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安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸(その1)その2その3

河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える

別冊

安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸(その2)

移動する砂礫と砂礫浜の生成

(この章の概要・移動する砂礫・ステップ・大きな波・この章のまとめ)

2014年12月31日、一部訂正、変更、削除
2014年9月18日、一部訂正、「概要」と「まとめ」を追加
2013年7月10日掲載

2014年12月の一部訂正、変更、削除について
 「離岸堤」に関して思い違いがありましたので、それらを訂正、変更、削除しました。
訂正前には「離岸堤がある場所では砂礫はほとんど移動しない」としていましたが、これを「離岸堤がある場所の砂礫の移動は僅かです」に訂正しました。
 「大浜海岸より東側では海岸がほとんど回復していない」としていましたが、これを「大浜海岸より東側では僅かづつ回復している」に訂正しました。
 上述の事柄について、直接その記述をしている箇所と関連する文章を訂正しました。
 また、校正漏れによる明らかな間違いと、その他の解りにくい文章も幾つか訂正しました。 解り難い文章については、大幅に変更訂正し削除した個所もあります。 この章の「大きな波」はそれに該当します。
 上述の事柄に関連しない論旨の訂正はありません。

 これらは、多くの「離岸堤」が設置されている大浜海岸以東の海岸が、年月を経るごとに少しづつ回復していることを示す資料を「静岡土木事務所」で拝見したこと、 並びに、それらの海岸でその状況を実際に確認したことに依ります。その他の修正は、読み返す過程で気が付いた明らかな間違いと分かり難さの訂正です。
 従前の記述をお読みになった皆様には、ご迷惑をお掛けすることになりました。誠に申し訳ありません。

この章の概要

拡大した砂礫浜と移動する砂礫
 この節では、最も重要な発見を説明しています。
 砂礫浜が沖に向かって伸長している様子を確認しました。 海岸線を移動する砂礫の様子を観察する事が出来ました。また、その動画も撮影することが出来ました。
 その移動現象と周辺の海岸の状況を考察することにより、河川から海岸へと移動する砂礫の態様を明確にすることが出来ました。

ステップ
 親切な先生によってご指摘頂いたステップの存在に関する問題を考察しました。
 ステップ(砂礫浜の特徴である、岸近くの浅い海底で海に向かって出来る棚状の小地形)は、 日本国内においてはその存在が疑問視されているようですが、私は、その存在は砂礫浜においては当然の事であり、 ステップが無い限り砂礫浜の存在はあり得ないと考えています。
 この節では、砂礫浜の形成に関わる幾つかの現象を考察する事により、ステップの存在を明確に理論づけています。

大きな波
 前述の二つの節では、海岸線方向に移動する砂礫によって浜辺が形成されることを説明しました。 この節では、渚から浜の奥に至る砂礫浜全体の形成を説明します。渚から幅広く広がる砂礫浜や砂浜がどのように形成されるのかを解明しています。



拡大した砂礫浜と移動する砂礫
 2012年7月16日に安倍川左岸の第一消波ブロックとその西側海岸を訪れました。そこで、思いがけない光景を発見しました。 砂礫浜が海に向かって拡大していたのです。
 (安倍川左岸には幾つもの消波ブロック群が設置されています。 その中で最も西側で安倍川に最も近いものを第一消波ブロックと呼ぶ事にします。 第一の東側にあるのが第二、その次が第三と呼ぶ事になります。)
 さらに、砂礫が海岸を東へ向かって移動する様子もはっきりと確認出来たのです。

 前日の15日にも同じ場所に来ていたのですが、その時に比べて砂礫浜が約10m海に向かって前進していました。 そして、前日には見る事が無かった砂礫の移動の様子も、しっかりと観察する事が出来ました。 この日、それらを目の前にする事は全く予想外の事でした。
 翌17日にはより激しく砂礫が移動する様子も確認する事が出来ました。


左写真 7月16日、左岸第一消波ブロックよりも波打ち際に近い場所から撮影しました。消波ブロックの西端では約10m先にまで砂浜が広がっていました。 波打ち際に横一列に並んでいるのは小さな流木、ゴミなどです。

右写真 前日の15日、左岸第一消波ブロック前の海岸線。波打ち際は消波ブロックとほぼ横並びの位置です。 この時には、砂礫が移動している光景を見ることはありませんでした。 なお、撮影時間は15日16日ともほぼ同じ時刻の午後7時過ぎで、潮位もほぼ同じです。

 私は、砂礫が海岸線を移動する状況が明らかになれば「砂礫浜を考える(静岡の前浜の場合)その1、その2」 において説明していた事のほとんどが証明出来るはずだと考えていました。
 つまり、静岡の前浜のほとんどは砂礫の供給源から離れた場所にあるので、それらの区域の砂礫浜が維持されるためには、 供給源である安倍川から砂礫が移動して来る必要があると考えていたのです。 そして、その移動の詳細を明らかにする事が重要だと考えていました。
 しかし、静岡の前浜で、それを明らかにする事が出来ると予想される場所は限られていました。

 静岡の前浜で消波ブロックが設置されていない場所はごく僅かです。この場所から西には消波ブロックが無いので、 砂礫の移動が確認出来る可能性がある有力な候補でしたが、安倍川の流れの出口に近過ぎると考えていました。
 私はこの時まで、岸の近くに発生する海水の流れによって砂礫が移動するものと考えていたのです。

 ですから、仮にこの場所で砂礫の移動が確認できたとしても、それは安倍川の流れのせいであると思われるのではないか。 特に、安倍川の流れが直接に第一消波ブロックにまで流れ込んでいる光景を目にしていましたから、その思いを強くしていたのです。
(「砂州の出来方、安倍川の流れの出口は度々移動します」左写真右写真」を参照して下さい。)
 でもこの日、安倍川の流れはこの場所より約200m以上西にあったのです。 ですから、砂礫の移動をもたらしているのは安倍川の流れではない事は確かでした。


左動画 7月16日、第一消波ブロック西側の波打ち際。崩れる波は西から東へと移動しながら崩れています。 打ち上げる波は西から東へ移動しています。引き戻す波もゆっくりと東へ移動しながら海へと戻っています。

右動画 翌日17日、同じ場所に打ち寄せる波の様子。波は小さく見えますが、崩れる時には人の背丈以上あります。 海岸に対して斜めにやって来るうねりによって波が引き起こされています。
 砕ける波は西から東へと順に崩れています。打ち寄せる波も引き戻す波も、激しく西から東へ流れています。 打ち寄せる波の先端で砂礫が飛び跳ねているのも見えます。
海水が手前で滞っているのは、波が打ち上げる斜面に段差があるためです。

砂礫は間違いなく西から東へ移動していました
 私は思い違いをしていました。砂礫は岸に近い海中で移動していたのではなく、ほとんど岸と呼ぶべき場所で移動していました。 砂礫は水流によって移動するのではなく、陸地に打ち上げる波と引き戻す波によって陸地を移動していたのです。

 17日に、この場所で確かめる事が出来たのは、打ち上げる波も引き戻す波も西から東へ流れ、砂礫がそれによって移動している事でした。
 この時、打ち上げる波も戻る波も激しく移動していますから、その間近な海水も同様に西から東へ移動していると考えられました。 当然、波立っている海中の砂礫も移動していると考えられます。

 17日に見る事が出来た現象では、打ち上げる波の勢いが強いので、それがそのまま岸を横に進んで海に戻っていました。
 16日の場合では、打ち上げる波の勢いがそれほど強くはないので、途中まで進んだ波は勢いが弱くなった所で、ゆっくり海に戻っていました。 いずれの場合でも、砂礫はこれらの波によって移動していたのです。

 つまり、砂礫を移動させる波は、岸辺を横に打ち上げる波だと考えて良いと思います。 そして、砂礫を横に打ち上げて移動させる波は、立ち上がって片側から順番に崩れていく波だと言えます
 16日と17日に発生したその波は、岸辺に対して深い角度を持って沖合からやって来る「うねり」によって生まれていました。

 これらの砂礫の移動は、左岸第一消波ブロック前とその西側の海岸で発生していた現象です。 それは、この場所が自然海岸のままに残されていたからです。
 ここより東側の海岸では、消波ブロック群が連続して設置されているので、このような砂礫の移動が発生する機会は多くありません。

また、簡単な実験
 17日に観察した時、波が打ち寄せている斜面の上部に、拳よりひと回り大きい石(約800g位)を置いて簡単な実験を行いました。
 その結果では、1分43秒の間に12回波が崩れ、その内4回が石にまで届く波で、その間に石はおよそ6m移動しました。 これを単純に計算すると1時間に251m移動することになります。

 この数字は大雑把なものです。実際の砂礫の移動が全てこのようなものであることは無いでしょう。 小さな砂礫はもっと早く移動するでしょう。また、全ての砂礫が移動する事もないのです。波が生じている所から外れてしまえば移動する事はありません。
 しかし、この数字は目安にはなると思います。いずれにしろ大変な速度です。12時間で3Kmも移動してしまうのですから。

砂礫を移動させる波が発生する条件
 この日、沖縄地方に大きな台風がありました。しばらく前、梅雨時にも駿河湾南方海上に低気圧がある時にも同じような角度を 持ったうねりが届いていました。でも、その時には、これほど大きな波になって、砂礫が激しく移動する事はなかったのです。 あるいは、私が気が付かなかっただけかもしれませんが。

 この海岸のこの付近では、駿河湾南方に低気圧がある時や太平洋に強い台風がある時に、 砂礫を移動させる波が発生するのだと考えられます。
 梅雨時に何回か見た波では、打ち上げる波が西から東へと移動する傾向がありましたが、 引き戻す波はほとんどが直角に海に戻っていたのです。
 私が観察したのは短い期間ですから、ここに示した条件以外の時にも砂礫を激しく移動させる波が発生しているかもしれません。

「砂礫浜を考える・・・・」での間違い
 砂礫を西から東へ打ち上げ移動させる波については「砂礫浜を考える(静岡の前浜の場合)その1、その2」 でも記述していました。でも、その時にはその力がこれほど強いとは思っても見ない事でした。

