将来の夢〜2〜
翌日。3学期の始業式を済ませてから一度自宅に戻って着替えて拳武館に向かった。館長室で鳴瀧のおじ様はにこにこと笑顔で迎えてくれる。 「正月は大変だったね。壬生から報告は受けているよ。」 「なんとか倒せてほっとしてる。」 「弦麻も迦代さんも、きっと喜んでいるよ。」 おじ様の大切な親友、そして想い人だった私の両親。これから私がやろうとしていることを二人が知ったらはたして喜んでくれるかどうか。 「だといいけどね。」 そっけなく言ってから私はふかふかのソファにぽすんと座り込んだ。 「で、今日はどうしたんだい?」 おじ様は私の向かいに腰を下ろす。 「お願いがあるの。」 必殺上目遣いお願い攻撃で話を切り出した。 「なんだい?私に出来ることならなんでも叶えてあげるよ?」 相変わらず、おじ様は私に甘い。 「この間の、後継者の話、あれ、引き受けてもいいわ。」 その言葉におじ様の顔が一瞬でぱっと明るくなる。 「ほんとかっ!?」 「ええ。でもね、それには一つ、条件があるの。」 「条件?」 明るくほころんだおじ様の顔は見る間にすぅっと引き締まっていく。こういうとこ、やっぱり一筋縄じゃ行かないのね?それくらいじゃなければ拳武館の館長なんて勤まらないのでしょうけれど。 「紅葉は卒業して大学へ行ったあと、ここの教師になるんですってね?」 「壬生?…ああ、そうだ。彼にはいずれ、暗殺組の全部を任せようと思っているからね。」 「それ、私にやらせて頂戴。」 「龍麻が!?」 おじ様は驚きに目を見開いて、次の瞬間にはうーむと唸って考え込んでしまう。 「そのかわり、彼を他の暗殺組の卒業生と同じように他所へ就職させて欲しいの。」 何を言い出すのだとおじ様の表情は言っていた。 「無論、抜けるわけではなく、ね。」 「一体、どうしてそんなことを。」 紅葉が大事だから。紅葉を自由にしてあげたいから。思ってはいてもそんなことは口に出来ない。 「紅葉より私の方が実力があるから。」 そう言ってさも自信ありげににこりと微笑んでみせた。 「しかし、壬生と違って君は殺人拳を習得してはいないだろう?」 「そんなのはすぐにできるわ。そうね、今日からでもお稽古に入ってもいいし。」 バカな、とでも言うようにおじ様は渋い顔をして首を振った。 「一朝一夕に習得できるとでも思っているのかね?そんなに簡単ではないんだよ?」 「とりあえず、今、紅葉が使える技なら1ヶ月。」 「ばかなっ!」 「できるわ。」 「龍麻。ずっと今まで教えてきただろう!?自分を過信してはいけないと。」 たしなめるような言葉に私は首を振る。 「全く武道ができない人間がやるわけじゃないでしょう?それに紅葉の技をずっと見てきたからある程度はできるわよ?」 「一体、どういうつもりだ…。」 唸るように言ったおじ様は頭を抱え込んでしまった。 「もっと強くなりたいの。何にも負けないくらいに。何があっても平気なくらいに。」 それは嘘じゃない。強くなってみんなを、ううん、紅葉を守りたい。もうこれ以上、紅葉が悩まなくてもいいように。傷つかなくってもいいように。私はそんなことしかできないのだから。 おじ様はしばらく頭を抱え込んで、やがて意を決したように顔をあげた。 「わかった。」 「ありがとう、おじ様。」 「けれど、稽古は厳しいぞ?」 「ええ、構わないわ。紅葉の件、絶対に守ってね?」 念押しをする私に逆におじ様は聞き返す。 「ひとつ、聞いていいかね?」 「なに?」 「壬生なら、将来きっと龍麻の片腕になるだろうが、何故外部に就職を?」 「余計な対立を生まないため。実力は私が上でも紅葉は男だし、拳武館の卒業生でしょ?私に従わない人が彼を担ぎ出す危険性があるじゃない?私は先月ここの内部抗争の現場を見たばかりだし、ね?」 予想された質問に用意された答えを返す。先月のクーデターとでも言うべき騒動はまだ記憶に新しい。おじ様は苦い顔をしてうなづいた。 「それから、紅葉にはナイショね?追い出す人間にばれると後が面倒だから。」 「あ、ああ。」 これでいい、なんとかおじ様を納得させると今日から早速稽古をするべく道場に向かった。 11日。私は3日ぶりに如月骨董品店にいた。鏡開きで翡翠が大量にお汁粉を作ったらしく、お誘いの電話が入ったのだ。学校帰りに店に寄ると早速振舞ってくれる。翡翠自身はさほど甘いものが好きだというわけではないようだが、頻繁に店に訪れる私のためにわざわざ甘いものを用意してくれている。 「へぇ、教師ねぇ。」 2杯目を平らげたあと、横で翡翠は感心したように言う。 「龍麻なら、合うかもしれないね。…美里くんもだったね。同じ大学?」 「ううん。葵は私立。私は東京教育大学受ける。」 「国立か。」 「お金ないしねー。」 おかわりのお椀を出すと翡翠は笑って台所から3杯目を持ってくる。 「で、専攻は?」 「歴史。一番、得意科目だし。」 「そうか、じゃあ、共通一次を受けるんだ?」 「うん。去年のうち、念のため願書を出しといてよかったよ。…で、翡翠は?どこ受けるの?」 この間は翡翠の第一志望の大学を聞いていなかった。 「そうだな、僕も龍麻と一緒にするかな?」 「ひーすーいーっ。」 怒った私などまるきり無視で翡翠は言う。 「僕は美術の勉強ができればいいんだ。