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その日、頓原は一人であった。そして、崇も一人であった。頓原が一人なのは、珍しいことではない。だが、どうして崇が一人だったのだろうか。崇は自分が守られていることを知らない。だから、いつも朝霞が一緒に帰るのを不思議には思っていたが、それ以上のことは何も思わなかった。そして、朝霞たちも、毎日のことで慣れきっていたのかもしれない。崇が違う方向から帰るのに気づかなかったのだ。だから、崇は一人であった。
崇の前に人影が落ちた。フッと崇が顔を上げる。双子がジッと崇を見つめていた。
「布城崇ね」
崇は思わず頷いた。
「今日はお守り役はいないみたいね。どうしたのかしら? まあ、ちょうどいいわ。一緒に来ていただけるかしら」
もちろん八坂と八浜であった。いただけるかしら、とは言っているものの、それは命令なのだ、と崇は思った。自分と同じくらいの年齢のこの二人が、どうして僕を誘拐するのだろう、と崇はそんなことを思っていた。そう、すぐにでも逃げられる、と踏んでいたからだ。
「逃げることは出来ないわよ、お坊ちゃん」
崇の心を見透かしたように八浜が言った。八坂は黙っていたが、その顔をキッと後ろに向けた。
「あっれー、偶然じゃん。おやー、崇くんは今日は一人なわけ? みんな、無責任だな。俺が通りかからなかったらどうするつもりだったんだ。まあったく、困ったちゃんだ、は出雲だけかと思っていたら、思い違いだったんだな」
はあーっと溜め息をついて、頓原が現れた。頓原が現れたのは、本人の言う通り偶然であった。船通と斐川に《力》の使い方を教授して、その後一人でぶらりとしていたところであった。のほほん、とした表情はいつもどおりだが、その顔色はあまりよくなかった。頓原はこんなところで、奈半利に会いたくはなかったのだ。今は……。
「崇くんの誘拐をするつもりかい。俺が現れたのが運の尽きだね。残念だったね、八坂と八浜。お前たちは俺には勝てないよ」
「やってみなくちゃ、判らないでしょ」
八浜の言葉と一緒に、二人から続けざまに薔薇色の《気》の固まりが頓原に向かってきた。頓原が別にわずらわしそうにでもなく、それを片手で消し去る。頓原が笑おうとして、その顔を強張らせた。身体中が痺れたようになって動かないのだ。
「初めまして、出雲の頓原。私は奈半利の松前ですわ」
珊瑚色の《気》をしょって頓原の前に現れたのは、松前であった。頓原は目だけをそちらに向ける。松前はにっこりと笑った。
「素敵な恰好ですわね、頓原。あなたに植えつけたのは薔薇ですわ。その人の《力》が大きいほど美しい花を咲かせます。あなたの上に咲く花はどれほどに美しいのでしょうね」
頓原は辛うじて表情だけを変えられた。体は全く自由が効かない。それどころか、自分の意志とは関係なく動き始めた。崇はすでに、八坂と八浜によって腕を掴まれている。その瞳がトロンとしているのは、何か術でもかけられたのだろう、と頓原は思った。
「殺しはしませんわ。あなたを生け捕ることが目的ですもの。奈半利に連れていってあげますわ」
そう言って、松前は頓原の髪を掻き上げた。
「綺麗な肌、それに可愛い顔をしているのね。つまみ食いしてもいいわよね」
崇は二人によって、すでに車の後部座席に座っていた。頓原は体が勝手に動いて、助手席に座る。松前は運転席に座ると、車を発車させた。松前は頓原に目隠しをしようとはしなかった。声は出せないが、目だけは動いた。
「東京での奈半利の隠れ家に行きますけど、覚えても無駄ですわよ。私たちの目的は果たされましたから、東京での使命は終わりですもの。それに、あなたも一緒に奈半利に行くのですから。誰にも伝えることが出来ませんものね」
松前が言っていることは真実かもしれない。だが、頓原は僅かな希望を捨てずに、何か取っかかりを掴もうと考えていた。
やがて車は到着した。八浜たちは崇を連れて御荘のところへ行く。
「八坂、御荘に少しの間、邪魔をしないで、と言っておいてちょうだい」
そう言って松前は頓原の腕を取って、自分の部屋に入っていった。
御荘は八坂から松前の伝言を聞いて顔をしかめたが、しかたないな、という顔をしていた。
松前は頓原をベッドに座らせる。自分はその横に座って、頓原をジッと見つめていた。首筋に赤い斑点が見える。それは、松前が薔薇を植えつけたところであった。まだ芽吹くには早かった。松前がその斑点を舌の先で突っ付く。頓原は身体中のすべての神経がそこに集中しているかのように感じた。そして、声を出せることに気づいた。
「俺のために三人がかりか。俺ってやっぱ、人気者なんだなあ。ところで奈半利の松前? 何故、俺を生け捕りにする?」
松前の右手が、頓原の襟足をさわさわと撫でていた。それに背中をゾクリと震わせながら頓原は問うた。
「それは、宍道にとって、あなたが大切な人だからでしょう。こんな風に可愛がられているの、頓原」
そう言って、松前の手は頓原の素肌の上をすうっと滑った。