「砂礫浜を考える・・・・」ではもっと大きな間違いもありました
 私は、砂礫の移動は海水の流れによって生じているのだと考えていました。ですから、砂礫の移動を貨物列車の移動にたとえて 説明していましたが、これも間違いでした。説明を分かり易くするための「たとえ」でしたが、この間違いには決定的な問題点がありました。
 その「たとえ」でも記述していたと思いますが、海水の流れの場合では、その移動が突然に停止したりする事はありません。 場所によってその速度が大きく異なることもないでしょう。水の流れであるならそれらは連続的であるのです。 だからこそ、私は連結された貨物列車として「たとえ」ていたのです。

 しかし、実際の砂礫の移動はそれとは異なっていました。この「たとえ」は全く違っていたのです。 実際の砂礫は、その多くが、打ち上げる波によって岸辺を伝って移動していたのです。
 たまたま、17日に観察した時にはほとんど連続して砂礫が移動していましたが、そのような機会は少ないと考えられます。 多くの場合で、砂礫は急速に動いたり止まったりして移動しています。 さらに移動する速度もその距離もその量もその度に異なっているはずです。

 これは、大方は波自体の性質によるものです。ほぼ同じような大きさの波が発生している時でも、 それぞれの波ごとにその強さや大きさが異なっているのです。このことは最初の「簡単な実験」で説明したとおりです。

 砂礫の移動が必ずしも連続的に発生しているのではなく、断続的、断片的であることの理由がもう一つあります。
 砂礫の移動を引き起こす波は海岸線に対して大きな角度を持って立ち上がっています。海岸線が一直線であるなら、 砂礫を移動させる波はそれぞれの場所でほぼ同じような大きさで生じることが考えられます。

 でも実際には、海岸線が一直線であることは少ないのです。たとえ、大きな地図によって海岸線が一直線に描かれていたとしても、 実際の海岸線は微妙な曲線になっています。また、その海底もそれぞれの場所ごとに変化しているはずです。 ですから、渚にやって来る角度を持った波は、それぞれの場所ごとにその角度が少しづつ異なっています。
 この事から、同じ海岸で同じ時間に砂礫が移動していたとしても、それぞれの場所ごとに砂礫の移動具合は異なっていると考えられるのです。

「砂礫浜を考える・・・・」では、さらにもうひとつ思い違いをしていました
 そこでは砂礫を移動させる波が西風によってもたらされると記述していました。これは確実性を欠いた表現でした。 強い西風が西から崩れる波を生み出す可能性は否定できないのですが、そうだとしても、それによる波が激しく砂礫を移動させている事は確認できていないのです。
 と言うのも、海岸の観察に訪れた時に強い西風が吹いていた日が何回かありましたが、その際には今回のようにはっきりとした砂礫の移動は確認できなかったのです。 強い西風が吹いたとしても、それだけでは砂礫を移動させる力は大きくないのかもしれません。

 ただし、強い西風が砂礫を移動させる波を発生させている可能性を全く否定する事は出来ません。 前述したように、静岡の前浜でも、それぞれの場所ごとにその海岸線の向きや海底の状況は少しづつ異なっています。 ですから、強い西風が吹いている時でも、それぞれの場所によって波の立ち方が違っているのです。
 私が観察したのは、広い前浜の一部分でしかないのです。 私の知らない所で、砂礫を移動させる波が、西風によって発生していたかもしれないと考えています。

 砂礫を西から東へ著しく移動させる波は4〜5日続いたのではないでしょうか。私がそれに気が付いたのは2日目でした。 そして、最も激しく移動したのは多分3日目だったと思います。断定出来ないのは、私の観察が毎日ではなかったからです。

砂礫を激しく移動させる波は頻繁に発生している訳ではない
 7月17日のように激しく砂礫を移動させる波が、いつでも発生しているのではありません。もし、いつでも発生しているのだとしたら、 私はもっと早くそれに気が付いていたはずです。いや、私に限らず多くの研究者も気が付いていたのに違いないのです。
 私の場合、砂礫浜の拡大を判断出来る場所にたまたま立つ事が出来ました。
 さらに、その当日と翌日に実際に砂礫が確実に移動している状況を運よく見る事が出来たのだと思います。

 普段でも砂礫は岸辺を左右に少し移動しています。岸辺を左右に移動する砂礫を見る機会は多くあります 。 どちらかと言えば、全く正面に打ち上げられてそのまま真っ直ぐ海に帰っていく波を見る機会の方が少ないのかも知れません。
 ですから、波打ち際の砂礫は常に移動していると言うべきかもしれません。 ただ、大量の砂礫が長い距離を早く移動する機会は多くはないのです。静岡の前浜では、そのような場合には砂礫は必ず西から東へ移動しています。

 砂礫浜では、海岸線方向には砂礫がほとんど移動しない期間や、ゆっくりと移動する期間が多くある一方で、 大量の砂礫が急速に移動する短い期間があるのです。その結果、さらに長い期間を考えた時、 岸辺を移動する砂礫は常に一方方向へ移動していると言えることになります。静岡の前浜の場合では、それは西から東へと移動しているのです。
 これらの事と、その移動の場所が限られている事が、砂礫浜での砂礫の移動を分かり難くしている事の一因でもあると思います。

海岸線方向に波によって移動する砂礫の疑問点
 河口ではない、つまり、その前の海底に大量の土砂がある訳ではない海岸の岸辺で砂礫が移動していることは、 この目で確かめる事が出来ました。でも、新たな疑問が生じました。

 第一に、この場所に移動して来た砂礫はどこからやって来たのでしょうか。
 第二に、この場所の砂礫の著しい移動は4〜5日続いたはずですが、この場所の砂礫浜は2日目に見たときから成長しなかったのです。 一日で10mも成長したのに、どうしてその後には成長しないのでしょう 。
 第一の疑問は、ほどなく解決しました。でも、第二の疑問の解決は容易ではありませんでした。

移動する砂礫の供給源
 砂礫はほとんど岸と呼ぶべき場所を移動していました。海に向かって砂礫浜を10mも前進させるほどに増えて堆積した砂礫も、 当然、岸を伝って移動して来たはずです。
 ですから、移動して来た砂礫の元はこの場所より西側の岸辺にあるはずです。

 この場所より約200m西には安倍川の河口があります。でも、砂礫は安倍川の流れによって移動してきたのではありません。 砂礫は岸辺を伝って移動して来たのです。海水の流れによって移動して来たのでもないのです。

 移動して来た砂礫の供給源は、安倍川の河口のすぐ東隣にありました。何の変哲もない唯の岸辺ですが、 その岸辺には他の岸辺にない特長がありました。少し波が高くなると、その岸辺の沖から波が立つのです 。

 他の場所でも大きな波が立つ時があります。でも、それらの場所では岸辺近くになった場所から大きな波が急激に立ち上がるのです。 そのような時、つまり、他の場所の岸辺で大きな波が立つ時には、河口の東隣では岸からずっと離れた沖合から波が立ち上がります。 そして岸辺まで押し寄せて来るのです。
 これは、その沖合が他の場所より浅いから波が立ち上がり、波が立ち上がるから土砂が岸に押し寄せて来る事を表わしていると考えられるのです。

 河口東側の海に面した岸辺に、増水時に流れた土砂が大量に堆積する事はありません。これは、先に記述した河口を横断する砂州の所で明らかになりました。 規模の大きな増水時に、河口から流れ出る土砂が河口の東西の岸辺に直接多く堆積する事は無いのです。

 右岸からの砂州が延びれば、安倍川の流れは河口の東側に向かいます。増水が終わっていなければ、 流れる土砂も当然河口の東側に向かって流れます。でもそれらは河口東側海岸の岸辺ではなくその沖に向かって流れ出しています。
 増水が終わってしまえば、安倍川の流れ出しが左岸近くを流れたとしても、土砂の流下そのものがほとんど無くなっています。 やはり、土砂が直接に河口東側の岸辺に流れ着く機会は多くありません。

 ですから、河口東側海岸の岸に堆積した土砂は、そのほとんどがその沖合から波によって運ばれて来たと考えるしかないのです。

安倍川河口東側海岸の岸辺
 安倍川河口東側海岸の岸辺は、東岸の沖の浅い海底に堆積した土砂が打ち寄せて来て集積する場所であり、 同時に三保海岸にまで届く砂礫の移動の出発地点でもあったのです。
 砂礫を移動させる波が発生すればここから砂礫が移動していきます。それは、沖の浅い海底から砂礫が押し寄せて来る時でも、来ない時でも同じです。

 沖から砂礫が押し寄せた結果、岸辺に集積している砂礫が多い時には、 この岸辺の海岸線はそれより東側の海岸線の方向と同じような方向である時が多いのだと思います。 この事により、この場所から砂礫が移動していく時には、それより東側の海岸でも同じような砂礫の移動が発生するのだと考えられます。

 岸辺に集積している砂礫が少ない時には、つまり、沖から打ち寄せる砂礫量が少ない時には、砂礫が移動していくばかりなので、この岸辺も浸食されます。 でも、この岸辺の西端は安倍川の河口です。ですからその時には、この岸辺の海岸線は西側の河口に近い場所ほど陸地に向かって後退します。

 河口に近い場所が浸食されて後退しますから、海岸線の方向も変化して砂礫を移動させる波も弱くなります。 そして、砂礫を移動させる波が発生しても、河口に近い場所ほど砂礫の移動量が少なくなります。
 つまり、岸辺に集積している砂礫の量が少なくなれば、そこから移動していく砂礫の量も少なくなり、 この岸辺がそれ以上に浸食される事が少なくなります。
 安倍川河口東側の岸辺がより強く浸食される時には、この付近全体が陸地に向かって大きく後退するのだと考えられます。

 私が観察していた間では、安倍川河口東側海岸の岸辺(風車前)付近の海岸線が大きく後退している期間が比較的に多いような印象がありました。 でもそれとは逆に、この付近が海に向かって前進している機会もありました。さらには、この付近が直接安倍川の流れ出しになっていた事もあります。
 安倍川河口東側海岸(風車前)付近の岸辺は、砂礫が集積したり、それらが移動したりして、海岸線のありかが変遷し易い場所です。 しかし、この場所だけが、安倍川河口から流れだした砂礫が、静岡の前浜に移動していくための唯一の受け入れ口なのです。

砂礫が東へ移動した時の河口東側海岸の状況
 7月16日から数日続いた砂礫の移動の供給源は河口東側海岸の岸辺でした。 それは、右岸からの砂州が延びたので安倍川の増水の流れが河口東側海岸の沖に向かい、河口東側海岸の沖に土砂が堆積した結果によるものでした。

