| 
「あたたた…。」
 翌朝。
 頭を抱えながらようやく起き出して来た龍麻に、翡翠は心配そうに手を貸してやる。
 昨晩遅くに、大阪で取引先との食事を終えた翡翠がここに戻ってくると、幸せそうに微笑んで日本酒の1升瓶を抱えた龍麻が座敷でころんと寝ているのを見たときには言葉もでないくらいだった。
 何しろ、その傍らに同じように1升瓶を抱えて寝ていたのは何を隠そう自分の祖父であったのだから。
 傍らにあった見慣れぬ木箱をあけると、そこには夫婦茶碗が鎮座していて、それがあの鍋島の尺皿の作者の作であり、またそこに寝こけている祖父の作であることもすぐにわかった。
 そして、二人が幸せそうに一升瓶を抱えていることからも、打ち解けたのは明らかであるが。
 翡翠は苦笑しながら、二人のために布団を敷き、そして眠りについて現在にいたるというわけだ。
 「…当たり前だよ。一体、どれくらい飲んだんだ。」
 翡翠の質問に龍麻は首を傾げる。一升瓶が1本、空になったところまでは覚えている。だけど、その後は…かなり飲んだのは分かっているけど、正確な酒量までは覚えていない。分かっているのは空瓶が2本あることから、二人で最低2升は開けたと言うことだけだった。
 酒量を思い出せない龍麻に、翡翠はため息をついて今度は祖父の方を向き直る。
 「お祖父様もお祖父様です。龍麻はまだ未成年なんですよ?」
 こちらは全く平気で、久しぶりによく飲んだといわんばかりの祖父が、静かにお茶を飲んでいる。
 「おまえにそれを言われたくないものだな。…翡翠。」
 祖父のその態度に、不愉快そうに翡翠の眉がひそめられる。
 「それは、僕の好むと好まざるとに関係なく、修行の一環としてお祖父様が酒を飲ませたんじゃありませんか。」
 反論する翡翠の声が龍麻の頭に障るらしく、翡翠の脇で顔をしかめて頭を抱える。
 「…ああ、…ごめんよ。」
 龍麻はうなづいて、ようやく朝食の席につく。
 「…食べられるかい?」
 「…なんとか。」
 「ほぉ。…2升飲んで、朝食が取れるなど…先が楽しみじゃ。」
 「「2升!?」」
 そこで初めて夕べの酒量を知らされて、龍麻も翡翠も驚きの声を上げる。
 「二人で4本あけた。…いやはや、龍麻殿は酒が強い。」
 かっかっかっと、どこかの時代劇のご老公よろしく、祖父が高笑いをする。
 「よく、急性アルコール中毒にならなかったものだ…。」
 歎息しながら翡翠は朝食をとり始め、龍麻も隣でぼそぼそと食事を始めた。
 さすがの龍麻も頭痛がするのか、今日は大人しい。
 「…ところで。翡翠、店のほうは?」
 「ぼちぼち、といったところですよ。…骨董ブームで壷やら皿やらがかなり出ますね。」
 「ふぅむ。」
 よいとも悪いともいえない返事を返した祖父に、翡翠は思い切ったように口を開いた。
 「…お祖父様。…東京にお戻りになられませんか?」
 それはちょっと前から考えていたことだった。
 別に店をやっていくのに大変なわけではないが、やはり、なんといってもたった一人の家族である。いないと、いないで心配にもなる。
 しかし、翡翠の誘いに祖父は一瞬眉毛を上げてから、にやりと笑って答えた。
 「断る。わしはあの庵が気にいっているのじゃ。…それに東京なんぞに戻って、くだらない俗世のしがらみに縛られるのは滅法ゴメンじゃ。」
 憎まれ口を叩く祖父に翡翠はやっぱりとふぅっとため息をつく。
 了承するとは思えなかったが。やはり面と向かって断られると些か凹んでしまう。
 表情が僅かに曇った翡翠を見て、ごはんを飲み込んだ龍麻が横から口を出した。
 「…そうじゃないですよね?…翡翠のこと、信頼してるから、今更東京の店に戻ってもやることがないからって言いたいんでしょう?」
 にこにこと、龍麻が言うのに、祖父が真っ赤になって否定する。
 「なっ、ナニをっ!?」
 図星を指されて狼狽した祖父に構わず、龍麻は今度は翡翠の方に視線を向けた。
 「…ねぇ、そういう言い方するのって如月家の遺伝なの?」
 不思議そうに翡翠に尋ねる龍麻に翡翠も祖父も顔を見合わせる。
 「いや、そういうわけでは…。」
 「別にわしは…。」
 二人同時に始めた言い訳が、そうだと言外に物語っているようで、龍麻はおかしくって噴出すと、二人ともつられて笑い出した。
 3人で和やかな朝食をとったあと、チェックアウトまでかなり時間があったので龍麻は酒を抜くために一人で朝風呂に入りに出て行った。
 その姿を見送りながら祖父は翡翠に呟く。
 「…黄龍の力というのは…彼女にとって不必要なものなのだな。」
 その呟きに翡翠はくすりと笑うと頷いた。
 「龍麻は、龍麻でいいんですよ。…そのままで充分に人をひきつけます。」
 それは確かにそうだった。
 僅かしか言葉を交わさないのに、何時の間にか彼女のペースに巻き込まれている自分がいる。
 欠けているからこそ満つる幸せ。
 そうなのかもしれない。万能のものはそうでないものの苦しみや悦びを分かち合うことは出来ないから。それが人の上に立つものが知らなければいけないことなのかもしれない。
 それが簡単なことであるのに、言われるまで気付かない人が多いことだろう。自分もその一人だったのだ。
 これが真の黄龍の力なのかもしれない。
 「…良い恋人を持ったな。」
 呟く言葉に隣にいた孫が頷いた。
 「…ええ、本当に。」
 臆面もなく肯定する孫に祖父は眉を潜める。
 「…のろけか?」
 「真実です。」
 しれっという孫に祖父は呆れたように呟く。
 「…しばらく会わないうちに性格が、変わったんじゃないか?」
 「そうですか?自分では変わらないつもりですが。…変わったとしたら龍麻のおかげ、ですよ。」
 さらりと言ってのける翡翠に、さらに渋面を作った祖父はぼそりと呟く。
 「安心して、誰かにかっさらわれんようにな。」
 それは洒落になっていない。思わず翡翠も渋面を作ってうなづいた。
 
 
 |