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奈半利の王国。
王の執務室には、当然のように物部の姿があった。魚梁瀬が殺されたので、当然、物部が奈半利の王になるのであった。物部の前には、三人の人物が座っていた。
「双海」
祖谷の妖艶とした顔立ちを男にしたような人物であった。双海、22歳の祖谷の兄であった。前髪は目が隠れるぐらいに長く、後ろは襟足までの長さで、僅かに茶色がかっている。
「御荘」
顔を上げたのは御荘、27歳。髪の毛はオールバックにして綺麗に撫でつけている。丸い黒のサングラスをかけ、必ず黒のネクタイをつけていた。
「松前」
一人だけ女性であった。松前、23歳。背中までの長い黒髪がさらさらと流れる。掻き上げた指先は細く長い。その隙間から、真珠のピアスが鈍い輝きを覗かせていた。
物部は三人を見渡して口を開いた。
「さて、魚梁瀬は死んだ」
物部の言葉に対して、双海は艶やかに笑い、御荘は無表情で、松前は無邪気な笑いで応えた。
「しかし、東京へ出ていった三人もことごとく始末され、しかも出雲の奈半利がほぼ全滅したのは、ちょっとまずかったな」
と物部は腕を組んだ。
「あの出雲の宍道があそこまでやるとは思いませんでしたね」
双海が祖谷とは僅かに声の高低が違う声で言った。
「宍道があそこまで、冷酷に木次を除くことが出来るとは……。私たちも出雲の結界の中には入れませんでしたから、奈半利の人々を助けることが出来ませんでした。確かに残念ですね。奈半利が王国を形成した時から、ずっと育て続けてきた芽をことごとく摘まれてしまったのですから。まあ、済んでしまったことはしかたありません。今回だけは宍道に敬服しましょうか」
物部がニヤッと笑う。
「物部様、出雲のことは計算違いでも、他のことは計画通りでしたね。上手くいきました。あなたが奈半利の一番の《力》の持ち主ですわ」
松前がにこやかに笑いながら言う。
「魚梁瀬様よりもより大きい《力》を持つことになった物部様にとって、何人も敵ではございませんでしょう。魚梁瀬様を殺した、伊勢の朝熊という男でさえ」
物部が再びニヤリと笑う。物部にとって、この三人は腹心中の腹心であった。すべての謀を四人で計画し、実行した。その第一段階が終わったのだ。
魚梁瀬の死を一番望んでいたのが、実は物部なのだ。魚梁瀬の失脚だけでなく、それは死でなければならなかった。魚梁瀬の死は物部にとって、王の座が降ってくることだけでなく、魚梁瀬が死んだことによる物部の《力》の強化を及ぼすものであった。物部には二番目のほうが重大な出来事なのだ。物部は魚梁瀬の従弟であった。魚梁瀬と血が繋がっているのは、今は物部しかいなかった。だから魚梁瀬の死が、物部が《力》を変化させることが出来る、唯一の条件なのであった。それがなくとも、魚梁瀬に次ぐ《力》の持ち主だから、魚梁瀬の死は、物部が奈半利で一番の《力》の持ち主であることを示すことになる。しかしそれでは、物部にとって、所詮、自分は二番手なのだ。
しかし普通の場合、血の繋がりで《力》が変化するというのは、目覚めていない場合だけで起こる。魚梁瀬の場合が、それとは別の条件なのに当てはまるのは、要するに魚梁瀬がそれを望むからに他ならない。魚梁瀬は必ず、殺されるのだ。それがどの一族になるのかは、物部も知らない。相手が苦戦したら、物部は三人に手伝うようにさえ言っていた。もちろん、魚梁瀬の相手を。魚梁瀬は殺される時、きっと物部にすべてを託すのだ。奈半利と自分の《力》と。物部にとって魚梁瀬の死が、王の座と《力》と、二つを同時に手に入れることの出来る唯一の時だったのだ。魚梁瀬はそれを知らず、物部はそれを知って、そして、物部は落ちてくるのを待つよりもぎ取るほうを選び、魚梁瀬は望まぬままに落ちていったのであった。
四人は同時に一方を向いた。物部が右手を振って、紅の球体を四人の間に作りだす。そこに映っているのは、頓原の姿であった。
「出雲五真将の頓原……。何故、ここに?」
物部が唸るように言葉を吐く。他の三人は無言でそれを見つめていた。
「物部様、私がまいりましょうか?」
一人黙っていた御荘が、始めて口をきいた。一番はやっていたのは松前であったが、先に御荘に口をきかれて出端を挫かれた。物部がそれに答えようとした時、頓原は立ち止まった。そして誰かと喋っているようだったが、くるりと向きを変え、今来た道を戻り始めた。