 砂礫の移動とそれによる砂礫浜の拡大を確認したのは7月16日でしたが、その前日の15日には砂礫の移動と砂礫浜の拡大の準備がなされていたのです。 それに気が付いたのは、後日、写真を整理していた時でした。


左写真 7月15日の安倍川河口東側海岸の様子。
 右岸からの砂州が左岸に向かって延びていましたが、13日に増水があり、河口右岸側の砂州のかなりの距離が流失しました。 途中まで延びた河口の砂州はほぼ中央に取り残されました。取り残された砂州の東端も、増水によって少し流されたのではないかと思います。
 増水から減水しつつある安倍川は、砂州が切れた右岸近くと、写真にある左岸寄りの2ヶ所から流れ出していました。 中央前方に見えるのが取り残された砂州です。その右が安倍川の流れです。安倍川は東南方向に向かって流れています。 写真左側が河口東側海岸に沖から押し寄せる波で、沖でも、比較的岸に近い所でも波が立ち上がっています。

右写真 7月15日、同じ時の左の写真の東側です。右奥に取り残された砂州が見えます。
 安倍川の海への流れ出しの沖で発生している波は川上には向かわず、河口東側海岸に向かっています。
 先に掲示した7月15日、左岸第一消波ブロック前の写真を参考にして下さい。 ここで示した写真とそれほど違わない時間に写したその写真では、岸から離れた場所で発生している波はありません。この日の波は大きなものではありませんでした。

安倍川河口東側海岸のサーフィン
 波が大きい時、この付近の沖にはサーファーが集まります。
 河口を横断する砂州が左岸に届くように伸びて来ると、砂州の先端付近から砂州が延びるその先の沖合いに、サーフィンに 好都合な波が遠くから立ち上がることがあります。この時、この波は砂州の方向に向かうのではなく、安倍川東側海岸の岸辺に向かっています。

 ここは、左岸に立つ風車のまん前です。ここには海岸線に直角方向にテトラポッドが設置されています。 このテトラポッドの左右100m位づつの岸辺が沖からの砂礫が集積する場所であると考えられます。


左写真 7月21日に風車前を西から東へと順に写しました。
 最も西側の写真。釣り人の向こう側に見えるのが右岸から延びてきた砂州です。 砂州の先端に見える波は先端に出来た浅瀬を覆う波です。釣り人の足元と砂州の間が安倍川の流れです。

右写真 砂州の先に出来た波とは別に風車前の沖で発生している波。
 岸の正面に向かう波の方向から考えて安倍川の流れの影響によるものとは考えられません。 もし、安倍川の流れの影響を受けているとすると、波の方向は正面の岸よりも西に向かっているはずです。



左写真 上の写真と同じ時。沖合の波の東側。河口東側海岸より東側には沖で発生している波はありません。

右写真 上の写真と同じ時。釣り人の向こうにも、沖で発生している波はありません。



左動画 7月31日、風車前(河口東側海岸の直角テトラ前)に押し寄せる波。小さく見えますが決して小さくはありません。
 この時には左岸からの砂州も延びていました。流木による小屋掛けはその砂州の上にあります。 その向こうに安倍川の流れが見えます。安倍川の流れ込みに向かっても波が発生しています。右側の陸地にあるのが直角に並んだテトラです。

右動画 7月31日、風車前沖の波を楽しむサーファー。
 左側の写真の場所の波を西側から写しました。この付近の他には沖から発生している波は見当たりません。

風車前の沖に集まる土砂
 風車前の沖に土砂が集まるのには幾つもの要因が重なっていると思います。これまでに考察した、 河口から排出される土砂と砂州の状況から推察してみます。

 最初に、規模の大きな増水の際の状況を考えてみます。
 河口の砂州を流失させてしまうほど規模が大きな増水の場合では、河口から排出される大量の土砂の大分部は海底深くに落ち込んでしまいます。 それは「砂州の出来方」において説明した通りです。

 それでも、河口東岸の沖に土砂は全く堆積しないのだとも考えられません。何故なら、河口の沖には西から東へ流れる海岸流があります。
 さらに、増水の規模が特別に大きかった場合にも河口東岸の沖に土砂が堆積すると考えられます。特別規模が大きな増水の場合であったなら、 安倍川の東岸からも大量の土砂が排出されます。ですから、その時には排出される土砂の一部が河口東岸の沖にも堆積すると考えられます。

 そうであるにしろ、規模の大きな増水の際に河口東岸の沖に堆積する土砂はそれほど多くはないと考えられるのです。安倍川から排出される膨大な土砂の量を考えたなら、河口東岸の沖に堆積する土砂の量はごく僅かと言えるでしょう。

 次に、増水の規模がそれほど大きくない場合を考えてみます。
 通常の規模の増水であったなら、河口の砂州を流失させる事は多くはないでしょう。 河口東側に口を開けた流れ出しから、増加した水と一緒に土砂もまた河口東岸の沖に向かって排出されることが考えられます。

 先に説明した7月16日前後の状況はこの場合に相当するでしょう。 但し、この時には増水の排出口は2ヶ所に分かれて、河口東側だけでなく右岸近くからも相当の水量が流出していました。
 もしも、この時に排出口が河口の東側だけだったとしたら、もっと多くの土砂が河口東岸の沖に向かって排出されていたのに違いないのです。

 右岸からの砂州が延びている時に、通常の規模の増水があったならば河口東岸の沖に土砂が堆積する事が多いと言えそうです。
 ただ、砂州が左岸に届くほど近くに寄っていた場合では少し事情が異なる事も考えられます。 6月6日のように、河口からの流れ出しが左岸に極めて近付き同時にその排出口を小さくした場合では、 通常の増水であったとしても河口の砂州の一部を流出させる事があると考えられます。

 つまり、河口の砂州がある程度延びた状態で、河口からの流れ出しがある程度広い場合に、 適度の規模の増水があれば、河口の東側から河口東岸の沖に向かって排出される土砂が増加する。 そして、河口東岸の沖に堆積する土砂も増加すると言えるでしょう。

河口東側の岸に集積する砂礫と、河口を横断する砂州になる砂礫
 河口東側の沖に集まる土砂については、ある程度解明出来たのではないかと思うのですが、分からない事が残っています。

 河口東側の沖に集まる土砂が波によって河口東側の岸に集積するのですが、河口を横断する砂州が左岸に近付いた時にも、 ほぼ同じような場所から砂州に向かって砂礫が移動しているのです。
 河口東側付近の沖にある土砂は、河口から東へと離れた場所にあるほど、河口東側の岸に集積し易いと考えられるのですが、 では、その境界は何処にあるのでしょう。それらは全くの地続きの場所です。もしかすると、同じ場所かも知れないとも考えられるのです。

 河口東側の岸に集積する砂礫と、河口を横断する砂州になる砂礫とが区分けされるのは、 それがある場所が最も関係していると思いますが、それだけでしょうか。風向きや、沖のうねりや、生成した波も関係しているのではないでしょうか。
 これを解明するのには、もっと詳細で長期間に亘る観察が必要なことでしょう。 但し、その詳細が分からないままであっても、その状況を知るのは容易です。それは、それぞれの場合で波が向かう方向が異なっているからです。 これは、既に示した幾つかの写真によって明らかになっています。

安倍川から第一消波ブロックに至る砂礫の移動
 ここでもう一度、安倍川から第一消波ブロックに至る砂礫の移動を順番に考えてみます。

1)安倍川の増水
 安倍川で増水があると土砂が流れ下り駿河湾に排出されます。
 安倍川では一般的な河川での中流域がそのまま海に接続していますから、 排出される土砂は土や砂だけでなく砂利や石がとても多い特徴があります。 また、大量の土砂が海に流れ込むので、その結果として河口を横断する砂州が生じています。

 増水によって大量の土砂が駿河湾に排出されますが、駿河湾は深い海底を持っていますから、多くの土砂は急峻な海底を下って海の底深くに沈んで行きます。 安倍川から排出された土砂の中でも、浅くて河口に近い場所に堆積した土砂だけが河口を横断する砂州を形成します。

 安倍川から排出されて浅い場所に堆積する土砂の中の一部は、河口からやや離れて河口左岸の沖にも堆積します。 これは、河口に出来る砂州や沖を流れる沿岸流の影響によるものです。

2)安倍川河口東側の沖に堆積した土砂
 海岸では、岸近くで海底が浅くなった場所から波が立ち上がります。波が大きくなると小さな波の時よりも深い場所で波が立ち上がります。 それらの波は海底の土砂を海岸に運び岸辺に打ち上げようとしています。

 安倍川河口東側の沖に堆積した土砂の場合でも、同じことが生じています。波が大きくなる時、左岸の沖から幾つもの波が立ち上がります。 波が小さな時では岸近くで波が立ち上がります。これらの波はそれぞれに海底の土砂を河口東側の岸辺に運んでいます。

 海岸では、その大小があるものの常に波が立ち上がっています。 ですから、安倍川河口東側の沖で一定の深さより浅い場所に堆積した土砂は、そのほとんどが河口東側の岸辺に運ばれていると考えられます。
 安倍川河口東側の沖以外の場所で、これほどに遠くから波が立ち上がる場所はありません。 安倍川河口東側沖の浅い場所に堆積した土砂だけが河口東側の岸辺に移動して集積します

3)安倍川河口東側の岸辺から砂礫が移動を始めます
 安倍川河口東側の岸辺から砂礫を東へ移動させる波は特別な波です。 波が立ち上がる時に西から東へと順に立ち上がり、同じくその順に崩れる波だけが砂礫を移動させる事が出来ます。 その波は海岸線に対して平行ではなく角度を持って立ち上がっている波だと考えられます。

 この波が生じた時、打ちあげる波は西から東へと岸辺を駆け上がります。砂礫もそれにつれて西から東へと移動します。
 引き戻す波は、多くの場合でそのまま海へと戻ります。 しかし、打ち上げる波が大きくて強い時には、引き戻す波も西から東へと引き戻されます。 このような時には大量の土砂が急速に移動しています。ただし、このような機会はあまり多くはないと考えられます。

 砂礫の海岸線方向への移動を可能にする波は、それが発生すれば常に砂礫を移動させます。 安倍川河口東側の岸辺から東へ向かって砂礫を移動させるだけではありません。 安倍川河口東側の岸辺よりも東側においても砂礫をさらに東へと移動させます。 しかも、その場所に移動して来た砂礫があっても無くても砂礫を移動させます。

