宮は駄科と別れた後、まっすぐに春獄の屋敷に帰っていたが、不意に脇道に逸れた。少し後ろを歩いていた浪人が同じ道に入り、その後ろを歩いていた町人はまっすぐに道を進んだ。
 宮が立ち止まったのは、地蔵堂の前であった。宮が茅野を起こすと、茅野は近くの木に登った。
 宮は地蔵堂の石段に座った。そして目を閉じる。
 宮の後を同じ道に入っていった浪人はギクッと立ち止まった。まさか宮がそんなところに座っているとは思わなかった。そしてそこだけ木漏れ日が当たっているように輝いていた。浪人には宮が光に包まれているように見えたのだ。
 宮は目を開けて浪人のほうを見た。冷たい視線が浪人を射ぬく。
「兄者を見張るのを止めて、私を尾けたのはどうしてだ?」
 浪人は口を開けたが何も声にならなかった。宮は、
「茅野」
 と茅野を呼んだ。茅野がすぐに宮の肩に戻ってくる。
「そのまま去るんだな。少しは楽しめそうかな、と思ったから茅野を放したのに、その意味はなかった。さっさとそこから立ち去れ。目障りだ」
 宮はそう言って目を逸らす。浪人は自分の腕が侮辱されたことには気づいた。そういうことには敏感だが、肝心の実力の違いにはこの時判らなかった。宮を殺すことは命令に受けていない。だが、これは誇りの問題なのだ。
 浪人は無言で刀を抜いた。宮は武器になるようなものを何も帯びていないし、どう見ても強そうには見えない。無手の人間を手に掛けることは、浪人にとって卑怯でも何でもないことなのだ。
 ジリッと浪人は宮のほうへ動こうとした。
「去れ、と言ったのが聞こえなかったようだな。人を尾けることに夢中で、自分が尾けられていることに気づかないような奴を、私は斬る気はない。だが、どうしても死にたかったら、今から五つ数えるまでそこにいるんだな。そしたら、殺してあげるさ」
 宮の言葉に浪人は顔を引きつらせた。侮辱にと、不気味な宮の雰囲気と。だが、まだ自分の自尊心のほうが大切だった。
「一」
 と宮がそっけなく数えだした。浪人の足が一歩近づいた。
「二」
 と宮が溜め息交じりに言った。浪人の柄を握る手に力が入った。
「三」
 と宮が茅野の頭をポンと叩いて言った。茅野は宮から離れて、浪人は額に汗を滲ませていた。
「四」
 と宮は浪人のほうを向いて、ニッと笑った。ただそれだけなのに、浪人は背中に冷や水を浴びたような気がした。そのまま一瞬でもそこに留まることが出来なかった。右手に抜き身を持ったまま、浪人は後も見ずに走り去った。
 宮は表情を消して、ヒュッと小さく口笛を吹いた。すぐに茅野が現れて宮の肩に登ろうとしたが、その尻尾をくるりと動かして宮を見上げた。宮がしゃがんで茅野を抱え上げると、
「血の匂いか」
 と呟いた。立ち上がった宮が向いたのは、先程浪人が走り去った方向。そこから出てきたのは、一人の町人であった。最初の道で浪人の後を歩いていたが、脇道に逸れた二人を追わずに、まっすぐに歩き去ったはずであった。


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