「?」
と四人ともそれを見つめている。
「何か、気づかれたのでしょうか?」
双海が物部を見つめた。松前が物部のほうを向いて、
「私に行かせてください」
と言ってにっこりと笑う。物部は首を振った。
「あの様子だとおそらく気づいたわけではあるまい。松前、お前を信用していないわけではないが、もし、頓原に逃げられたらどうする? 藪をつついて、奈半利の王国がここだと知らせるつもりか?」
松前は黙ってしまった。
「頓原は出雲五真将第1位の《力》の持ち主だ。檮原に苦戦していたとはいえ、彼の《力》は侮れない」
そう言って御荘は松前を見つめた。
「そして、苦戦したからこそ、これからの頓原はまた強くなったはずだ」
御荘はそう付け加えて口を閉じた。松前は目を伏せた。
「しかし、何故、頓原がここに来たのでしょうか。このような時期に観光、と言うわけでもないでしょうし……」
双海が考え深げに口にする。物部はうむ、と腕を組んだ。
「我が王国の結界を強くしたほうがいいのではありませんか。他の者が決して入ってこれないように」
物部が双海の提案に頷く前に、御荘が、
「私は反対だな」
と言った。双海がチラリと御荘のほうを見る。
「結界の中に入ってこられないのは、その結界の強さより弱い《力》の持ち主だけだ。結界の強さと同じ程度か、あるいはそれ以上の者には結界は役に立たん。入ってこられなくとも、違和感を感じることは出来るだろう。つまり、そこに結界がある、と判るのだ」
「そうだな」
と物部は呟いた。物部より3歳年下の御荘であった。他の二人よりも年上で、三人の中ではリーダー的役割を担っていた。物部を入れた四人の中では、一番の常識の持ち主であった。物部に対しても、ストッパーとして御荘は存在していた。
血気盛んな松前であった。一番手が早く、しかしすぐに血が冷めて、無邪気な笑いを浮かべる。ほとんどその笑いを途切らせることがなかった。可愛い、という感じの女性であった。
そして、その正反対のような双海。妖艶とした、艶やかな笑みが似合う。祖谷に似ているのか、祖谷が似ていたのか。冷静沈着、と言うより、冷淡な、と言ったほうが正しいのだろう。どんな残酷なことでも、自分の手で行うことが出来るし、見ることが出来る。
物部は紅の球体に目を戻した。頓原は足早に遠去かっていた。
「双海」
と物部は視線を動かさないまま言った。
「はい」
双海は物部を見つめている。
「頓原がどこに向かうか、確かめておけ。ただし、決して悟られないように。ほんの僅かでも疑問を持たせてはならないぞ」
「判りました」
双海はそう言って、王の執務室から出ていった。物部は紅の球体を消した。そして、御荘のほうを見る。
「東京へ行かねばなりませんね」
御荘が物部が言おうとしている言葉を自ら紡いだ。物部は頷く。
「布城崇を目覚めさせますか?」
御荘は眼鏡をずり上げて何気なく言った。物部が一瞬黙り込んだ。松前は耳にかかった髪を掻き上げる。真珠のピアスが鈍い光沢を放っていた。
「布城崇をまず、ここに連れてきてからだ。他の場所で目覚めさせると、もし奴らの手に落ちた時が悲惨だな。特に伊勢の手には渡すことが出来ない。彼は伊勢の神の化身かも知れぬが、我らの神の化身でもあるのだ。最初に目覚めさせたほうが、彼を使うことが出来るのだ。どうやら、伊勢は彼を手に入れることが出来るのに、未だに手に入れていない。おそらく、伊勢は布城崇を目覚めさせることが出来ないのだ。伊勢がそれに気づく前に、我らが布城崇を奈半利に迎え、我らの神の化身として目覚めてもらうのだ。他のことはそれからだ」
物部の答に御荘は頷いた。御荘が思った通りに物部は答をくれた。期待通りの答を受け取って、御荘は満足していた。魚梁瀬にはそれを感じさせてもらえなかった、と御荘は思い出していたのだった。
「では、私が布城崇を連れてきましょうか。それとも、物部様に何か提案でもございますか」
「そうだな」
と物部は目を閉じた。そしてすぐに開ける。
「御荘、松前とともに東京へ行ってくれ。他に何人か好きなだけ連れていってよいぞ。双海は奈半利に残ってもらわなければならない。それでどうだ?」
「判りました」
と言って御荘は松前を促して立ち上がった。
「八坂、八浜、室戸を連れていきます」
そう言って御荘は松前とともに物部に頭を下げると、執務室を辞した。
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