 これら砂礫の移動は不定期で断続的です。また、海岸線の全ての場所で同じ時間に同じように生じている現象ではありません。 また、砂礫が移動する距離もその時々によって異なっています。さらに、その際に移動する砂礫の量もその機会ごとに異なっています。

 これらの現象は、自然状態の海岸線で生じるものであり、消波ブロックが設置されている海岸では発生するのが困難です。 ほとんど陸地と言うべき場所を砂礫が移動するのには、その浜辺が自然状態である事が条件です。

海岸を移動する砂礫のそれぞれの過程
 砂礫浜には、ほとんど陸地と呼ぶべき岸辺を伝って砂礫が移動して来ます。その移動を生じさせる波が発生する時期は不定期で、 その波が砂礫を移動させる力もそれぞれに異なっています。でも、そこでは、その波が発生しさえすれば、砂礫浜の岸辺を伝って砂礫は移動します。

 河口東側の岸辺には、その沖の浅い海底に土砂が堆積してさえいれば砂礫が集まって来ます。 その期間さえ限らなければ、河口東側の沖の一定の深さより浅い場所に堆積した土砂は必ず河口東側の岸辺に集積するのです。
 したがって、河口東側の沖の一定の深さより浅い場所に堆積した土砂の量が、静岡清水海岸の砂礫浜を生成する能力そのものを現していると考えられます。

 安倍川の増水、河口東側の沖の浅い海底に堆積する土砂、堆積した土砂を岸まで運ぶ波、岸辺に集まった砂礫を移動させる波、 これらはすべてそれぞれに異なった事情の元で発生している個別の現象です。
 安倍川の増水から始まり第一消波ブロックにまで至る砂礫の移動は、いちどきに発生している現象ではありません。 それは、幾つかの過程に分かれていて、それぞれの過程で生じている現象が連鎖している事による結果にすぎません。

 静岡の前浜が浸食される以前には、たまたま、これらの現象が安倍川の左岸で秩序良く生じていたから砂礫の浜が形成されていたのです。 自然は、砂礫の浜辺を形成しようとして、これらの現象を発生させていたのではありません。
 ですから、これらの現象のそれぞれの間で整合性が無くなれば、あるいは個々の現象で不都合が生じれば、 結果としての安倍川からの新たな砂礫の移動は実現されません。
 つまり、砂礫浜は浸食されて消滅していきます。

移動して来た砂礫とその堆積
 砂礫が岸辺を東へ移動する仕組みと、その供給源はほぼ解明出来たと思います。しかし、問題が残っています。
 砂礫の移動は5日ほど続いたのに、砂礫浜が海に向かってそれ以上に前進しないのは何故でしょう。 1日目は確実に10mも前進したのに、後が続きません。
 この問題を解決するためには、砂礫が岸辺を伝って移動した後の現象を考えなければならないようです。



ステップ

ステップの存在
 先の「砂礫浜を考える(静岡の前浜の場合)その1、その2」で記述した砂礫浜のステップ (岸近くの浅い海底で海に向かって出来る棚状の小地形)に関連する文章について、ある先生から以下のような御指摘を頂きました。
 「・・・・・使われている浜の区分は、大陸地域の海岸についての区分であり、日本の海岸には適用できない問題も多いと思います」。

 砂礫浜や砂浜の研究者や専門家では無く、関連業者でもない私にとって、この指摘はありがたいものでした。 ステップの存在について知ったのはWEB上に記述があったからであり、 それが学会や業界でどのような評価をされているのかは知る由もありませんでした。
 ですから、素人の私にわざわざそれについてお知らせ下さった先生に感謝しています。 また、先生の研究に対する真摯な態度を尊敬するものでもあります。

 先生が指摘されたのは、いわゆる砂浜をどのように区分するかの問題です。
 一般的に砂浜と呼ばれる海岸の地形は、ほとんど砂ばかりの「砂浜」と砂利や石が多く含まれている「砂礫浜」に区別する事が出来る。 「砂礫浜」の特徴としてステップ(岸近くの浅い海底で海に向かって出来る棚状の小地形)の存在がある。 これらの事が外国の学者によって明らかにされているのです。

 私がWEBにて読んだのは、その考えを紹介する日本語のページでしたが、その考え方は私を納得させるものでした。 ですから、私は、先の「砂礫浜を考える・・・・」でも、この章でも静岡の前浜を「砂浜」とは呼ばないで 「砂礫浜」として明確に区別しているのです。

 先生の指摘は「砂浜」と「砂礫浜」の区別は日本においては困難だと考えられている事をお教え下さったのだと思います。 おそらくこれは、先生個人の考え方であるより日本の学界における一般的な考え方でなのではないかと思うのです。 

 しかしながら、先生の指摘は、ステップの存在についての私の考えとは相入れないものでした。私はこの指摘に納得出来ないのです。 私は「砂浜」と「砂礫浜」を区別する事を支持し、ステップの存在を支持しているのです。 
 それと言うのも、砂礫浜で生じている様々な現象を考えた場合、 ステップ(岸近くの浅い海底で海に向かって出来る棚状の小地形)があると考えた方が合理的であるからです。 と言うより、ステップが無いとして考えた場合では、砂礫の移動による砂礫浜の生成を合理的に説明出来なくなるのです。
 残念な事に、私自身はステップの実在を確かめ証拠として提出する事が出来ません。ですから、海中を測量して確かめる替わりに、 その周辺で生じている事実とそれらを理論づけることによって、その存在を明らかにしようと思います。

安倍川河口の砂州と砂礫浜
 先に、安倍川河口右岸から延びる砂州の生成について説明しました。この砂州の生成を普通の砂礫浜の生成と同様に考えることは出来ません。

 河口右岸からの砂州ではその前面の海底に安倍川から排出された大量の土砂があるから、砂礫浜が生成されているのです。 言い換えると、河口右岸から延びた砂州として生成された砂礫浜は、砂礫の供給源に面した場所に生成された砂礫浜なのです。
 これに対して、一般的な砂礫浜では砂礫の供給源から離れているのが普通です。 ですから、河口の砂州の例をもって、供給源から離れている場合の多い普通の砂礫浜を説明するのは妥当だとは言えません。

 そこで、砂礫の供給源から離れた砂礫浜と河口の砂州の場合とを比較しつつ、砂礫浜における砂礫の移動と浜辺の生成を考えて見ました。 その結果、供給源から離れている砂礫浜の生成における問題点が二つの事に集約出来ると思いました。

 一つは、砂礫の移動と堆積の現象がそれぞれに生じている時間に関する問題です。言い換えると、 砂礫が浜辺に移動して来る時間と、それらの砂礫が打ち上げられて浜辺に堆積する時間とが、いつでも一致しているとは限らないことを考える必要があるのです。
 砂礫が移動して来る期間は限られているのです。それに対して、砂礫浜に砂礫を打ち上げて堆積させる波はいつでも発生しているのです
 河口の砂州の場合では、この問題を考える必要はないのです。

 もう一つ考えなければならないのは、砂礫浜の傾斜の問題です。安倍川河口砂州の前面の海底の傾斜と、 供給源を離れた場所の砂礫浜前面の海底の傾斜では、後者の方が傾斜が急激なのだと考えています。
 河川の土砂が流れ込んでいる河口前面の場合では、海底の傾斜は河川の傾斜から連続していますから、比較的緩やかな傾斜ではないでしょうか。
 それに対して、陸地からの土砂の流入が望めない海岸では、海底の傾斜は急激なものになり易いのです。 特に、砂礫浜ではその傾向が顕著なのだと思います。傾斜が急な砂礫浜の海底斜面では砂礫が海底深くに落ち込んで行き易いのです。 つまり、移動して来た砂礫は海底に落ち込んで行き易いのです。

 砂礫浜にステップが存在すると考えた場合、この二つの問題も合理的に解決出来て、砂礫浜の生成の説明も容易なのです。
 ですから先に、ステップがあるものとして考えた場合の砂礫浜の生成を考えてみます。 その中で、ステップの存在の必然性とそのその役割についても考えたいと思います。

ステップの出来方
 打ち上げる波によって移動する砂礫は、供給源である河口近くの岸辺から普通の岸辺に移動して来ます。 そこでは、移動して来た砂礫の全てが陸地に打ち上げられるのではありません。

 最初の「簡単な実験」で明らかになったように、 打ち上げられて陸地に堆積するのは、時折ある大きく打ち上げる波によって高い所まで移動した土砂に限られます。 移動して来る砂礫のほとんどは、移動しながら岸辺と近くの海中とを行ったり来たりしています。
 大きな波が発生している時でも、移動して来た砂礫の全てが砂礫浜に打ち上げられているのではありません。 小さな波になればなおさらです。

 移動して来た砂礫は、陸地に打ち上げられるか、陸地と海底を行ったり来たりしているのか、 再び他の場所に移動していくのか、浅い海底に止まっているのか、或いは深い海底に沈んでいくのか、のいずれかの状況に置かれると考えられます。
 砂礫が移動している時、それらの砂礫の大部分は、陸地の海面に近い所から海底の浅い場所に至るどこかで動き回りつつ留まっていることが多いと考えられるのです。 或いは動かずにその場所にあるのかも知れません。やがて、砂礫の移動が止まった時でもそれらの砂礫はその場所に留まり続けていると考えられるのです。

 供給源から移動して来る砂礫がいつもあるわけではありません。どちらかと言えば移動して来ない時や僅かしか移動して来ない時間の方が多いのです。 そのような時であっても、打ち寄せ引き戻す波が止む時はありません。 絶え間なく波が打ち寄せ打ち上げられている事を考えれば、砂礫が移動している時間は余りに少ないと言えるでしょう。

 ここで考えなければならないのは、岸辺の傾斜と砂礫の性質です。
 波によって浸食される浜辺の地形は、その浜辺を構成している土砂の違いによってその傾斜が異なっています。 砂地は緩やかに、砂礫の浜は少し急に、岩礁地帯は岩礁の姿そのままに。
 浜辺を形成する土砂が砂利混じりの砂礫である場合は、その浜辺の傾斜は砂浜の場合より急になるのが普通です。

 砂礫浜の海面に近い陸地や海底の浅い所に止まった多くの砂礫は、波が洗う砂礫浜の急な斜面に取り残されています。 砂礫浜だから急な斜面や急な海底でも取り残されるのです。これが砂だったら急な斜面や急な海底に止まる事は出来ません。
 移動した後にとどまった砂礫のうち一部は陸地に止まり、大部分は海底に止まります。

