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安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸(その1)その2

河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える

別冊

安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸(その1)

安倍川河口に出来る砂州 ・・・・(まえがき・この章の概要・簡単な実験・安倍川河口の概要・砂州の出来方・この章のまとめ)

2014年12月31日、一部訂正、変更、削除
2014年9月18日、一部訂生、「概要」と「まとめ」を追加
2013年7月10日、一部加筆訂正・・・・・2013年4月5日掲載

2014年12月の一部訂正、変更、削除について
 「離岸堤」に関して思い違いがありましたので、それらを訂正、変更、削除しました。
訂正前には「離岸堤がある場所では砂礫はほとんど移動しない」としていましたが、これを「離岸堤がある場所の砂礫の移動は僅かです」に訂正しました。
 「大浜海岸より東側では海岸がほとんど回復していない」としていましたが、これを「大浜海岸より東側では僅かづつ回復している」に訂正しました。
 上述の事柄について、直接その記述をしている箇所と関連する文章を訂正しました。
 また、校正漏れによる明らかな間違いと、その他の解りにくい文章も幾つか訂正しました。 解り難い文章については、大幅に変更訂正し削除した個所もあります。
 上述の事柄に関連しない論旨の訂正はありません。

 これらは、多くの「離岸堤」が設置されている大浜海岸以東の海岸が、年月を経るごとに少しづつ回復していることを示す資料を「静岡土木事務所」で拝見したこと、 並びに、それらの海岸でその状況を実際に確認したことに依ります。その他の修正は、読み返す過程で気が付いた明らかな間違いと分かり難さの訂正です。
 従前の記述をお読みになった皆様には、ご迷惑をお掛けすることになりました。誠に申し訳ありません。

まえがき
 「砂礫浜を考える(静岡の前浜の場合)その1、その2」を発表してから2年近くが経過しました。WEB上に発表してから、 何人かの先生方や、関連する地域の官庁や、他の地方で砂浜の回復に取り組んでいる団体の皆さんにも文章の発表を連絡をしました。
 そして、前浜やその他の砂浜の回復工事が一日も早く始められる事を待ち望んでいたのですが、ほとんど進展はありませんでした。

 幾人かの先生方からは私の論述の意義を評価して頂きましたが、全く連絡を頂けなかった先生もあります 。
 静岡の前浜に関係する二つ官庁の内、「静岡土木事務所」からは素早くご連絡を頂き、詳細に説明させて頂きました。 しかし、砂礫浜の問題についての最大の当事者である「国土交通省静岡河川事務所」からは、残念なことに何の連絡も頂けませんでした。
 また、各地にある「砂浜の問題を解決しようとする団体」の皆様からの連絡は全く頂けない状況でした。

 静岡の前浜を何とかして復活させたい。日本中の砂浜の問題を解決したいとの思いは今も変わりません。
 そして、それらは解決できるはずであり、必ず解決出来ると私は確信しているのです。

 私は考えました。前浜の現状をもっと深く観察し考察し、誰もが納得できる内容と文章を記述する必要があったのではないか。
 先に発表した文章で説明していたのは、前浜の砂礫が常に東へ移動している事、砂礫は岸に近い場所で移動している事、 安倍川の河口から前浜への砂礫の受け渡しがうまくいかないから前浜が消失している事などでした。 でも、それらの記述は詳細ではなく概論だったのです。
 そこで、私は、安倍川河口と前浜の土砂の移動の実際についてもっと詳細に観察し、より深く考察することにしました。 それらが具体的に明らかになれば、私の思いが一気に進展する可能性があると考えたのです。

先に発表した文章での間違いと問題点
 幸い、短い期間ではありましたが、継続的に安倍川の河口とその周囲の浜辺を観察する事が出来ました。 その結果、先に発表した文章には幾つかの誤りがあることが分かりました。
 ここで新たに記述している文章では、先の文章のどこが間違えていたのかを明らかにして、正しい考え方を記述しています。 また、この2年の間に新たに判明した幾つかの問題もありました。この問題についても明確に説明したつもりです。

 間違いの第一に「砂礫浜を考える(静岡の前浜の場合)その1、その2」で想定しました 「海岸の岸近くで生じている流れは、打ち寄せる波と波の間の谷間に生じる流れに起因している」との説は、どうも正しくないようなのです。
 現時点では、この説を全く否定する事は出来ませんが、そのような流れが生じている事の証明も出来ませんでした。 ですから、その流れが砂礫浜の砂礫を移動させているかどうかは全く明らかではありません。
 さらに、海岸の岸近くで生じている流れによる砂礫の移動を「長く連結した屋根のない貨物列車が走行している」 とするたとえを記述しましたが、これは全くの間違いでした。

 上記以外でも論述の趣旨には直接関わらないものの、明らかな間違いや、思い違いをそのまま文章にしてしてしまった部分もありました。 これらも、気が付いた限り訂正しました。

「ステップ」について
 先の文章を公開した後から気になった事柄もありました。それは、砂礫浜の岸近くに出来ているとして引用して紹介した、 「ステップ(岸沿いの海中に出来る棚状の小地形)」の問題です。
 私の文章を紹介させて頂いたある先生から「・・・・・使われている浜の区分は、大陸地域の海岸についての区分であり、 日本の海岸には適用できない問題も多いと思います。」との指摘を頂きました。
 この指摘は、思いがけないものであり、私を混乱させました。この指摘は、日本においては砂浜も砂礫浜も区別する事が出来ない、 また、日本においてはステップは存在しないと言う事だと思います。

 この問題について現時点では以下のように考えています。
 確かに、砂浜と砂礫浜を分ける境界は定かではないのですが、それぞれの渚の様子は明らかに異なっているのです。 それに、砂礫浜における「ステップ」の存在は、砂礫浜の形成を考えた時に全く理に適った現象だと考えられるのです。
 海岸で生じている様々な現象が、島国である日本とその他の大陸とで違いがあるとは考えられないのです。 河川や浜の規模の違いがあるとしても基本的な現象の在り方は同じであるはずです。
 仮に違いがあるなら、どこが違うのかなぜ違うのかを明確にする必要があります。 その事をなおざりにして、単純に日本にはそれは無いなどするのは、この学問分野が未開拓である証拠だとさえ思われました。

 この問題は「ステップ」の考え方が提案され、日本でそれらを検証した時期の問題と関連していると考えています。 つまり「ステップ」を日本で実際に検証しようとした時に、既に多くの地域でそれが失われていた可能性があるのではないかと考えています。
 言い換えると、砂礫浜を形成させる条件が整わない時には「ステップ」が存在しない。 つまり、砂礫浜が本来の姿では無くなっている海岸では「ステップ」が無くなっているのではないだろうか、と考えているのです。
 砂礫が移動して来ることによって成立している砂礫浜では「ステップ」が出来ているのが普通だと、私は考えています。

「静岡の前浜」を回復する事は可能です
 結論から先に言えば「砂礫浜を考える(静岡の前浜の場合)その1、その2」において記述した内容は、 その筋道において間違いはありませんでした。しかし、幾つかの重大な勘違いがありました。

 既に記述したように、私は、肝心かなめの部分で大きな思い違いをしていました。観察が不十分なままに論理を展開していたのです。 全く恥ずかしい事だと思います。
 砂礫浜の砂礫の移動は、私が想定していたよりもさらに岸辺近くで、ほとんど陸地と海の狭間で、その多くが発生していました。

 この最も重要な事実と、砂礫浜で生じているその他の事実を、実際の状況を示す事により解明する事が出来ました。 これらによって、静岡の前浜の回復が充分に可能である事を証拠と共に示す事が出来たと考えています。 さらに、これらの内容が他の地域の砂礫浜や砂浜の回復の参考になる事も間違いないとも考えています。

文章の構成
 この文章「安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸」では、これら幾つかの問題点と、新たに発見した現象や新しい考え方を示す事により 「静岡の前浜」の回復方法をより実際的に提案しています。

 この文章は全体を3つに分けています。
 第一部「安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸(その1)」では、まえがき、この章の概要、簡単な実験、安倍川河口の概要、 砂州の出来方、この章のまとめ、について述べています。
 第ニ部「安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸(その2)」では、この章の概要、砂礫の移動、ステップ、大きな波、この章のまとめ、これらは砂礫浜の形成について述べています。
 第三部「安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸(その3)」を、この章の概要、安倍川河口から続く砂礫浜の現状とその回復方法、この章のまとめ、としました。

