湖陵たちは木次を連れて、無事に隠れ家に戻った。木次を上座に据え、その前に一同はひざまずいた。木次が手を振って座るようにと合図した。
「これで出雲の中のすべての奈半利か」
 木次はぐるりと見渡して言った。湖陵が同じように見渡して、
「はい、裏切った者以外はすべてここに集まっております」
 と言った。邑智は後ろを向いて八雲がいないことに気づいたが、湖陵と目を合わせて何も言わなかった。湖陵が八雲をこの計画から外すことは、前々から言っていたことだ。
「そうか」
 と木次は再び一同を一人ずつ見つめた。そして、最後に湖陵に目を向ける。
「湖陵、お前まで奈半利だったとはな。宍道も全く気づいておるまい」
 その口調には感情が表れてはいない。湖陵がニッと笑った。
 湖陵は内的な政のほうの五真将ともいえる役職についていた。木次はその政の重要な役職についている者の幾人かを、そこで見ることが出来た。
「しかしそれを言われるのでしたら、木次様のことを、私どもは全く気づきませんでした。もしかすると、王の身分にあった方の中には、他にも奈半利がいらっしゃったのでしょうか」
「さあ、な。わしは知らぬ」
 そう言って木次は目を閉じた。
「木次様、今こそ私どもの手で出雲を乗っ取りましょう。完全に奈半利のものとするのです。今は、五真将たちは出雲の外に出ています。今を除けば、決起する時がございません」
 湖陵が少し膝を進めて、木次に近づいた。木次が目を開ける。
「確かに五真将たちは出雲にいないが、宍道は手強いぞ。それでもやると言うのか」
 湖陵が口の端で笑う。
「確かに宍道様は手強い相手でしょう。ですが所詮、たった一人ではありませんか。私たちの《力》を合わせれば、敵ではございません」
 他の男たちも湖陵に合わせて笑っていた。
「そうか」
 と木次はスッと立ち上がった。何事か、と湖陵が木次を見上げる。
「宍道」
 と木次は叫んだ。その声に呼ばれたように、暗闇から宍道が現れる。反対側からは三刀屋が。湖陵が何、と腰を浮かせた。
「湖陵、お前までが奈半利だったとはな。いまさら、考え直す気などないだろうな」
 宍道が感情を押し殺した口調で言う。湖陵がすっくと立ち上がって、宍道のほうに向き直った。
「宍道様、これは罠だったわけですか。我らを一同に集めるという。すると、木次様が奈半利だったことは、嘘というわけですか」
 宍道が一つ吐息を落とした。
「父上が、どれだけ出雲のことを愛していらっしゃったか、お前もよく知っていたと思うがな。だからこそ、お前たちを罠に掛けることが出来たわけだが」
 湖陵がクックと笑った。
「確かに見事に引っ掛かりましたよ、宍道様。ですが、その後はどうなさるのです。たった一人で、我らを倒せるおつもりですか」
 宍道は湖陵を見つめて、哀しげに首を振った。
「湖陵、何故、奈半利に加担する。お前は出雲の一族としての誇りはないのか」
「誇り? 出雲であることがどうして誇りなのです? 出雲、伊勢、戸隠とその三つの同等の立場より、奈半利として、この国を世界を牛耳るのです」
「神々は、そんなことのために《力》を与えてくださったわけではない」
「では、何のためです? 《力》というものは、それを使うために存在するもの。神々が我らにそれを与えたのは、それを使えと命じているわけです。我らは神々の意志通りにこの《力》を最大限に利用しなければならないのです」
「湖陵、それは違う」
 宍道が絞り出すような声で言った。
「それは、神々の意志ではない」
「では、神々が私たちに与えてくれたこの《力》は何の意味があるのですか。あなたはそれを神々から聞いたとでも言うのですか」
 湖陵がフン、と鼻を鳴らす。
「宍道様、無駄話はそのくらいにしておきましょう。木次様には《力》があまりないことが判っていますから、あなたから先に逝っていただきますよ。たった一人で我らを倒そうと思うその心意気は見上げたものですが、死んでしまえば何にもならないことを、まあ、いまさら言ってもしかたないことですね」
 宍道がそこで初めて笑った。にっこりと。湖陵はその笑いを見て、ゾクッと背を震わせた。
「そう、いまさら言ってもしかたがないが、まず私一人ではないということ。そして、父上に《力》があまりないというのは、この際全く関係ないということ。父上には確かに《力》があまりない。だが、それは一人の時だからであって、この状況が父上の《力》を発揮するのに最高の舞台になるのだ。それを身を持って知るがいい、湖陵」
 その台詞が終わるか終わらないうちに、宍道の体から刈安の靄が木次に向かって立ちのぼる。同じように、三刀屋の体からは若葉色の靄が向かっていた。湖陵たちはその時、何も出来なかった。宍道、木次、三刀屋は、正確に正三角形の頂点に立っていた。その中に湖陵たちはすっぽりと入っている。まるで痺れたように動けなかったのだ。
 木次に向かった宍道と三刀屋の《気》は、木次の柳色の《気》に反射されて、正三角錐の頂点に至った。三色の色が入り混ざって、湖陵たちを包み込む。闇を消すのは、光。輝く光が、三色の色に打って変わった。もはや、湖陵たちはそれから逃れられない。
「湖陵様」
 バタン、と戸が開いて、八雲が飛び込んできた。そして、眩しい光に思わず目を押さえる。僅かに開いた瞳に湖陵の端座する姿を映して、八雲はそのほうへ行こうとした。しかし、三角錐の中には入れない。
「湖陵様、湖陵様」
 湖陵が消えゆく姿で、八雲を見つめる。
「八雲、お前は奈半利ではない。私を愛していただけだ」
 そう言って微笑んだ。八雲は首を振る。
「私は湖陵様についていきます。そう約束したではありませんか。いつまでもご一緒すると……。お願いします、宍道様。私も湖陵様と一緒に逝かせてください」
「宍道様、八雲には何の罪もございません」
 湖陵の言葉に、八雲は、
「私は」
 と言いかけた。湖陵が八雲に向かって微笑む。
「八雲、生きていて、ときおり、私のことを思い出しておくれ。頓原よりもその回数は少なくてもいい。思い出してくれれば、私は安心して逝くことが出来る。それがお前に対する私のたった一つの願いだ」
「湖陵様……」
 ひときわ三角錐の中が輝いて、やがて光は消え去った。
「湖陵様」
 八雲は湖陵がいたはずのところに駆け寄った。何も残っていない。湖陵が身につけていたものも、その髪の毛一本すら……。八雲は涙に濡れた瞳を宍道に向けた。宍道はそっと首を振った。
「八雲、出雲の中の奈半利は、すべて消滅した」
 八雲は床に突っ伏して肩を震わせた。宍道は八雲をそのままにしておいた。宍道にはまだしなければならないことがあったのだ。
「父上」
 声が震えてしまうのを、宍道は抑えることが出来なかった。そしてゆっくりと木次に近づく。三刀屋は八雲を抱え上げると、そこから出ていった。そこには、宍道と木次の二人だけになった。

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