船通はもちろん、すでに戻っている。頓原よりかなり早く戻っていたのだ。斐川は今日は一歩も外に出ていなかった。頓原が会いたかったのは船通だが、会ってしまったのは斐川であった。
「頓原、あんた何一人で画策してるのよ。全く、仁多の頭が痛いのが判るわ」
 襟足までの黒髪を揺らせて、斐川は頓原の前に現れた。
「何も出来ない斐川に、何も言う必要はないな。まあったく、はあー、頭が痛いのは俺のほうだよ」
 頓原はそう言って、ふと真顔になった。
「斐川、一人で外に出ないことだな。船通が奈半利を一人殺したことで、奈半利の王が東京へ出てきている。さっきも船通が殺られそうになったしな。自分を守れない者は、つるんでいたほうがいい」
 斐川はギョッと頓原を見る。
「奈半利の王、自らが出てきたと言うの?」
「そういうこと。気をつけるんだな、斐川」
 頓原はそう言って、さっさと斐川の前から立ち去った。機会があれば突っかかってくる斐川と(それが何故なのか判らない頓原であった)、のほほんと遊ぶ気はなかった。
「船通」
 頓原は船通の姿を見つけて呼び掛けた。船通は振り返って、頓原を見た。さすがにスーツケースは持っていないがスーツ姿であった。
「今度から一人で出歩かないことだな、船通」
 頓原はそう言って、さっさと立ち去ろうとした。
「頓原、もしかして見ていたのですか」
 頓原は振り返って頷いた。
「黙って見ていた、ということですか」
 船通の顔色が変わるのを、頓原は面白くなさそうに見た。
「俺が助けなかったのがご不満かい、船通。俺はこの前言ったと思うけどな。お前が窮地に陥っても、決して助けないって。良かったじゃんか、伊勢の朝熊に助けてもらってさ。お礼を言うより逃げだすほうが大切だったようだけどね」
「あなたは、仲間が目の前で殺されそうになっても、助けないわけですか」
 船通の怒りが、青丹の靄となって船通を囲っていた。頓原はやれやれ、と首を振った。
「まあったく、船通、俺はちゃんと申し聞かせていたはずさ。それはお前もちゃんと聞いていたはずだけどな。それとも俺が嘘をついたと言うわけ? ああ、もういいさ。何とでも言えばいい。とにかく、今回はたまたま伊勢の朝熊があの場にいたから、お前は助かったんだ。今後は、斐川とでもつるんで歩くんだな。その命が惜しいと思ったら……」
 船通に再び背を向けた頓原だが、ふと振り返った。
「それに船通、その深滅紫の瞳に頼らずに、《気》を高めようと努力するんだな。お前たちにはまだ《力》がある。お前も斐川も五真将なんだぞ」
 そう言って、頓原は今度は本当に船通から遠去かった。船通は頓原の背と、頓原の言葉を見つめ続けた。


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