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「宍道」 と言って木次は微笑んだ。全く表情の無かった顔に、笑みが浮かんでいた。 「宍道、お前のしなければならないことをするのが、出雲の王としての道だ」 宍道の震える肩が、木次にもよく見えた。 「父上、私は、あなたを失くしたくない。私は、王として生きなくてもいい。王の座を下りてでも、ただ、あなたと親子のままで生きていきたいのです」 木次の両手が、宍道の肩に置かれた。息子の震えを自分が取り去ろうとしているように。 「お前は出雲の一族を見捨てようと言うのか。一族はお前に見捨てられるのか。それは逃げだ。逃げてはならぬ。宍道、お前は出雲の王だ。王としてその口から発した言葉を、どんなことがあっても撤回してはならない。それがたとえ虚言だとしても。こうなることは、あの時に話し合ったことだろう。お互いに覚悟を決めていたはずだ。それともお前は今になって、それが出来ないと言うのではないだろうな。わしは、そんな息子を育てた覚えはないぞ。わしの息子は出雲の王にふさわしく、一族を守り一族を率い、そしてそれを次代に受け継がせることが出来る男であった。お前はそうではないと言うのか」 宍道はまっすぐに木次を見つめる。 「父上、私は……」 と木次から目を逸らした。 「宍道」 と木次はその両手に力を込めた。 「わしはこれでよかったと思うぞ。他には全く方法がなかったのだ。これが一番良い方法だったのだ」 「私が父上を失ってもですか」 宍道が木次に視線を戻して言った。木次が首を振る。 「これで奈半利は出雲から一掃されたのだ。それ以上のことをお前は欲張ろうとするのか。わしが奈半利だったからこそ、この計画が上手くいったのだ。そして、わしが奈半利としてお前に処刑されることで、この計画が完全に終了するのだ。そうではないか、宍道。わしは奈半利として死ななければならないのだ」 「父上、それでも、私はあなたを助けたいのです。出雲から奈半利は一掃されました。だから、実は罠に掛けるためにあなたが奈半利であるということにしていた、と言えば、みなも納得します。いえ、私が納得させます」 木次の右手が宍道の左頬を高く鳴らした。思わず宍道は頬を押さえる。 「お前は私の信頼を裏切ると言うのだな」 「父上! 私はただ」 「三刀屋」 木次が宍道の後ろを向いて言った。八雲をその場から去らせた三刀屋が戻ってきたのだった。 「はい」 と三刀屋は木次を見つめた。 「宍道には出来ぬ、と言う。お前が代わりにやってくれ」 三刀屋は一度目を瞬いて、 「判りました」 と言った。その両手に若葉色の《気》が立ちのぼる。ハッと宍道は気がついて、 「待て。待ってくれ、三刀屋」 と木次の前に立ち塞がった。三刀屋は顔色も変えず、 「お退きください、宍道様」 と言った。 「退くんだ、宍道。お前が出来ぬならば、誰かがそれをやらなければならない。三刀屋はそれをやってくれるのだぞ。自分の手を汚すことを」 木次の言葉に宍道が振り返る。そして、大きく息を落として、 「私が、やります」 と言った。三刀屋が若葉色の《気》を収める。 「三刀屋」 と宍道は三刀屋のほうを向いた。 「出ていってくれ」 そう言って宍道は三刀屋を見つめた。三刀屋は二人に一礼して出ていった。 「父上」 宍道は木次に向かって微笑んだ。 「私は、出雲の王としてふさわしいですか。ふさわしく生きることが出来ますか。父を殺した私を、みなは王としてふさわしいと思ってくれるでしょうか」 木次は息子の哀しげな微笑みに、優しげな微笑みで包み返した。 「お前は、奈半利を滅ぼしただけだ」 宍道はまた大きく息をした。そして、その体を刈安の《気》で包む。やがて木次もそれに包まれる。 「五真将たちも、お前の取った行動は間違っていないと言うはずだ。そうだ、お前は間違っていない。お前は私の自慢の息子で、出雲の王だ。一族を率いる器量のある長だ。私はお前をずっと信じているよ。これから取るべき行動に対しても」 「はい」 と宍道は素直に頷いた。 「出雲五真将は、常に五人だぞ、宍道。潜戸の代わりには、判っておろうな」 「え? それは……」 木次はその手を緩めようとする宍道を目で叱った。 