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魚梁瀬は、檮原と越知に会っていた。挨拶をする二人に、魚梁瀬は頷いて越知を下がらせた。
「魚梁瀬様、申し訳ありません」
と檮原は頭を下げた。魚梁瀬は首を振る。
「何を謝っているのだ。お前を推挙したのはこの私だ。責めを受けるとすれば、私が受けなければならない。お前が謝る必要はない。祖谷のことにしても、霧島のことにしてもだ」
「魚梁瀬様……」
檮原は言葉を飲み込んだ。魚梁瀬がすでに王の座を物部に渡してきたことに、檮原は気づいた。正式にはまだだが、奈半利の王国ではすでに知れ渡っているのだろう。
「なあ檮原、奈半利は、我らは本当に計画を成功出来るだろうか。我らは途轍もなく危ない賭をしているのではないのか」
魚梁瀬の言葉は檮原を驚かせた。いつもの魚梁瀬であれば、決して口に出すことのない言葉であった。いや、思いもしない言葉であった。檮原には、魚梁瀬が急に老け込んだように見えた。
「魚梁瀬様、あの」
檮原は何を言っていいのか判らなかった。
「璃寛の息子は、璃寛に似ているのか」
不意に、魚梁瀬は話題を変えた。檮原は慌てて頷いた。
「はい、璃寛と同じ意志を受け継いだように思われます。名を麻績と言います」
「麻績、霧島麻績か」
「私の一存で、越知に麻績を口説くように命じましたが、よろしかったでしょうか」
「越知に?」
魚梁瀬は口を噤んで目を閉じたが、すぐに開いた。
「越知」
と魚梁瀬は言った。その呼び掛けに応えて、越知が部屋に入ってきた。王の前では遠慮するとみえて、さすがに青磁色の球体では現れなかった。越知は二本の足で歩いてくると、
「お呼びですか」
と言った。
「霧島麻績に会ったのか」
と魚梁瀬は言った。越知は神妙な顔つきで頷いた。
「はい。しかし、説得が上手くいきませんでしたので、もう一度訪ねることにしていますが」
魚梁瀬の前では、関西弁は使わない越知であった。オレンジ色の髪と青い瞳はそのままだが、言葉だけは魚梁瀬に対しては気をつけていた。多少イントネーションがおかしくなるのは、それだけ関西弁が板についてきた、ということだろう。
「そうか」
と魚梁瀬は短く言った。
「他に何かございますか」
と越知は言う。その無礼さに檮原は気づいたが、魚梁瀬は気づかなかったらしい。
「急ぐ用事でもあるのか」
「少々調べ物がありますので」
と越知は言った。魚梁瀬は手を振って、越知を下がらせた。
「檮原」
と魚梁瀬は檮原を見つめた。
「私はさきほど、出雲五真将の一人、船通に会っていた。祖谷を殺したという男にな。そこに現れたのが、伊勢の朝熊という男だ。私は船通を倒す邪魔をされた挙げ句、殺されかかってしまったのだ。その朝熊という男に」
檮原の顔色が変わる。魚梁瀬が殺されかかった、ということは、奈半利でその朝熊という男を倒せる者がいない、ということなのだ。
「それほどの、《力》の持ち主だったのですか」
「と言ったらいいのか、私にそれだけしか《力》がなかったと言ったらいいのか。さて、どちらのほうが傷つかずにすむかな」
軽い笑いを含んで、魚梁瀬は言った。檮原はただ魚梁瀬を見つめていた。何も言えなかった。
「確かなことは、私が僅かなりとも死ぬ時期を延ばされた、ということだな」
魚梁瀬はそう言って、また笑う。
「越知が何を調べているか、聞いているのか、檮原」
檮原はまたもやいきなり話題が変わって、ハッとした。そして首を振る。
「いいえ、麻績に会いにいった後で、何か調べているようでしたが、その内容までは。本人に聞きただしましょうか」
魚梁瀬はふむ、と腕を組んだ。それから再び、
「越知、構わないからそのまま来い」
と呼ぶ。間髪入れず青磁色の球体が、二人の前に現れた。そしてそれが消えるようにして、越知が中から現れた。
「お呼びですか」
越知が慇懃に問う。
「何を調べているのか。何か気になることがあるのなら、私も聞きたい」
と魚梁瀬は言った。越知はオレンジ色の髪を掻き上げた。
「気になる女がいるのです。柚木野遙、21歳。私立陬生学園大学部3年の」
越知は一瞬ためらった後、そう言った。そして続ける。
「前に報告を聞かれていると思いますが、祖谷の結界を破った女のことを。おそらく、私が麻績のところで会った女と同一人物ではないか、と思いまして調べた結果、柚木野遙であるということが判明したのです。彼女は私の結界も破りました」
「それは……。越知、私は何も聞いていないぞ」
と檮原が眉をしかめて言いかけるのに、魚梁瀬は手で制した。
「ほう、結界を破ったか。麻績のところで会った、ということは、その女は戸隠の一族なのか?」
「いいえ」
と越知が首を振る。
「あ、いいえ、判らないのです。調べてみても、どの一族とも全く関係がありません。それに、僅かなりとも《力》があるようにも思えないのです」
「と言うことは、よほど巧く擬態しているか、あるいは、全くの偶然の産物なのか。越知、出来るかぎり調べてみてくれ。それから、麻績には私が会う」
「魚梁瀬様が?」
二人が同時に言った。魚梁瀬は頷いて、
「話は終わりだ」
と言った。
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