 砂礫が多く移動する場所は、波が行き来する斜面ですから、それより低い場所の浅い海底に砂礫がとどまるのは自然な事だと言えるかもしれません。 その海底の砂礫が、少しずつ堆積して出来上がるのがステップだと考えられるのです。
 つまり、それらの土砂が砂礫だから、急激に落ち込んで行く海底の斜面の上部に止まっている事が出来ると考えられるのです。

ステップ上の砂礫と砂礫浜
 供給源から移動して来た砂礫が多いほどステップは大きくなります。
 移動して来て直ちに浜辺に打ち上げられるのはそれらの内のごく一部です。岸辺を行ったり来たりした後に一部が海底に落ち込んでも、 大部分の砂礫は浅い海底に堆積して、次に陸地方向に打ち上げられるまで、或いは再び移動するまで、 或いは海底に沈みこんで行くまで、その場所にあると考えられるのです。

 砂礫を移動させていた波の方向が変化して岸辺での砂礫の移動が終わったとしても、浅い海底(ステップ )に砂礫があれば、 そこから砂礫の打ち上げ作用は続けられます。砂礫を移動させる波がその作用を終えたとしても、波そのものはいつまでも続いているのです。
 浅い海底(ステップ)に砂礫があるから、それらの砂礫は次第に浜辺に打ち上げられ堆積していくのだと思います。

 直ちに深い海底に沈んでいくのは、ステップを外れた砂礫に限られます。ステップの外側には再び急傾斜の海底が形成されます。 ステップの外側は、ただ深くなっていくばかりで波による影響を受ける事が少なくなります。
 逆に、ステップの内側は波の影響を受け易いのです。その外側より浅くなりますから、波が発生し易くなります。 ですから、ステップのある場所の砂礫は陸地に向かって打ち上げられ易くなっています。

ステップが無いと考えた場合
 もしステップが無いとしたら、砂礫が移動している時にだけ砂礫浜に砂礫が堆積する事になります。
 波が発生する場所の砂礫だけが砂礫浜に打ち上げられるのです。砂礫の移動が終了した後で、 波が発生する場所に、移動して来た砂礫が無ければその砂礫浜に新たな堆積が生じることは無いのです。 逆に言えば、移動してきた砂礫が海底に無ければ、その場所から波が立つことはないのです。

 大量の砂礫が移動している期間は決して長くはありません。砂礫浜に堆積している膨大な砂礫の量を考えると、 砂礫が移動している時にだけ砂礫が浜辺に堆積している事はあり得ないと思います。砂礫が移動していない時でも砂礫の堆積は続いているはずです。

 これらの事情は砂礫が砂礫浜から移動して去っていく場合でも同様に考える事が出来ます。 岸辺の砂礫を海岸線方向に移動させる波は、その条件がそろえば岸辺の砂礫を移動させます。
 砂礫が移動して来て砂礫浜が新たに海へと前進した場所でも、また、以前から砂礫が堆積していた場所でも、 その波が発生すれば砂礫は岸辺を移動して行きます。
 以前から堆積していた砂礫を移動させる時には、砂礫の移動が砂礫浜を浸食していると言えるでしょう。 この時、その移動は、波が海と陸地とを行き来している斜面で発生しているのです。
 このような場合であったとしても、ステップに砂礫があれば砂礫浜の浸食は穏やかなものになると考えられます。

 これらの事を考えると、砂礫浜にはステップがあると考えた方が自然です。

 さらに、海岸線を移動する砂礫がほとんど無い砂礫浜でも、ステップに似た形態の小さな地形があるのではないかと考えています。 つまり、波打ち際から海底に至る傾斜面は、直線的では無く、陸地に近いどこかに何らかの段差があることが考えられるのです。

 仮に、ステップ或いは似た地形が全く無いとすると、陸地と海中を行ったり来たりしている砂礫が海底方向に戻っていく時には、 その多くが海底深くに落ち込んで行く事になります。そうだとすると、陸地近くの砂礫は著しい速度で浸食されるのに違いないのです。 大きな波であろうと、小さな波であろうと、陸地から引き戻す波が発生する度に多くの砂礫が海底深く落ち込んでしまいます。

 簡単な実験で示したように、打ち上げる波も引き戻す波も常に同じ大きさなのではありません。 同じ時期に発生している波であったとしても、それぞれの波には大きさの違いがかなりあるのです。 ステップ或いは似た地形が全く無いとしたなら、波が大きく引き戻した時には多くの砂礫が海底に落ち込んでいくのではないでしょうか。
 砂礫浜が存在している場所で、実際にそのような極端な事態が発生しているとは考えにくいのです。

ステップの存在とその構造
 「砂礫浜を考える・・・・」で記述しましたが、昔、私が時々前浜に出かけていた頃には消波ブロックは全くありませんでした。 波が行き来する斜面の傾斜は現在よりずっと穏やかでその距離もありました。私が通ったのは大谷海岸が多かったのですが、 そこだけでなく大浜海岸でも同様だったと思います。

 「砂礫浜を考える・・・・」では、大きな波が立つ時の投げ釣りの方法として、波が引いた時に海に向かって走り寄って釣りの仕掛けを投げて、 波が打ち寄せて来る前に波が来ない場所まで戻って来ると説明しました。 今から考えると、多分、引き潮の時に大きな波が打ち寄せていたのでしょう。
 昔の前浜ではそんな事が可能でした。それは、波が打ち寄せ引き戻す斜面の傾斜が穏やかで距離もあったからです。 傾斜が穏やかでしたから、打ち上げる波も引き戻す波も長い距離を移動していました。

 現在の前浜でそんな事が出来る場所はどこにもありません。波が立つのは岸のすぐそばです。 それは満潮の時でも干潮の時でも同じです。もちろん、小さな波の時も大きな波の時も同じです。
 大きな波が海に引いた時に海に駆け寄ることなど考える事さえ出来ません。波が引き戻した斜面は海に向かって急激に落ち込んでいます。 波が行き来する斜面を駈け下りる気にはなれません。打ち上げる波はまた直ぐにやって来るのです。命を賭けて釣りの仕掛けを投げ込む事は出来ません。

 極めて陸地に近い場所を移動する砂礫は、波が強い時にはステップ上でも移動していることも考えられます。 なぜならば、先に砂礫の移動の説明で述べたように、岸辺を激しく移動する波があれば、その直近の海水も同じく移動していると考えられるのです。
 さらに、その場所がステップによって浅い樋状になっていたとしたらなおさらです。
 この事が「砂礫浜を考える・・・・」で記述した「ナガラミ」の移動の問題を説明しているのではないでしょうか。

 砂礫の移動量が多い場所のステップは大きく、移動量が少ないステップは小さいことも考えられます。
 先にご指摘頂いた場合を考えると、大陸では、河川は流域が広くて流下する水量も砂礫も量が多いのでステップが大きくなっているのではないでしょうか。 逆に、河川の流域が狭い日本では、砂礫の流下量が少なく水量の変化も大きいので、ステップが小さくなり易いのではないでしょうか。

 近年では砂礫浜が浸食されている事が多いので、ステップが小さくなっていてその確認が容易ではないことが考えられます。
 ここまでに説明して来た様々な事を考えれば、砂礫浜の海中にステップが無い状況がおかしいのであって、 逆にそれは、その砂礫浜が不自然な状況に置かれている証拠であると考えられるのです。

岸辺を伝って移動する砂礫とステップ
 岸辺を伝う砂礫の移動があるからステップが出来る。ステップがあることによって砂礫浜が成長することが出来る。 逆に、岸辺を伝う砂礫の移動が無い場所ではステップは出来ない。もちろん、その場合は砂礫浜が成長することは無い。そんな風に考えられるのです。

 ほとんど陸地とも言うべき場所で多くの砂礫が移動している事と、ステップの存在とを共に考え合わせると、砂礫浜の生成を合理的に説明出来ます。
 逆に、砂礫は陸地に近い所では移動していない、そしてステップは存在していない、と考えると、 砂礫の供給源から離れた場所の砂礫浜の生成を説明する事は極めて難しいのです。

 砂礫は大きな土砂を含んでいますから、通常言われる沿岸流(海岸流)によって移動出来るはずもありません。
 7月16日に砂礫浜の前進を発見した場所では2Kg以上もある石も移動して岸辺に打ちあげられていました。 「砂州の出来方」に掲載した動画でも、やはり大きな石を小さな波が岸辺に打ち上げていました。波の力を侮ることは出来ません。

 安倍川河口の砂州に打ち上げられた大きな石は、それ以前の増水の時に上流から流されて海に至ったものです。 つまり、安倍川から東に離れた砂礫浜に打ち上げられている大きな石が水流によって移動して来たとするのならば、 その時には安倍川での増水の時と同じような水流が必要なのです。
 静岡の前浜でそのような強力な水流の存在があるとの話を聞いた事はありません。もちろん、その存在を確かめたこともありません。


左写真 7月18日、安倍川左岸の第一消波ブロックの西側に打ち上げられた大きな石。 釣り竿の長さは112cm、ハンドルと取り付け脚を除いたリールの大きさは14×8cmです。

右写真 7月18日、左の写真と同じ時。渚には、砂だけでなく小さな石も大きな石も大量に打ち上げられています。 写真の中央、河口東岸の沖では岸から離れた場所から白波が立ち上がっています。

 砂礫浜に打ち上げられている大きな石は、岸辺を伝って移動した後に浜辺に打ち上げられたと考えるしかないのです。 陸地から離れた海底を砂礫が移動していて、それらの砂礫が打ち上げられているのだと考えることは出来ません。
 砂礫浜の砂礫の移動は、波の力によって岸辺を伝って生じていると考えるより他にはないのです。

 また仮に、砂礫の移動が、岸辺を離れた所で、我々の知りえない現象によって生じていると仮定したとしても、 それらの砂礫はどのようにして浜辺に打ち上げられるのでしょうか。

 海底の砂礫を岸辺まで運んで来る事が出来るのは波の力だけです。波打ち際を離れた沖合から岸に向かっている力は波の力の他には何もありません。 波だけが、沖にある海底の砂礫を岸辺に向かって運ぶ事が出来るのです。沿岸流(海岸流)が砂礫を岸辺近くにまで運ぶ事などありはしません。

