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頓原はすぐにそれがおかしい、と思った。出雲の王国には境界線などはっきりした境があるわけではない。だが、余所者は入らないように、王国としての結界が張られているのだ。余所者は出雲の王国に足を踏み入れることは出来るが、その奥深くまでは決していけないようになっているのだ。出雲が認めないかぎり。行きたいと思っても、その近くまで来ればその気が失せ、聖域には絶対入れない。だが、出雲であれば王国の中は自由に動き回れるのだ。しかし、頓原は結界が自分までも追い出そうとしているのに気づいた。おそらく頓原でなければ気づかなかっただろう。彼の《力》の大きさが、僅かな違和感を頓原に示していたのだ。《力》のない者ならば、何の違和感もなく、王国から遠去かっていたはずである。
頓原はまっすぐ前を見つめていた。その少し先には、宍道の館があるはずであった。頓原はその結界が宍道によって張られていることに気づいた。つまりは、頓原には結界を壊せない。結界を破るということは、宍道の命に関わることだからだ。それ以上に、結界は破れないのだ。
頓原は腕を組んだ。どうすればいいのだろうか。宍道が自分の呼び掛けに応えなかったのは、おそらくこの結界が邪魔していたからなのだ。しかし、もしかすると、この近くからの呼び掛けならば、宍道は応えてくれるのではないか。頓原の左手が白緑の球体を作ろうとしていた。その時、頓原はハッと横に飛びのいた。そのまま後ろを振り返る。そこに立っていたのは、檮原であった。
「東京へ出てきて生き残ったのは私一人になって、応援を頼もうにも手土産なしでは帰れぬ。出雲の王の首ならば、その価値があるから、と出雲の王国に潜入しようとすれば、強い結界が張ってあって全く入れぬ。どうしようかと思案に暮れていたところに、よくぞ現れてくれたな、出雲五真将第一位、頓原」
頓原は檮原がすぐに仕掛けてこないことに安堵して、体勢を立て直した。
「奈半利の檮原か。そっかー、祖谷は船通に殺られて、越知は俺に殺られて、魚梁瀬は朝熊に殺られたもんね。奈半利からはあれから応援はなかったのか。可哀そうじゃん。まあ、出雲も潜戸が殺されたから、でかい顔は出来ないけどさ。ちょうどいい。ここで最後にしようよ。俺が檮原おじーさんを殺せば、東京へ出てきた崇を狙う奈半利はいなくなるってことでしょ。その後はその後のことだしね」
そう言って、頓原はクスクスと笑った。
「でもさ、奈半利の王、魚梁瀬があんなに簡単に殺られるとは思ってもみなかったよ。奈半利の王は、一番の《力》の持ち主のはず。これからどうするわけ?」
「それは奈半利の王、物部様が決めること。出雲の頓原、無駄口を叩くのはそれぐらいにしようか。私にはお前のような無駄な時間をかけて殺るような真似は嫌いでね。一気に片をつけてやろう」
檮原の全身に灰赤の靄がまとわりついていた。頓原は檮原の攻撃がどんなものかを知らなかった。
(いったい、檮原の《力》とはどんなものなんだ)
頓原も《気》を一気に高める。決して負けるつもりはない。出雲五真将第1位としての自負もあるし、自分にはそれ以上に《力》があると判っていた。
「出雲は風水師と聞いた。だが、私には何も効かぬぞ」
灰赤の靄が檮原の右手に剣の形を作る。それを見て、魚梁瀬も剣を作ったことを頓原は思い出した。その剣がどんな攻撃を仕掛けてくるのか、頓原は想像していた。その間に頓原の白緑の靄も同じように頓原の左手に剣を作った。頓原はニヤッと笑った。
「確かに出雲は風水師。しかし、出雲五真将を名乗っている以上、風水師だけの《力》と思わないほうがいいさ。出雲五真将にとって、風水師の《力》はむしろおまけのようなもの。他の五真将が奈半利に苦労したのは、彼らが本来の《力》を発揮しなかったため。魚梁瀬相手はどうだったか判らないが、他の奈半利に対しては、おくれを取ることはないわけさ。まあったく、困ったもんさ。仁多はともかく、他の三人はね」
本当に困ったもんだ、という表情で頓原は言った。檮原は無言で、両手で灰赤の剣を構えた。そして軽く檮原は剣を一振りした。頓原は白緑の剣で受けるつもりであった。逃げるつもりなど毛頭考えていなかった。だが、勘のようなものだろうか、頓原は横に飛んだ。
「つっ」
頓原の頬に赤い線が走った。充分の間合いを取っていたはずであった。なのに、頓原の頬を傷つけた。白緑の障壁も役に立たなかった。
(こいつはちょっと手強いな)
一気に片をつける、と檮原は言っていた。とすると、きっと次が終わりなのだろう、と頓原は思った。こっちもそのつもりで、と頓原は檮原に向かって走る。その間に剣にすべての《気》を込める。身を守るための《気》さえもすべて、剣に込めた。この一撃をかわされたとすると、自分を守るべき障壁のない頓原に勝ち目はなかった。檮原も頓原に向かって走る。二人の《気》の大きさが、二人が剣を打ち合う前にぶつかった。灰赤と白緑がぶつかりあって火花を上げていた。檮原は両手で、頓原は左手で剣を持っている。
ふいに、頓原が左側の《気》を薄くした。その機を逃さず、檮原がそこに剣を叩き入れる。檮原の剣が頓原を貫く。檮原が笑いを浮かべた。そしてすぐに、笑いを硬直させる。檮原の左胸に、頓原の白緑に輝く剣が突き刺さっていた。その先に頓原の右手が剣を握っている。左手にあったはずの剣は、いつの間にか右手に持ち替えられ、頓原の左胸を貫くはずだった檮原の灰赤の剣は、頓原の左腕に突き刺さっていた。
ドクドクと檮原の胸からは血が流れ出ていた。それに伴って、彼の《気》も薄れていく。灰赤の剣は細く小さくなっていった。
「俺の勝ちだね。でも同じ技を使うなんて、ちょっと意外だな。ところで、檮原おじーさん、奈半利の場所を教えてくれる気はない? もしその気があるのなら、考えてあげてもいいけど」
にこにこ笑って頓原は言った。すでに頓原の左腕からは、檮原の灰赤の剣は抜けていた。頓原自身も左腕から血を流しながら、しかし少しも苦しそうではない。檮原がニヤッと笑った。
「甘いな、坊や」
その途端、檮原の体が燃える。灰赤に。それは檮原の左胸に突き刺さったままの頓原の剣を伝って、頓原までも包み込んだ。炎に苦しめられるはずなどなかった。しかし、頓原はその灰赤の炎を消すことが出来ず、どうにか張った白緑の障壁に守られていた。しかしいつまでもこのままでいることは出来ない。しかも、灰赤の炎は、白緑の障壁を破ろうとしているではないか。
「これこそ、絶体絶命ってやつかな」
左腕から流れ出ている血を眺めながら、それでも楽しそうに言葉を吐く。
「まいったな。坊や扱いされた上に、死人に殺されるなど…俺には似合わないぞ。俺に似合うのは……」
失血に意識が朦朧となりながら、頓原は呟いた。もう目を開けていられなかった。最後に若葉色に回りが輝いたように見えたのは、きっと気のせいだろうと思った。
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