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陬生学園の入学式は、幼等部から大学部まで分かれてするのは当たり前だが、学園主催と学生会主催の二つあることが変わっていた。
事は、学生会主催の入学式で起こった。
陬生学園は広い。そこで一つの町が出来るほどに規模が大きかった。編入したばかりの崇は学園主催の入学式の後、会場を移して行われる学生会主催の入学式に行く途中で迷ってしまった。時間厳守と書かれている文字が、崇の目の前で踊っている。
(何で、こんなに広いんだ)
回りを見渡しても、高等部の制服を着ている者がいなかった。
陬生学園は、幼等部から高等部まで制服があった。紺色のブレザーの左胸に陬生学園の校章が刺繍してあった。男子は同じ紺色をベースにしたチェックのズボン、女子はフレアースカートであった。学年によって違うのは、男子はネクタイの色、女子はリボンの色であった。リボンの色は判りやすかったが、ネクタイのほうは、なかほどに二本斜めに入った線の色が学年を表していた。だから、ちょっと見た目では判らない。
崇は、ここが中等部の校舎近くということに気づいていた。いるのは、中等部のネクタイをしている生徒ばかりであった。ネクタイの色に気づかなければ、崇がここにいることに違和感はない。ポン、と肩を叩かれて振り向くと、
「中等部の会場はあそこだよ。走っていかなければ間に合わない。中等部の学生会は厳しいからなあ。遅刻すると、裸踊りでもさせられるかな」
と美青年が言った。その美しさには、その時の崇は気づかなかった。
「ぼ、僕は、中学生ではありません」
「そうみたいだなあ。もしかして迷っているの、君」
と言ったのは、その美青年の側にいた丸い顔のおじさんであった。
「ほら、ネクタイの色、高等部の1年だ。高等部の会場はあっちだぞ。ああ、これでは走っても間に合わないなあ。高等部の学生会会長は、中等部の会長に輪を掛けまくっているからなあ。何をさせられるか……」
丸い眼鏡を、ポケットから出したハンカチで拭きながら、そのおじさんは言った。
「と、とにかく、あそこですね。ありがとうございました」
崇はそう言うと、指さされた会場に一目散に走っていった。
(中等部で、裸踊り? それに輪を掛けているって言ったら、何をさせられるんだろう)
陬生学園の広さを呪いながら、崇は会場に走り込んだ。壇上にはまだ誰もいない。もしかして間に合ったのだろうか、とホッとしたところで、いきなり照明が消され、崇にスポットライトが当たった。
(え、嘘)
崇の動きに合わせて、ライトも動く。どうしたらいいのか判らずに、崇は途方に暮れた。
「遅刻した君、壇上へどうぞ」
崇はおそるおそる壇上へ上がった。
「もう少し、右に立ってください」
スピーカーから響く声に従って、崇は少し右に寄った。
ウィーンとモーターの音がして、崇のさきほど立っていたところが、ぽっかりと開いた。奈落から上がってきたのは、布がかかった箱のようであった。
「では、その布を取ってください」
崇は布を取った。ガラスの箱であった。薔薇を敷きつめた中に少女が眠っている。美少女であった。
「蓋を開けてください」
崇は蓋を開けた。蓋がすべての板を支えていたのか、崇が蓋を取ると、横側のガラスも開いた。ふわあっと、薔薇の香りが漂う。少女は目を覚まさなかった。
「では、眠れぬ森の美少女を起こしてもらいましょう」
え、と崇はスピーカーのほうを向いた。
「眠れぬ森の美少女を起こすのは、王子様のキスだけです。さあ、どうぞ」
「え、えー。僕が?」
「そうです」
「ここで、公衆の面前で?」
「そうです」
「何故?」
「君は、我々学生会主催の入学式に、時間厳守と書いてあるにも係わらず、遅刻しました。これは、制裁を受けなければならない義務があります」
もしかすると、これが裸踊りの代わりだろうか、と崇はふと思った。
「見ても判るように、相手は美少女です。君にとっては役得ではあれ、損ではないと思いますが。それとも、何か他の理由があって、キスが出来ないのですか」
他の理由? と、考えていた崇は、スピーカーの声に笑いが含まれていたのに気づかなかった。
「遅刻したのは謝ります。でも、僕は編入したばかりで、迷ってしまったのです。陬生学園がこんなに広いとは思いませんでしたから」
「甘い! 陬生学園は、それだけで一つの町になるほどの広さがあるのは、学園要項にも書かれていること。それを理由にするのは許しません。諦めて罰ゲームを受けなさい。それとも、その程度の美少女では不満というわけですか」
「いいえ」
崇は諦めて首を振った。彼が言うことも一理ある。確かに、自分にとってみれば役得ではないか。これほどの美少女を見るのは始めてだし、これから先、出会えるとは思えなかった。さらにキスを出来ることなど……。
(二人だけだったらなあ……)
崇の唇が少女の唇に重なった。すぐに離そうとした崇の頭を、少女の手が押さえた。
「何をする」
と言ったつもりだが、唇が塞がっているので言葉にならない。少女の目が開かれて、目元に笑いが浮かんだ。
「無事に、眠れぬ森の美少女は目を覚ましました。では、高等部学生会会長から、ご挨拶をしていただきましょう」
と、そこで、スピーカーの声が一時止まった。すぐに、ふっふっふ、と笑いが起こって、
「会長、いつまで遊んでいるんですか」
としごく冷静な声が響いた。しかし、崇はその声を別世界のことのように聞いていた。美少女に唇を奪われた? まま、じたばたともがいていたからだ。やっと解放された、と思ったら、美少女はウィンクをしてかつらを取り、ドレスを脱いだ。
「あ、あ」
崇の目の前で、彼は髪を整えた。
「ごちそうさま」
あまりの驚愕に声も出ない崇をそのままに、彼はマイクを取り出すと喋りだした。
「高等部学生会主催の入学式の罰ゲームはいかがでしたでしょうか。題して『眠りの森の美少女を起こす羽目になる迷える子羊』お気に召しました? 自分も遅刻すればよかったと思っている君、残念でしたね」
わあっと拍手が起こった。さすが、朝霞サイコー、との声も聞こえてくる。
(忘れていた)
崇は少し落ち着きを取り戻して立ち上がった。陬生学園は、無類のお祭り好きが揃っている。自分は編入したばかりだから判らないが、ほとんどの学生がエスカレーター式に幼等部から一緒なのだ。他の学生が遅刻しても、美少女が会長であることはすぐに判ってしまう。もしかして、自分は高等部のすべての学生にはめられたのではないか、と思ってしまった。
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