「すぐに判る。お前を助けてくれる」 木次の姿が消えゆく。宍道と木次はお互いに微笑み合っていた。これで良かったのだ、と思わなければ、あまりにも辛過ぎた。宍道にとって、掛け替えのない人なのだ。しかし、もう宍道はその手を緩めなかった。そうすることは、木次にとって侮辱に当たるのだと、宍道には判ったからだ。 「父上……」 木次は消え去った。宍道は立ったままそこにいた。そして崩れるように、床に倒れ込んだ。三刀屋が慌てて宍道に走り寄る。《気》の使い過ぎと、精神的な苦痛を背負い込んだためであった。 三刀屋は呆然と宍道を抱き抱えたままであった。三刀屋には何もすることが出来ない。彼には攻撃能力しか備わっていないのだ。姉の羽衣にしても、宍道を元に戻すだけの癒しの《力》があるわけではない。ふと、頓原のことを三刀屋は思い出したが、彼はここにはいない。遠く離れた高千穂に行っているはずであった。頓原に癒しの《力》があるとは聞いていないが、頓原だったら、宍道を呼び戻すことが出来るのではないか、とふと思ったのであった。しかし、三刀屋は遠く離れた頓原と話す《力》を持ち合わせていなかった。 「私が……」 と三刀屋はいきなり後ろから声を掛けられて、ビクッと振り向いた。あまりにも呆然としていたため、人が入ってきたことに気づかなかったのだ。三刀屋に声を掛けたのは、八雲であった。その瞳にはもう涙はなかった。 「お前が?」 三刀屋が警戒して八雲を見つめた。たった今、宍道たちは湖陵たちを殺したところであった。八雲に癒しの《力》しかないことは知っていたが、別に《力》を使わなくとも、宍道を殺すことは出来るのだ。 「私は湖陵様を愛していました。誰よりも。だから、ずっと側にいたかったのです。湖陵様は私に生き続けて、思い出して欲しいと言いました。だから、私は湖陵様を思い出すために、生き続けます。いつまでも……」 三刀屋の向かいに、八雲は座った。 「宍道様を恨んでいると言って欲しいですか。湖陵様にそう言われたのなら、私はそのほうが楽でした。でも湖陵様はそれを私には望まなかった。確かに、宍道様を恨んでいるかもしれません。でも、私には《力》があります。それが私に備わっているのは、きっと今、意味を持ってくるのではないでしょうか。もし、私がおかしな真似をしたら、どうぞ、いくらでも殺してください」 そう言って八雲は、宍道の額と胸に手を置いた。そして目を閉じる。その手のひらから若草色の《気》が放たれる。八雲はゆっくりと呼吸しながら、顔を上に逸らした。再び顔を下に向けると、宍道の額に置かれた左手の指二本で、自分の指が白くなるまで額を押さえた。三刀屋は無言でそれを見つめている。少しでもおかしな真似をしようとしたら、いつでも八雲を始末できるように構えてはいたが。 八雲がふっと緊張を解いた。つられて三刀屋も気を緩めた。八雲が三刀屋をチラッと見上げた。 「駄目だよ。俺にその気があったら、宍道様は殺されていた」 一瞬の気の緩みが、それを行う隙を確かに作っていた。三刀屋は何も言えずに、八雲を見つめていた。八雲はクスッと笑う。 「それで、宍道様の影のつもり?」 三刀屋の顔に屈辱の赤みが射していた。八雲の言葉づかいがいきなり変わっていることにも気づかない。八雲のまだ何か言おうとする口を押さえたのは、八雲の右腕を掴んだ宍道の手であった。八雲がびっくりして下を向いたので、三刀屋も下を向いた。宍道は八雲の右腕を掴んだまま起き上がった。 「そうか、お前か、八雲」 宍道を暗闇から助け出すのは頓原だと、宍道自身は思っていた。だが、実際にそれを行ったのは、八雲であった。 「あ、宍道様……」 三刀屋は宍道が元に戻ったことで、それ以上の言葉を発せなかった。 「八雲、お前が今日から五真将の一人だ」 それを聞いた二人は、ただただそれを言った本人を見つめ続けた。 宍道は立ち上がって、扉を開け放った。朝の光がさあっと射し込んでくる。宍道は二人を振り向いた。 「さあ、新生出雲の幕開けだ」 そう言って宍道は両腕を拡げた。朝日を背にした宍道を、二人はしばし眩しげに見つめていた。
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