 しかも、波が発生するのは海底の浅い場所に限られているのです。沖の深い場所にある砂礫が岸に向かって移動することはありません。 この事は、幾つも掲載した写真からも明らかだと思います。
 ただ、台風の時や津波の時などに、遠い沖から波が発生することがあるかもしれません。でも、それらが発生する機会はごく少ないのです。



大きな波

大きな波と特別大きな波
 ここまでで把握出来たのは、砂礫浜に砂礫が堆積する過程の初めの部分なのだと思います。 それと言うのも、ここまでは触れずにいた重要な問題が残っているからです。
 それは、大きな波や特別大きな波の存在です。大きな波や特別大きな波の問題を解明しなければ、 砂礫浜に砂礫が堆積する仕組みの全体を明らかにしたとは言えないのです。
 7月16日のように、砂礫浜が、海に面した場所から少しずつ沖に向かって成長していくだけなら何も問題はありません。 でも、実際にはそうばかりではありません。それが、時々発生している大きな波や、数年に何回か発生している特別大きな波の存在です。

 大きな波は割合と頻繁に発生しています。近くを低気圧が通過した時や強風の時などに発生しています。 また、特別大きな波は、台風や低気圧などが近くを通過した時や上陸した時に発生します。
 ここではそれらの大きな波と特別大きな波について考察してみます。ただし、特別大きな波であっても津波は対象外とします。 特別大きな波と津波とでどのような違いがあるのか無いのかも分かりませんが、津波は私の経験外の出来事であり、観察した事も無いのです。 ですから、とりあえず考察の対象から外します。

 特別大きな波が砂礫浜や砂浜に及ぼした被害を知らせる新聞記事を見る事があります。その多くは、 特別大きな波が海岸を襲ったので砂礫浜や砂浜が無くなってしまったと言うものです。
 もちろん、私は新聞記事を読むだけでその現地に行った事はありません。でも、それらの報道には事情が有ると考えています。
 それらの海岸で特別大きな波が発生したとしても、砂礫浜や砂浜が常に失われているのでは無いのではないか。 つまり、特別大きな波が発生しても、砂礫や砂が持ち去られる時もあれば、そうでは無い時もあると考えているのです。
 特別大きな波が発生した時に、砂礫浜や砂浜が失われれば新聞の記事になるのだと思いますが、 その時に、砂礫浜や砂浜に変化がなければ新聞の記事にはならないのでしょう。

 私はそれらの現場を確認していませんので、この考えにどの程度の妥当性があるのか分かりません。 でも、特別大きな波が海岸を襲う度にそれらの浜辺から砂礫や砂が消失してしまうのなら、 日本中の外洋に面した砂礫浜や砂浜はとっくの昔に無くなっている事でしょう。
 ここでは、特別大きな波が砂礫や砂を持ち去る時と、そうでは無い時、さらに新たに砂礫や砂を積み上げる時についても考えます。

中島海岸に残された流木
 2011年秋に大きな台風が2度に亘って静岡の近くを通過しました。 その時、特別大きな波、或いは大きな波が発生して静岡の前浜の景色にも大きな変貌をもたらしました。

 静岡の前浜のなかで、中島海岸は安倍川東岸から大浜公園付近までの区域を指します。 私がそれらの海岸を継続的に観察したのは2012年の6月からでしたが、それでも前年秋の台風による特別大きな波による影響は明らかに残っていました。
 最もよく分かったのは砂礫浜に残された大量の流木でした。これらの流木は、先に掲載した幾つかの写真にも写っています。 その後、これらの流木も2012年の秋までにはほとんどが撤去されたようです。

 特別大きな波が発生した後に残された流木からは、その時の波の大きさが分かります。海上を漂う流木が陸地に打ち上げられるのは、もちろん波の力によります。 そして、それらが取り残された場所のなかで最も海から遠い地点が、その時の最大の波が到達したおおよその地点を表わしています。
 中島海岸ではそれらの流木が砂礫浜を横断する列になって残されていました。

 中島海岸の堤防の直ぐ海側には、過去に安倍川の河川敷から直接運び込まれた大量の土砂が敷きつめられました。 それらの土砂は、西端の風車前から第一消波ブロック位までは、ほぼ運ばれた当時と同じように残っているようですが、 それより東では海側が次第に減少して大浜公園前ではほとんどそれを見る事が出来ません。

 元の砂礫浜より高く盛られたそれらの土砂は、東へ向かうほど盛られた幅が狭くなり、大浜公園近くに至ってはその高さも失っています。 運び込まれた土砂がどの程度積まれたのか定かではありませんが、 それらの土砂のうちのかなりの量が過去に発生した特別大きな波によって浸食されていることは間違いがないと考えています。

 中島海岸に残された流木が示す最大の波の跡は、それら運び込まれて残された土砂の縁に沿っていました 。 つまり、流木の多くは、運び込まれて残った土砂の縁にあったのです。特別大きな波は幾たびもそれらの土砂の壁に突き当たっていたのではないかと思います。
 ただし、流木は河口近くで極めて多く、東へ行くほどその量が少なくなっていましたので、大浜公園前付近の波がどこまで到達していたかは定かではありません。

中島海岸の浜辺の窪地
 もう一つ気が付いた事がありました。それは、砂礫浜に残された窪地の存在です。
 流木が示す最大の波の跡から波打ち際までの、砂礫浜の斜面の所々では窪地が横に連なっていました。 その窪地の多くは渚に平行しているものでしたが、所々で大きく蛇行もしていました。
 砂礫浜の斜面に、渚に平行した窪地が生じている様子は、他の場所でも見た事があります。 でも、それらはほとんど渚に近い場所に限られていました。中島海岸のように砂礫浜の奥にまでその現象が生じているのを見たことはありませんでした。 また、それらの窪地が大きく蛇行しているのも見た事がありませんでした。

 中島海岸では、流木が残された位置から、台風が通過した時の最大の波の到達点を知る事が出来ました。 そして、最大の波が到達した地点から渚へかけての砂礫浜の窪地の存在も知る事が出来ました。
 実は、砂礫浜のこれらの有り様に関して、それをはっきりと確認して、その意味する所を知ったのは7月16日よりだいぶ後の事でした。


左写真 7月21日、台風の時に打ち上げられた大量の流木。河川敷から直接運び込まれた土砂は崖になって崩れています。 前年秋の台風の時にここまで波が到達していました。

右写真 左の写真の近くです。同じく、台風の時に打ち上げられた巨大な流木群。堤防横に積まれた土砂の端が崩れて崖になっています。 写真では分かり難いのですが、流木がない場所では、浅い窪地が波打つように東西に続いている所が幾つかあります。



左写真 8月8日、第三消波ブロックの東側。向こうに見える消波ブロックの内側に向かって、少し深い窪地が手前から続いています。 その窪地は、より手前で右に方向を変えて海に向かっています。

右写真 左の写真付近から陸地側を見る。奥に大量の流木が見えています。安倍川の河川敷から運んだ土砂の丘の脇に流木が集まりました。 その手前が少し小高い嶺になって横に続いています。流木は決して不規則には散らばっていません。その多くが海岸線に平行した列を作っています。 より手前の小さな流木の集まりも、やはり列をなしています。この流木の列は蛇行もしています。



左写真 8月8日、右上とほぼ同じ場所付近から西方向を眺めました。右手の少し切り立った嶺の左が少し窪んでいます。 その左には小さな嶺があります。いずれの嶺も砂礫浜を東西に横断して続いています。

右写真 7月21日、河口の砂州で見た砂礫の嶺と窪地。波で濡れた嶺と少し乾いた窪地を挟んだ左手に嶺があります。 左の嶺は砂利の下に砂地が見えています。この窪地は小さなものです。

砂礫浜の縦断面の形状
 先に、河口を横断する砂州の構造について説明しました。
 河口の砂州の縦断面は、長辺を下にして、最短辺を海側にした三角形をしています。 この中で長辺と海側の短辺の構造は、砂礫浜に砂礫が堆積する時の基本的な形なのだと考えています。 特に、海側の短辺に堆積する砂礫の有り様は砂礫浜の成長の仕方そのものが表れていると思います。
 河口の砂州では打ち上げられる砂礫の量に限度がありますから、その形状がそれ以上に成長する事はありませんでした。 でも、通常の砂礫浜で砂礫の供給が順調に続く時にはこの形状も成長を続けることが出来ます。

 波が行き来する斜面は、砂礫浜全体の生成を考えた場合の成長点なのです。 時折発生する少し大きめの打ち上げる波が、三角形の頂点付近に土砂を積み上げています。 ですから斜面の上部に砂礫が積み重なります。
 上部だけでは重なり切れなくなった時には、砂礫はその下の斜面全体に広がっていきます。 これによって斜面は、その斜面の形を保ったまま少しづつ海に向かって成長して行きます。

 絶え間なく打ち寄せ駈け上る波が、浜辺の端に砂礫を運び込み砂礫浜を成長させています。 7月16日に第一消波ブロックの西側が海に向かって前進した時の状況は、このようになっていたと思います。 また、この場合では、波の大きさがほぼ同じ大きさだったからその形が保たれたと考えられます。

打ち上げられる波の先端
 普通の大きさの波の場合でも、その波が小さくなった時でも、大きくなった時でも、 陸地に打ち上げる波の先端では砂礫が打ち上げられて堆積しています。
 この時に打ち上げられている砂礫の量は波の大きさによって異なっていると考えられます。 波が大きい時ほど波の力が強くなり、打ち上げられる砂礫の量は多くなります。波が小さい時には、打ち上げられる砂礫の量は少なくなります。

 時々やって来る少し大きな打ち上げる波が、砂礫浜の海辺の端の高い場所に砂礫を堆積しているのは、 砂礫浜が海に向かって前進している時でも逆に陸地方向へ後退している時でも生じている現象です。

 砂礫浜が増大している時には、斜面には砂礫が堆積し易い状況にあるのではないでしょうか。 時々やって来る少し大きい打ち上げる波は、高い位置に砂礫を次第に積み上げていきます。 そして、波が打ち寄せ引き戻す斜面は少しづつ海に向かって前進していきます。

 砂礫浜が縮小している時には、砂礫が高い位置へ堆積しても、その下の斜面では砂礫が減少していきます。 高い位置へ堆積した砂礫も直ぐに崩れ落ちてしまいます。元からあった高い位置の砂礫も次第に崩れていきます。 その結果、波が打ち寄せ引き戻す斜面は次第に陸地へと後退していきます。

