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巫覡とは、神や霊魂を呼び出す人の総称である。そして、芳養が言うところの巫覡とは、王族の純血種を守り続けている人々を指していた。
何百年と続いている伊勢の王国の王祖は、天照大神を神と祀り、そして彼女自身からその《力》を分けてもらっていた。
伊勢の王祖は、男子三人と女子一人をもうけた。そして、長男には王を継ぐ道を、二男には、王族の純血種を守るべき祭司の道を、そして、三男と長女には、純血種を伝え続ける道を定めたのだった。
そしてそれは、何百年もの間、ずっと守られ続けていた。
純血種を守らなければならないわけは、伊勢の王国の人々が必ず額につけている勾玉のことを説明しなければならないだろう。
勾玉は、翡翠や碯(めのう)で造られることが多い。そして、彼らがつけている勾玉もそれと全く同じものであった。ただ違うのは、彼らが身につけることによって、その色が変わる、ということであった。
普通、一般的に多いのは、翡翠の濁った緑色であった。そして、死ぬと黒に変わる、いや、黒がその勾玉の色に混ざるのだ。それが伊勢の王国に多い色であった。
そして王族は透明な水色であるが、純血種でないかぎりそれに緑色がプラスされる。つまり今、透明な水色の勾玉の持ち主は、王が巫覡と呼んでいる人々しかいないのであった。
だから、王も倭も王族の一人ではあるが、水色に緑色が混ざっていた。
そして一番の違いは、その人の《力》が強いほど、その勾玉の透明度が上がるということであった。勾玉自体には別に力はない。その人の《力》に反応することによって、勾玉の色が変わるのである。そして、その透明度は上げることは不可能だが、下げることは可能であった。
伊勢の王国には、もう一種類の勾玉の色があった。だが、どの時代にもいる、というわけではなかったし、その色の持ち主は、その人が生きている間はその人しかいなかった。
その色は透明であった。全くの無色透明のその勾玉の持ち主は、天照大神の意志を持つ者であった。
そして、ここ数十年、透明の勾玉の持ち主は現れてはいなかった。
だから、巫覡が必要なのであった。透明の勾玉の持ち主がいない間では水色の勾玉の持ち主が、一番天照大神に近い存在なのであった。
純血種を守り続けなければならないのは、透明の勾玉の持ち主が、常にはこの世に存在しない、ということが理由なのだ。
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