「伊勢の方々が伊勢を出られるとは。陬生学園の制服を着ている、ということは、何か意味があってのことでしょうか」 始めに口を開いたのは朝霞であった。朝熊はジッと朝霞を見つめていた。 「朝熊殿、久しぶりの挨拶にしては、かなり手の込んだことで……。ここにおられる、ということは、伊勢は戸隠に何か意趣を含んでいるのでしょうか? そうなると、僕としては黙っていることは出来ないのですが?」 朝熊が表情を動かした。 「伊勢が、戸隠に意趣を含んでいると? そのような行動を取ったつもりはないが」 朝霞が朝熊に少し顔を近づけた。 「戸隠は伊勢や出雲と違って、その一族を王国の中だけで縛りつけることはしていない。前にも言った通りにね。そして、陬生財閥の会長が戸隠の王である、ということは、この陬生学園の理事長が、それと同一人物、ということを示すわけさ。戸隠の王国はもはや存在しないと言えるけど、戸隠の一族はその子孫を繁栄し続けることが出来るわけだな。閉鎖的な伊勢や出雲と違って……」 そう言って、朝霞は背もたれにもたれた。朝熊は無言で被っていた黒い帽子を脱いだ。 「伊勢が閉鎖的なことは認めよう。そして、伊勢が滅亡するかもしれないことも。確かに陬生学園が、陬生財閥と関係しているのは知っていた。だが、我らがここにいるのは、別に伊勢が戸隠に意趣を含んでいるわけではない。伊勢にとって関心のある人物が、この陬生学園に通っているから、というのが、私たちがここにいる理由だ」 そう言って、朝熊は立ち上がった。 「我らと同じように、神々の一人からその《力》をもらった戸隠が、我らとは全く違った生き方を選んだことは、よく知っている。そして、今ではその《力》を持っている者は、戸隠の一族の中では、希有なことということも……。あなたがそのうちの一人であることも。そして、あなたがまたその中でも特殊な立場にいることも……。伊勢は戸隠に対して、何の意趣も含むところがないわけだが、だが、もしその道を阻もうというのならば、また考えも変わる、ということもある。私は伊勢の命令で動いているわけではないが、倭が伊勢の命令を守るかぎり、私は彼女の守り人として彼女を守っていくつもりだ。朝霞殿、私の考えは、そういうことだ」 朝霞は指を組んだ上に顎を乗せて、朝熊をジッと見つめた。 「朝熊殿、あなた方が言うところの人物とは、誰のことか教えてくれるわけにはいかないだろうな」 「それは、あなたが私の立場ならどうするか、考えれば判ること。教えるわけにはいかない」 朝霞は少し肩を竦めた。 「やはりそうだな。だが、僕は学生会の会長として、この陬生学園の平和を乱すことだけは許さないつもりだ。事を起こすのならば学園外でやって欲しいが、それ以上に出来れば学生を巻き込まないで欲しいな」 朝熊は再び帽子を被った。 「私は別に騒動を起こそうとしているわけではない。伊勢の関心のある人物に、危害を加えるつもりもない。何故なら、彼は伊勢にとっては大事な重要な位置にある人だからだ。朝霞殿、出来るだけあなたの希望に沿うようにいきたいと思っているよ。私は平和主義者だからね」 朝熊の最後の言葉に、朝霞は目元で笑った。 「話は変わるが、朝霞殿。私が理解に苦しむのは、さきほどの女性との会話なのだが……」 朝熊は悩み深げな表情を浮かべて言いかけた。 「何か?」 「いや……。何と言ったらいいのか判らないのだが、とにかく、あれはどう考えても不毛な会話ではないか、と思うのだが、このような事はこの世界では日常茶飯事なのか」 朝熊は真剣な顔で朝霞に尋ねた。朝霞は組んでいた指を外して、クスッと笑うと、 「朝熊殿、実はそうなのだ、と言いたいところだが、あのようなことが普通なわけじゃないよ。ただ、この陬生学園にはかなりの変わった人物が入ってきているからね。僕としては、学生会会長として、彼らと付き合わざるを得ないのですよ。でも、希望を言えば」 と紅茶を一口飲んで、 「朝熊殿も紅茶のほうが美味しいと感じるようになって欲しいですね」 と言った。 「姫君もそう思いませんか」 と付け加えられた朝霞の言葉に、朝熊はハッと後ろを向いた。 「倭」 朝熊がまずいな、という表情を浮かべて言った。倭が朝熊の後ろに立っていたのだ。 「朝熊、紹介して欲しいな」 と倭は朝熊の隣の席に座って、朝霞を見つめた。二人並べると、倭と朝霞、美男美女であった。 「朝熊、さっきは知人によく似ていたが違うと言ったな。だが、どうやらこの雰囲気は知り合い程度の間柄ではあるように私には思えるのだが? それとも、私に知られたらまずかったのか?」 倭の口調は、朝熊を糾弾するようにきつかった。そして、視線では興味深げに朝霞を見ている。 「朝熊殿、姫君に内緒事はせぬほうが良いのではないか。ぜひ、朝熊殿から僕にも紹介して欲しいな」 朝霞が朝熊にそう促した。朝熊はフッと溜め息をついて、再び椅子に座った。 「朝霞殿、彼女は伊勢の王族の一人、倭姫。そして倭、彼は戸隠の一族の一人、朝霞殿だ」 少々憮然とした表情を混ぜて朝熊は言った。