もともと骨董屋としての腕は悪くはないはずなんだけどね、まぁ後学のために、かな?あそこなら確か、芸術専攻があっただろう?」 「あるけどさ。ちゃんと自分の将来を考えなきゃだめだよ。」 「考えてるさ。あそこはキュレーターにもなれる教育課程があるしね。」 「キュレーターになるんだったら東京美術大学の方がいいでしょう?」 「あそこはまずいんだ。祖父の知人がかなりいてさ、余計なことつつかれたくない。」 にっこりと相変わらずの美貌で微笑んだ後、ふと思い出したように翡翠が呟く。 「そういえば、壬生。あいつ、医学部受けてみるって言ってたな。」 ぴくりと私はその話に反応した。 「急に学外への就職が許可されたようでね。壬生も驚いていたようだったけど、とりあえず、一次試験を受けて成績がよければ二次で医学部に行くことも考えるって。」 「へぇ。よかったじゃない。医者になりたかったんでしょ?」 そ知らぬ振りをして答えるとちらりと翡翠が私を見た。 「でも、なんで龍麻は急に教師に?」 私の目を覗き込むように、何があったのかといった表情で探ってくる。 「マリア先生、助けられなかったから。」 私が言った言葉に翡翠がああとうなづいた。最後の決戦の直前に、私は不本意だったけど担任だったマリア先生と戦った。先生は校舎から落ちて、そのあと犬神センセに助けられ、桜ヶ丘に運ばれたそうだけど、すぐにでていってしまったという。無事でいるといいんだけど。 でも実際、それはいくつかある補助的な理由の一つに過ぎない。教師になることを決意した一番の要因は拳武館の後継者になるんだったら教員免許くらいはとっておいたほうがいいということだった。 3杯目を平らげたところで柱時計が重い音で2時を知らせてきた。 「あ、いけない、もうこんな時間だわ。」 「どこかに行くのかい?今日は村雨や蓬莱寺や壬生が来るのに。」 壬生、という名前に胸がどきりとする。だけど翡翠にはそれを悟られないよう、精一杯の平静を装った。 「なぁに?またマージャン?」 「ああ。龍麻は?」 「勉強ばかりしてたら腕がなまっちゃってさ。体動かしに行って来る。」 「やれやれ。元気だね、龍麻は。」 「それだけが取柄だもの。翡翠、ごちそう様。」 「どういたしまして。気をつけて。」 「うん。じゃね。」 ひらひらと手を振って座敷から店に降りる。翡翠に見送られて如月骨董品店をあとにした。 鳴瀧のおじ様に後継者になると宣言してからというもの、毎日拳武館の道場まで通っている。それも紅葉に見つからないように、気を使いながら。もっとも、彼は3年でもう稽古にもほとんど顔を出さないようである。 拳武館では私の相手になる人間がいないため、私はいつもおじ様から直接稽古をつけてもらっている。人目に付かない第二道場で稽古は行われる。ここは、第一道場と違って殺人技の継承のためだけに作られた、いわば秘密の道場で、出入りできる生徒も暗殺組に限られ、地下にあるために道場は窓一つない。 「やぁっ!」 渾身の蹴りをなんなくかわされて舌打ちをする。さすがに拳武館館長ともなると強い。紅葉とは段違いの強さになかなか太刀打ちできないで責めあぐねている。 「どうした。それでは犬も殺せないな。」 煽るような言葉を言われて逆上しそうになるが思いとどまる。いけない、冷静が一番。対峙しながら次の機会を冷静に待つ。 「来ないならこっちから。」 次々に蹴りを放って来る、そのスピードに押されながらもかろうじて避けて逆襲のチャンスを待つ。 「空牙っ!」 一瞬の隙を狙って空牙を放ったが、それは道着を掠めただけだった。 「ふふふ、もう空牙をマスターしたのかね。でも、まだ甘いな。」 一度技を出して安心してしまった私は連続で蹴りをくらって道場の固い壁に向かって吹き飛ばされる。思いっきり後頭部をぶつけてそのまま崩れこんだ。 「相手が倒れて死亡を確認するまで気を抜くな。」 頭の上から見下ろすようにして言われる。 「今日は用事がある。稽古はここまでだ。」 「はい。」 「まだ脚力が弱すぎるな。少し鍛えておくといい。」 「はい。ありがとうございました。」 礼をしておじ様が道場から出て行くのを見送ってから第二道場専用のロッカーに戻る。そこは出入りを許可された人間のみロッカーを与えられているようで、私も名前は入っていないけれど、隅っこの誰も使用していない予備のロッカーを割り当てられた。 疲れて、あちこち痛む体をひきずってロッカーにもたれて座り込む。脚力か。確かに技自体はできるようになっているけれど、その破壊力は遥か壬生に及ばない。こんなんじゃダメだ。もっと、もっとがんばんなきゃ。 着替えようと立ち上がって、ふと見ると3つ横に壬生紅葉と書いてあるロッカーを見つけた。 「紅葉…。」 近寄り、紅葉の名前の札にそっと触れる。 「ごめんね。これぐらいしか、してあげられないの。」 会えなくなった彼に謝るようにつぶやいた。ほんとはもっといろんなことをしてあげたかったけれど。 感傷的になりそうな頭をぶんぶんと振って着替えることにした。もっと、強くならなくちゃ。何にも動じないくらいに。 帰り際、携帯に入った連絡をチェックする。不在着信1件。ディスプレイに表示された紅葉の名前がじわりと滲んで見えなくなる。消去ボタンを押し込んで、袖口で涙をぬぐった。 |