やがて宮は忠雅の前にいた。その着物は木賊色、宮は脱衣所でそれを見て、僅かに表情を変えた。確かにその色は宮が好んで着ている着物の色ではあった。だが、どうしてここにこれがあるのか。ただの偶然なのか、それとも、忠雅が用意していたのか。自分にあつらえたようにぴったりのその着物が不思議であった。
「まずは、お礼を申し上げておきます」
 忠雅の言葉に宮は眉をひそめた。
「お礼?」
「忠宗を助けてくださったのは、あなたですね、宮様」
 宮は驚いた表情を浮かべた。
「どうして私が宮だと思う?」
 忠雅はフッと不思議な表情を浮かべた。宮にはそれが何を現しているのかが判らなかった。
「駄科からお二人のことは聞いております。先程お会いした時に、すぐに双子の一人だと判りました」
「それだけでは、私が唐か宮か判らないはずだ」
「忠宗を助けてくださったから、私にはあなたが宮様だと確信出来ました」
 宮が首を傾げる。
「唐様が十歳の時に誤って毒を飲んだことは聞いております。唐様はご自身の状態などは覚えていらっしゃらないでしょう。それをずっと看病していらっしゃった宮様ならば、唐様がどんな状態だったか覚えていらっしゃる。今の忠宗は九歳。宮様は、忠宗が唐様と重なって見えたのではありませんか」
 そう言って忠雅は優しく微笑んだ。宮がふうん、という顔になって忠雅を見つめる。
「なるほど。確かに私は宮だ。別にお前の孫を助けたのは……。いや、まあいいさ。私はお前に聞きたいことがあって京に来た。二条、兄者を何故、本多正重のところへ行かせた。兄者は本多のところへ何をしに行ったのだ?」
 忠雅が微笑みを消した。
「駄科に会われたのか」
「偶然な。江戸に出てきたばかりの兄者に会い、兄者は今から本多正重のところへ書状を届けに行くと言っていた」
「わしが駄科に頼んだのは、その通りです。わしはただ書状を本多様のところへ届けるようにと、駄科に頼んだだけです」
「その書状の中身は?」
「いったい、どういうことです? 宮様、それが何か意味があるのですか?」
 宮は冷やかに忠雅を見つめる。忠雅は背を震わせた。宮がその視線を動かさないまま、
「お前と本多との付き合いはどういうものなんだ?」
 と言った。忠雅の顔が強張る。
「私にはお前が大それたことを考えているようには思えない。それなのに、お前と本多は接点がある」
 宮は独り言のように呟いた。忠雅に聞いているのだが、答は自分で見つけようとしているようだった。
「駄科の届けた書状は何が書いてあったか、というのは、実は問題ではない。そうではないのか?」
 忠雅は思わず頷いていた。驚きが顔に出る。
「そして、お前と本多の接点は、一方的なものでしかない。確か、以前京都所司代をやってたんだな、本多は。その間に何かあったのか、それとも、それ以前に問題があったのか。それを今、明らかにしろと言うつもりはない」
 宮の表情は冷たいままであったが、忠雅はそれが恐ろしいとは思わなかった。
「お前は本多が親子を亡きものにしようとしていることを知っているのか?」
 忠雅の顔が真青になった。宮は忠雅の答を聞く前に、忠雅はそのことを知らないことに気づいた。
「宮様、それは……」
 宮は首を振って、京に来たことは無駄足だったと思った。だからすぐに立ち上がる。
「宮様……」
 宮は忠雅を見下ろす。
「親子のことは心配しなくてもいい。お前たちには出来ないことを、私たちには出来るから。私たちは幽霊だからな」
 宮が皮肉気に笑いを浮かべる。忠雅が目を見張って、そして首を大きく振った。
「別に自分の境遇を不幸と思っているわけではない。それは私にはどうでもいいことだからな。そうだ、二条、一つ聞いておきたかった。何故、私たちを殺さなかった?」
 忠雅がしばらく宮をジッと見上げていた。そして目を逸らす。
「確かに唐宮様はいらっしゃらない。おばば殿が連れていったのは、宮家には何の関係もない双子」
「だが、兄者を見張りに寄越した」
「そう、確かに駄科を山に行かせたのは、お二人を見張るため。わしはおばば殿を信じておった。おばば殿は絶対にお二人を表に出すことはしないと。だが、わしは宮家の安泰を守る公家じゃ。お二人に宮家の血が流れていることには変わりない」
「それでは、私の質問の答にはなっていない、と思うが」
 忠雅は首を振った。
「宮様、ご自分を幽霊とおっしゃいましたな。きっと、本多様を止められるのは、わしたちには出来ない。あなたにしか出来ないのではないか。ずっと、駄科に始末をしろと、それをいつ言うかを悩んでいました。何故、悩んだのか、今なら判る気がします。たぶん、今の出来事を上手く終わらせることの出来るのは、あなたしかいないのだと。それだから、あなたがそこにいるのです」
 宮はフッと笑った。その笑いが哀しげに見えて、忠雅はハッとする。
「二条、この着物、誰のためにあつらえた?」
 忠雅は一瞬息を止めて、そしてホウッと息を落とした。
「私には木賊色、唐には真赭、もしかして、私たちのためにそれを季節ごとにあつらえていたのか?」
 宮は忠雅の答など期待していなかった。
「唐宮様が双子でお生まれにならなかったとしたら」
「二条、過去の仮定は虚しいな」
 ピシリと宮の言葉が忠雅の心を打つ。忠雅はただ頭を垂れた。
「二条、明石という名に心当たりはあるか」
 少しの沈黙の後に、宮が言葉を発した。
「明石……? さあ、その名には心当たりはありません」
「そうか。兄者の知り合いというだけか」
 呟くように言って宮は障子を開いた。
「二条、京で親子の無事の帰りを待っているんだな。お前に出来ることはそれぐらいのことだ」
 風が過ぎるように宮の姿が庭の暗がりに消える。忠雅はその背を一瞬だけ目に映して、哀しげな翳が見えたような気がした。



←戻る続く→