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 陬生学園高等部学生会室。
 毎日必ずいるのは副会長である霧島麻績であった。会長である(になることが決まっている)朝霞は、いちおう顔は見せているものの、机に座ることはほとんどなく、他の役員に至ってはほとんど来ることはなかった。これは決してさぼっているというわけではないのだが……。
 今日は珍しく文化部部長の千城貴志が自分の席に座っていた。貴志は三年、所属は物理部なのだが、趣味が和菓子の創作という人であった。
 他には麻績はもちろんだが、朝霞の姿もあった。
「千城先輩、しかし珍しいですね、ここに来るのは……」
 席にはついているものの仕事をしていない朝霞が言った。貴志の机の上はマックに占領され、貴志はマウスを動かしているのだ。
「会長が仕事をする日数に較べたら、あまり変わらないと思うけどね、麻績?」
 こちらは仕事をはかどらせている麻績に貴志は振った。麻績がえっ? と顔を上げた。そしてクスリと笑うと、
「そうですね。千城先輩の言う通りですけど……。でも、千城先輩、学生会の仕事をしているわけではありませんね。昨日までは何も置かれていなかったその机の上を占領しているモノは、いったい何ですか? 実はさきほどから気にはなっていたのですが……」
 と言った。貴志はマウスを持ち上げて、
「何に見える、麻績」
 と笑う。麻績は肩を竦めて、
「大きなおもちゃに見えますよ。僕の記憶が正しければ、それだけ揃えたとすると、結構な金額になったでしょう。千城先輩、もしかしてあなたは朝霞と違ってそんなことはしないでしょうけど……」
 と言いかけた。貴志はマウスを置いてクスクスと笑った。
「そう、私は会長と違って、そんなことはしないよ。心配しなくとも、請求書が学生会宛に届くことはない。このおもちゃは私のポケットから出しました」
「ちょ、ちょっと、お二人さん。何か今、すごく気になる発言を聞いたような気がするんだけど……」
 朝霞が二人の会話に慌てて口を挟んだ。
「心配することはないですよ、朝霞。本当のことを言っているだけですし。それに朝霞が中等部の間にどれだけの私物を学生会費で賄ったかということは、僕しか知らないことですから」
 と麻績がすました顔で言った。
「麻績、それじゃあフォローになってないぞ」
 朝霞はブツブツと言った。
「別にフォローしたつもりはありませんよ。僕は事実を事実として認識しているだけですから」
 朝霞はガックシと肩を落とした。麻績がホーッと大げさに溜め息をつく。
「お陰で、この一年の間にどれだけ藤重くんに泣きつかれたか……」
「藤重っていうと、智也のことか」
「ええ。中等部学生会の会計をしていました」
「智也の奴、一度だけ渋ってあとは何も文句を言わなかったのは、麻績がバックにいたからか。こんなことなら会長に推薦するんじゃなかったな」
 藤重智也は四月から中等部三年になり、朝霞は自分の跡を継いで、中等部の会長になるようにと推薦したのだった。
「朝霞、自分のことを棚に上げるのは止めてくれませんか。それに、藤重くんはどちらの意味にもあなたではありませんからね。朝霞と張るのは…やはり、桜沢会長だけですね、千城先輩」
「そうだな。会長も麻績もこのまま大学部に進むんだろ。会長が大学部に入ったとすると、那加はどうするかな。麻績、今から賭けるか。朝霞会長と桜沢会長のどちらに軍配が上がるか」
 貴志が面白そうに笑って麻績に言った。桜沢那加はこの四月から大学部一回生で、中等部一年の時からずっと学生会の会長をつとめていた。もちろん、大学部でもすでに会長になることが決まっている。
「千城先輩は、もちろん桜沢会長でしょう。となると、当然、僕は朝霞に賭けるしかありませんね」
「麻績……そのしかはなんだよ、しか、は!」
「じゃあ、私は朝霞会長ね」
 いきなり女の声がして、三人ともギョッとしたようにそのほうを見た。
「その、化け物を見たような表情は失礼ですわ」
 コホン、と麻績が咳払いをして、
「桜沢さん、いつの間にここに入ってきたのですか」
 と表情を戻して言った。
「ついさきほどですわ」
「どこから?」
「もちろん、そのドアからです。ちょっと、私ではその窓から入るのは無理ですもの。あ、もちろん、出ることは出来ますけど、この高さだと入るに難く、出るに易く、でも出てしまったら違う世界に行ってしまいますわね。あら、どうなさったのですか、三人とも……」
 彼女の答に脱力感を覚えた三人は、座り込むことはなかったが、ドッと疲れ切ってしまった。
「私たちは、桜沢さんが入ってこられたのに気づかなかったのですが、ノックをされました?」
「あ、ごめんなさい。ノックをするのを忘れていましたわ。気づかれると決定的瞬間を」
「え?」
「あ、こちらの話です」
「で」
 と麻績は続けた。
「何か御用だったのでしょう」
「あ……えっと、そう、そうなんです。千城先輩、お待たせしましたわ。さあ、一緒に帰りましょう」
「え?」
 腕を取られたまま貴志は驚いた表情になった。
「那加お兄さまとお会いする約束でしたでしょ。だから迎えに来たのですわ」
「あの、清華さん」
 と言いかけるのに、
「いいから、お二人の邪魔をしたら悪いでしょ」
 と耳元でささやいて、貴志は引っ張られたまま学生会室から出ていった。残った二人は呆気に取られた様子でそれを見送った。
「桜沢さんって……やはり、桜沢会長の妹御なのですね」
 麻績が納得した、という口調で言った。
「そっか。麻績は学年が違うからよく知らないんだよな。清華という名前で何度か同じクラスになったなあ。中等部の会長になる時に、桜沢会長が役員の一人として推薦してたのに、彼女、断ったんだよね」
 朝霞が改めて自分の椅子に座りながら言った。そして机の上の書類をパラパラとめくる。
「朝霞、めくるだけでなく、仕事してくださいね。ところで、明日は入学式ですよ。忘れていないでしょうね」
 麻績の言葉に朝霞はめくっていた手を止めた。
「まさか……忘れてました? 学生会主催の入学式のこと……」
 疑わしげに麻績は朝霞を見た。朝霞が麻績のほうを見てニッと笑う。
「題して、眠れる森の美女さ」
 そう言って一人で頷く。
「うん、我ながらいいアイディアだなー。麻績、花屋の薔薇を全部買い占めといて、あとは会場までのチラシだな」
 一人でブツブツと言っている朝霞の前に麻績は立った。
「で、その美女は誰が扮するのですか」
「それはもちろん僕。眠れる森の美女は、王子様のキスでないと目覚めないわけ」
 麻績はふうっと溜め息をついた。
「三年前でドレス姿はこりごりと言っていませんでしたか。まあ、別に僕が着るわけじゃないですから構いませんけどね。あ、朝霞、その王子様って誰のことですか」
 少し顔色を変えて麻績は言った。朝霞がスッと麻績を指さした。ギョッとする麻績から、朝霞は机の上の書類に指を動かした。
「彼さ。高等部からの外部入学者の一人。A組に入る布城崇」
 麻績はホッとして書類に目を落とした。緊張した面持ちの写真は童顔で、とても高校生には見えない。他の事項にさっと目を通した麻績は、
「優秀ですね」
 と言った。
「麻績、彼を一人だけ会場に遅刻させてね」
 と朝霞と麻績は、スケープゴートの対象となった布城崇を罠にはめるべく計画を練ったのであった。


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