そして、朝熊が再び祖谷に出会ったのは、別れてから半日も経っていなかった。
「また、お会いしましたわね」
 ゾクリとする妖艶な笑みを浮かべて、祖谷は朝熊の前に現れた。
「今度は逃がしませんよ。さきほどは、全くちょうどいい時に、邪魔が入りましたからね。でも、今度は誰にも邪魔されないでしょう」
 朝熊と祖谷が出会ったのは、公園の砂場の近くであった。夕暮れで子供の姿はもういなかったが、ポツポツと帰宅を急ぐ人たちが公園を横切っていた。それが、祖谷が現れた途端に回りには誰もいなくなった。
(結界か)
 朝熊は、祖谷の結界に閉じ込められたことを知った。つまりは、この結界が解かれないかぎり、この中の出来事は外には洩れないのだ。祖谷が結界を解くか、朝熊が結界を破るか、そのどちらかしかないのだ。
 祖谷が朝熊に近づく。そして、笑う。ゾクッと背を震わせて、朝熊は思わず後ろに下がろうとして下がれなかった。祖谷の笑いに魅せられたように、それが呪縛であることはさきほど判っていながら、朝熊はそれにまた縛られてしまったようだ。祖谷の両手が、朝熊の頬を挟む。
「なんて、見目のよい顔立ちをしていらっしゃるのでしょう」
 祖谷の左手は朝熊の首筋から生え際をなぞり、右手はシャツのボタンを外していた。朝熊はあらがってはいなかった。いや、あらがえなかったというほうが真実かもしれない。
 祖谷の唇が、すうっと朝熊の首筋に軽く触れる。そして、右手は爪を立てるように朝熊の肌を滑った。祖谷はそのまま、朝熊のベルトに手を掛けた。唇から妖しく突き出た舌が、朝熊の首筋から胸へと下りていく。その行為に自分自身も恍惚となっている祖谷は、朝熊の右手がゆっくりと持ち上がっていることには気づかなかった。ベルトに手を掛けかけて、祖谷はすっと生地の上から、朝熊の太股を撫で上げる。
 突然、カッと眩い光が拡がった。いきなり視力を失って、祖谷は思わず目を押さえた。いったい何が起こったのか、祖谷には判らなかった。しばらく後、どうにか視力が戻った祖谷は、目の前の朝熊が両手をだらりと垂らしたまま、自分を見つめているのに気づいた。
「何が…あった……。何故、私の呪縛が効かないのです?」
 今まで相手をしてきた者の中には、祖谷の呪縛が効かない者はいなかった。学園内での時は、朝熊は祖谷には抵抗出来なかった。だが、何故今はそれが出来たのだろう。祖谷にはそれが判らなかった。
「確かに前の時は、あのままであれば、私はお前の意のままになっていただろう。さすがにあの時には、柚木野さんに感謝してしまったな。私としたことが……ずいぶん、油断したものだと反省していた。だが、どうやらもはや、私にはお前の《力》は効かないらしい。免疫でも出来たのだろう。惜しかったな、奈半利の祖谷。あの時結界さえ張っておけば、柚木野さんも入ることが出来ず、私を意のままに出来たものを。私は、伊勢の朝熊。私に手を出したのが運の尽きだ。我が神の名において、お前に引導を渡してやろう」
 朝熊の右手が、ゆっくりと持ち上がる。
「結界は、張っていた……」
 呟くような祖谷の言葉が、朝熊の動きを止めるのに充分な働きをした。
「ほう」
「あの時は今よりも弱かったが、結界は張っていた。伊勢の朝熊…といいましたね。あの女は、あなたの仲間なのでしょう」
 祖谷の言葉は朝熊には聞こえていたが、無視するに等しい言葉であった。朝熊の頭の中は、柚木野遙のことで占められようとしていたからだ。
(彼女も、戸隠の一族なのか? それとも……)
「伊勢の朝熊、私の《力》に対して、免疫が出来ることはあり得ないはずです。あなたは、誰?」
 朝熊がその問いに、ふと気を逸らした。祖谷がその一瞬を逃さずに、右手を振った。深緋の靄が深くなって、朝熊は祖谷の姿を見失ってしまった。
「ちっ、目眩ましか」
 靄が晴れきった時、祖谷の姿はなかった。朝熊は心の中に、いろんな問題を抱えつつ帰途についた。
(あなたは、誰?)
 祖谷の言葉が繰り返し、朝熊の心の片隅に存在していた。
(私は……何者か?)


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