 申し訳ない事に、またしても、文章全体が長くなってしまいました。でも、それらは詳細を説明するために必要不可欠のものでありますから、 悪しからずご了承下さい。

 また、推測の上に推測を重ねた仮説もあります。またしても、思いがけない間違いが有るかもしれません。
 ですから、日本の浜辺に関心をお持ちの皆さまや専門家の皆さまなど、 多くの方々にお読み頂き、実際に検証して頂ける事を強く願っています。

写真と動画
 写真と動画は、クリックすると別画面で拡大表示されます。

御礼
 この文章「安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸」を記述するために、何回も安倍川河口とその周辺を訪れました。 その折に、居合わせた釣り人やサーファーの皆様から話を聞く機会が多くありました。 皆様の話はそれぞれに興味深く、観察や考察の参考になるものも多くありました。
 それらの皆様のご協力もあり、幸いにして、この文章「安倍川河口から続く静岡の砂礫浜海岸」をまとめることが出来ました。 話を聞かせて下さった釣り人やサーファーの皆様に御礼を申し上げます。




この章の概要

簡単な実験
 この節では簡単な実験を試みています。砂浜や砂礫浜では砂や砂礫が波によって岸辺に打ち上げられています。 その実際を簡単な実験にして観察しました。

安倍川の概要
 安倍川とその河口の概要を説明しています。

砂州の出来方
 この章の最も重要な節です。
 東西に横断する安倍川河口の砂州の出来方を、時間の経過を追って観察しました。
これによって、河口を横断する砂州の形成の詳細を明らかにすることが出来ました。
 また、それらのことから、砂礫浜の形成に関わる基本的な仕組みの幾つかも明らかにすることができました。 そして、今までに無かった新しい考え方も明らかにすることが出来ました。




簡単な実験

簡単な実験
 砂礫浜の砂礫が波によって海底から陸地に打ち上げられている事は確かな事ですが、それが実際にどのような具合で進行しているのか 確かめる必要があると考えました。その事に思い違いがあったならば、砂礫浜の生成過程も理解できないと思うのです。
 そこで、誰でも思いつくような簡単な実験をしてみました。波の打ち寄せる浜辺に小石を並べ、それらの石が波によって どのように移動するのかを確かめる実験です。以下にその実験の一部を紹介します。

使用する用語
 実験の説明をする前に、先ず、使用する用語の説明をします。
 一口に海岸に押し寄せる「波」と言っても、その様相は短時間で変化しています。 ですから、その様相ごとにその言葉を変えて説明する必要があります。

 先ず、沖から押し寄せて来る「波」があります。また、岸近くで出来る「波」もあります。 これらは水平に広がる海面よりその場所だけが明らかに高く飛び出していますので「立ち上がる波」あるいは「立ち上がった波」とします。

 「立ち上がった波」は岸に近寄るほど成長してより高くなります。そして岸に向かって崩れます。 先端を白くして巻き込むように崩れる時もあれば、なんとなく崩れていくものもあります。 これらを「崩れる波」あるいは「崩れた波」とします。

 「崩れた波」は、その高さを失った後もその勢いを弱めること無く、さらに岸に近付き、陸地に打ち上げて来ます。 これを「打ち上げる波」「打ち寄せる波」あるいは「打ち上げた波」「打ち寄せた波」とします。

 地形に逆らって陸地に「打ち上げた波」も陸地のどこかでその勢いを弱め、再び海に戻っていきます。 これを「引き戻す波」「引き戻った波」あるいは「引き返す波」「引き返した波」とします。

 これらは当然、専門用語が有るはずですが、専門家ではありませんのでそれらを知りません。 誰にでも理解出来ると思われる言葉を使用する事としました。 また、これらの区別の言葉は必要に応じてここより他の箇所でも使用する事もご了承下さい。

実験
 穏やかな波の日に、安倍川右岸の砂礫浜で簡単な実験を行いました。
 波の打ち寄せる浜辺の中でも比較的に砂の多い斜面に、目立つ色と大きさの幾つかの小石を浜辺と平行に設置して、 波が打ち上げて来るのを待ちました。 最初は陸地に近い場所から、徐々に海へと近付きました。これらの実験を何回か繰り返しました。

実験1
 少し大きい波が届きそうな位置に、小石を横に幾つか並べました。その目印として流木の小さな木の枝も石の横に突き立てました。
 15分15秒後にようやく波が到達しました。しかし、ようやく届いた波による石の移動はありませんでした。 小石に届いた波はその時点で勢いが無くなっていたのです。
 この間に波は196回打ち上げました。また、すぐ近くまで寄せた波が2回ありました。

実験2

 実験1の場所から4〜5m東側へ小石を移動させました。その後15分24秒経過する間に波が届いたのは2回でした。 その間に打ち上げる波は186回続きました。石に届いた2回目の波によって石は僅かに陸地側に移動しました。

実験3

 実験2の場所から、海に向かって小石を40cm移動しました。設置後すぐに2回、極めて近くまで波が到達したが、 石を陸地側に移動させたのは9分27秒後の波でした。この波によって、5つの小石のうち4つがより陸地側に打ち上げられました。
 この間、打ち上げる波は137回続きました。

実験4

 実験3の場所から、さらに海に向かって小石を40cm前進させました。3分44秒後、56回目に石を移動させる波が届きました。 石は一つだけ僅かに引き戻されました。この間に石に届いた波は3回ありましたが、それらによる移動は確認できませんでした。

実験5

 実験4の後に、その場所から小石を40cm前進させて実験5を実施しました。
 37秒後、6回目の波で石が移動しました。小石は1つがより打ち上げられ、3つは少しだけ引き戻されました。 6回目の前に小石に届いた波が1回ありましたが、石の移動はありませんでした。

実験6

 実験5の場所から、さらに小石を40cm前進させました。26秒後、7回目の波が届きました。

実験6とその続き

 7回目の波が届いて小石は移動しました。一つは僅かに打ち上げ、3つは引き戻されました。
 右側の写真は左の写真のその後の状況です。その後3回の波が届いて、引き戻された小石はさらに移動しました。

実験とその結果
 実験の結果とその観察から解った事は、波が小石に及ぼす特定の傾向と、それによって推察出来る土砂の移動の傾向でした。
 確実に、こうだからこうであると、断定的に説明するのは困難です。どの程度の波が、どれくらいの速度で、 どのような斜面を打ち上げれば、どれほどの土砂がどれだけ移動するのか、到底説明出来る状況ではありませんでした。
 もちろん、これは私の実験が簡単なものである事に起因しているのですが、 仮に、精密な器具を揃えたとしても、 それらの状況にそれほどの変わりは無いと思います。

 それは、波が発生する度にそれらの波が少しづつ異なっているからです。同じように見えて、同じ波などどこにも無いのです。 そのことが、観察とその結果を説明するのを困難にしています。

 先ず、打ち上げる波の勢いが一様ではありません。海から駆け上がって来る波もあれば、海から膨れ上がって来る波もあります。 それによって、打ち上げる波はそれぞれの波ごとに陸地に届く距離もその勢いも異なっています。

 これによって引き戻す波もまた、一様ではありません。打ち上げる波も引き戻す波もそれぞれにお互いの影響を受けています。 勢いよく駆け上がろうとした波は、引き戻す波にぶつかってその勢いが変えられてしまいます。 引き戻す波自体もそのまま海にまで戻るとは限りません。引き戻す途中で打ち上げられる波に飲み込まれてしまう事も多いのです。

 引き戻す波の戻り加減によって崩れる波も様相を変えます。海底を叩きつけるように崩れることは少なく、 ほとんどの場合で、それらは引き戻す波や打ち上げる波の上に崩れます。

 立ち上がる波は、同じような場所で立ち上がる事が多いのですが、必ず同じ場所で立ち上がっているのではありません。 陸地から離れた場所から立ち上がって来る事もあれば、陸地近くで突然立ち上がる波もあります。 立ち上がる高さもそれぞれに微妙に異なっています。

 さらに、それらの波が打ち上げてくる場所の状況も、それぞれに異なっています。 打ち上げる波が、陸地と全く平行にやって来る事は少ないのです。 ほとんどの場合で、それは広い舌状になって陸地に打ち上げて来ます。 ですから、同じ海岸でも少し場所が違えば打ち上げる波の様子も異なっています。

