将来の夢〜1〜
冬休み最後の日。私は如月骨董品店に遊びにきていた。翡翠から沢山和菓子を頂いたから食べに来るように誘われていたのだ。1個目を食べている最中に紅葉がやってきて、いま、3個目をご馳走になっているところだ。 「で、龍麻はどうするんだい?」 翡翠も紅葉もマージャンの面子が揃うまでゆっくりとお茶を飲んでいる。私は3個目を飲み込んだところで急に話をふられてきょとんとした顔で翡翠を見た。 「ん?」 「進路だよ。」 聞いてなかったのかというように憮然とした表情で翡翠が言う。 「あー、進路、ねぇ。」 はぁとため息をつき、うーんと考える仕草をする。 「そぉだなぁ、どうしよっかなー。」 「まさか、まだ決まってない?」 信じられないといったように翡翠が大げさに聞いた。 「うん、それどころじゃなかったしなー。」 甘くなりすぎた口を塩昆布で直しながら、本当にそれどころじゃなかった過去8ヶ月をざっと頭の中で考えた。鬼だ、外法だ、龍脈だ、黄龍だなんだと騒がしかったのに、進路どころじゃなかったんだ。 「翡翠は?やっぱ骨董品店店主?」 もう既に決まっているだろうことは分かっていたけれど、一応笑いながら尋ねると、彼も苦笑しながらうなづいた。 「まぁね。これしかやることがないし、これがやりたいし。もう少し詳しく勉強するために大学に行こうと思っているけど。」 まぁ、翡翠らしいといえば翡翠らしい。 「紅葉は?」 きちんと正座してもくもくとお茶を飲んでいた紅葉が顔をあげ、いつものように無表情で答える。 「教師。拳武館からは離れられないからね。」 その言葉に彼の境遇を思い出す。拳武館高校の暗殺組。一度入ったら生涯抜けることは許されない。彼は実行班のトップだから尚更である。万が一処理班の人間が抜けて、今までのことを世間に暴露しても、それは簡単にもみ消すことも出来るし、妄想だと逆に世間的に抹殺することは可能である。しかし実行班は直接手を下しているので、妄想では片付けられない。拳武館を抜けるなどということは断じて許されないことだった。 「でも、他の職業につく人もいるんでしょ?」 その質問に紅葉は首を僅かに左右に振った。 「僕はダメなんだ。」 「なんで?」 「僕は重要な事件に関わりすぎたし、それに館長には随分世話になってしまったからね。今更拳武館以外にいけないだろう?」 それがあたりまえというように平然と紅葉は言ったのだが、最後の言葉に、不本意だというニュアンスを感じ取った翡翠が新たに問い掛ける。 「他に何かやりたいことでもあったのかい?」 紅葉は秀麗な顔を僅かに曇らせて、少し手を止める。 「そうですね。…医者になりたかった、かな。」 ややあってからぽそりと呟いて、それでもすぐに少しだけ明るい表情を作って言う。 「まぁ、なるにはお金がかかるし、無理ですけどね。それに教師だってなんだって、生活していければいいんです。」 そう言った紅葉がやけに明るい表情なのが気にかかる。 医者というのは、おそらく彼の本音なのだろう。病気のお母さんを直すために医者を志したかったのかもしれない。母親の病状は一進一退をくり返し、もう随分長いこと入院生活を余儀なくされている。直る見込みは少なく、入院でこれ以上悪くなるのを防いでいるといった感じだ。彼が拳武館の暗殺組に籍を置くことにしたのも病床にある母親のためだと聞いている。 「龍麻は、小さい頃の夢とかないのかい?」 翡翠の質問にはっと我にかえった。 「あ、うーん、そうだなぁ。」 私は少し首を傾げて考えた。小さい頃の夢というとアレだろう。 「やっぱり、女の子だし。オーソドックスにお嫁さんになりたかったかなぁ?」 その答えに、如月は嬉しそうに顔を綻ばせる。 「随分と可愛らしい夢だね。」 「そりゃ、ね。」 「それなら、僕のところに嫁にくるといいよ。いつでも歓迎するよ?」 翡翠はにっこりと微笑んでとんでもないことを口にする。最近、そういう発言が多くなったのは仲間になった当時よりも打ち解けてくれたせいだと思っていいのだろうか。隣にいた紅葉はその発言で固まってしまっていた。 「少し古いいい回しだけど、家付きだし、車はまだないけどそのうちに買うつもりだし、家族は他にない。いい条件だと思うけど、どう?」 どこまで本気なんだか。私は苦笑いをして聞いている。翡翠が、おそらく私のことを好きであろうことはなんとなくわかるけど、いきなりプロポーズもないだろう。 「考えとくよ。」 「そうかい?いい返事を待ってるよ?」 翡翠はそう言って過去に何人もの女子高生を落としたであろう爽やかな微笑を顔に浮かべた。 ちゃぽん。 バスタブの中。掌に乳白色のお湯を掬って、零れ落ちていく様をぼんやりと見つめる。 『僕を、許せるのかい?』 『小さい頃から拳武館という枠の中だ…僕には選択権などないのさ。』 『拳武館から離れられない』 『医者になりたかった、かな』 胸の辺りまで浸かっていた体を一気に顎まで沈める。 『教師だってなんだって、生活していければいいんです』 そこまで壬生の言葉を思い出して、鼻がツンと痛くなる。 1ヶ月ほど前の紅葉を思い出す。人を殺めて糧を得ている自分に倦んでいた。優しい心は自ら傷つかぬよう、何も感じないように閉ざされて、諦めなくてはならない自由を夢見ることのないように、回りを見ようとはせずに。本当は自由になりたいんでしょう?罪からも枷からも掟からも逃れたいんでしょう? 最近、ようやく少しだけ紅葉の気持ちがわかるようになってきた。あんまり自分の要求を人に言わない性質らしい。それを、わざわざ言って、しかも表情まで僅かだけど変わったし、言ってしまったことに対してのフォローまで入ったということはかなり本気の願望だったと思う。 もう充分に苦しんだのに、将来も束縛されて。かなえたい夢もあきらめなくてはいけなくって、これからもずっと自分を騙しながら生きていくんだろうか。本当は綺麗な笑顔を持っているのに、笑うこともなくすごしていくんだろうか。…紅葉には笑っていてほしいのに。 紅葉が私を助けてくれたから、私も紅葉に何かをしたいけれど。私に何が出来る?紅葉のために何がしてあげられる?私のことを信じてくれた紅葉に、何をしてあげたらいいだろう。 ぶくぶくぶく。 顎まで浸かっていたのを一気に頭の上まで沈みこんでいく。 すぐに浮上するとぷるぷると、犬のように頭を左右に振った。 |