石谷家。忠順は本多家から戻ると無言で一人部屋にいた。ふと、庭に気配を感じ、忠順は障子越しに庭を見た。庭の気配はジッとして動かず、忠順も動かなかった。やがて、クシュンと小さなくしゃみがして、忠順は障子を開いた。部屋の明かりが射しだした中に、宮の姿があった。宮の肩の上の茅野がまたクシュンとくしゃみをした。忠順は、
「石和」
 と言った。石和がいつの間にか忠順の近くに現れる。
「ご案内しろ」
 石和は頷いて、宮に、
「どうぞ、こちらへ」
 と促した。宮は無言で石和についていった。案内されたのは湯殿で、宮は雨に冷えた体を温めた。だが、湯船に落としたかったのは、それだけではない。きっとそれは落ちない。宮は冷やかな表情で湯面を見つめる。茅野は桶の中に入って気持ち良さそうにしていた。
「茅野」
 と呼ばれて、茅野が宮のほうを見てキキッと鳴く。
「私はずいぶんとわがままで自分勝手だな」
 そう言って薄く笑う宮に茅野は首を傾げた。そして違う、というように首を振った。宮はそのままずぶずぶと頭まで湯につかる。なかなか上がらない宮を、茅野が心配そうに湯面を覗き込んだ。やがて、ゆっくりと宮が頭を出す。ホッとしたように茅野がキキッと鳴いた。濡れた髪を宮の指が掻き上げる。
「私は……」
 宮は呟きかけて口を閉じた。ポタポタと落ちる雫を、宮はジッと見つめていた。茅野が首を傾げて宮を見上げる。宮はザッと湯船から上がると、用意された着物を着て、慣れた手つきで髪を束ねた。
 やがて宮は忠順の前にいた。忠順は入ってきた宮をホウッとした顔で見つめていた。思わず言葉を失う。それほどに美しかった。宮は柱にもたれて目を閉じた。膝の上では茅野が丸くなっている。二人ともしばらく無言であった。やがて宮が目を開けて、そして忠順を見た。
「何故、何も言わない?」
 忠順がハッとして目を逸らした。すぐに視線を戻して、忠順は言った。
「すみません」
 そう言って頭を下げる忠順を、宮は冷やかに見つめていた。
「石谷、お前は私が誰だか知っているのか」
「はい」
 と忠順が即座に答えて、そして慌てて付け加えた。
「いえ。私がそうと思っているだけなのかもしれません。ですが宮様、あなたが双子であり、あなたの年頃で、そして宮と唐という名前であること。それらから一つの答を出したのです。それに沢渡姫がおられるのですから」
 宮がいぶかしげに呟く。
「沢渡姫?」
 忠順が不思議そうに宮を見た。
「もしかすると、沢渡と名乗っておられるかもしれませんが」
「おばばのことか。お前はおばばのことを知っているのか」
 いきなり忠順の顔色が変わった。宮が眉をひそめる。
「あなたにはすべて判ってしまわれたのでしょうね」
 忠順が諦めに似た口調で言った。
「私たちがひた隠しにしていたことを……」
「私は何も知らない」
 宮が冷たく言い捨てる。忠順が首を振った。
「いいのです。あなたには真実を知っていただきたいと思います」
 宮が鋭い目つきで忠順を見て、
「私は何も聞いていない。聞きたくもない」
 と言った。
「宮様、お聞きになりたくなければ、それでも構いません。私が勝手に喋るだけのことですから」
 と忠順は話し始めた。



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