水色の光で満ちていた。
 倭はゆっくりと頭を巡らせる。その視界に何か映った。動いていないけれど、人であった。思わず倭は凝視していた。
「倭、待っていました」
 二つの声が同時に響いた。
「さあ、近くに来てください。あなたの顔が見えるくらいに」
 倭はその人物が瞼を閉じたままなのに気づいた。
「さあ、倭、私たちの側へ来てください。私たちはあなたを直接に感じたいのです」
 手を差し延べる二人に向かって、倭は引き寄せられるように近づいた。
 倭の前の二人は、髪の長さこそ違え双子であった。声色に高低があるのとその着ているもので、それが男女の双子であると判るぐらいに、二人はそっくりであった。
 倭は二人の額の勾玉を見つめた。何の混じり気もない水色であった。
「あなた方が、巫覡?」
 倭の声は、己では気づかぬほどの脅えを含んでいた。その問いに、二人は同時に笑った。
「そう、あなた方が呼ぶのは、それか、尊のどちらかですね。その名は私たちの総称でしかありません。でも、その問いには『そうです』と答えるのが正しいのでしょうね。私たちにはあなた方と同じように固有の名がありますけど、それを呼んでくれるのは、あなた方の中にはいません。私たちは、お互いにしか本当の名前を呼ばれないのです」
 倭はその声に哀しげなものが混ざっているのに気づいた。
「私に、あなた方の名前を教えてはもらえませんか。私はあなた方を名前で呼びたいのです」
 倭はそう言って、これは巫覡に対する侮辱には当たらなかっただろうか、と不安になった。
「倭、不安になることはありません。私はその気持ちを嬉しいと思います。私は後月、妹の流水、ともに20歳です」
 髪の長さだけが違う二人は、そう言ってにっこりと笑った。
「どうぞ、後月、流水と呼び捨ててください。芳養の言う通り、私たちは透明の方の現れるまでの間待ちでしかないのですから……」
 その言葉に倭はギョッとなった。芳養は巫覡たちにその考えを言っているのか? いったい、芳養は何を考えているのだろうか?
「変に思っているのでしょう。しかし、それを先に言ったのは、私たちのほうなのですよ。芳養はそれを代弁しているにすぎません」
 倭は流水を見つめた。
「私たちは、この瞳であなたを見ることは出来ません。この瞳には、この世の何物も映さないのです。それに、私たちはここから出ることが出来ません。何故なら、己の体重を支えるだけの体力を持っていないからです。そして、私たちは私たちの子孫を残すことが出来ません。生殖能力が私たちの何代か前から衰えて、私たちはそのずっと以前の人たちのコピーでしかないのです。そして、それさえ最早、これ以上は無理なのです。私たちは、自然に逆らって生き長らえているのです。だから、この命がいつ尽きても不思議ではないのです」
 倭にとって、流水のその言葉は、痛いほどに胸に突き刺さった。それは冗談を言っているわけではないのだ。倭は、伊勢の国は、いつまでもこのままで栄え続けるものと信じていた。それが突然そんなことはあり得ないよ、と言われたのだ。そう、不滅のものと信じている、巫覡自身から。
「私は、このまま、伊勢は栄え続けるのだと思っていました。透明の方が現れないうちは、あなた方がいて、王と私たち臣下と、伊勢はこのままに、あるのだと信じていました。それが、間違いだと、言うのですか」
 倭の声は震えていた。後月が倭の額にそっと触れた。
「本当に、これが透明だったら良かった。このように心配などせずに、お前を透明の方と崇めることが出来るのに」
「でも、これは透明ではありません」
 流水が倭の頬にそっと触れた。
「倭、お願いします。透明の方を探してください。そして、守ってください。ただ、その方が目覚められる可能性は、ほとんどないのです。ただ、透明の勾玉を持って生まれてこられただけのようです。ですが、私たちは守らなければなりません。目覚められなくとも、我が神の化身には違いないのですから」