倭の目が驚いたように見開かれた。 「戸隠?」 「そうですよ、倭姫。あなたは伊勢を出るのも始めてなら、伊勢以外の一族に会うのも始めてでしょう」 朝霞がにっこりと笑った。 「いやー、朝熊殿が羨ましい。こんな美人といつも一緒にいられるとは……」 冗談めかした朝霞の口調に、倭はきつい目で朝霞を睨んだ。 「朝熊、彼が戸隠の一族だということは判った。でも、何故、戸隠なんかと知り合いなんだ」 倭の言葉には不満げなものが多々含まれていた。朝熊は、 「倭姫」 と静かに言った。倭がハッと身を緊張させた。 朝熊が倭を『倭姫』と呼ぶことは少ない。だからこそ、そう呼ばれることは、倭にとってしごく緊張することになるのだ。朝熊がそう呼ぶ時は、倭が間違ったことをした時に限られていた。 「倭、失言だな。驕っているのか。我らの神と彼らの神では確かに、我らの神のほうが格が上だ。だが、だからといって、我らが彼らを見下すことをしてもいい、ということには繋がらない。伊勢も戸隠も、あるいは出雲も、決して相手を従えてはならないのだ」 倭は朝霞に頭を下げた。朝熊の言うことは正しい。それを素直に認めている倭であった。 「朝霞殿、すまなかった」 倭のいいところは、自分の非を素直に認めることである。謙遜、という言葉より、傲慢、という言葉のほうが似合う倭であったが、それが愚者のそれではなく、賢者のそれであることを、朝熊は嬉しく思っていた。 「朝熊殿、あなたが羨ましいな、本当に。倭姫、いい子だね」 朝霞が真面目な顔でそう言った。倭はえ、と朝霞を見つめた。それに朝霞は笑いかけて、 「まあ、倭姫が戸隠を見下したくなるのもしかたないことではないか。あまり、姫君を叱らないで欲しいな、朝熊殿。誰でも一番美しいのは、笑顔だと思っているよ。お父さんに叱られて、姫君がくしゅんとなっているじゃないか」 と言った。あとの二人の顔が対照的に変化した。倭はクスリと笑って、朝熊は憮然として。 「お父さん、ね」 倭が小声で言って、面白そうに朝熊を見た。 「では、僕はこれで失礼しましょう。機会があればまた、お茶でも飲みましょうか」 と朝霞は立ち上がった。では、と自分に笑いかける朝霞に倭は目を向けて、 「一つだけ、聞きたいのだが」 と声を掛けた。 「何か?」 「朝霞殿は、普通の人と違う?」 倭の言葉に朝霞は首を傾げた。 「それはどういう意味で?」 倭がうん、と言葉を探していた。 「よく、判らないんだが、あなたの《気》が刻々と変化しているのが気になって。別に他の人も変化するんだが、あなたのそれは、あまりにも急激過ぎると思う」 倭自身もどう言えばいいのか、判断がつかない、という表情であった。朝熊の表情が余計なことを言う、と語っていた。朝霞の目が朝熊と合う。しばらく後、朝霞は肩を竦めた。 「姫君には《力》については、嘘がつけないようですね、朝熊殿」 朝熊は無言で肯定した。 「だが、その中身までは判らない、というわけですか。といって、僕がそれをあなたに喋らなければならない、という理由にはなりませんね。あなたがそれを知りたければ、腕ずくで、ということになるのでしょうね」 朝霞は冗談めかしてそう言った。そして去っていく。倭は黙ったまま、その背を見送っていた。 「朝熊、彼とは昔からの知り合いなのか」 朝霞が高等部の校舎に消えるまで見送って、倭は朝熊に視線を戻した。 「昔から……と言えないこともないか」 朝熊はそう言って口を噤んだ。倭は詳しく聞きたかったが断念した。伊勢の一族の中では、地位にしても《力》にしても、倭のほうが上であった。だが、それを少なくとも朝熊に対しては、権力として使ったことはない。対等である、と倭は考える以上に、全幅の信頼をすることが出来る人として、朝熊を見ていた。そう、たとえば、父親のように。そう思って、倭はさきほどの朝霞の台詞を思い出して、口元に笑みを浮かべた。 倭は何気なさそうに言葉を紡いだ。 「そういえば、朝熊、弓を引いてきた」 うん? と朝熊が眉をひそめた。 「あの方の腕がかなりのものだったから、私もちょっと熱くなってしまったかな。反省はしているんだが、やってしまったものはしかたないな。顧問の先生、という人に弓道部に入るように勧められてしまった。目立つつもりはなかったのだが、朝熊、謝るから許してくれ。すぐに言うつもりだったのだけど、朝霞殿がいたから、今になった」 悪びれずにそう言った倭を、朝熊は呆れたように見つめた。 「倭、それはかなり重要なことだな。お前は透明の方かもしれない人の前に現れてしまった。ということは、彼を狙っている者たちの前に現れたということだ。私たちが伊勢と気づくかどうかは別にして、私たちが狙われる必然性が高まったということだ。まあ、そのほうがこそこそするよりは、私の性に合うがな」 朝熊の言葉に、倭が頬杖をついて彼を見つめた。 「朝熊は本当に、論理的だな」 そう言って自分の勾玉をそっと触った。
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