春獄の屋敷。
 沢渡は一人、自分に与えられた部屋にいた。ガラリと障子が開き、宮が入ってくる。そのムスッとした表情に、沢渡は気づいた。
「宮様、何かございましたかな」
 沢渡は宮が屋敷から外に出ていたことに気づいていた。何をするためにかは判らない。唐はずっと親子の側についていた。
 宮は沢渡の側に座った。
「おばば、兄者に会った」
 宮は沢渡をジッと見つめて言った。沢渡が頷いた。駄科が来たことは、当たり前だと思っていたから、沢渡は少しも驚きはしなかった。
「兄者に会った後、一人の浪人に尾けられ、そしてそれを尾けていた男に浪人は殺された。私は男と少し話した。男は町奉行石谷忠順の手の者だと言った。そして浪人は老中本多正重の手の者だと。男は石谷は親子の行方を探しているが、それは守るためだと。そして本多は敵なのだと。私は男が本当のことを話していると思う。まあ、石谷が嘘をついている可能性も高いと思うけどな。だが、おばば、それよりも兄者が言ったことが気になるんだ。兄者は、二条の書状を本多に届けると言っていた。とすると、二条は本多の仲間と言うことなのか? そうは考えられないか」
 沢渡は表情を消して宮の言葉を聞いていた。だが、背中をゾクリとしたものが流れる。
「おばばは、兄者の素性を知っているな」
「知っている。駄科のことも二条殿のことも知っている。だから、彼らが我らに敵するとは絶対に思えぬな」
 そう言って沢渡は宮を少し呆れたような表情で見た。
「宮様、駄科の素性を知ったのか?」
「興味があった」
「それで、脅して聞いたというわけか」
 宮が沢渡にニッと笑ってみせた。
「素直に教えてくれたさ」
 だが、すぐに宮は笑いを消した。
「おばば、いったい何が起こっている?」
 沢渡は宮を真剣な目つきで見ていたが、やがて懐から札を取り出した。
「占ってみる。宮様、席を外してくれぬか」
 宮はジッと沢渡を見る。心の中で思っている言葉を口にすることなく、宮はやがて立ち上がった。
「おばば。おばばの札はいつも正しいな。私もおばばも、その札通りに今からも動くのかな」
 宮が口に出した言葉はそれであった。そして、一言付け加える。
「きっといつの時も、今が一番だと思うんだろうなあ。この時だけが、続くと思っているんだろうな」
「宮様?」
 宮は沢渡のほうを見ることなく去っていく。沢渡は札を畳の上に落としてそれを見つめているようであった。だが、沢渡の目にはそれは映らない。映っているのは、未来に起こるはずの真実。そして、呟く。
「変わらぬ……か」
 軽い足音が聞こえてきて、沢渡は札を懐にしまった。足音は障子の向こうに止まって、
「おばば様」
 と親子の声をさせた。
「どうぞ、姫宮様」
 スッと障子が開いて、親子はキョロキョロと中を見渡した。
「宮お兄様がいらっしゃったのではありませんの」
「先程までな。今は部屋に戻られたと思うが」
 親子は軽く首を振った。
「いらっしゃらなかったわ。せっかく、可愛い小猿を抱かせていただこうと思っていたのに。茅野っていう名の可愛いお猿さん」
「茅野は、宮様にしか馴れてなかったと思うがな」
 親子がニコッと笑った。
「大丈夫。私には馴れるわ」
 沢渡が親子に中に入るようにと促したが、親子は、
「お兄様がお部屋で待っていらっしゃるから」
 と障子を閉めようとした。
「姫宮様、兄上様方はいかがかな」
 親子が沢渡をジッと見た。そして微笑む。
「私は今、幸せですわ。お兄様は私を優しく包んでくれて、必ず私を守ってくれると、これは確信ですわ」
 そう言って親子は障子を閉めるとそこを去っていった。
「だがな、姫宮様、別れは必ず来るのじゃ」
 沢渡は一人になって呟いた。



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