 これらのことにより、打ち上げられる波によって海から陸へ移動するはずの土砂の量もその距離も、打ち上げる波ごとに異なっています。
 この場合、崩れる波が陸地に近い場所で発生するほど、あるいは激しく崩れるほど 陸地へ向かって移動させる土砂の量が多くなる可能性が多いと考えられます。
 当然、打ち上げる波の勢いもそれが強いほど、 また、より陸地の高くまで打ち上げるほど移動する砂礫の量は多くなる可能性が多いと考えられるのです。

 これら、様相が定まらず絶えず変化している波によって、砂礫浜の土砂は海から陸へと移動しているのです。

打ち上げる波と砂礫
 ほぼ同じ時刻に発生している幾つかの波は、同じような大きさであると言えます。 しかし厳密には、それぞれの波ごとにその大きさが少しずつ異なります。さらに、時々は比較的大きな波も発生しています。
 それらの比較的に大きな波が、より多くの砂礫を陸地に打ち上げて、より多くの砂礫を陸地にとどめていると考えられます。

 小さな波によっても砂礫は移動していますが、それによって打ち上げられた砂礫は、 少し大きな波が発生すればたちまち他の場所へ移動してしまいます。 結果として考えると、比較的に大きな波が海から陸地へと砂礫を打ち上げていると言えます。

 この場合、打ち上げる波の先端ほど海水が陸地に浸み込み、引き戻す波の水量は少なくなりますから、 大きな波の先端ほど砂礫を陸地に打ち上げ易いと言えます。 小さな打ち上げる波や、小さな引き戻す波が行き来する場所では砂礫は行ったり来たりしている事が多いのではないかと考えられます。
 ですから、海底から移動して来た砂礫は、少し大きな波が届く先端部から堆積していくと考えられます。

 波の大きさや強さによって、海から陸地への砂礫の移動具合は異なっているのですが、 砂礫浜の場合では砂礫の大きさによっても、その移動具合が異なっています。
 小さな砂礫ほど移動し易く、大きな砂礫は移動し難いことは容易に推察出来るのですが、実際に観察した限りでは、 それほど単純ではないと思われました。特に、その量が多い砂については、砂利や石にはない特別の移動状態がある印象を持ちました。

 私が試みた実験は、波が穏やかな日の短時間でのものに過ぎません。実際には、波が大きな日もあります。 季節風や台風など季節や時期による違いも発生します。さらに、日々の干満の差による違いが重なります。

潮汐現象と波
 私が試みた実験は短時間のものでしたから、干満の差による波の変化を確かめる事はありませんでした。
 しかし、満潮と干潮が交互に繰り返される海の潮汐現象も、 海から陸地への砂礫の移動に大きな役割を果たしていると考えられます。

 干潮時には海水全体の水位が低くなります。砂礫浜の海岸では、それは、海水が陸地から海へと後退していく現象となって表れます。 その時には、立ち上がる波も、崩れる波も、打ち上げる波も、引き戻す波も、波が変化する全ての過程が陸地から海へと後退していきます。
その結果、波による砂礫の打ち上げ作用もそれまでよりも海へと後退した場所で発生します。

 満潮時には、逆の状況が発生します。つまり、波による砂礫の打ち上げ作用は、干潮時よりも陸地に近付いた場所で発生するのです。
 干潮から満潮へ、そしてまた干潮に至る水位の変化は確実に繰り返されています。 ですから、干潮時に浜辺の斜面に打ち上げられた砂礫は、満潮時にはより高く、あるいはより陸地の奥にまで打ち上げられる事になります。

 但し、干潮時に打ち上げられた砂礫が、満潮時により陸地の奥にまで移動する現象が常に発生しているとは考えていません。 と言うのも、ここでの記述は発生する波の大きさとその他の条件が一定である事を前提としているのです。
 実際には、干潮と満潮の時の波の大きさが同じである事は多くないと思います。気象の変化によって波の大きさは頻繁に変化しています。 また、渚から海底への傾斜が一定である事も少ないでしょう。ですから、そこで発生して変容する波の大きさが常に一定であることも少ないのです。

 現実の波が見せるその様相の変化は全く変化に富んでいます。
 私が実験をして観察し、考察した態様は実際に生じている出来ごとのごく一部です。 砂礫浜の波やそれによる砂礫の移動は、ここで考察した以上にさらに多くの態様があるものと考えています。




安倍川河口の概要

安倍川の概要
 安倍川は、南アルプス南部の標高約1900mの分水嶺をその発端として、南に向かって約50Kmを駿河湾に向かって下る 急峻な流れの中規模の河川です。
 江戸時代初期、約400年前には源流部で大規模な崩壊が生じて、そこから大量の土砂が排出されました。 この崩壊に限らずその流域は崩壊が生じ易い地質であり、それらの山腹からの土砂の流出によって、 流域には大量の土砂が堆積しているのも特徴であると言われています。
 また、駿河湾に接する平野部が狭いために、安倍川は、 一般的な河川の下流部の様相を見せる事なく中流部の景色のまま海に流れ込んでいます。

安倍川河口の砂礫
 静岡の前浜へ砂礫を供給している安倍川の河口は、多くの人々が思い起こすであろう一般的な河川の河口の姿とは全く異なった様相を見せています。 増水によって河口にもたらされる大量の土砂が、その時々によって著しく移動し堆積するので、 河口及びその周辺の地形は頻繁にその姿を変えるのです。

 河口の姿が時期によってこれほど大きく変化する河川は日本全体を考えても多くはないと思います。 これは、流下して来る土砂の量が極めて多い事と、それらをもたらす安倍川の水量の変化が著しいからだと考えられます。

安倍川河口略図

 河口付近での川幅(両岸の堤防間の距離)は約650mです。 右岸には渚から
 約100mの距離で小さな支流(丸子川・まりこがわ)が流れ込んでいます。 
 左岸最下流の堤防内側には風力発電の風車が建設されています。右岸側の海岸と左岸側の海岸のいずれにも 消波ブロック群が幾つも設置されています。 

 左側の図は、大雨が降って大量の水が流れ下っている時の様子です。規模の大きな増水時であっても、 両岸の堤防一杯まで水が流れる機会は多くありません。多分、数年に一度くらいです。 
 右側の図は、増水が治まり水量が減少して右岸からの砂州が延びて来た時の様子です。 安倍川の下流部では堆積する土砂の量が多く水量が少ないので、通常時には水の流れが網の目状に分流している事が多いのです。

安倍川の河口の形状の変化
 先ず最初に、安倍川の河口の姿がどのように形成されてどのように変化するのかを明らかにします。 
 そんなことは、砂礫浜の砂礫の移動や前浜の形成問題とは全く関係ないと思われるかも知れませんが、そうではありません。 安倍川の河口の形状とその変化は、安倍川から静岡の前浜への砂礫の移動と前浜の形成に大きな影響を及ぼしているのです。




砂州の出来方

河口右岸から東へ伸びる砂州の出来方
 安倍川河口では、右岸(西)から左岸(東)方向へ、河口を横断する砂州がいつでも形成されています。
 それは、大規模な増水のたびに海に流され、その度に同じように復活します。 しかも、その砂州は、出来る度にほぼ同じ場所に同じような大きさで形成されています。

河口を横断する砂州の出発地点
 2012年6月19日に大雨が降って比較的規模の大きな増水になったようです。 20日の未明まで続いた雨が朝になってやんだので安倍川の右岸に出かけました。 この増水によって、それまで河口を横断していた砂州は全て海に流されてしまいました。その時の写真を掲示します。 

左写真 増水した安倍川の水が、広い河口から海に流れ込んでいます。風車が見えるのが左岸です。 前日まであった、河口を横断する砂州は全て海に流れてしまいました。

右動画 この時、増水した水が流れ込むすぐ西側の海岸で、驚きの光景を見る事が出来ました。 この光景は、私がそれに気が付いてからその場を離れる時まで途切れなく続いていました。

 この現象が生じているのは、安倍川の水が海に流れ込んでいる場所から始まり、西へ40〜50mの海岸だけです。 それより西側海岸では、寄せては返す通常の波でした。
 この波とその流れの特徴は、打ち上げる波は真っ直ぐ陸地に向かっている、引き戻す波は全てが東方向へ流れている、 この2つの事が同時に生じている事です。

