「で、私に話とは?」
 と朝熊は言った。倭に関することについては頓原は許せないのだが、それを気にしないとなると、どうにも憎めない雰囲気を頓原は持っていた。頓原が頬杖をついて朝熊を上目遣いに見た。
「船通が世話になった。礼を言わせてもらうよ」
 朝熊が僅かに顔色を変えて、頓原を見た。
「船通に聞いたのか?」
 頓原が、
「いや」
 と言って頬杖を止めた。
「あいつは他人に助けられたなんて、決して洩らしはしないさ。特に俺にはね。俺が三人を見たわけ」
 そう言って、頓原は朝熊を指さした。
「船通が魚梁瀬に会って、そこにおにーさんが現れて、そしてみんなが去るまで、俺は一部始終を見ていたのさ」
 朝熊は無言で頓原を見ていた。
「察しのいい朝熊おにーさんなら、俺が何を聞きたいのか、もう判ってるでしょ。聞かせて欲しいなあ。惚けてたって駄目だよ。俺は見ていただけじゃなく、聞いてもいるんだからね」
 頓原はそう言ってにこにこと笑った。朝熊はフッと視線を落とした。朝熊には頓原が聞きたいことが判っていた。
 何故、魚梁瀬を倒さなかったのか。
 今ならば迷いはしないが、あの時には、魚梁瀬を倒せなかった。しかし、その理由というのは……。
「頓原、今の私ならば、魚梁瀬を倒すことが出来る」
 朝熊はスッと立ち上がった。
「……それは、あの時は倒せなかった、という意味? 倒さなかったのではなく?」
 頓原が考えながら言った。
「頓原、お前は倭を守れるか」
 考え込んでいた頓原は、朝熊の言葉の意味を理解するのにかなりの時間がかかった。
「守れる」
 と頓原は答えた。
「倭以上に、お前に大切なものがないと言えるのか。もし、出雲と倭が対立したとして、お前は出雲を捨てられるのか」
「それは……」
 と頓原は詰まった。頓原は出雲五真将である。それを自分は誇りに思っているし、出雲の実質的な王である宍道をただ一人の王と思っていた。頓原にとって、一番大切な人は倭ではなく、宍道なのだ。頓原には出雲を捨てることが出来ないだろう。
「しかし、出雲と伊勢が対立することはあり得ないし……」
 朝熊がぐっと顔を頓原に近づけた。
「あり得ない? 誰がそれを決めたんだ」
 それを誰が決めたか、いや、誰が決めたのでもない。伊勢、出雲、戸隠が対立しないと、勝手に思っているだけである。いや、それも違う。現に対立しているではないか、奈半利として。頓原は言葉を失って朝熊を見つめた。
「やはり、お前には無理か」
 低い呟きで朝熊は言った。頓原は普段の朝熊と今日の朝熊との違いが何なのか、その微妙な違和感に気づいた。
「朝熊おにーさん、倭おねーさんを守る役目は、あなたじゃないの」
 朝熊がふいっと頓原から離れた。朝熊の表情には僅かなりとも、頓原に心を読ませる手だてを与えなかった。朝熊の頓原から逸らした視線の先に、戻ってくる倭と朝霞の姿があった。
「私がもし……」
 朝熊が言いかけた口を閉じた。そして頓原に視線を戻す。
「お前は出雲と倭が対立しないかぎり、倭を守れるな。私はお前を信頼するに足る人間だと思っている」
「朝熊おにーさん……」
 朝熊がそれを自分に言っている意味は、いったい何なのか。頓原には朝熊の考えが見えなかった。
「朝熊おにーさん、そりゃ俺は倭おねーさんが好きだから守れるけど、それに、あなたにそれほど信頼されて、戸惑うぐらい感動してるけど、でもあなたが今それを言う意味が、俺には判らないよ」


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