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 布城崇は16歳。私立陬生学園高等部の1年であった。幼等部から大学部までエスカレーター式の陬生学園では、その多くが、幼等部からの持ち上がりであった。だが、崇は高等部からの編入であった。中学生の途中から、何気なく始めた弓道であったが、崇にとってそれがふさわしいように、弓道はその手に合った。
 陬生学園は、決して編入試験が簡単なわけではないが、特に何か秀でたもの持っていたら、ほとんど無条件で編入させるので有名であった。それが、崇には弓道であったのだが、お義理で受けた試験でも、目を見張るほどの成績を残したことも事実であった。崇にとって陬生学園は、ただ近かったから、という理由だけで決めたのではあったが。
 高校生としては小柄で、身長は160pしかない。その上童顔とくれば、中学生にしか見えない。本人はそれを気にしているが、伸びないものはしかたがないとも諦めてもいる。
「崇ちゃん、宿題やった?」
 へらへらと笑いながら、崇の前の席に座ったのは、隣のクラスの朝霞であった。彼は初等部からの持ち上がり組で、今年、高等部に編入した崇にとって、同じクラスでないし、同じクラブでもない。それなのに、何故か誰よりも一番一緒にいた。
「そろそろ来るだろうと思っていた」
 ほら、と、崇はノートを朝霞に渡す。
「たまには自分でやってこいよ。だいたい、何で僕がお前の宿題をやってこなきゃならないんだ。だから、今度で最後にしよう」
 朝霞は、途端、悲壮な表情を浮かべて、
「崇ちゃんたら、ひどい。あたしがこんなに、崇ちゃんのことを思っているのに……。崇ちゃんのバカ」
 そう言って、朝霞はがばっと机に顔を伏せた。いくらお祭り好きな陬生学園の学生たちも、この光景は日常茶飯事になっているので誰も関心を示さない。
「朝霞、いい加減にしろ。その手は食わないことは判っているだろう」
 溜め息混じりに崇は言った。そして、持っていたノートで、朝霞の頭をポンと叩く。
「何するのよ。これ以上バカになったらどうするの。ああ、そうね、そうすると、崇ちゃんが責任を取ってくれるのね」
 自分でバカと言ってしまうのも案外だが、最後の言葉に、崇はがっくりと首を落とした。
「あ、朝霞、あのな……」
 言葉が続かなくて、崇は困った顔をした。朝霞が崇の頭を二、三度撫でると、
「やっぱり、崇ちゃんって可愛い」
 と、クククッと笑った。パシッと小気味よい音が響いて、続いて、崇の声がいらだっていた。
「もう、いい加減、頭にきた。朝霞」
 と言いかけた時、
「酷い。顔を殴るなんて……。顔は、男の命なのよ」
 と、マジで目をうるうるして朝霞が言った。
「殴ってないだろ。それは、叩いた、と言うの」
「いいえ、崇ちゃんの叩いた、は、あたしにとって、殴ったと同じことだわ」
「違う。殴るのは、げんこ、叩くのは平手。僕は今、平手で叩いただろ」
 崇はもうすでに、話の論点がずれていることに気づいたが、どうしようもなかった。
(これでは、またいつものパターンだ)
 予鈴が響く。
「朝霞、早く持っていけよ。予鈴鳴ったぞ」
 諦め口調で、崇が朝霞にノートを渡した。
「崇ちゃん」
 朝霞がノートを受け取って、マジな顔をずいっと崇に近づけた。
「え」
 何事か、と朝霞に目を合わした途端、くいっと顎を上げられて、その唇に軽く朝霞が自分を重ねた。目が点になったままの崇をそのままに、さっさと朝霞は自分のクラスに戻っていった。
「あさかー!」
 崇の怒鳴り声が響いたのは、すでに朝霞が自分の席に座った頃であった。
(おかしい。こんなはずではなかったのに)
 崇は落ち込んでいた。特に目立つわけでもない。陬生学園は全国でもトップクラスの学力を持っていたが、エスカレーター式なので、受験受験とした雰囲気はほとんどない。その中でも、崇は上位に位置しているが、それ自体目立つことではない。まあ、持ち上がり組が多い中でA組に編入することは目立つことには違いないが。
 それに較べると、朝霞は目立つ学生であるといえるだろう。
 成績自体は中の上、というところだが、容姿にいたっては、特上の美青年と言えるだろう。それも厭味なところのない美しさなのだ。その点では、朝霞のさきほどの発言は、的を得ていると言える。初等部からその学生会に属し、今は高等部の会長を務めていた。ちなみにおネエ言葉は、崇をからかう時だけに使っているのであって、普段はまともな高校生であった。
(何で付き合っているんだか)
 授業中にも関わらず、崇はふうっと大きな溜め息をついてしまった。
「布城」
 と呼ばれて、ハッと授業中ということを思い出した。
「すみません、聞いていませんでした」
 丸い眼鏡に、丸い顔の化学教師渋谷神室が、にこにこと笑って側に立っていた。
「布城くん、会長にキスされたんだって」
「せ、先生」
 いったいいつの間に広まったんだか、それがあってから、まだ数十分しか経っていないのに。崇はがっくりと肩を落とした。
「あの人は、悪戯好きだからなあ」
「先生、そういう問題ですか。だいたい、先生があの時に朝霞に、会長に僕をあんな風に紹介しなければ、良かったんですよ」
 言っているうちに虚しくなって、崇は声を落とした。
「まあまあ、あの人も悪い人じゃないし、男同士、子供が出来るわけでもないし、たいした美人に惚れられているんだ、悪い気はしないだろう」
「先生、そーゆー問題では……」
 何で先生まで、そういう風になるんだ。陬生学園は変わっているとは聞いていたが、これほどとは、と崇は非常に後悔しつつあった。
 一方、神室のほうは、心の中でクスクスと笑っていた。
(会長も、悪戯が好きだからなあ。でも、からかいがいのある奴だよ、全く)
 神室の心の中を読めたら、速攻で退学届を出していたかもしれない。しかし、崇は深い溜め息をつくだけだった。
(入学式の時に、朝霞に出会わなければ……。きっと普通に高校生していただろうなあ。やっぱり、そうだよなあ)


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