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宍道は苦い顔をしていた。彼の刈安の靄の中に三刀屋がいる。そして、三刀屋の側に浮かんでいるのは、若葉色の球体であった。その中にいるのは、頓原と羽衣であった。
「まさか、こんな時に頓原が出雲に戻ってくるとは思いもよらなかったな。三刀屋、余計な手間をかけさせたな」
ふうっと大きな溜め息をつきながら、宍道は言った。
東京からの頓原の呼び掛けに応えなかったのは、宍道のほうであった。しかしそれで、頓原が出雲に戻ってくるとは思いもしなかった。ましてそこで檮原と死闘を繰り広げるなど、それこそ全く予期せぬ出来事であった。
「頓原も自分の《力》を過信していたわけではないだろうが、相手を甘く見過ぎるのは、あいつの悪い癖だな。これで少しは成長すればいいのだが……」
出雲の結界の外で、頓原と檮原が出会ったことは、宍道にはすぐに判った。しかし、宍道自身が動くわけにはいかない。だから、三刀屋を行かせたのだった。三刀屋は頓原を助け、結界の外にある自分の家に運び込んだのだった。一週間の間、出雲から誰も出さず、誰も入れない、という宍道の命令を守っているのであった。
「宍道様、頓原はどうなさいます? ここに入れるわけにはいきませんね。と言って、私が今日家に戻ると、会わなければならなくなります」
三刀屋が右手を上げて、若草色の球体を消した。
「そうだな」
と宍道は考え込んだ。三刀屋の家に運び込ませたのは、彼の家が結界の外にあったからであって、もちろん、結界の中に入れたくなかったからであった。三刀屋の家が結界の外にあるのは昔からであって、今に始まったことではない。
「お前の家が結界の外にあったから、つい頓原を運び込ませてしまったが、間違いだったかな。傷だけ治して、その辺に放り出しておけばよかったかもしれぬな」
宍道はそう冷たい言葉を吐く。別に頓原に冷たく当たっているわけではない。この季節、頓原なら体を壊すことはあり得ないからだ。
「しかし、頓原を出雲に入れることは出来ませんね」
今、頓原を入れてしまうと、せっかくの計画が台無しになる可能性が出てくるのだ。別に頓原が邪魔をすると思っているわけではないが、些細なことが緻密な計画を無駄にすることが多々あるのだ。なるべく障害は最初から除いておいたほうがいい。それ以上に、出雲五真将第1位の頓原が、今、出雲の中にいてもらっては困るのだ。宍道にしてみれば、頓原に近くにいてもらいたかった。だが、そうすると相手が警戒し過ぎるだろう。宍道は目を閉じて考え込んだ。頓原を出雲から遠去ける方法を考えていたのだ。あと、四、五日でいいのだ。それがすめば、すべてを話すことが出来る。
「しかたない」
宍道は呟いた。三刀屋が宍道を見つめていた。
「頓原を騙すのは、気が進まないが……」
宍道の右手の上に刈安の球体が浮かんだ。それに宍道は呼び掛けた。
「頓原」
羽衣と話していた頓原がハッと目を上げる。目の前に宍道の姿があった。
刈安の球体の中に、頓原がいた。
「宍道、何があった?」
宍道は頓原に笑いかけた。
「頓原、今は大事な時なのだ。それよりも、大切なことがある。お前にどうしても事の真相を確かめて欲しいのだ」
そう言って、宍道は頓原を見つめた。頓原も宍道をジッと見た。頓原には三刀屋の姿は見えない。
「何?」
「奈半利の」
と宍道は口を噤んだ。頓原の目がきらりと光る。
「奈半利の里が、高千穂にある」
え、と頓原は宍道を見つめ直した。
「高千穂?」
「頓原、疑う気持ちは私もよく判る。だから、真相をお前に確かめて欲しいのだ」
頓原は宍道から目を逸らして、じっと考え込んでいた。高千穂は、我が神々が降臨してきた場所であった。そこに、奈半利がいるというのか。
「判った。俺が調べてくるよ」
そう言って、頓原は宍道をジッと見つめた。頓原はまだ聞きたいことがあった。今、何が起こっているのか。だが、頓原は聞かなかった。自分に高千穂に行けというのは、出雲に近づいて欲しくないからなのだ。それを頓原は判っていた。宍道が頓原のことを判っているように、頓原も宍道を理解していたのだ。だから、黙って高千穂に行くことを承諾したのであった。
「気をつけてな」
宍道が言って、刈安の球体を消した。ホッと息を落として、宍道は首を振った。頓原はすぐに、三刀屋の家から高千穂に向かうだろう。何も聞かずに行くのだ。頓原はそういう男であった。宍道はそれをよく判っていた。
「宍道様、頓原のことをよく判っていらっしゃるのですね。そして、頓原も……」
僅かに妬くような口調で、三刀屋は言った。宍道はそれに気づいたが、気づかないふりをしていた。
そして、頓原はすぐに出雲から高千穂に向かった。
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