河口右岸の反転流
 この不思議な波は、反転流あるいは巻き返し呼ばれる現象によって発生していると考えられます。 海に流れ込んだ安倍川の水流の直ぐ脇に反転流が生じて、 その流れの一部分が打ち上げる波と引き戻す波になっているのだと考えています。

 反転流は、広い水面に狭くて強い流れが発生すると、その流れの左右にその流れとは逆方向の流れが渦巻と共に発生する現象で、 河川の上流部ではそれを数多く見る事が出来ます。
 河川上流の淵では、その入口が幾つかの大きな岩で構成されていて、 それらの岩によって水流が漏斗状に狭められている場合が多いのです。
 そこでは、岩の間から流れ込んだ強い流れのすぐ両脇に反転流が出来ます。この反転流は強い渦巻となってその場の土砂を巻き上げます。 巻き上げられた土砂は、強い流れに乗せられ下流に流れ去ります。 上流の多くの淵が深く大きくなっているのはこの作用によることが多いのです。

 反転流は反流と呼ばれることもあるようです。相模湾には逆時計周りの潮流が生じていて、 それを黒潮の反流であるとして説明している文章を読んだ事があります。
 またしばらく前、天竜川で不幸な川船事故がありました。その時の新聞の解説記事では、左岸の岩盤にそって強い流れが生じ、 その脇から河川中央にかけて流れとは逆方向の水流が発生して川船を巻き込んだとしていました。 その流れもまた、反流と記述していました。

 安倍川の河口右岸でも、河川からの強い流れが広い海に注ぎこんだその場所で、反転流が生じているのだと考えられます。 ただ、川の流れとは異なり海には波がありますから、その渦巻の流れが岸辺の波に変化して押し寄せ、 同時に渦巻の方向に流れているのだと思います。
 この場で重要な事は、流れ込む河川水の直ぐ脇にその流れとは全く逆方向の流れが生じていて、 その流れに乗って多くの土砂が移動していることだと思います。

 あまりにすごい光景なので、夕方になって再びそれを確認に行きましたが、 さすがにこれほどの光景は目にすることが出来ませんでした。 それでも、早朝の光景ほどではありませんが同様の流れを確認する事が出来ました。

短期間で伸びる河口の砂州 
 次の写真は1週間後の27日に撮影したもので、河口を横断する方向に安倍川右岸から伸びた砂州の様子です。 河口に延びる砂州は1週間で東におおよそ480m伸びていました。全く驚きです。1日にすると約68mです。
 どうしてそんなにも早く砂州が成長したのでしょう。それにもまして、どのようして砂州が出来て来るのでしょうか。 先の反転流は関係があるのでしょうか。これらは全くの疑問でした。
 この河口で砂州を生成させる現象が生じている事は間違いありません。 それは、先に観察した反転流以外にも私が知らなかった現象があると言う事だと思いました。 その疑問は、観察を続ける事により、やがて解決しました。



左写真 6月27日、河口に伸びた砂州の先端近くの様子。左前方に見えるのは安倍川河口左岸です。

右写真 6月27日、延び続けている砂州の先端付近の海側です。小さな波ですが岸から離れた場所から立ち上がっています。 ここでは安倍川の流れによる影響は全くありません。


 
左写真 6月27日、砂州の先端付近から、付け根の安倍川右岸方向(西方向)を眺める。
砂州の付け根からの距離はおおよそ480mです。 この付近の砂州は出来始めたばかりで砂礫の堆積量は多くありません。小さな波が岸辺から離れた場所から立ち上がっています。

右写真 6月27日、左と同じ場所です。小さな波が岸辺から離れた場所から立ち上がり始めています。これはその場所が浅い事を示しています。

右岸近くの砂州が流失しました 
 6月27日以後も河口の砂州は東方向に伸び続け、左岸まで約300m位の位置にまで至りました。しかし、7月13日、 ちょっとした大雨があり、安倍川は小規模な増水となりました。その結果、河口を横断する砂州の一部が海に流されました。
 河口の西寄り、安倍川右岸近くの砂州は流されましたが、河口中央部の砂州は残りました。 そのために、増水した流れは砂州が切れた場所に集中して流れるようになりました。


左写真 7月14日河口の砂州の右岸寄り部分が流失していました。増水した流れはその場所から海に流れ込んでいます。 前方に見えるのは河口の中央に取り残された砂州です。そのさらに遠方に見えるのが河口左岸です。

右動画 7月15日、砂州が流失した右岸の岸辺で見る事が出来た波とそれによる土砂の移動の様子です。 
 ちょっと分かり難いのですが、正面が海に流れ込む安倍川の流れで、右からやって来るのが海岸に押し寄せる波です。 一瞬ですが、流れの向こうに途切れて中央に残った砂州を見る事が出来ます。 右手から海岸に押し寄せる波は岸沿いに遡り、上流部にまで土砂を運び込んでいます。

流れの上流に向かう土砂 
 ここで見られる現象では、河川から川の水が海に向かって流れ込んでいるにも関わらず、 それには全く関係ないかのように、打ち上げる波の流れが岸沿いに遡っていきます。 さらに、川の流れに逆らう水流だけでなく、土砂が川の上流に向かって運ばれているのも確かめられます。

 安倍川の河口を横断して出来る砂州の形成を考えると、この働きは重要だと考えています。 
 河口には絶え間なく波が打ち寄せています。それらの波により砂州に砂礫が堆積するのだと考えられるのですが、 海に向かう河川の流れが強いままでは、河口を横断する砂州が出来る可能性は多くないと考えられるのです。
 河川の流れの方向が全く変わってしまわないまでも、少なくとも、その流れが穏やかである必要があるでしょう。 そうでなければ、川の流れを横断する砂州が出来るのは困難でしょう。

 この現象は川の流れとほぼ直角方向に土砂の堆積を生じさせていますが、それだけではありません。 流れに逆らって運ばれる土砂は堆積された場所の向こう側にまで流れ込んでいます。土砂が流れ込んだ場所の川底を浅くしているのです。
 この現象で川の流れを堰き止めることが出来なくても、 川の流れを浅くしてその岸辺沿いでの勢いを弱め、さらに流れの方向も変えていると考えられます。

 海からの波が河川に向かって土砂を運び込む現象は、増水の直後だけに見られるのではありません。 横断方向に砂州が伸びた後でも、その先端ではこの現象が常に観察出来ました。

河口右岸近くに出来た浅瀬 
 7月15日より数日後、右岸河口の海側端は帯状に次第に浅くなって来ました。
 
左写真 7月17日、流れの中の浅い場所をサーファーが歩いていますが、膝よりずっと浅い様子です。 手前の陸地が河口の右岸です。

右写真 翌日の7月18日、前日まで浅場だった場所が砂州になりました。砂州は右岸の岸から遠ざかるほど沖に向かって張り出しています。
 砂州の流失以後に見られた一連の出来事により、安倍川河口を横断する砂州の出来方の疑問がほぼ解決出来たように思いました。



左写真 7月18日、新たに出来た砂州の根元の内側に先端が丸くなった岬が出来ています。これが、岸辺に沿って遡った土砂による堆積です。 その手前が元々の右岸の岸です。

右写真 7月31日、右岸より新たに伸びた砂州は中央に残された砂州に約20mにまで迫りました。手前の陸地が新たに出来た砂州です。 中央に残された砂州は高い所でその高さが2m以上あります。、

 7月31日。私の推測に間違いがなかった事が明らかになりました。 
 7月18日以後に新たに出来た砂州は、最初は、東に向かっただけでなく河口の沖に向かいました。 その後に、流れ出しの中央付近からは上流側に向かい、残っていた中央の砂州に接続する方向に成長していたのです。

河口を横断する砂州の出来方 
 安倍川の河口を横断する砂州は、安倍川が増水した時に河口から海に流れ込む土砂の縁にそって形成されていると考えられます。

 安倍川が増水した時、上流から流れて来る土砂は河川内ではほぼ同じような傾斜で流れているのだと考えられます。 しかし、それらの土砂が海へ流れ込むと、その場所からは土砂の傾斜が急激なものに変化して、 そのまま深い所まで落ち込んで行きます。
 海から岸に向かって打ち寄せる波は、海が浅くなった所で発生します。 つまり、流れ込んだ土砂がそれまでとは異なる新たな傾斜を作った所で、波は立ち上がり陸地側に崩れるのです。