「俺と宍道はそんな関係じゃない。それに、俺を宍道との取り引きの道具として使おうと思うのは無駄なことだぜ。宍道にとって、俺は大切な人でも何でもない。ただの、一族の一人というだけだ。足手まといになったなら、すぐに切り捨てるさ」
「本当に?」
松前が嬉しそうに言って、頓原のジッパーを引き下げた。すでに、Gジャンは脱がされて、素肌の上にGジャンだけの頓原は上半身を裸であった。
「嫌がっているの、頓原。お姉さんが優しく可愛がってあげようとしてるのに、それもこんなに綺麗なお姉さんがね」
顔だけしか動かせない頓原は、逃れようとして逃れられない自分がもどかしかった。捕まってしまったのは、八坂と八浜の二人だけと油断したからでもあるが、《力》が最大ではなかったからでもあった。船通と斐川の授業料は、頓原自身の《力》を削って支払われていたのであった。
「残念だけど、俺は20歳以上のおねーさんは、おばさんと呼ぶことにしてるのさ。ねえ、松前おばさん」
口だけはいつものように憎まれ口を言っているが、理性が性欲に白旗を上げるのは、時間の問題であった。それを知っている松前は、十二分に年下の少年の体を堪能しようとしていた。いつの間にか、一糸もまとわぬ状態になっている頓原であった。
「全く、松前おばさんってば、俺をもてあそんでどうしようってわけ? 今、俺の体は俺の体じゃないぜ。本当に楽しむなら、俺の感覚を元に戻してくんないかな。松前おばさんだけ、楽しむってわけなの。そんなのずるいと思うけどね」
松前が頓原の内腿を爪を立てて滑らせた。
「甘いわよ、頓原。そんなことを言っても、自由にはさせません。私はそれほどに、愚かではありませんからね。それに、安心なさい。快楽の感覚だけは、残しておいてあげているのだから、十二分に楽しめるわよ」
頓原は松前の言うことが正しいことが判っていた。そして、頓原の誘いに乗ることがないことも。
「情けねーなあ。出雲の頓原ともあろう者が、奸計にはまった上、もてあそばれるんだからね。これって、みんなには内緒にしてもらえるわけ?」
頓原の台詞に、松前は面白そうに笑った。そして立ち上がると、滑り落とすようにスーツを脱ぐ。松前は頓原を寝かせてある隣に座ると、にっこりと笑った。邪気のない笑いであった。頓原はこんな時じゃなくて、松前が奈半利でなければ、惚れていたかもしれないな、と思ってしまった。
頓原の意志ではなく、彼の両手は松前の乳房に触れている。
「お上手」
と松前は微笑む。頓原自身は、松前の左手でもてあそばれている。それに感じざるを得ない頓原だが、必死にそれを我慢しようとしていた。だが、理性がかすれゆくのを止めることが出来なかった。
「あのね、松前おばさん、俺自身の技巧で感じたいとは思わない?」
松前がクスリと笑った。
「そんな手には乗らないわよ」
そう言って、松前は頓原の上にまたがった。もはや、頓原は松前に快楽を与える道具と化していた。そして、頓原自身も快楽に身を委ねてしまったのであった。
「素敵よ、頓原」
松前が唇を合わせてきた。舌を絡める松前に、頓原は素直に従っていた。それを、松前に操られているから、と言う理由だけでないことを、頓原は認めていた。
「いい子ね、頓原。ご褒美に一つ、教えてあげましょうか。今から私たちがどこに行くのか。奈半利は、高千穂にあるのよ。あなたはこの前、核心の手前で引き返したわけ。高千穂に来たのは、何か理由があってのことだったの。それとも、偶然?」
頓原は目を見張った。宍道が高千穂の名を出したのは、やはり意味があったのか。頓原は徐々に理性を取り戻していた。そしてふと、指が僅かに動くことに気づいた。全く動かなかったことを考えると、松前の術が覚めかかっているとも考えられた。
「偶然だと思った?」
頓原は松前を挑発することにした。そして、松前に気づかれないように、体の自由を取り戻すことが出来れば、ここから抜け出すことが可能ではないだろうか。
「偶然ではない、というわけなの。出雲は高千穂に目を付けているということ?」
松前は顔色を変えた。もし、出雲が高千穂に奈半利があることを知っているのなら、それは一大事ではないか。
「何の意味もなく出雲が動くと思う? それも、五真将第一位の俺を走らすと思う? 考えてもごらんよ。出雲がどれだけ、奈半利を滅ぼそうとしているか。出雲の中の奈半利を滅ぼしたのは、奈半利を殲滅させるための前触れってとこさ」
松前は素早く服を着ると、部屋から出ていった。頓原はチャンスとばかりに、必死に体の自由を取り戻そうとしていた。手が完全に動きを取り戻していた。頓原は自分の《気》を高めようとして、それが不可能なことに気づいた。
「奈半利を嘗めないことね、頓原」
頓原の目の前に珊瑚色の球体が浮かんで、中に松前が笑っていた。
「私があなたを自由にするわけはないでしょう。私の《力》を知らないうちは、おとなしくしておいたほうが身のためよ。私の薔薇は、《気》を吸って成長するわ。あなたの《力》はこれから小さくなるだけ。体の自由は取り戻せた、と思っているだけ。あなたはずっと私の操り人形なのよ」
そう言って松前は珊瑚色の球体ごと消えた。
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