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 陬生学園高等部学生会室。そこに、朝霞と麻績がいた。朝霞は自分の席に座って、嫌々ながら仕事を片づけていた。麻績も自分の席に座って、こちらは黙々と仕事を片づけている。
「麻績、休憩……」
 しよう、と言いかけた朝霞は、麻績に睨まれて、渋々と書類に目を戻した。朝霞の処理能力が劣っているとか、そういうことならば、初等部から学生会に所属し続けることは困難だったろう。ただ単に、朝霞は気紛れなだけであった。その気になれば、山のように書類を積み上げることなく、瞬く間に処理し尽くすのだが、いかんせん、学生会室にいることはいても、なかなか自分の席につくことがない朝霞の仕事が溜まるのは当たり前のことであった。だから、麻績はたまにこうして、強行手段を実行しなければならなくなるのであった。
「会長」
 麻績がふと声を掛けた。朝霞が顔を上げる。
「布城くんを気に入っているのは、何故ですか」
 朝霞は麻績の問いに、少しの間その質問者を見つめていたが、書類に目を戻すと、
「ああ、忙しいなあ。朝霞さんは、質問に答える暇さえないんですよ」
 と言った。麻績は肩を竦めて、
「会長、お疲れさまでした。もう済んでいることは知ってますよ」
 と立ち上がった。朝霞が麻績に目を向ける。
「何年の付き合いだと思っているんですか。さあ、会長のお好きなヨックモックの詰め合わせを頂いています。今、柚木野さんに紅茶を持ってきていただいていますので」
 朝霞はヨックモックで嬉しそうに反応して、柚木野さんで、頬の片隅を少しひきつらせた。
「麻績、それって僕に対する嫌がらせか」
 麻績がにこっと笑った。
「会長、何故僕が会長に嫌がらせをしなくてはならないのです。あ、柚木野さんでしょうね」
 ノックの音がして、お盆を抱えた遙が入ってきた。テーブルに紅茶の用意をして、そのまま待っている。朝霞はしかたなくテーブルについて、遙のいれてくれた紅茶を一口含んだ。遙がにこにこ顔で朝霞を見ている。
「柚木野さん、あの……」
 朝霞が遙のほうを向いた。
「はい」
 遙の笑顔に朝霞はどっと疲れが出てきた。それでも、
「この前の調合に、ひとつまみのミセス・ブリッジスのイングリッシュ・アフタヌーンを加えているのではありませんか。温度と時間はこの前と同じ」
 と答えたのは、さすがとしか言えない。
「まあ」
 と遙は目を見張った。
「会長、やはり会長ですわ。今回は満点です。ああ、腕が鳴りますわ。次回は負けませんからね」
 そう言って、遙は失礼しました、と出ていった。麻績が面白そうに朝霞を見た。
「ごくろうさまでした。これも、会長としての義務ですかね」
「麻績」
 恨めしそうに麻績を見た朝霞だが、それでも、目の前にヨックモックの詰め合わせを差し出されたら、いきなり幸せそうな顔になった。いそいそとシガールを口にする朝霞を見つめて、
「朝霞」
 と麻績は真面目な顔になった(と言っても、この人の場合、ほとんど真面目なのだが)。
「さっきの質問なら、答えないよ」
 朝霞は麻績が何か言う前に牽制した。麻績は一瞬黙る。確かにそれをしようとしていたのだから、言う前に釘を刺されてしまうとどうしようもなかった。
「彼は何者なのです」
「何者って?」
 朝霞が惚けたように言う。
「あなたが興味を持つのは、何故かと考えていたんです。僕の目から見ても彼は、《力》を持っているとは思えない。それとももしかして、本当にあなたの好みだからというのではないでしょうね」
「好み? そーだなあ、崇ちゃんって可愛いもんね」
 笑いながら朝霞は言った。
「朝霞」
「いいかい、麻績、子供じゃあるまいし、僕を崇に取られたことを悔しいと思っているのか」
 麻績の顔に僅かに赤みが差した。
「僕はずっと朝霞の補佐役としていくつもりでした。布城くんが現れるまでは、朝霞の前に誰が現れても、僕のほうがそれにふさわしいと思っていました」
「お前は今でも僕の大切な補佐役だぜ」
 麻績が首を振る。
「僕は気づいてしまったのです。朝霞がずっと待っていたのは、布城くんだということを。僕は布城くんには勝てない。僕は朝霞を変えることは出来ないけど、彼にはそれが出来るのです」
「僕が変わる?」
 朝霞が首を傾げた。
「おかしいですね。何年も、幼い頃からの付き合いなのに、僕は、朝霞のことをほとんど知らないのですから。同じ戸隠の一族ということしか。僕は朝霞を独り占めにしたかった」
「麻績……」
「朝霞、すべては、布城崇がここに来てから始まったのですね」
 ポツリと麻績が呟く。
(すべて?)
 聞いた朝霞も、言った麻績もその正しい本当の意味を知らなかった。


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