 7月14日に、河口中央部の砂州を残し、右岸側の砂州を破壊した増水は、狭くなった出口から海に流れ出ました。 通常よりも狭い出口を通過した土砂は、通常よりも海側に張り出しました。 でも、その流れの両端では、土砂が流れ出て海に張り出すことが少なかったのです。 
 これらの事情が、新たに出来た砂州の中央部が海に張り出し、その根元が元の岸辺に残っていることの理由です。

 実は、浅瀬が出来始めた時、その付近での水流はそれほど深くありませんでした。撮影時に気が付いた事ですが、 上流から流れて来た草や木の枝で塊となったゴミがこの付近で転がって流れることが何回かありました。
 そこでの水の流れ自体は、多分、ひざ下程度なのだと思います。 その水の流れの下を水と混じった砂や砂利や石が流れ下っているのだと考えられます。 流れの全ての場所がそれほど浅いとは考えられませんが、かなり広い場所でそれくらいの水深だと考えられたのです。
 真っ茶色の水流の中を確かめる方法もありませんが、そう考えると多くの事が納得出来るのです。

 右岸の上流約100m付近には、丸子川(マリコガワ)と言う支流が流れ込んでいます。 増水した丸子川の流れは安倍川に加わりますが、直ちに安倍川の流れと一緒になってしまうのではありません。 
 右岸の岸辺を流れる水を観察すると、岸の直ぐ脇を流れる水とやや離れた場所を流れる水とでは明らかに違いがありました。 岸の直ぐ脇を流れる水は、少し深くて、それより離れた場所より濁りが薄かったのです。それが丸子川からの水流でした。

 丸子川の合流点から海岸線までの間では、濁った水流の下に中州状の浅瀬が出来ていたと考えられます。 岸辺から少し離れた場所の水流は、岸辺を流れる丸子川の流れより浅かったのです。 その浅瀬で多くのゴミが回転して流れていたのです。河口の海側に張り出した浅瀬はその中州状の浅瀬の延長でもありました 。

 河口を東に伸びる形に張り出した浅瀬が砂州に変わるまでの間、浅瀬の最も右岸に近い場所が最も深く流れていました。 その流れの多くは丸子川によるものと考えられます。
 しかし、丸子川は流域も狭く流程も短いのでその増水は早く終わります。その水量も急速に減少します。 実際、右岸の岸近くの流れは日ごとに浅くなったのです。

 減水して行くのは丸子川だけではありません。安倍川の流れ自体も減水していきます。ですから浅瀬も日に日に浅くなりました。 そして、右岸間近の丸子川と安倍川の流れが堰き止められて、浅瀬は砂州に変わったのだと思います。
 増水した丸子川の水量が減少したことが、河口を横断する砂州が砂州として東へ延び始める契機となっていたと考えられます。

再び、反転流による不思議な波 
 先に記述した、反転流による不思議な波も丸子川の流れに関連していると考えています。 繰り返しになりますが、広い水面に狭くて速い水流が出来た時に反転流が発生します。
 河口から海へと流れ出る安倍川の水の西端の脇に反転流が発生していたのは、 そこに早くて深い水流があったからです。つまり、増水した丸子川の水流があったからです。

 河川敷に大量の土砂がある河川では、コンクリート堤防、コンクリート護岸、石垣、 岩壁、大岩などに流れが接していない限り、岸辺ほど浅くなり流れの中央が深くなります。 その事を考えれば、安倍川の流れの西端が周辺より深く流れるのは普通ではあり得ない事です。
 石や砂利や砂ばかりの岸辺から成る安倍川の流れの西端が深く流れているのは、 そのすぐ上流に丸子川があるからだと考えて良いと思います。
 これらの事から、安倍川の流れの西端が海に流れ込んだ場所で反転流が出来たのは、 増水した丸子川が海岸のすぐ上流で合流していたからだと考えられます。

増水した安倍川河口の波 
 増水した時の安倍川の河口では、水の流れの勢いに応じて2種類の波が発生しています。その波は発生する場所も異なっています。

 一つには、強く流れ込む水に抵抗して立ち上がる波です。 これは安倍川の流れが海岸から沖に流れ出た場所で発生しています。 多くの場合、流れの中央で発生している現象です。
 増水の規模が大きいほど遠くの沖で、また大きく発生しますが、波が川に向かって前進してくる事はありません。

 二つ目には、川の流れに抵抗して立ち上がり前進して来る波です。増水が収まり始めて流れの勢いが減少して来ると、 立ち上がった波は流れに逆らって河口の内部にまで前進して来ます。波が発生する場所もそれほど遠くではありません。
 この波は浅くなった海底で発生する波だと思います。この2番目の波が安倍川河口の浅瀬の形成に重要な役割を果たしているようです。

浅瀬が砂州に成長する 
 河口の浅瀬がどのようにして砂州になるのかもう少し詳細に考えて見ます。

 安倍川河口では、土砂が大規模に流れる増水が減少し始めると、海へと流れ出す土砂の最先端に浅瀬が形成されます。
 これは、海へと流れ出そうとするところを波の力によって押し止められた土砂と、 一旦海へ流れ込んだ後に、波の力によって川へ向かって押し戻された土砂によって出来て来ると考えられます。
 増水が収束に向かい水量が減少して来ると浅瀬はさらに浅くなります。 浅くなれば沖からの波はより近付き易くなり、そのぶん浅瀬に堆積させる土砂の量を増加させます。
 この浅瀬は、いくら大量の土砂が押し留められたとしても、また大量の土砂が押し返されたとしても、 水中にある時は浅瀬の状態のままであると考えられます。

 この浅瀬は水面下でほぼ水平に広がります。堆積する土砂の量が増えれば、その面積が広くなります。 でもこの時、堆積する土砂が水面より高くなる事はありません。 様々に動き回る水の下にある土砂がその水の高さ以上に堆積する事は考えられないのです。

 ですから、水面より下にある浅瀬が水面より上に成長するためには、流下する河川水が減少して水位が低くなる事と、 干満の差による水位の低下の二つの事が影響していると考えています。
 増水が収束に向かえば河川水は急速に減少します。増水時に出来た浅瀬が水面の上に出る事は充分に考えられます。 また、干潮時においても同じ事です。
 水面より僅かに高くなった浅瀬に波が覆いかぶさって、土砂が積み上げられて行きます。 通常の水面より高い位置に常に土砂が堆積するようになると、その後は急速に土砂が堆積して砂州が出来て来ます

 この時、水面より高い位置に堆積する土砂は上流から流下して来た土砂ではなく、 海底から岸に押し寄せて打ち上げられた砂礫です。
 砂州の間近の海中には安倍川から流れ出した大量の土砂が堆積しています。 それらの土砂が、砂州に向かって発生する波によって引き戻されて、砂州として堆積するのです。
 先に掲示した6月27日の写真で、岸から離れた場所で波が立ち上がっているのは、これらの状況を現していると思います。

東へ伸びていく砂州 
 安倍川右岸に河口を横断する形で僅かでも砂州が形成され始めると、安倍川の流れも流れの方向を変えます。
 真っ直ぐ海に向かっていた流れが東方向へその向きを変えていきます。これによって、河口を横断する砂州はより成長し易くなります。 こうして砂州はどんどん延びて行きます。

 6月27日に砂州があまりにも急速に成長する事に驚きました。一日、約68mも成長している計算でした。 でも、砂州は同じ速度で成長するのではないと思います。
 河口を横断する浅瀬が砂州の元であると考えられるので、河口でも浅くなっている場所ほど砂州が出来やすいのです。 川の流れは、岸辺に近いほど浅くなり易いのです。 さらに、砂州の出来始めは増水が治まりつつある時期ですから、流下する河川水が急速に減少する時期でもあります。
 ですから、右岸から伸びる砂州はその出来始めほど急速に成長していると考えられます。

 それに対して、河川の流れが深い場所ではその形成速度が遅くなると考えられます。 つまり、河口の中央部ではその成長は早くないのです。
 安倍川河口を横断して成長し続けた砂州は、河口中央付近からその先では、 その成長の方向を左岸の岸に戻る方向(北東方向)に変化させます。 これは、土砂の流れ出しが河川中央部ほど多くて、両岸に近いほどそれが少ないからだと考えられます。

 安倍川での増水は、ほとんど自然河川の状態で海に流れ込んでいます。 自然状態の河川では河川の中央部ほど深くその流れが強くて早いのが普通です。 それに対して、岸辺は浅く流れが弱くて穏やかになります 。 ですから、河川中央部の流れほど多くの土砂を海に排出していると考えられます。

