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「それについてずっと考えていたんだが、彼女には《力》がないようにみえて、その実、我らとは較べものにならない《力》を持っているのではないか。あるいは、彼女には全く《力》がないが、他人の《力》に干渉されることがないのではないか。そんなことを思っていた。朝霞の考えはどうだ」 朝熊の二つ目の考えは、明らかに朝霞の虚を突いたようだ。 「他人の《力》に干渉されない? つまり、彼女にはどんな《力》でもってしても傷つけることが出来ない、というわけか」 「二つ目の私の考えが当たっていれば、な」 朝霞は遙を見つめた。どんなに見つめていても、普通の女子大生にしか見えない。 「朝熊、頼みがある」 と朝霞は朝熊のほうを向いて頭を下げた。 「何か」 「崇は僕が守る。だから麻績を助けて欲しい」 朝熊は首を傾げた。 「助ける?」 「麻績にとって、柚木野さんは一番大切な人だ。だから、彼女を盾に取られると麻績はその言いなりになるしかなくなるんだ」 朝熊は合点した。 「つまり、奈半利が麻績殿を手先に使おうと、柚木野さんを人質に取る、ということか」 「麻績にはっきりと聞いたわけではない。だが、麻績が今のことに巻き込まれてしまったことは、確かだ。そして、麻績に狙わせようとする相手は」 「布城崇」 朝霞は頷いた。倭は口を挟むことなく二人の話をじっと聞いていた。朝熊の選択がいつも正しいと信頼している倭であった。何か聞かれれば意見を言うが、それ以外は朝熊の判断に任せていた。倭にとって朝熊はそれだけ大切な人であった。だから、ふと思った。 (もし、朝熊を人質に取られたとすれば、私も言いなりになるだろう) ということを。言いなりになった振りをして朝熊を助け、その相手を倒す、そんな器用なことは、 (私には出来ないな) とも思っていた。きっと、麻績という男もそうなのだろう。 「その話、出雲にも通していいか。伊勢の手だけでは足りないかもしれない。大丈夫だ、出雲の中にも信頼出来る者はいる」 最後の言葉は、朝霞の表情に猜疑心が浮かんだからであった。奈半利のほとんどが出雲の離反者で占められていることを考えると、朝霞が疑うのも無理はなかった。だが、朝熊たちだけでは、手が足りないのは事実なのだ。 「柚木野さんが朝熊の言う通りだったら、何も悩むことはないんだがな……」 朝霞の呟きはもっともであった。それが本当なら、遙を使って麻績を脅すことは出来ないわけだし、遙自身に対しても何の心配もない。だが、それを調べる術がない。まさか、わざと狙わせることなど出来ようはずがない。 「朝霞、出雲の手を借りるのが気に入らないなら、それはそれで考えるが、しかし、難しいぞ。そうだ、朝霞自身に見極めてもらってもいいな。呼んでもいいが」 「会ってから判断する、というわけか。そうだな、出雲にも会っておきたいな」 と朝霞は頷いた。じゃあ、と朝熊は立ち上がって、電話のほうに向かった。朝霞は倭に目を向ける。 「姫君、あなたの《力》でもってしても、柚木野さんのことは判りませんか」 倭は首を振った。 「私には判らない。でも朝霞、見てみたいと思わないか」 「何をですか」 「彼女が本当に結界を破れるのかどうか」 倭は真剣な表情で言っていたが、その中に面白そうな表情を混ぜていた。 「出来るのですか」 朝霞が思案している顔で言った。 「もちろん。私は伊勢の倭だぞ」 そう言って倭はニッと笑った。倭の青藍の《気》が二人の回りを取り囲む。もちろん、朝霞には見えなかったが。 「今、私は朝霞と二人で結界の中にいる。私は他の誰も受け付けることはしない。朝熊も入ってこられない。では、柚木野さんはどうだろう」 遙は少し離れたテーブルの上を片づけているところであった。 「朝霞、彼女を呼んでみて欲しい。結界の中の声は決して外には洩れない。だが、彼女に結界が関係ないとすると、朝霞の声が聞こえるはずだ。そして、この中にも入ってくることが出来る」 倭の言葉に、朝霞は遙を呼んだ。遙はお盆を持って立ち去ろうとしていた。 「はい」 と遙は振り返った。そして朝霞を見て微笑んで、 「少し待ってくださいね、これを持っていきますから」 と言って、遙はお盆をキッチンに持っていくと、まもなく朝霞の側に来た。 「会長、何か御用ですか」 驚いた顔をしている朝霞を面白そうに見て、遙は言った。 「あ、グレープフルーツジュースをもう一杯」 慌てて朝霞は、倭が飲んでいるものを頼んだ。遙は、 「かしこまりました」 と言って去っていった。朝霞は信じられない、という顔で倭を見た。倭もさすがに驚いた顔をしている。 「結界が、効かない……か」 考え込むように視線を動かした倭が、ちょっと首を竦めた。 「朝熊がこっちを睨んでる。叱られるな」 「え、朝熊には結界の中が見えるのですか」 倭が首を振った。 「朝熊にも見えない。でも、私が結界を張ったことに気づいたんだ。朝霞、一緒に叱られてくれ」 倭が笑って青藍の《気》を消した。倭が結界を解いたのだ。朝熊がゆっくりと二人に近づくのに朝霞は気づいた。 「頓原と連絡がついた。近くにいるからすぐに来るそうだ」 朝熊が椅子に座りながらそう言った。遙がグレープフルーツジュースを持ってきた。 「空いたグラスをお下げしてよろしいでしょうか」 三人を見渡して遙は言った。倭が空いたグラスを遙のほうにずらした。遙はそれを持って去っていった。 「誰が頼んだんだ。倭か」 朝熊が倭の残り少ないグラスを見て言った。倭が首を振った。 「いや、朝霞だ」 そう言って、倭は朝熊に気づかれないように上目遣いで朝熊を見た。 (おかしい、朝熊が何も言わないなんて……。私が結界を勝手に作ったことに気づいているはずなのに……) 倭は疑心暗鬼になっていた。朝霞はそこまでは思っていなかったが、倭の表情に朝熊が何故何も言わないのか不思議だとは思っていた。二人の心のうちを知らないのか、朝熊は自分のグラスの中身を飲み干した。 「倭」 と朝熊に呼ばれて、倭はハッとした。ついに雷が落ちる、と思ったのだ。 「倭、そんなに気にするなら、最初からしなければいい」 朝熊はそう言って倭の頭を軽く小突いた。倭がしゅん、となった。 「でも、今回は謝らなくてもいい。倭が試してみたい気がするだろうことは判っていたからな。だからお前から離れてみた」 倭は朝熊を見つめた。朝熊はどれだけ自分のことを判ってくれているのだろうか。きっと、朝熊には一生敵わないだろうな、と倭は思った。朝霞は、といえば、朝熊の倭の扱い方の上手さに感心していた。朝熊はどんなことがあっても、倭を守り通すだろう、朝霞はそれを確信していた。
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