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そして八坂と八浜を尾けているのは麻績であった。朝熊から《力》の使い方を習って、ある程度使いこなせるようになった麻績であった。まだ完璧に程遠いことは、朝熊にも言われていたが、実戦で使ってみたいと思っていた麻績は、またとない機会が来たことを喜んでいた。尾けていることを気づかれない自信はなかった。こういうことをすること自体、始めてなのだ。気づかれないほうがおかしいかもしれない、と麻績は思っていた。だから、二人が少し小走りになった時、慌てることはなかった。
「さて、どうしましょうか」
麻績は一人呟いた。諦めるには少し残念だったが、しかし相手の《力》の程も判っていないのだ。二人を相手にすることは、麻績には少々早過ぎるような気がしていた。
「しかたないですね」
麻績は尾行を止めることを決めると、くるりと元来た道を戻り始めた。奈半利が東京に出てきた理由は、ただ一つなのだ。崇を見張っていれば、自ずと奈半利の姿が現れるはずであった。朝熊も麻績がいきなり奈半利の隠れ家を見つけてくるとは、思っていないはずである。
麻績の向かう道の真ん中に、人影が現れたのは麻績の家の近くであった。麻績の家は高級住宅街が立ち並ぶところで、夜はほとんど人通りがなかった。麻績はそれが自分が尾けていた二人であることに、すぐに気づいた。と言ってそこを避けて通れるものでもなかった。
「霧島麻績」
麻績は自分の名前を呼ばれて立ち止まった。
「私たちを尾けていたのは、奈半利に手を貸すため? そうだったら、いつでもOKよ」
と麻績に言ったのは、八浜であった。八坂はその隣に立っている。
「僕は戸隠です。奈半利とは全く関係ありませんよ。ここではっきりと断っておきます」
麻績の言葉に、八浜は高らかに笑った。
「冗談よ。いまさら宗旨がえするなんて言っても、受け付けるもんですか。お前に最初に出会えたのは、全くちょうどいい。御荘様たちが来る前の、露払いには打って付けの獲物だわ。たった一人で、私たちを尾けたのはお前たちのミス。私たちの《力》で、お前なんかを倒すのは気が進まないけど、裏切り者としてはこういう最期を迎えるにふさわしいかもね」
八浜と八坂の両手から、薔薇色の《気》が立ちのぼる。それがお互いに反応し合ってさらに強い《力》になっていることに麻績は気づいた。麻績も水浅葱の《気》を立ちのぼらせる。しかし、麻績にはこの二人を倒せないことを、自分では気づいていた。
「言い残すことはない?」
もっぱら喋るのは八浜であった。八坂は黙って八浜の側にいる。麻績の額に冷や汗が滲み出ていた。
「ないようね。覚悟が出来ているというわけね。いい心掛けだわ。安心しなさい。一瞬で殺してあげるから」
八浜がにっこりと笑って言った。八坂も同じ笑いを浮かべる。
「それは俺の台詞だぜ」
その言葉と白緑の色をしたボールが、八浜と八坂の間を駆け抜けていった。八浜と八坂はそれに吹き飛ばされるように離れて、薔薇色の《気》が飛び散った。
「正義の味方、出雲五真将の頓原、ただいま参上」
と言って自分でクスクス笑いながら、頓原が現れた。
「どうする? 奈半利のおにーさんたち。ここで決着をつけたい?」
にこにこ笑いながら頓原が言った。八浜たちはクッと後ずさりをしていた。
「名前ぐらい教えておいて欲しいじゃん。次に会った時に、名無しの権兵衛って呼んでもいいんなら、話は別だけど」
茶化すような頓原の言葉に、八浜が顔を朱に染めたが、それを抑えるように八坂が答えた。
「奈半利の八坂、妹の八浜だ」
八坂はそう言って八浜の腕を取ると去っていった。八浜は何か言いたそうにしていたが、素直に八坂に従っていった。
二人が見えなくなると、頓原は麻績を振り返った。
「初めまして、だね、戸隠の麻績。俺は出雲の頓原。ここに現れたのは全くの偶然。お前のお守りはほら、あそこにちゃんといるもんね。俺ってば余計な手を出したかな、朝熊おにーさん」
暗がりから出てきた朝熊を、麻績は驚いて見つめた。
「ずっと尾けていたのですか?」
朝熊は頷いた。
「少しも気づきませんでした。まだまだ修行が足りない、ということですね」
麻績が溜め息をついて言った。朝熊が、
「いや」
と首を振る。
「麻績の判断の正しさを、喜んでいたところだ。尾けていることを事前に話さなくて悪かった」
「いいえ。もし知っていたら、僕は朝熊に頼りきっていたでしょう」
朝熊は少し笑って、頓原に視線を移した。
「出雲から帰ってきたのか。彼は何者だ?」
朝熊の言葉を聞いて、麻績は初めて頓原が一人でないことに気づいた。頓原が彼を二人の前に進める。
「五真将の八雲、15歳。この前殺られた潜戸の代わりさ。《力》は癒し。伊勢にも戸隠にも珍しい《力》だろ」
ほう、という顔で朝熊は八雲を見つめた。八雲が二人にぺこり、と頭を下げる。
「俺たちは他の出雲に話があるから、これで消えるよ」
「ああ」
朝熊は頓原の様子が少しおかしいことに気づいたが、それが実際にどんな具合なのかがよく判らなかった。
「頓原……」
と言って朝熊は頓原を見つめた。頓原が朝熊を見つめ返す。いつもと一緒の、のほほんとした笑みを浮かべて。
「出雲で何かあったのか?」
頓原は表情を変えずに、朝熊をジッと見ていた。
「べっつにー。どうしてさ」
軽く笑ってくるりと背を向け、頓原は八雲を促して去り始めた。朝熊は確かに頓原がいつもより、そう、憔悴しているような感じを受けた。だが、朝熊は呼び止めはしなかった。やがて、朝熊は麻績を振り返る。
「さあ、送ろう」
そう言って朝熊は歩きだした。麻績もその後を家路についた。
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