 ここに、河口左岸近くにまで延びた砂州の先端の様子を掲載します。 河口右岸近くに出来た時と同じように、最初に浅瀬が出来、その上に砂州が出来て来ます。 手前の岸近くでは押し寄せる波によって土砂が常に河川側に運ばれています。

左写真 7月5日、左岸近くまで延びた砂州の先端。先に見えるのは左岸の岸辺です。

右写真 7月5日、砂州の先端の先に出来た浅瀬。手前の岸の間近では、海からの波が水と土砂を安倍川の流れの中にまで運び込んでいます

安倍川の流れの出口は度々移動します 
 安倍川の河口右岸から伸びて来た砂州は、河口を横断して左岸の岸近くにまで届きますが、 そのまま左岸に接続する事は多くありません。河口に出来ていますから、どこかで安倍川の流れを海に排出しなければならないのです。
 そんな訳で安倍川の流れは、河口を横断して左岸の岸近くにまで届いた砂州と、 左岸の岸あるいは左岸から延びる砂州との間から海へと流れ出ることが多いのです。

 この安倍川からの流れ出しの大きさは、その流れ出しの水量によって決まるのではないかと思います。 水量が多ければ流れ出しの幅が大きく、水量が減少すればその幅が狭くなると思います。
私が観察した期間で最も狭い時で約10mくらいでした。右岸から届いた砂州の内側と、 左岸あるいは左岸の砂州との間を10m位の幅で100m位の距離の安倍川の流れが出現していました。 この時には増水は全く終了していて、流れる水に濁りはありませんでした。

 規模の大きな増水の後でその減水がそのまま続けば、砂州は左岸近くにまで届きます。 その途中で規模の大きな増水が再び発生して、出来ていた砂州を海に流してしまえば、砂州の成長は振り出しに戻ります

 その増水の規模が大きくても、全ての砂州を流し切るほどでなければ、7月14日のように、 砂州の中央付近あるいは右岸近くの箇所が流されます。そして、安倍川の流れは切断された場所から海へと流れ出します。
 このように、安倍川の水の流れ出しが河口の東側から他の場所に移動するような場合では、河口を横断する砂州が左岸に接続する事もあります

 これら安倍川の流れ出しの移動とそれによる砂州の形の変化は、全て安倍川の水量と丸子川の水量の変化によって決定されています。


左写真 6月6日、右岸からの砂州が最も東まで伸びた状態。安倍川の水は流れ出して左岸第一消波ブロックに直接当たっています。

右写真 6月6日、上と同じ時に、左岸第一消波ブロックより西方向を写しました。波が立っているのが駿河湾。 左側の岸が右岸から伸びて来た砂州の先端。その右が安倍川の流れ。その右が安倍川の河口左岸(東側)の岸辺です 。

 ここまでは、河口右岸から左岸に向かって延びる砂州について記述しました。でも、安倍川河口には他にも砂州が出来る事があります。 いえ、出来る場合はかなり多いと思います。それは、河口の中央付近から左岸に延びる砂州と、左岸から右岸に向かって延びる砂州です。

河川の中央に出来る砂州 
 河川の中央に出来る砂州は、砂州を形成する幾つかの要素が、右岸の場合とは違った形で発現しているのだと考えています。
 ただし、以下に記述するその砂州の出来方は、そのほとんどが推測によるものです。
 それと言うのも、私が観察したのは短い期間に過ぎませんから、砂州の有り様を充分に把握出来ていないのです。 また、その出来始めが増水した川の真ん中であるために、肝心かなめの出来始めの状況を現場で確認する事も出来ないのです。

 河川の中央付近から出来る砂州は、大規模な増水が長く続いた時に出来始めます。
 規模の大きな増水が始まってから幾日か経って、ようやく水量が減少し始めた頃に、 河川中央付近のやや東側から河川を左岸に横断する方向に小さな砂州が出来始めます。

 規模の大きな増水では、海岸を離れた沖合にまで流水が流れ出します。沖合には沿岸流(海岸流)と呼ばれる西から東へ向かう 大きな流れがあります。この流れは強いものではありませんが、その水量は膨大なものです。
 ですから、沖まで流れ出した安倍川の流れは沖に至るほどその流れが東向きに変わります。

 このような状況の時、河口で発生する波は場所によってその大きさが異なります。安倍川の流れの中央部では水が強く流れていますから、 流れに対抗して大きな波が沖合で発生します。でも、その波が河口にまで届くことはありません。
 中央部を離れた右岸側では波は河口にまで遡って来ます。その波は中央部ほどではありませんが比較的大きいものです。

 安倍川の流れの左岸側、つまり、海に出た流れの中央部が東方向に向きを変えた内側にも流れに対抗する波が発生しますが、 そこでは、左岸から中央の流れに近付くほど波の大きさは小さくなります。
 海に出てその方向を変えた安倍川の流れが邪魔をするので、それらの場所に立つ波は小さくなっているのです。

 このような状況にもかかわらず、砂州が出来始めるのは河口の中央付近からなのです。それが問題です。 つまり、遡って侵入して来る波が小さいにも関わらず、河川の中央付近に波による砂州が最初に出来始めるのです

 これは、既に何回か説明した反転流の働きによるものだと考えています。また繰り返しになりますが、 広い水面に狭くて強い水流が発生すると、その脇に流れとは逆方向の流れと渦巻が生じるのです。
 海に向かって流れ出す安倍川中央の速い流れの脇に、その流れとは逆方向の流れと渦巻が発生して、 それが波と共に働いて土砂を上流に向けて集積しているのではないでしょうか。

 この場所で立ち上がる波は小さいので、右岸から東に向かう砂州の場合よりも浅い場所で発生している のではないかと思います。それが理由で、この砂州は西から延びる砂州よりも内側に出来るのだと考えられます。

 反転流によって土砂が集積して砂州が出来始める時の過程は、多分、先に述べた状況と同じだと思います。 最初に浅瀬が出来て、その上に波が砂礫を運びあげて砂州を作ります。
 出来た砂州の左右では、波によって砂礫が上流にまで運び込まれます。 中央部側では急な流れであるため多くの砂礫を運び込む事はありませんが、左岸側は流れは緩くそして浅くなっています。 出来始めた砂州は短期間で左岸に接続すると思われます。

 中央に出来始める砂州は、海からやって来る波によってその成長が左右されます。 海からの波が長期間続けば砂州は次第に大きくなります。 でも、その砂州が成長する前に右岸や左岸から伸びた砂州がその前に立ちはだかれば、砂州の成長はそのまま終了してしまいます。

 右岸から続く砂州の内側に、左岸へとしっかり接続した砂州を見る機会があります。また、途中まで出来た砂州を見る事もあります。 このような砂州が全く出来ないこともあります。

左岸から右岸に向かって成長する砂州 
 右岸から伸びる砂州がそれほど左岸に近付かない時に、増水が続いている場合などに左岸からの砂州が出来るようです。 つまり、安倍川左岸側を流れる水と土砂の排出とが減少して行く過程で、左岸から中央に向かって砂州が出来るのではないかと思います。

 この砂州が出来る過程は右岸からの砂州の場合と同じだと思います。また、この砂州が出来た後で右岸からの砂州が伸びてきた場合では、 右岸からの砂州が左岸からの砂州の外側に出来ます。安倍川から排出される水はその間を流れます。 それぞれの砂州が直接に接続する事はないようです。

右岸から延びる砂州は常に出来ています 
 安倍川河口に出来る砂州の内で、最も早く出来るのも最も大きくなるのも右岸から左岸に向かって出来る砂州です。 そして、その形成は規模の大きな増水のたびに繰り返されています。

 河口に出来た砂州が海に流され、再び同じようにして新たな砂州が形成される。安倍川では、 この過程が 少ない年で3〜5回位、多い年で7〜8回位繰り返されているのではないでしょうか。 これは、安倍川に規模の大きな増水が何回発生したか、その回数によって決定されています。 ただし、ここで述べたその回数は短い期間の観察からの推察に過ぎません。

 河口を東西に横断して出来るこの砂州が、安倍川の河口では最も大きなな役割を持っていると考えています。 そして、前浜への砂礫の移動を考えた時にもこの砂州の存在が重要な意味を持っています。

