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頓原はいきなり二人だけの隔絶された世界になったことに気づいた。朝熊が結界を張ったのだ。いまさら張る、と言うことは、倭と朝霞が戻ってきたことに関係があるのだろう、と頓原は思った。つまり、二人には決して聞かれたくないことを、朝熊は自分にだけ話そうとしているのだ。
「もしもの時に、倭を託せるのはお前たちしかいない」
苦渋に満ちた表情で朝熊は言った。もしもの時、というのは、朝熊が倭を守れなくなった時なのか、と頓原は思った。でもいったい、誰が朝熊を倒せるというのだろう。
「朝熊おにーさん、あなたを倒せる者がいるっての? あなたにとって、奈半利の王を倒すことさえ簡単なこと。奈半利で一番の《力》の持ち主を倒せるあなたを、誰が倒せるわけさ」
頓原にはわけが判らない。朝熊は何故、俺だけにそれを話しているのか。
「頓原、お前は魚梁瀬の話を聞いていたんだろう。すべて聞いたと言ったな」
頓原は頷いた。朝熊は結界の外を見た。倭と朝霞が側にいるのが判る。倭には結界を張ったことを気づかれただろう、と朝熊は思った。
「奈半利の一族、と呼ばれている人々以外にも、三つの一族の中にも、まだ奈半利がいる、と。それをすべて滅ぼさないかぎり、奈半利は消滅しない、と」
頓原はまた頷いた。
「出雲にもいるかもしれないが、伊勢にもいるのだ」
頓原の胸がちくちくと痛んできた。朝熊は何を言いたいのか。
朝熊が結界を解いた。それに気づいて、倭が近づく。その前に、朝熊が低く呟いた。
「私を倒せるのは、倭だけだ」
頓原の胸にその言葉は響き渡った。頓原が立ち去っていくのを見送り、朝熊は倭に視線を移して心の中で呟いた。
(私は自分が奈半利であっても、奈半利として目覚めてしまっても、私は他の誰にも殺されはしない。私を倒せるのは倭だけだ。ただそれが、倭に対する一番の裏切りになることが、私の最大の苦痛なのだ。倭を本当に託せる人を探してからでないと、私は終われない。だけどいったい、誰に倭を託せばいいのだろう)
朝熊のそんな思いを知らず、倭は彼を見つめていた。
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