波の大きさと渚の縦断面
 第一消波ブロックの西側が海に向かって前進した時は、波の大きさが同じような大きさだったと考えられます。 では、立ち上がり砕ける波が小さくなったとしたらどうなるでしょう。

 当然、打ち上げる波も小さくなります。波が崩れた場所から陸地に向かって打ち上げる距離が短くなります。 また、打ち上げる波の先端が届く高さも低くなります。
 海と陸地を移動する砂礫も、積み上げられる砂礫の量も少なくなる事でしょう。 これは、砂礫浜の波が小さくなった時などを見ても間違いのない事だと思います。この時には三角形の短辺のそれまでの頂点に波が届くことはありません。

 立ち上がり砕ける波が大きくなった時も考えてみます。
 立ち上がる波の高さが高くなれば、崩れる波の高さも高くなります。波が高くなればそれだけ水量も増え、崩れる波の勢いも強くなります。
ですから、打ち上げる波が到達する距離も長くなり、到達する高さも高くなります。その波によって移動する砂礫の量も増えます。 波の先端に積み上げられる砂礫の量も増えます。
 三角形の頂点はより高くなります。さらに、ただ高くなるだけでなく、より海から離れた場所に、より高い頂点を新たに積み上げると考えられます。 この時には以前の頂点付近にあった砂礫は新たな頂点を構成する砂礫となっているでしょう。

 砂礫浜では、渚から離れた場所ほど海面からの高度が高くなっているのが普通です。それら渚から離れた場所の砂礫は、 波が大きい時に波によって運ばれ堆積した砂礫だと考えられます。

打ち上げる波が作る斜面
 波が崩れる場所から、打ち上げられた波が到達する最高地点までの斜面についてはもう少し考えなければならない事があります。 それは、この斜面が陸地に近付くほど急激に上昇する曲線であることです。

 この曲線は海岸のそれぞれの場所ごとに異なった形をしています。 その全体の長さがその時々の波の大きさによって決定されている事は既に説明した通りです。
 さらに、陸地に向かって上昇する曲線の傾きもそれぞれに異なっています。 これは、それぞれの場所ごとに砂礫の大きさや構成が異なっている事がその主な原因だと考えられます。 そして、この急激に上昇する曲線ではもう一つの可能性も考えられます。

 この斜面は、海に向かって前進する時と逆に後退する時とで、相反する現象がその時々に応じて発生している斜面です。 ですから、その時々の状況の違いが斜面の形状に表れている可能性があるのではないかと思うのです。
 つまり、海へ向かって前進する時は海からの砂礫が堆積するので、その斜面の曲線が緩やかなのではないでしょうか。 逆に、陸へと後退する時は多くの砂礫が海へと引き込まれますから、その斜面の曲線が急激なものになるのではないかと考えています。 

大きな波が発生した場合
 砂礫浜の海岸でも、大きな波がいつでも発生しているのではありません。ほとんど波が生じない機会も多くはありません。 普段は、ありふれた大きさの波が絶え間なく岸辺に押し寄せているだけです。でも、海岸にはやがて大きな波がやって来ます。

 大きな波の場合であっても、小さな波が突然に大きな波に変化する訳ではありません。 小さな波は少しづつ大きくなってやがて大きな波になるのです。これは台風や低気圧の影響によって波が大きくなる時でも同じです。
 つまり、波が大きくなる時は波の大きさが連続して変化して大きくなると言う事です。 当然、小さくなる時でも連続して変化して小さくなっていきます。

 大きな波が発生すると打ち上げる波は、それまでにあった渚よりも陸地の深くにまで侵入します。
 波が変化して次第に大きくなっていく過程で、それまで堆積していた砂礫浜の多くの砂礫が削り取られて移動を余儀なくされます。 それらの砂礫の多くは打ち上げる波や引き戻す波によって、海へと陸地へと繰り返し移動しています。 波が大きくなっていますからその移動する距離も大きくなっています。移動している砂礫の量も大きく増えているのに違いありません。

 大きな波が最も大きくなった時には、打ち上げる波は、それまでで最も陸地の奥の最も高い位置にまで届いています。 これは、海と陸地を行き来する砂礫の量が最も増えている時でもあります。時々やって来る大きな波は、最も陸地の奥の最も高い位置に多くの砂礫を積み上げる事でしょう。
 しかし、大きな波が最も大きくなる時間は、それほど長くは続きません。やがて、波は少しづつ小さくなっていきます。

 大きな波が少し小さくなれば、打ち上げる波が届く距離も少し短くなります。打ち上げる高さも少し低くなります。 波の大きさは少しづつ小さくなっていきます。
 大きな波から普通の波の大きさに戻る過程でも、波は、海と陸地を前後に移動しつつ砂礫を陸地に積み上げますから、 新た堆積した砂礫浜が再び海に向かって前進します。
 この時に新たに堆積する砂礫は、そのほとんどが、従来から堆積していて波が大きくなる過程において移動を余儀なくされていた砂礫です。 その砂礫は波が大きくなった場合ほどその量が増えています。 ですから、全く新たに渚が前進する場合よりも短い時間で旧来の砂礫浜を回復するのではないかと考えています。

 こうして、波が通常の大きさに戻った時には、元の砂礫浜が同じように復元されます。 この時、砂礫浜の景色が、大きな波がやって来る前と変わらなかったとしても、砂礫浜を構成している砂礫のほとんどが元の場所から入れ変わっていることになります。

中島海岸の窪みのわけ
 上段では波の大きさの変化を一様なものとして記述していますが、実際にはそれほど単純なものではないと考えられます。 僅かな天候の変化によって、波の大きさやその方向はしじゅう変化しています。 小さな波が大きな波に変化する過程でも、大きな波が小さな波に変化する過程でも波の大きさの変化の仕方が一様である事は少ないのです。
 これらの事情につけ加えて、潮汐による海水面の変化が生じています。 海水面の前進や後退によって、立ち上がり崩れて打ち寄せ引き戻す波の位置が変化します。
 打ち上げられる砂礫の量やその位置は常に変化していると考えざるを得ません。

 中島海岸で見る事が出来た砂礫浜の窪みや段差は、大きな波が小さな波に変化していく時の変化の仕方が一様では無かった事が原因だと考えています。 海と陸地とを移動して積み上げられる砂礫の量が変化していたのかもしれません。或いは、潮汐の影響も考えられます。
 大きな波が急に小さくなって再び大きくなったり、斜面に積み上げられる砂礫の量が急激に減少したり増加したりしていたことが考えられるのです。 また、干満の差により砂礫が積み上げられる位置が移動していたのかも知れません。

 そして、その窪みが蛇行していたのは、消波ブロックが設置されていた事により、 砂礫を運び込んだ大きな波が消波ブロックを回り込んでいた事によると考えられます。

大きな波によって砂礫浜が小さくなる時、大きくなる時
 打ち寄せる波が、普通の波から大きな波に変化してその後に再び普通の波に戻るまでの過程で、 海と陸地を移動する砂礫が他の場所に移動してその量が減少していれば、前述の様子とは異なった状況になります。
 この場合、再び堆積する際の砂礫の量が減るのですから、新たに堆積する砂礫浜が小さくなります。 砂礫浜が海に向かう距離が短くなると思います。
 逆に波の大きさが変化する過程で、海と陸とを移動する砂礫の量が増加すれば砂礫浜の大きさが大きくなります。

 海と陸地の間を砂礫が移動する斜面は、同時に、砂礫が海岸線方向に移動する斜面でもあります。 波が大きくなった時にその波が砂礫を海岸線方向に移動させる波であった場合には、その斜面へと移動して来る砂礫も、 移動して行く砂礫もその量が増えています。その波が大きな波であるほど砂礫浜の縮小増大に及ぼす影響は大きいのです。

 このような時に、ステップの存在が砂礫浜の縮小増大に果たす役割は大きなものがあります。
 波が大きくなった時には、それまでより深い場所から波が立ち上がり、より多くの砂礫が岸辺に打ち寄せられます。 ですから、この時にステップ上に大量の砂礫があれば、それまでより多くの砂礫が陸地に打ち上げられます。 打ち上げられる砂礫の量が増えますから砂礫浜は増大します。
 もしこの時の波が砂礫を海岸線方向に移動させる波であり、供給される砂礫が無く移動していくばかりであったとしても、 砂礫浜の縮小の程度は少なくなると考えられます。

 もし波が大きくなった時にステップが無かったとしたら、波が大きくなって再び普通の波に戻ったとしても、 砂礫浜が大きくなる事はないのです。波が大きくなった時には、 引き戻されて海底に落ち込んで行く砂礫が増える事も考えられますから、どちらかと言えば砂礫浜が小さくなる可能性が大きいのではないでしょうか。
 また、波が大きくなって再び普通の波に戻る時に、その波が砂礫を運び去る波だったとしたら、砂礫浜はより大きく浸食されるのに違いないのです。

特別大きな波と堤防
 大きな波が堤防にまで達する事があります。これを特別大きな波と呼ぶことにします。 特別大きな波が時々堤防にまで届くようになると、波と砂礫浜の関係は前述までとは異なった状況になります。

 波が堤防に届く前までは、砂礫は砂礫浜に打ち上げられて、その先端でその場所に止まり続けていました。 しかし、波が堤防に届くようになると、砂礫が陸地に打ち上げられても波の先端に止まり続ける事は無くなります。 波にその力があったとしても、砂礫を止まらせる陸地が無いのです。

 波が堤防に届く前までは、打ち上げる波の先端になるほど海水が陸地に浸み込んでいました。 つまり、打ち上げる波の先端になるほど引き戻す波の水量が少なかったのです。しかし、波が堤防に届くようになれば、この状況も変わります。
 打ち上げる波の先端であっても海へ戻る海水の量が減少する事はありません。打ち上げた海水の量のほとんどがそのまま海に戻っていきます。

 ですから、極めて大量の砂礫がこれらの波に巻き込まれて移動をする事になります。堤防の直下に堆積していた砂礫から、波が大きくなる前の渚にあった砂礫まで、 ほとんど全ての砂礫が移動を続けることになります。つまり、波が堤防に届くようになれば、それまで堆積していた砂礫浜がその時点では消滅した事になります。

 先に記述した、打ち上げる波と引き戻す波が作る砂礫浜の曲線は成り立たなくなります。 その曲線は、打ち上げる波の先端で海水が陸地に浸み込み、引き戻す波の水量が少なくなる状況でのものでした。
 実際にどの程度の量の砂礫がこの波に巻き込まれて移動をするのかは、それぞれの浜の状況によって異なるでしょう。

