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出雲の王国。
頓原は高千穂に着いた途端に呼び戻されていた。全く入れなかった結界はすでになく、頓原は迷うことなく宍道に会ったのだった。
王の執務室には、宍道しかいなかった。頓原が入っていくと、宍道が駆け寄ってきていきなり抱き締めた。
「宍道……」
頓原は宍道の、そのらしくない行動に少々戸惑っていた。
「頓原、しばらくこのままでいさせてくれ」
宍道の言葉に、頓原は彼の成すがままに任せていた。
「宍道、泣きたいのなら泣けよ。いつまでも我慢してんじゃないよ。お前が話したくなるまで、何があったのか俺は聞かないから。判ってるだろ」
宍道は肩を震わせていた。だが涙は流さなかった。頓原は何も言わなかった。宍道が何か言うまでは、その沈黙を続けるつもりであった。
やがて、宍道が頓原から離れる。その表情は王のものに変わっていた。頓原はその顔をジッとただ見つめていた。宍道は黙って頓原に椅子を勧めると、自身も座る。頓原が座るのを見計らって、宍道は口を開いた。
「出雲の中の奈半利を一掃した」
頓原の表情がパッと明るくなったが、それ以上に考え深げな色を浮かべていた。
「……父上が、奈半利に通じていた。他にも湖陵などがいた」
頓原は何も口を挟まなかった。何を言えるものでもない。宍道はその手で出雲の中の奈半利を全滅させたのだ。つまりは、自分の父親を手にかけたと告白しているのであった。
「私は間違ったことをしたか? 己の父をこの手で殺すなど、許されることだろうか」
宍道の表情に少し王らしからぬものが混ざるのに頓原は気づいた。
「宍道、間違ってはいない。木次様は奈半利と通じていたのだろう。それを許すほうが間違っているぞ。お前は正しい」
宍道が一瞬何か言いたそうにしていたが、何も言わずに頭を垂れた。
「お前は出雲の王として成すべきことをした。正しいことをしたんだ」
宍道が顔を上げて、頓原をジッと見つめる。
「やっぱり、お前がいてくれて、私は助かる」
頓原が真面目な顔で宍道を見た。
「俺は、お前が出雲の王だから、出雲を愛しているんだ。どんなことがあっても、俺はお前を信じているさ。誰もがお前を敵と見なしても、俺だけはお前の味方だぞ。お前が俺を信じられなくなっても、俺がお前を信じなくなることはない」
頓原はそう言って照れたように顔を逸らした。宍道は何も言わない。木次をダシにして出雲の奈半利を全滅させたことは、宍道は頓原には言えなかった。それを知っているのは、三刀屋と八雲だけであった。その二人も決して誰にも洩らすことをしないだろう。宍道は頓原が何を考えているのか判っている。もしかすると、今度の計画の裏も知っているのではないか、と思うこともある。だが、頓原はそれを知っていても知っていると言わないだろう。そう、決して。頓原はそういう男であった。
「頓原、五真将は常に五人だ」
宍道はがらりと話題を変えた。
「五人?」
潜戸の穴を誰に受け継がそうとしているのか、と頓原は思った。宍道が、
「入ってこい」
と隣の部屋の扉に呼び掛けた。入ってきたのは八雲であった。
「八雲」
嬉しそうに頓原は言ったが、すぐに宍道に顔を戻す。
「八雲を五真将の一人に?」
そう言って眉をひそめた。宍道が頷いた。
「お前が訝るのも無理はないな。八雲には癒しの《力》しかない。だが、それが必要ではないか。八雲の癒しは出雲で並ぶもののないほどだ。プラスになることは間違いないぞ。それとも、お前はそれが不満か?」
「癒し……か」
頓原はついこの間、三刀屋の姉、羽衣の癒しで左腕の傷を直してもらったところであった。その必要性は十二分に感じていた。
頓原の自分をジッと見つめる視線に恥じらったように、八雲は頬を染めた。頓原は八雲が湖陵の思い人であったことを知っている。湖陵が奈半利であったなら、八雲がそうでないということが言えるのだろうか。そう思ってはいたが、それを口に出しはしなかった。宍道が彼を五真将として認めるのならば、それを受け入れるのが頓原であった。宍道がたとえ人道的に間違ったことをしてしまっても、頓原は彼を守りきろうと誓っていた。そう、朝熊が倭を守ると同じように、頓原にとって宍道は、朝熊の倭なのだ。だからこの前、朝熊に倭と出雲が対立したらどちらをとるか、と聞かれて、出雲と答えたのだ。
「俺も癒しの《力》の重要性は感じていた。八雲、五真将としてよろしくな」
「頓原、東京へ戻って、今度こそ、奈半利の王国の場所を見つけ出せ。私は魚梁瀬があまりにも呆気なく死んでいったのが気掛かりだ。もしかして、魚梁瀬が死ぬことによって、奈半利にとってプラスがあったのではないか、と」
頓原が瞳をきらりとさせた。確かに魚梁瀬の死は呆気なかったようでもある。それは、朝熊の《力》が大きかったためなのか、宍道の言う通り、魚梁瀬が死ななければならなかったのか……。
「宍道、吉報を待ってろ。八雲、行くぞ」
そう言ってにこっと笑って頓原は八雲とともに出ていった。二人が出ていってしばらく、宍道は椅子に座ったままだった。音もなく扉が開いて、入ってきたのは三刀屋であった。
「宍道様」
そう呼び掛けたが、宍道が誰にも邪魔されたくないことに気づいて、三刀屋は立ち去った。三刀屋には、宍道が頓原に会ったことと、彼に言われたことで、宍道の心の中のわだかまりが霧散していったのを知った。それは、三刀屋には出来ないことであった。宍道を元に戻した八雲にも出来なかったことであった。三刀屋にとって、頓原は嫉妬の対象であった。憎いわけではない。ただ、宍道の心の中の、頓原の占めている割合が大きいことが妬ましかったのであった。
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