「守る……というのは、その方は狙われているのですか」
 後月と流水は、お互いに顔を見合わした。
「何故かは判らないのですが、出雲の一族と、奈半利の一族が、その方に接触しようとしています」
「出雲と奈半利?」
「ええ」
 流水がそう言って、閉じた眼で倭を見つめた。
「出雲の一族は、我が眷属と同じこと。我らが天照大神を崇めるように、彼らは大国主尊を崇めているはず。そして決して、我らと彼らは、利において協力することはあれど、害において敵対することはないはずです。それが何故なのです?」
 倭は混乱していた。かつて、神々のうちの三神がその《力》の一部を与えたのは、三人の人間であった。その一人は伊勢の祖、そして戸隠の祖、最後に出雲の祖であった。違う神々を崇めながらも、彼らが敵対することは絶対にあり得なかった。元をたどれば、その神々も一つなのだから。そして、彼らが敵対する意味もなかったからだ。
 ただ、今、その意味があるとすれば……、と、ふと倭は思った。
「まさか、出雲の一族が、我らに意趣を含んでいるのですか」
 後月が少し顔を上げた。瞼を閉じたままで遠くを見つめているようであった。
「出雲がそれをしているとは思えません。彼らは、敵対しようとしているわけではないのです。ただ、伊勢の取るべき行動と、出雲のそれが、交差する可能性はあります。私たちにも、出雲が何故あの方を探しているのかが判りませんから」
「でも、奈半利の一族については、取るべき行動は一つです。彼らの野望を砕くこと。ひいては、奈半利の一族を滅ぼすことです。出雲の手にあの方を渡すことは出来ませんが、それ以上に奈半利の手に渡すことは、絶対に許されないことなのです。あの方は、ただ、純粋で、何色にも染まることが出来るのです。だから、透明の勾玉の持ち主であられるのです」
 後月の言葉を継ぐように流水が淡々と言った。倭にとって、奈半利の一族、という名前は始めて聞くものであった。
「奈半利の一族……とは、いったい、何者ですか」
 後月と流水は、倭の質問に答えようとしていたのは事実であった。だが、それは、実現しなかった。
「それは……」
 倭の目の前の巫覡の二人は、お互いをハッと見つめて、そして、同時に倭に視線を戻した。
「倭、もう少し、あなたに早くこのことを、告げることが出来たら、もっと、あなたの力になれたのでしょうけど……」
「私たちには時間がないと言いましたけど、やはり、それは真実なのです。予想よりも余りにも早過ぎました」
「倭、あなたに課せる宿命は、重いものです。ですが、あなたにしか、出来ないことなのです」
「倭、私たちは、純血種を守るが故に、時間を切り裂いてきました。それももう……」
 後月と流水の額の、水色の勾玉の色が、変わりつつあった。
「尊!」
 と、思わず倭は叫んでいた。そして、ハッとして言い換えた。
「後月様、流水様」
 倭の言葉に、二人の最後の巫覡は微笑んだ。
「倭、私たちの勾玉を、あなたに託します。少しでもあなたの力になれるように。あなたは、伊勢の、希望なのですから」
 後月と流水は、それぞれの額の勾玉を取り外した。そして、倭の手のひらに置いた。倭はそれに気づかないように、二人を見つめていた。二人の姿が、崩れるようにお互いを支えるように、倒れ込んでいった。
「後月様、流水様」
 倭の手が、二人に触れようとした瞬間、揺らめくようにして二人の姿はかき消えた。
「後月様、流水様」
 倭は信じられなくて、また叫んだ。自分の手の上には、確かに二つの勾玉が乗っていた。その色は、黒。持ち主がすでに、この世のどこにもいないということを現していた。
(死……)
 倭の目の前で、最後の巫覡が消えた。決して途絶えてはならない、王祖の純血種がいなくなったのだ。

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