 特別大きな波もやがて次第に小さくなります。波の先端が堤防から離れれば、再び砂礫の堆積が始まります。 そして、再び砂礫浜が形成されていきます。しかし、この時に堆積した砂礫は、特別大きな波が堤防に届く前とは全く異なった砂礫になっているのです。

 このような状況に陥った後の砂礫浜と、その前の砂礫浜を比較して観察した事はありません。
 そこで推測ですが、多分、その後の砂礫浜に堆積している砂礫の量はその前と比べて減少していることが多いと思います。 そして、堤防にまで届く波の発生回数が増加すれば、砂礫浜の砂礫の量は次第に減少していくことでしょう。
 なぜなら、元々砂礫が減少している傾向にあったから、特別大きな波が堤防に届くようになったのです。 もしも、砂礫が増えている傾向であったならば、渚から堤防までの距離は伸びていて、特別大きな波が堤防にまで届く可能性は減っていたはずです。

 大きな波が打ち寄せている最中やその前後に、砂礫浜の砂礫が減少している状況であり、同時にその大きな波が堤防にまで届いていたなら、 砂礫浜の砂礫の減少は特別大きなものになるでしょう。新聞の記事になるのは、このような場合が多いのではないかと考えています。

 逆に、特別大きな波が打ち寄せている最中やその前後に、砂礫浜の砂礫が増大したりステップ上に大量の砂礫があれば、 特別大きな波が去った後の砂礫浜は以前より大きくなっている事でしょう。

大きな波の実際
 第一消波ブロックの東側では、8月26日前後に発生した大きな波によって、砂礫の堆積量が増えました。 大きな波によって渚近くの砂礫浜に新たな砂礫が積み上げられたのです。

 それらの元になった砂礫は、7月16日以後に続いた砂礫の移動によって安倍川左岸の岸辺から移動して来た砂礫だと考えられます。 それらの砂礫は、8月26日までは渚の前進に関わる事のないままに海底の浅い所に堆積していたのです。 つまり、小規模なステップを形成していたのだと考えられるのですが、 それまでに発生していた波はそれらの砂礫を打ち上げるほどには大きくはなかったのです。

 7月16日以後8月26日までは大きな波が発生する事がなかったので、浅い場所の砂礫だけが打ち上げられていました。
 8月26日前後に波が大きくなったので、それまでよりも深い場所の砂礫が打ち上げられるようになったと考えられます。 実際8月26日の波は、それまで発生していた場所よりもやや沖から立ち上がっていると思えました。



左写真 7月21日、第一と第二消波ブロックの間。16日前後の砂礫の移動はこの付近にも及びましたので、 ここでも砂礫浜は海に向かって少し前進しました。でも、渚より少し陸地側には蛇行した窪地が多く残されました。 テトラポットのすぐ脇の窪地には海水も溜まっていました。

右動画 8月26日に大きな波が発生しました。第一消波ブロックの内側から第二ブロック方向(東方向)を写しました。 第一消波ブロックと第二との間にあった蛇行する窪地は、新たに積み上げられた砂礫によって埋められてしまいました。 渚の陸地側は今までより高くなっています。



左写真 8月29日、第一消波ブロックと第二ブロックの間の渚に打ち上げられた大きな石。

右写真 8月29日、第二消波ブロックの内側。沖への前進は少ないのですが、陸地側の窪地は無くなりました。

特別大きな波の実際
 今年(2012年)の7月に興味深い新聞記事を見つけました。
 2011年に、静岡の前浜より30km位北東の蒲原(かんばら)海岸にクジラの死体が打ち上げられました。 クジラは調査の後に、骨格標本作製のために海岸に埋められました。
 新聞の記事はその掘りだしを報じるものでしたが、クジラの骨格は跡形もなく消失していたのです。

 この時の様子が「クジラの骨は何処へ行ってしまったのでしょう」と題するブログに掲載されていました。 ブログには、分かり易い文章と共に浜の様子が良く分かる写真も掲載されています。

 2011年秋の台風は蒲原海岸にも特別大きな波をもたらしました。その特別大きな波は堤防にまで届いていたので、 浜辺の砂礫あるいは砂はそのほとんどが入れ替わってしまったのでしょう。その時にクジラの骨もバラバラに散乱してしまったのだと考えられます。



この章のまとめ

拡大した砂礫浜と移動する砂礫
 砂礫浜が沖へ向かって伸長するためには、その場所に新たな砂礫が移動して来なければなりません。 砂礫の海岸線方向への移動は、渚へと斜め方向に打ち寄せて来る波によって実現されています。

 砂礫の移動は、海中よりも、波が行き来する岸辺で、その多くが発生していると考えられます。 その移動の発生は不定期であり、移動量もその現象の発生の度に異なっています。 移動が全く無い期間もあれば、短時間に長い距離を大量に移動する事もあります。移動する距離もその量も少ない期間もあります。
 長い期間を考えた時、静岡の前浜では砂礫は常に東北の方向へ移動しています。
 砂礫の海岸線方向への移動現象は、岸辺に大量の砂礫がある時でも少ない時でも、 移動を実現させる波が発生しさえすれば生じる現象です。また、岸辺に消波ブロックがある海岸ではこの現象は発生が困難です。

 静岡の前浜における砂礫の移動開始地点は、安倍川河口東側の海岸です。この海岸の岸に堆積した砂礫が、 岸辺を伝って東北方向へ移動して行きます。 静岡の前浜では、その浜辺を形成している砂礫のほとんどが、この場所をその出発地点としていると考えられます。

 安倍川河口東側の海岸に堆積する砂礫は、安倍川の流れが直接その場所に運び込んだものではありません。
 安倍川河口から排出された土砂の内で、河口東側の海岸の浅い海底に堆積した土砂のみが、 波によって河口東側の海岸に打ち上げられます。

 安倍川河口から静岡の前浜に至る土砂の移動は、単純にいちどきに発生している現象ではありません。その現象は幾つかの過程に分かれています。
 安倍川から土砂が排出されます。排出された土砂の内で、河口東側の海岸の沖の浅い海底に堆積した砂礫が、 波によって岸辺に打ち寄せられます。 河口東側の海岸に打ち寄せられた砂礫は、斜めの方向に打ち寄せる波が発生した時に、東北方向へ移動して行きます。
 これらの過程は、それぞれに異なった理由によって生じている個別の現象であり、 それぞれの過程のいずれかに不都合が生じれば、静岡の前浜への土砂の移動は実現されません。

ステップ
 海岸の岸辺に堆積した砂礫が海岸線方向へ移動して行き、それぞれの海岸の砂礫量を増大させます。 浜辺を沖にむかって伸長させるためにはステップは不可欠な現象であると言えます。

 斜め方向に押し寄せる波によって、新たな海岸に砂礫が移動して来たとしても、それらが浜辺に打ち上げられなければ海岸は伸長しませんし、 海岸の砂礫量が増大する事もありません。
 岸辺を伝って砂礫が移動して来るのは、ごく短い期間の間に過ぎません。ほとんどの期間において砂礫が移動する距離もその量も少ないのです。 また、それらの砂礫は移動しているのであって、特定の場所にだけ溜まり続けるのではありません。 ですから、移動して来た砂礫がそのままで浜辺に多く堆積することは考えられないのです。

 したがって、斜め方向に押し寄せる波によって砂礫が移動して来たとしても、それだけでは海岸の砂礫浜が大きく増大することはありません。
 しかし、移動して来た砂礫が直ちに浜辺に堆積しなかったとしても、それらの砂礫が渚近くの浅い海底に堆積すれば事情は違ってきます。

 海岸の岸辺と海との狭間とも言うべき場所で多くの砂礫が移動します。そして、それらの砂礫の内の多くが海側に落ち込み堆積して浅い海底を形成すると考えられます。 これがステップだと考えられます。

 海岸に浅い場所があって初めて波が立ち上がります。 砂礫が移動して来ている時間でなくても、波が発生すればその場所にある砂礫は岸辺へと打ち上げられます。 ステップがあることによって初めて、砂礫浜の堆積土砂量が増大する事も沖合への伸長も可能になります。
 ステップが大きければ海岸は増大し易くなります。また、砂礫が他の場所へと移動して行ったとしても、その影響を軽減する事が出来ます。

 砂礫浜にステップがあるのはごく自然なことです。砂礫浜にステップが無いとしたら、その浜辺が浸食され続けているからだと考えられます。

大きな波
 立ち上がり崩れる波が大きくなれば、砂浜や砂礫浜に打ち上げる波が届く距離も長くなります。 砂浜や砂礫浜が渚から陸地奥くまでその幅が広がっているのは、低気圧や台風等によって時々発生する大きな波の作用によるものと考えられます。

 それまで浜辺に堆積していた砂礫は、大きな波が覆いかぶさればその全ての場所において、そのほとんどが移動を余儀なくされます。 この時に新たな土砂の移動があったり、大きなステップがあったりすれば、波が打ち寄せる先端にはそれまで以上に多くの土砂が打ち上げられます。 逆に、土砂が移動して行くだけであったり、ステップがほとんど無かったりすれば、砂浜や砂礫浜の土砂は減少します。 浜辺の幅も小さくなることでしょう。

 浜辺を海岸線方向に横断して出来る小さな谷状の窪地は、 大きな波が小さな波に移行して行く過程で、波の大きさの変化が連続的で無かったことによると考えられます。

 特別大きな波が堤防にまで届くようになれば、多くの場合で浜辺の土砂は減少して浸食が進行する事が考えられます。
 堤防にまで波が届く時には、浜辺にあった全ての土砂が波によって移動をしています。 そして、堤防にまで波が届いている限り、浜辺の土砂が止まり堆積する場所はありません。 しかも、波が堤防にまで届くことは、浜辺の幅が既に減少していることでもありますから、浜辺の土砂が減少する可能性が大きいと考えられます。

 浜辺の最も奥の場所に立った時に、その場所から渚までの浜の表面に起伏が無くて直線的であったり、 窪地のみが有るようでしたら、その浜辺は浸食が進行しています。その浜辺への新たな土砂の供給が無いのです。
 逆に、浜の表面が盛り上がって複数の丘があるような場合には、その浜辺には新たな土砂の供給があるものと考えられます。 このような場合には、浜辺の奥に立った時に渚を行き来する波や立ち上がる波が見えない事も多いようです。

 その3へつづく

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