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「話していただけないだろうか、沢渡殿」
忠順の言葉に、沢渡は障子を閉めた。そしてキッと忠順を見る。その視線の鋭さに忠順はビクッとした。
「忠順殿、何故、逃げた?」
忠順はぶるぶると震えた。
「もう……疲れたのです。隠し通すことが、その罪の重さに」
忠順の目の前にガチャッと脇差が投げられた。ハッとして忠順は沢渡を見て、ギクッとした。沢渡が冷たく忠順を見ている。
「それならばしかたがない。だが、わしでも助けられぬように、それで心の臓を突くのだな。毒など食らうよりは、そのほうが確実じゃ。今度はわしも手出しをすまい。忠順殿が死にたいのならば、死ねばよい。わしは別に構わんぞ」
忠順が脇差に視線を落としてジッと考え込んでいた。そしてハッとして沢渡のほうを見る。
「おばばが助けてくれたのか? 私は毒を飲んだはず。助かるはずはなかった」
「確かに治療をしたのは、わしじゃ。わしは初鹿野の長だからな。長しか出来ぬ業が、忠順殿を助けることになった」
「初鹿野の力とは、いったい、どれほどのものがあるのだ……」
「それを今論じる時ではない。忠順殿、いくらわしが初鹿野の長だと言っても、宮様がおられなかったら、お主を助けることなど出来なかった。宮様がお主を助けたいと言ったから、わしが手を貸したまで。お主は宮様に助けられたのじゃ」
は? と忠順は思った。
「詳しいことは言いたくはない。ただこれだけは言っておく。忠順殿の毒を宮様が代わりに受けて、お主は助かり、宮様は後遺症で左腕を切り落とされた。忠順殿だけを治療することが出来ないわけではなかった。だが、死ぬよりも辛い痛みを伴わねばならない。だから、宮様が代わりにそれを受けるとおっしゃったのだ」
「宮様は……何故、私などのために……」
沢渡がギロッと睨む。
「判らぬか、忠順殿」
沢渡が首を振った。
「宮様はな、忠順殿を姫宮様の父御と信じておるのじゃ。だから、宮様は……。姫宮様は真実、宮様にとって親の違わぬ妹であられるのに」
沢渡の言葉に、忠順が呆然とした。沢渡がムスッとして忠順を見る。
「あの時にはっきりと忠順殿のお子ではないと言わなかったのが、不満かな。だが、あの夜の出来事は真実じゃ。だから、わしはお主には黙っておった。だが、宮様には本当のことを教えておいたほうが良かったのかな」
沢渡の表情がだんだんと暗くなる。
「忠順殿、まだ死にたいと思っているのなら、死ねばよい。だが、生きたくても生きられない者もおるのじゃ。逃げることを選ぶのも、もちろん、その人の自由じゃ。だが、その生が誰にもらったものかを、よく考えるのじゃな」
「沢渡殿……」
忠順はガバッと頭を下げた。
「すまない。すまなかった。宮様にも謝らなければ……」
忠順が顔を上げて、ギョッとした。沢渡の顔色があまりにも白い。
「何があるのです?」
思わず忠順は聞いていた。沢渡は立ち上がって障子を開けた。すっかりまた梅雨空に戻っている。
「さあな」
沢渡が呟いていた。何が起こるのか、それは沢渡には漠然とした不安としてしか浮かんでいなかった。
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