頓原が向かったのは、陬生学園の学生会室であった。そこに集まっているのは、朝霞、麻績、朝熊、倭であった。麻績はしかしすぐに帰ることになっていた。遙のバイトが終わるので、麻績が家まで送ることになったからだ。頓原にいちおう挨拶しておいて、麻績は出ていった。
「さて」
 と頓原は勧められる前に椅子に座った。倭が頓原をジッと見つめる。ほんの数時間しか経っていないのに、頓原のほとんどなかった《気》が戻りつつあることに気づいたからだ。だが何も言わなかった。
「よーく、聞いてくれる、みなさん。奈半利の王国の場所は、高千穂にある。布城崇はそこに連れていかれるだろう。出雲の王、宍道にはそのことをもう伝えた。おそらく、宍道は奈半利に攻め込むつもりだろうな。すぐにではないと思うけどね……」
「高千穂?」
 三人が三様の声色で呟いた。
「俺の伝えたかったことはそのことさ。出雲としては、崇がさらわれようが、遙おねーさんがさらわれようが、どうでもいいと思っているよ。だけどね、奈半利を消滅させることは、出雲の執念なんだ。だから出雲としては、協力体制を確立したいと思っているよ。五真将だけでなく、出雲の一族としても」
 朝霞がキッとして頓原を見た。
「出雲は、今回だけ手を結ぼうって腹か」
 朝霞の声にはありありと刺が混ざっていた。頓原はそれを気にした風でもなく、朝霞を無視していた。頓原は朝熊のほうを向いている。
「朝熊おにーさん、三つの一族は本来独立し、それを守ってきた。だから、今回だけ協力するってことが、別におかしくないと俺は思うんだけどね。戸隠はそれが気に入らないようだね。俺も別に好きで手を結びたいわけじゃないぜ。お互いにそのほうがプラスと思ったから言ってるだけだし、これが済めばまた元のようにお互いに干渉することなく、お互いの一族に合った歴史を続けていけばいいと思うしね」
「戸隠は出雲を信用しない。奈半利なんて、出雲の一族で成り立ってるようなものじゃないか。どうせ、自分の都合のいいように、僕たちを使うつもりなんだろう」
「ふーん、ということは、つまり、朝霞は俺に使われるほどに、使えるわけ?」
 頓原の言い方は朝霞の神経をことごとく逆撫でていた。朝霞がガタッと立ち上がった。
「頓原!」
 朝霞が頓原の襟首を掴む。頓原はそれを冷たく見上げた。
「朝霞、俺は最初から、《力》を制御出来ない奴を信用しようとは思わない。お前にどれだけ大きい《力》があったとしても、俺はそれに期待したりしない。制御出来ないのはお前がそれを本当に願っていないからだ。お前は陬生克雅に抱かれるのが好きなのさ。それを止めたくないから、お前は《力》を制御しない」
 朝霞がカッとなって、頓原を拳で殴った。頓原の口の中が少し切れて、血が滲んでいた。頓原はそれを手の甲で拭うと、
「図星だったら殴ったわけ? まあったく、餓鬼だなあ」
 と言ってニッと笑った。朝熊が慌てて二人の間に割って入った。
「いい加減にしろ。頓原、お前、余計なことを言い過ぎるんだ」
 朝霞が部屋から出ていく。朝熊が倭に目で合図すると、倭が朝霞の後を追いかけた。頓原はドカッと椅子に座った。朝熊がふうっと溜め息をついてその隣に座る。だが、何も言わずにジッと頓原を見つめるだけであった。頓原をそれを横顔で感じていた。
「言い過ぎだと……判っている」
 頓原がポツリと呟く。机の上で握り締めた両手にさらに力が入っていた。
「でも、謝る気はない。戸隠に出雲の気持ちが判ってたまるか……。伊勢にも判らないだろう。俺の気持ちなんか」
 朝熊は少し椅子をずらすと足を組んだ。
「ああ、判らないさ」
 朝熊の言葉に、頓原はハッと朝熊のほうを見た。朝熊が真面目な顔で頓原を見つめる。
「判らないさ。お前に私の気持ちが判らないように」
 頓原が言葉を失って、朝熊を見つめる。朝熊は吐息を落として足を組み換えた。
「だからと言って、お前のいらだちで、朝霞に当たるのはよくないことだ。餓鬼なのはそっちだぞ」
 頓原は唇を噛み締めて横を向いた。その頭に朝熊の手がそっと乗った。
「頓原、何故自分を責める。何故、わざわざその道を選ぶ。それほどに無理をするのは何故だ。損をするのは自分だぞ」
 頓原の横顔がいくつもの表情を浮かべ回して、そして、その中のどれでもなく頓原は朝熊のほうを向いて表情を作った。笑いを。
「朝熊おにーさん、何のこと。俺は全然無理なんかしていないぞ。何寝惚けてんのさ。そんなことより、これから先の計画を立てることが必要なんじゃないの。俺たちはそれだけのために集まってんだろ」
 朝熊は頓原に冷たい視線で見上げられて、頓原の頭の上に置いた手を離した。
「朝霞は、協力を拒むんじゃないか」
「別にそれは構わないさ。最初から奴の《力》を当てにしてはいないもの。それとも、朝熊おにーさんは、朝霞の《力》を当てにしてたわけ?」
 すべてを見下したような目つきで頓原は朝熊を見ていた。朝熊は何も言えない。朝熊自身も朝霞の《力》を当てにしていたわけではないのだ。その点では頓原は正しい。
 頓原がフッと表情を変えた。
「陬生克雅の《力》は中和能力さ。ああ、そうか、朝熊おにーさんは知ってるのかな。さっき驚かなかったもんね。朝霞は幼い頃から克雅に《力》の制御を任せてきた。だから、それに甘えてるのさ。それを本当に望めば、朝霞は制御することが出来るようになるのに、彼はそれに気づかない。あるいは、気づかない振りをしている……。みんな気づくのを恐れているんだ。自分が傷つきたくないからね」
「頓原……」
 朝熊が驚いて頓原を捕まえようとした。頓原はすっと立ち上がって、朝熊の手が届かないところにいた。
「まあったくね、困ったもんだよ。みんなさ、お互いにね」
 頓原はそう言って、朝熊に首を振って部屋から出ていった。朝熊は一人そこに残る。
「頓原、お前……」
 朝熊は窓の側に行くと、校庭を横切って去っていく頓原の背を見つめていた。Gジャンのポケットに手を突っ込んで、頓原は足早に去っていた。
 朝熊には頓原のことが理解出来た。彼がどれほどに、出雲を始めとして、三つの一族のことを大切にしているか。彼一人で守れるのならば、あのような態度には出ないだろう。彼一人では出来ないからこそ、もどかしいのだ。自ら憎まれ役を演じる頓原であった。それに朝熊は気づいた。と言って、朝熊にどうすることが出来るのだろうか。
 倭に何も教えないのは、朝熊自身が傷つきたくないからで、倭の信頼をなくすことが怖いのだ。そして倭に《力》の使い方を教えていないのは、朝熊のエゴである。倭にだけは、手を汚させたくない、それは朝熊だけの利己的な欲求であった。だが、それももう終わりであった。倭が《力》を使う日がおそらく間もなく来ようとしているのだ。それは誰にも止められようもないことであった。きっとそれが行わなければ、すべては終わらないのだ。そして、それが倭との別れなのだ、と朝熊は気づいていた。別れたくはない。だが、終わらせなければならないのだ。
(何のために?)
 と朝熊の心にその言葉が浮かんだが、すぐに消えていった。

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