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夕闇が迫ってきた時刻に、その男はある屋敷の一室にいた。障子を開け放していても、すでに部屋の中は薄暗い。
バタバタと足音が近づいてきて、
「公房!」
と部屋に入ってきたのは、この屋敷の主、京極公為。
「公房」
と再び呼んで、部屋の暗さに明かりを灯そうとしたがその手がぶるぶると震えて火がつかない。
「私が」
公房と呼ばれた男が代わりに明かりを灯した。ボウッとした光の輪が部屋を明るくする。そこにいた二人の男。公為と公房、その若いほうは駄科であった。駄科の本名は、京極公房、公為の次男であった。
「に、二十二年ぶりじゃな、公房」
公為が駄科の肩を掴んでその顔をまじまじと見つめる。その瞳に涙も浮かべて。駄科は少し照れたように目を逸らした。
「その名前を呼ばれるのは、久しぶりです。ずっと違う名前で呼ばれていましたから。父上、お別れしてからずっと孝行出来なくてすみません。ですが、これからも親不孝者の息子ですまないと思っております」
「公房、また、わしの前から去っていくのか? いったい、二条様のところで何をしているのだ?」
公為が駄科から手を離した。駄科が父親を見つめる。
「父上は二条様から何もお聞きではないのですか」
公為が眉をひそめる。
「二条様が何をしていらっしゃると言うのだ?」
駄科が小さく溜め息をついた。
「そうなのですか」
と言って駄科は立ち上がった。
「公房、行かないでくれ。戻ってきてくれ」
公為の言葉に駄科は父親を哀れみの目で見つめていた。
「二十二年前に私を二条様のところへ行かせたのは、あなたのほうではありませんか。今となっては、それを恨んでいるとは言えませんが、あの時の私の気持ちがなくなったとは言えません。そのように今、嘆かれるならば、あの時に二条様に断っていただければ良かったのです。父上を責めるつもりはありません。ですが、私はお側にいることが出来ません。ただ私は遠くからいつも父上を見守っていますから」
「公房……」
公為は庭へと下りていく駄科を止めることが出来なかった。確かに二十二年前に捨てたのは、自分のほうなのだ。それをいまさら駄科を責めるのはおかしい。
「二条様はやはり、父上には何もお話しになっておられないのか」
駄科が屋敷から出ていきながら呟いた。それは思っていた通りだった。そこまで京極公為は重要人物ではない。それを客観的に判断出来る駄科であった。そう思いつつも、息子として父親にそれなりの力を持っていて欲しいと思うことも事実ではあったが。それをいまさら彼に求めることは無理だ。そんな力がすぐに持てたとしたら、二十二年前にすでにそれなりの地位にいたはずだから。
公為を父上と呼ぶことは、もはやないかもしれない。それをふと駄科は思った。何故かは判らない。
すべては、二十二年前に始まったのかもしれない。
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