砂州の形の特徴 
 安倍川の河口を横断して出来る砂州には特徴的な形があります。 それは、その海側から陸地の方向(安倍川上流方向)に向かった断面が一定の形になる事です。
 三角形の長辺をその底辺にして、短い辺を海側に、それより長い辺を陸側にした形に砂州の土砂が堆積します。 砂州の最も高い場所は、全体の半分より海側に近い所にあることが多く、三角形の頂点になります。海に面した短い辺の高さは、 その時のあるいは最近あった波のほぼ最大の到達点を表しています。

 この形は、浅瀬が砂州になり始めた時でも、それが発達して大きくなってからでも変わらないようです。 変わるのは底辺の長さと頂点の高さとその位置です。
 その通常の高さは1〜2m位、最も高く堆積した時の高さは約3m位です。その高さが低い時は頂点の角度が大きく、 高さが高くなるとその角度は小さくなります。その高さが最も高くなった時でその角度は90度より広い位だと思います。

 この砂州では、東西方向への長さの変化は大きいのですが、その南北方向への幅の変化は大きくありませ ん。
 砂州が出来てしまえばその幅が急速に広がることは多くありません。砂州の出来始めの時で最も狭い部分の幅は10m弱です。 砂州が出来始めの頃に大きな波がやって来ると、海水は砂州を乗り越えて安倍川にまで流れ込みます。
 堆積が進み、最も広くなった時でもその幅は約30mです。砂州の幅の最大の大きさは、 最も長期間砂州が存在し続けた時の大きさです。一度出来た砂州の幅が狭くなる事は、多くはないようです。

 この高さと幅、つまり砂州に堆積した土砂の量には意味があると考えています。 と言うのも、これらの高さや幅は、砂州が海に流され、再び出来る度にほぼ同じような幅であり同じような高さになるのです。
 大きな増水があれば、河口を横断する砂州は海に流れて行ってしまいます。 その後に新たに河口を横断して砂州が出来る場所は、いつもほぼ同じような位置で、その大きさもほぼ同じような規模になる事が多いのです。

 規模の大きな増水が次に発生するまで、つまりこれらの砂州が流されるまで、これらの砂州が安倍川上流方向に向かって成長し続ける事はありません。 また、海の方向へ向かって成長する事もありません。その高さが高くなり続ける事もありません。成長が継続するのは横断方向に限られています。

砂州の位置の移動 
 砂州は出来る度にほぼ同じような場所に出来ていると思われるのですが、それが成長して規模が大きくなる過程では、 砂州のある場所が少し移動することがあるようです。
 それまであった砂州の一部が決壊して、7月18日になって新たに出来た砂州の場合。 決壊した場所の中央部が沖に向かって張り出した形で砂州が形成されましたが、 その後の砂州の成長と共にその張り出しは解消してしまいました。
 その渚の海岸線の方向は、以前からあった砂州の海岸線と同じ方向に統一されてしまったのです。 砂州はその規模を少し大きくしながら、同時にやや安倍川上流方向に移動して突出部を解消しました。

 右岸からの砂州が左岸に近付いた時にも、砂州はその形を保ったまま安倍川上流方向に少し移動するようです。
 右岸からの砂州が延びた後に安倍川の水量が減少して来ると、 左岸或いは左岸からの砂州と右岸からの砂州との間を流れていた海への流れ出しはその幅を少しづつ狭めます。 その時、右岸からの砂州が次第に安倍川上流方向に移動する事によって流れ出しの幅が狭くなってくるようです。

 なお、これら砂州の位置とその移動は機器によって正確に計測したものではありません。 現場に何回か足を運び観察して判断したものです。

打ち上げられる大きな石 
 ここで、興味深い動画を紹介します。
 7月21日にたまたま見つけて撮影しましたが、これも全く思いがけない光景でした。 2kg以上はありそうな石が波によって打ち上げられ、さらに上方向に向かって移動している光景です。 ここで注目すべき事は、石を打ちあげている波が決して大きくない事です。

左写真 7月5日に砂州の先端から西に向かって写した写真です。砂州の堆積具合が分かると思います。 横断面の三角形の短辺側は波が打ち寄せるので濡れています。

右動画 7月21日、小さな波であるにも関わらず、中央にある大きな石が波によって打ち上げられています。 大きな石は2Kg以上はあると思います。

 河口に出来る砂州で比較的よく見る大きな石の大きさは約1Kg位です。それ以上に大きな石を見つける機会は決して多くありません。 特に、ここで撮影出来たような大きさの石はあまり多く見る事が出来ません。
 さらに大きい5Kgはありそうなコンクリ−トと石の塊が打ち上げられる光景も目撃しています。 その時は動画を撮影する事が出来ませんでした。


左写真 7月18日に河口の砂州で、打ち上げられつつある大きな石を見つけました。長辺は30cm位あり、 重量は多分4〜5Kgはあると思われます。人の頭より大きい位で、コンクリートと石の塊のように見えました。

右写真 7月21日、河口の砂州です。幾つかの大きな石がまとまって打ち上げられていました。 大きさを比較するためにリールの付いた釣り竿を置いています。 釣り竿の長さは112cm、取り付け脚とハンドルを除いたリールの大きさは14×8cmです。

 大きな石は大きな波によってのみ打ち上げられる事が出来て、 小さな波が打ち上げる事が出来るのは小さな砂礫に限られているのだと、私は考えていました。
 ですから、この砂州でも1Kg位を超える石は大きな波の時に打ち上げられているのだと考えていたのです。 でも、実際はどうやら違うのです。

 この砂州では、大きな石も、小さな石も、砂や砂利も、全ての土砂がこの砂州を形成する通常の波によって打ち上げられていると考えられます。
 小さな波であっても大きな石を打ち上げているのです。それはここで示した動画で明らかです。 大きな石が小さな石や砂利より少ないのは、波が弱いから打ち上げられないのでは無く、それらは元々その量が少ないだけなのです。

 これは、河川の土砂の流下を考えれば容易に同意出来る事です。河川では上流ほど石や岩が大きく、 下流に至るほどそれらが小さくなり、最下流で流れる土砂は砂や土になります。
 河川を流下する石や岩は下流に近付くほど小さくなっていますが、それらは厳密にそのような状況にあるのではありません。

 安倍川の場合では一般的な河川での中流部がそのまま海に注ぎこんでいますから、流れ出す土砂は砂だけでなく石や砂利も多いのです。 しかし、それらの石や砂利の大きさが厳密に決まっているのではありません。
 河口から海に流れ込む土砂は、河口近くの河川敷きで見る事が出来る土砂とほぼ同じような構成で成り立っていると考えられます。
 最も多いのは土で、これらは茶色い濁りとなって流れ下ります。次に多いのが砂で、次に砂利、石、大きな石の順にその量が少なくなります。 ただ、砂より小さな土は海に漂い流れてしまいますから、海から陸地に戻った砂州では見る事が出来ません。

 動画で見た石以外にも、同じような大きさの石がこの砂州に打ち上げられているはずです。 でも、それらは数が少なく、そのほとんどが砂礫中に埋もれているので見る機会が少ないのだと考えられます。

海に流れ込んだ土砂と砂州の形状 
 河口を横断して出来る砂州は、規模の大きな増水によって海に流れ込んだ土砂によって形成されています。 ですから、その砂州は安倍川の増水による土砂の流れ込みの状況を反映していると考えられます。
 上段で述べた打ち上げられた土砂の構成はその例です。
 しかし、安倍川から流れ込んだ土砂の事情を全て反映させているのではないようです。

 規模の大きな増水の時の安倍川では、河川の中央でその流れが最も強くまた最も遠くの沖にまで届いています。 それに比べると、両岸近くではその流れは弱いのが普通です。 
 ですから、海に排出される土砂は河口の中央で最も遠くまで届き、またその量も多くなっているはずです。 逆に、両岸近くでは河口の近くに堆積してその量も多くないと考えられます。 にも関わらず、河口を横断する砂州ではこれらの事情が充分に反映していてはいないのです。
 河口から海へと流れ込んだ土砂の全てが引き戻されて砂州が出来ているとしたなら、 河口に出来る砂州の形とその大きさは現在とは違った形になっているはずです。

 河口の中央部から流れ出した土砂が最も遠くの沖にまで届いているのですから、 砂州の形がもっと沖にまで張り出していたとしても不思議はないのです。 例えば、一部破壊された河口砂州が7月18日に沖に向かって張り出して回復した時のように。
 しかし、河口の中央では沖に向かって僅かに伸長して砂州が形成されますが、 その距離は両岸から比べてそれほど大きなものではありません。

