雨が本降りになってきた。
 傘を持ってその中を歩いていた男は、しばらく雨宿りをしようと寺の境内に入っていった。手水場の屋根の下に入ると、傘をたたんで置いた。それは京から江戸に戻ったばかりの宮であった。
 柱に背をもたれさせて、宮は目を閉じる。雨の音が木々の葉っぱに当たって音を立たせる。宮は雨の日が好きだった。雨の日には、沢渡の話を唐とともに、駄科とともに聞いていた。沢渡の話は飽くことがなく、宮はその時が一番好きだった。沢渡の話が、でもあり、唐とともに同じことを思うことが、好きだった。
 ふと、宮は目を開けた。少し離れた場所に男が一人立っている。彼の視線を感じたのだ。宮は男に目をやって、見知らぬ男と確認すると、また目を閉じた。その目をすぐに開けさせたのは、男の言葉であった。
「この間、私が会ったのは、あなたではありませんね」
 宮はジッと男を見つめた。
「私は石和と申します。あなたは双子の一人ですね」
 宮は柱に背をもたれさせたまま、
「それで?」
 と冷たい眼差しのままであった。
「新城殿に会ったのは、あなたですね、宮殿。私は町奉行石谷忠順の手の者です」
 石和は頭を下げた。
「それで?」
 と宮は再び同じ言葉を発した。石和は雨の中に立っている。
「あなた方のことを知りたいのです。もう一人の方には聞きそびれてしまいましたから。いえ、聞いたと同時にきっと私は殺されていたでしょう」
 宮が首を傾げる。
「唐に?」
「もう一人の方は唐殿と言うのですか」
 宮は鋭い目つきになった。石和はゾクッと背を震わせた。宮はゆっくりと柱から背を離して、傘を手に取る。
「お前は本当にそれを聞きたいのか。それとも、私と手合わせをしたいのか」
 石和の背がゾクゾクとする。唐にはそれを感じなかった。だが、宮には対してみたいと今、思ってしまう。あまりにも冷たいその眼差しにも、石和は恐れる気持ちはなかった。それよりも、唐の笑みのほうが恐ろしい。思わず、この双子の見た目と本性は、本当は逆なのではないか、と思った。だから、自然に笑みが浮かんだ。雨に濡れそぼったままで石和は微笑んでいた。
「ええ、話すまではそんな気持ちはありませんでした。あなたはきっと唐殿と同じ人だと思っていましたから。ですが、あなたは唐殿ではなく、わたしはあなたと手合わせをしてみたいと思っています」
 宮はその場を動くことなく、何故唐がこの男を殺さなかったのか、と思った。
「この前唐と出会ったのは何故だ?」
 だからそう聞いた。
「殿の元に沢渡姫と名乗った少女が訪ねて来ました。彼女とともにいたのが唐殿です」
「沢渡姫?」
 宮にはその名に心当たりがなかった。
「沢渡と名乗られているようですが」
 宮はその答にふと表情を動かしたが何も言わなかった。
「宮殿、手合わせを願ったら、叶うでしょうか」
 石和は嬉しそうにそう言う。宮が無言で傘を拡げて雨の中に出た。
「そんなに死に急ぎたいのか、石和」
 宮の冷たい視線が石和を貫く。だが、石和の気分は高揚していた。自分の力を出し切れる戦いをしたかった。それは石和が忍びの業を使えるのに関わらず、それを試す機会に今まで恵まれなかったからだ。石谷忠順の元で、石谷家のためだけに生きることを選んだ自分だった。だが、その場所は余りにも平穏であった。それが石和には物足りない。今までのそれを充足させるに充分な相手が、今目の前にいる。それが石和を興奮しないではいられない状態にさせたのだ。だが、宮は一言でその石和の気持ちに冷たい水を浴びせた。
「主人持ちの身で、ずいぶんと自由だな」
 小降りになった雨の中を宮が傘をさして歩き去る。石和は雨とともに自分から流れ出たものを見つめていた。ぐっしょりと濡れた髪の毛からポタポタと雫が落ちるのを、石和は瞳に映しながらそこに立ち尽くしていた。
(私は何をしようとしていたのか)
 石和は拳をギュッと握り締めた。クルリと背を向けて石和もその場所を去っていった。
 雨はなおも降り続いていた。



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