突然変異について

 説明しましょう。

 時々、生物の中に、今まで無かったものが現われることがある。黒い馬の雄と雌との間に、真白い子馬が生まれることもあります。これを、突然変異と言う人がありますが、それは違っています。これはその馬の両親の先祖に白い馬がいたのであって、その白い因子が、たまたま非常に小さな確率だが、結合して真白い子馬が産まれたのです。

 これは奇形の子が産まれる場合にも言えることです。すなわち、これは遺伝の問題です。それは進化論者が言う突然変異とは違うものです。突然に、何かの原因で、遺伝の因子に変化が起き、あるいはそれまでに無かった因子が発生し、親の種とは違った種の子が生まれることです。

 一つの因子は、20種類のアミノ酸が104個並んで、大変こみいった形の分子になっています。これが偶然に生まれるためには、たとえすでに20種類のアミノ酸があったとしても、それが遺伝子になるためには10の120乗、すなわち1の後に0を120個つけた回数だけいろいろ組み合わせて、やっと一つ出来上がるという確率なのです。これは全く偶然ではあり得ない確率です。しかもこのような遺伝子は、人間には50億もあると言われています。

 これら全てが偶然に出来上がるなどということは絶対にあり得ません。

 現在、遺伝子工学で遺伝子の組み替えが研究されていますが、それはすでに自然界に存在する遺伝子を利用しているのであって、因子を作っているのではありません。それとこれとを混同しないように。

 結論は、新しい種を作るような突然変異は無いということです。

 「いや、学校で馬の先祖の足の指が5本あったと教えてもらった」と言う人もあるでしょう。

 進化論者は、「馬の先祖の足の指は無かったが、だんだん指が出来てきて、だんだんと馬のようになり、とうとう5本指の動物になった。それがどうしたわけかわからぬが、馬らしくなるにつれ、再び指の数が減って、とうとう馬になった時、1本指になってしまった」と言うのです。

 同じ空想するならば、いっそうの事、馬の先祖は最初から1本指であったと言った方がよさそうです。5本指が1本になったのが進化なら、1本指が5本になったのは、退化と言うことになります。      

 このような空想が許されるなら、アメーバーは人間の子孫であると言うこともできます。

 「コウモリは、ネズミのような動物から200万年かけて、進化してできた。」と進化論者は言います。

 ではその進化の途中の1000万年ほど経ったとき、ネズミとコウモリの中間物はどんな形だったのでしょうか。指の長い、その指の間に変な膜が付いていて、泳ぐには大き過ぎ、飛ぶには小さ過ぎ、走るにはきわめて不都合な前脚を持って、そのうえ足の指が進化か退化か知らぬが、地上を走ることよりも、むしろ木の枝をつかみやすくなりつつあるが、まだ上手にはつかめない変てこな動物を想像してください。そんな奇形の動物は生きられません。すなわち進化の途中の生物というものは存在し得なかったのです。

 このことは、コウモリについてだけではありません。ありとあらゆる動物植物について言えることです。

 白アリの腸内には、白アリの腸内でしか生存できぬアメーバーがいます。また白アリも、その助けがなければ生きていけません。ではどちらが先に発生したのでしょうか。いっそうのこと、なぜ白アリはそのアメーバー無しに生きていけるように、進化しなかったのでしょうか。

 このような例は無数にあります。

 進化論者は、非常に専門的な、非常に難しい言葉を使いDNAがどうのこうのと言う前に、誰にでもわかりやすく単純な、しかし基本的な問題の説明をしなければなりません。

 進化論に対する決定的な反証は、生物界に「種」が存在することです。世界に「種」は300万あると言われますが、誰も正確にはわかりません。だが非常に多くの「種」があり、すべての生物が「種」によって分類されていることは事実です。そして自然界では「種」は他の「種」とは絶対に混じりません。進化論者は最初「種」は存在せず、生物は「種」によって分類されていなかった、「種」と「種」との間の壁は無かった、と言います。これは完全な空想です。

 「種」は最初から存在したのでなければ、現在も存在していないはずです。そして世界中の生物が一つに混じり合ってしまったはずです。

 「種」は神によって造られたのです。

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