 また、河口の中央部では排出される土砂の量が最も多いのですから、河口に形成される砂州では河口の中央付近において、 打ち上げられて堆積する砂礫量が最も多くなっても不思議はないのです。
 しかし、河口を横断する砂州ではその右岸側でも、河口の中央部でも、また左岸近くに至ったとしても、 それらの場所に積み上げられた砂礫量に大きな違いはないのです。その南北方向への幅もその高さも、どの場所でも大きな違いが見つけられないのです。
 つまり、河川の中央部ではその流れ出した土砂量に比べて、陸地に戻り砂州を形成している土砂量が少ないのです。 

 これらは、規模の大きな増水の時に河口から排出された土砂の全てが、 引き戻されて砂州として形成されているのではない事を示しています。 そして、その傾向は河川の中央部において甚だしいと言えます。 

海に流れ込んだ土砂と砂州を作る土砂 
 河口を横断する砂州は、河川から流れ込んで海底に堆積した土砂が、波によって陸地に運ばれることによって形成されています。 小さな波であっても大きな石を打ち上げています。度々出来る砂州の砂礫量は似通った量です。 これらの事実から以下の事を推測する事が出来ます。

 河口を横断する砂州がある程度の期間にわたってその場所に存在する時、河口前の海底に存在する土砂のうち、 通常の波によって岸辺に移動する事の出来る土砂のほとんどは、砂州に打ち上げられているのではないでしょうか。
 河口を横断する砂州が一定の大きさ以上には成長しない事はその表われだと考えられるのです。 

 海底の土砂を陸地に戻すことが出来るのは、海から陸地に押し寄せる波だけです。 海からの波が発生するのは海底が浅くなっている場所に限られています。 河口から海底に流れ落ちる土砂の内で、ごく浅い場所に堆積した土砂のみが波によって引き戻されて砂州を形成するのです。
 河口から流れ出た土砂の全てが波によって陸地に戻されるのではなく、通常の波が発生する程度の深さにある土砂のみが陸地に戻り 砂州を形成させる事が出来るのです。

 ですから、河口に出来る砂州の砂礫量がほぼ一定である事から考えれば、 陸地に戻る事が出来る深さに堆積する土砂の量もほぼ一定であるのではないでしょうか。
 したがって、河口の砂州を流してしまうような規模以上の増水であれば、その増水の規模に関わらず、 岸辺に戻る事が出来る土砂の量に大きな違いはないと考えられます。

 この事は、流下する土砂の量が多い河川の中流や下流の土砂流下を考えると納得出来ると思います。 真っ直ぐに同じような傾斜で流れる河川で、その増水が一定の規模以上の増水であったならば、 ある特定の区間に堆積した土砂の量だけが大幅に異なることはないと考えられるのです。
 もし、堆積した土砂が増えたならば、特定の区間に限って増える事はなく、全ての区域に亘って同じように増えるはずです。 堆積する土砂の量が減った時でも、特定区間だけ減ることはないと考えられます。

 安倍川の河口の場合、その区間は狭いものです。 増水が治まった後に河口の沖合に出来る波は、最も遠い場合でも100〜150m位の沖からではないでしょうか。 深さにすればせいぜい数mの深さでしょう。

 規模の大きな増水によって大量に流れ込んだ土砂があったとしても、 それらの大部分はもっと深い海底に落ち込んでいくしかないのです。 河川の中央部においてその傾向は特に強いのです。
 そして、沖合から陸地に引き戻される事が可能な土砂が陸地に引き戻されてしまえば、 その後には、通常の波によって引き戻される土砂は無くなってしまいます。
 つまり、次の増水があるまで、陸地に打ち上げられる土砂が沖の海底に存在することはないのです。

 海底が深い事で知られている駿河湾の北西の縁である安倍川河口付近でも、岸辺から海底への傾斜は急激に落ち込んでいます。 ですから、どれほど大量の土砂が河口から海に流れ込んだとしても、 海底の地形を変える事はなく、浅い海底に堆積する土砂の量にも限りがあるのでしょう。
 この事が、河口を横断する砂州の形と、その大きさに反映していると考えられます。

これらを簡単に言い換えてみます 
 河口の砂州を流し去ってしまう規模以上の増水であったならば、その規模が大きいほど海底に沈んで行く土砂の量が多くなります。
 それに対して、波によって海岸に戻される土砂の量は、その増水の規模に関わらずある程度定まっていると言えます。
 増水の規模が大きくなるほど大量の土砂が河口から海へと排出されますが、増水の規模が大きいほど陸地へ戻る土砂の割合は少なくなるのです。 つまり、河口の砂州を形成させる土砂の効率を考えた場合、増水の規模が大きくなるほど無駄が多い事になります。

 ここに述べた事は大雑把な考え方です。実際には、河口の全ての場所で常にこのような事が発生するのではありません。 規模の大きな増水の際には沖へと流れ出す水はその先端で方向を変えています。 また、通常の増水や減水であっても水が流れ出す場所は移動します。
 海へ流れ出す水はいつでもあり、河口にはいつでも土砂が流れ込んでいます。 河口の沖に堆積する土砂の量は場所ごとにいつも変動しています。
 ですから、安倍川の河口の沖から砂州に向かって打ち上げられる土砂の量が、 河口の全ての場所でいつも同じだと言う事はありません。 しかし、打ち上げられる可能性がある土砂が堆積している場所とその深さが限られていて、 その土砂の量も限られたものである事は間違いないと考えられます。




この章のまとめ

簡単な実験
 砂浜や砂礫浜では岸辺に打ち上げる波の大きさが定まる事はありません。 その中で、時々発生する大きな波によって波の先端に打ち上げられた砂や砂礫が、砂浜や砂礫浜を形成する土砂になっ ていると考えられます。

砂州の出来方
 河口を横断して出来る砂州の内でその水面下の土砂の多くは、河口から排出される土砂が波によって押し止められて 堆積したものであると考えられます。
 砂州の水面より上部の土砂は、その全てが、一旦海底に排出された後に波によって引き戻され打ち上げられた土砂です。
 砂州は、河口から流れ出る土砂がその流れの傾斜を急激に変化させる直前の流れの端に形成されます。

 海底にある砂礫を岸辺に移動させて打ち上げているのは、絶え間なく発生している「波」です。 その他の事象が砂礫を岸辺近くに移動させていると考えることは困難です。また、波以外の力が砂礫を岸辺に打ち上げていると考える事は出来ません。

 このような状況で、波は海岸が浅くなっている岸辺近くでしか発生しないのが普通です。 沖から大きなうねりがやって来ない限り、深い場所で波が発生することはありません。 ですから、波によって岸辺に打ち上げられる砂礫は、海岸の浅い海底にある砂礫に限られています。
 そして、海底の砂礫が岸辺に運ばれてしまえば、深くなったその場所に波が発生する事もなく、 その場所の砂礫が岸辺に向かって運ばれることも無いのです。 河口の沖合に大量の土砂が堆積していても、その場所から波が立ち上がり岸辺に押し押せて来ない限り、 それらの土砂が海岸の砂礫になる事は無いのです。

 河口を西から東へ横断する安倍川の砂州の場合でも、これらの事情が反映されていると考えられます。

 自然状態の河川の場合、流下する水や土砂は、河川の中央でその量が最も多くその勢いも最も強いのが普通です。
 にもかかわらず、安倍川河口の砂州が東西方向に延びた形でほぼ同じ幅と高さで形成されることは、 東西方向に延びる海岸線に沿った浅い海底に堆積した砂礫のみが岸辺に戻されて打ち上げられている結果であると考えられます。
 つまり、増水によって河口から排出された土砂の中で、岸辺近くの浅い海底に堆積した土砂のみが岸辺に戻されて砂州を形成します。 中央付近から排出された土砂の大部分は海岸に戻ることなく深い海底に沈んでいるのです。 この事は、河口砂州が一旦出来上がってしまえば、砂州のいずれの場所でもその幅と高さがほとんど成長しないことからも証拠づけられていると考えられます。

 これらのことから、安倍川河口の砂州を流し去ってしまうような規模の大きな増水があったとしても、 海底から岸辺へと打ち上げられる可能性がある土砂が堆積する場所とその深さは限られていて、 その増水の規模に関わらず、岸辺へと戻る土砂の量もほぼ限られていると言えます。

 その2へつづく

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