」
朝霞は別れの挨拶をしてから、電話を切った。また一つ、深呼吸をする。京を騙したことはしかたないことだ。それは判っている。新学期が始まるまでに、本当に崇を取り戻せるのだろうか。朝霞には出す答がない。そしてその心配よりも朝霞には今するべきことがあった。
受話器を持ったまま、朝霞は机の上の紙切れを見つめ続けた。それは朝熊が置いていったものであった。震える指先が、ボタンを押す。プッシュホンの機械音が広い学生会室に響いた。短い発信音の後、相手はすぐに出た。
「もしもし」
朝霞は唇を噛み締めて黙っていた。
「もーしもーし、亀よじゃない、悪戯だったら切っちゃうよ。無言電話のつもりじゃなかったら、声を出して欲しいなあ」
電話の向こうの声は、楽しそうにそう言った。朝霞は紙切れをギュッと握った。やはり電話をかけるべきではなかった、と後悔していた。電話を切ろう、と朝霞が思った時、
「駄目だよ、朝熊おにーさんの忠告を無駄にしちゃ、ね、朝霞」
と言われて、朝霞は思わず受話器を見つめた。
「何故、僕と判った、頓原。朝熊に言われたのか」
電話の向こうの頓原はクスクスと笑った。
「俺って予知能力があるのってね、嘘だよ。それに朝熊おにーさんからは何も聞いていないよ。ただ朝熊おにーさんが、お前にこの番号を教えるだろうことは判っていた。そしてお前の選択する道が、今は一つしかないことも判っていた。お前が俺に連絡を取ろうとするのは、必然だったってわけ」
朝霞は言葉を失った。
「それとも、他にお前に選択出来る道があるなら、俺は電話を切るよ。それはお前にしか選択出来ないことだからね。俺がお前の道を指し示す必要はないし」
そう言って頓原は黙った。朝霞の返事を待っているのだ、と朝霞は判っていたが、すぐには言葉が出せなかった。だが、頓原は黙って朝霞の返事を待っていた。そのことが珍しいことなのだと、朝霞は知らない。
「頓原、あの……」
電話をかける時には決まっていた言葉が、やっと朝霞の口から出た。それに対する頓原の返事は、きっと揶揄を含んでいるだろう、と朝霞は思っていた。だが、頓原は少しもそんなところを出さず、真面目な口調で承諾の返事を言ったのだった。
「で、朝霞、俺は急いでいるし、今からでもよかったら俺がそこまで行くぞ。きっと朝熊おにーさんたちは、もう奈半利に向かって出発しているだろうからね。俺も用事が済み次第向かうつもりだったし、お前も早く自分の《力》を制御したいだろう?」
肯定の返事をしようと思って、朝霞はふと頓原の言葉が頭の隅に引っ掛かった。その疑問を朝霞がしたとして、頓原ははたしてYESと言うだろうか。それを言われたとして、朝霞はどんな態度を取ればいいのか。
「頓原、用事…というのは、僕の電話…だったのか」
朝霞の問いに頓原は何も言わなかった。頓原の表情は、電話なので朝霞には見えない。やがて、クスクス笑いが零れてきた。
「YESと言って欲しい? それってずいぶん自分が重要人物だと思ってるような台詞だね」
笑いを含んだ頓原の言葉に、朝霞は、
「僕は重要人物だろ、頓原おにいさん」
とこちらも笑いを込めて返した。頓原は一瞬言葉を失ったようだ、と朝霞は思った。それが正しかったかどうかは、朝霞には判らない。そう思うことによって、少しばかり溜飲が下がった、ということなのだ。
「じゃあ、これからそこに行くよ、朝霞ちゃん。すぐにね」
クスリと頓原は笑って、電話を切った。すぐに? と朝霞は眉をひそめたが、それが本当に正しいことだったと、十分後に確認することになったのだった。
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