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その浴衣は濃い水色と薄い水色が半身の半分ぐらいの幅で縦に交互に染め分けられている。色の境界線のあたりには紺のとんぼの模様が波状に入っているのだが、翡翠がこういった渋い模様を選ぶのは少し龍麻には意外だった。龍麻に着せるなら、花か何かの模様だと思っていたのだが。
 小さい方の支度部屋で着付けをして居間にしている部屋に戻ってみると、先に着付けて座っていた翡翠もなんと同じ柄の浴衣を着ていたのだった。少し胸を開けて、着方がさすがに堂に入っている。
 「…お揃い?」
 「そう。…男女共用の柄って、なかなかないからね。…龍麻には少し地味な柄かもしれないけど。」
 嬉しそうに、にこにこと笑顔で言う翡翠に龍麻はひっそりと苦笑する。こういう可愛いところもあるんだなって、最近分かるようになってきた。
 もしかして、これがしたくてわざわざ浴衣を買ったのだろうかとさえ疑いたくなってくる。
 「そろそろ出ようか?」
 時計を見ると、渡月橋に向かう船が出る時間が近くなっている。
 あわてて財布やらハンカチやらの荷物を巾着に入れると、船の時間に間にあうように桟橋へと出かけていく。
 すでに見物に行くお客さんで桟橋は一杯で、だけど浴衣なんて着ているのは自分達だけだったし、お揃いであることからもかなり注目の的で、恥ずかしいやら、照れくさいやらで龍麻はどっかに隠れたくなってきた。
 それでも船に乗って渡月橋で降りるとさすがに周りには浴衣姿の人が多くて、さほど目立たなくなってくる。
 「龍麻、こっちだよ。」
 翡翠は人ごみの中、手を引いて歩き出す。
 「どうするの?」
 「こっちに。」
 橋を渡らずに、川沿いに下流である桂川の方に歩いていくと迎車のランプのついたタクシーが停車している。
 翡翠はそのタクシーに近づき、運転手に何かを言うと、そのタクシーはドアを開けてくれた。
 「さぁ。乗って。」
 言われるまま、訳もわからずに乗車するとタクシーは走り出し、渡月橋を渡って右折する。
 「ど、どこに行くの?」
 「将軍塚。」
 龍麻は頭の中の地図でその地名を検索する。
 記憶に間違いがなければ、それはこの嵐山と全く反対の方向にある、東山の方ではないだろうか。
 「…ねぇ、将軍塚って…東山の方の?」
 恐る恐る尋ねてみると、翡翠はうんと軽く頷いた。
 「な、なんでそんな遠くに?」
 「あそこからだとほとんどが見えるんだよ。…ああ、ちょっと向きが悪くて大文字は見えないけど、そのかわり左大文字が見えるから。」
 市外の端から端までタクシーでいくらかかるんだろう。思わず龍麻はそんなことを考えてしまうが、翡翠はなんでもないことのように微笑んでいるだけだった。
 それから1時間ほどで現地に到着すると、そこにはすでにかなりの人がいたが、それでも酷く混みあっていないのはここまで昇ってくる道路には通行制限を敷いていてタクシーしか昇って来れないからだろう。
 眺望は確かに良く、ここから京都市街を眺めてみると、京都の町の道路が碁盤の目になっているのがよく分かるし、ひときわ明るく、ネオンが瞬いている辺りが河原町、市街地の中に沈みこむようにして暗い闇が横たわるのが御所だろうと、簡単に予想がつく。だけど、ここから本当に送り火が見えるのかどうかは分からなかった。
 「こんなところで見えるの?」
 「ああ。ここからなら5つ見えるよ。」
 そうして待っているうちに、市街の明かりが落とされて暗くなったのが分かる。
 「そろそろ大文字かな。」
 そう言っているうちに、大文字山のあるあたりがぽうっと明るくなったのが分かる。文字は見えないけれど、炎の明かりが見えるのだ。
 「始まったね。」
 それはひどく幻想的な風景で、年に一度の、里帰りをしてきた御霊たちを再び下の世界に送り出すに相応しい。
 龍麻はその光景をぼんやりと、遠い目で見つめていた。
 「ほら。今度はあっちだよ。」
 しばらくたって、翡翠の言葉に龍麻ははっとして示されている方角を見る。すると、今度はその先にオレンジ色の文字でくっきりと『妙法』と真っ黒な山影の中に浮かび上がった。
 周りの人たちから同時にどよめきが起こる。
 「綺麗ねぇ。」
 ほう、とため息をついて、魅入られるようにして眺める龍麻に、連れてきてよかったと翡翠は微笑む。
 「あと少ししたら次のが点火されるよ。今度は二つ。」
 そういう先から、ぼうっと船形と左大文字が見え始める。ここから少し距離があるせいか、妙法ほどははっきりとは見えないけれど、それでもきちんと形になっているのはわかる。
 「最後はあっち。…あれは嵐山にいたほうがよく見えるんだけどね。…鳥居形なんだよ。」
 そう言って指し示した先は遥か向こうで、5分ほどで、闇夜に浮かび上がるようにして鳥居形が現れる。
 燃え盛るそれぞれの文字は、赤々と御霊を送るために燃えている。
 龍麻はそれを無言で眺め、そして、光炎が見えただけの大文字の炎が弱くなる頃に、そっと小さな手を合わせる。
 「…龍麻…?」
 隣にいた翡翠は、龍麻の様子が気になって声をかけてみる。
 「…柳生は…死ぬことができたのかな…?」
 龍麻がぽつりと漏らした一言に翡翠ははっとする。
 「…ずうっと長い時間を生きてるって…辛いと思うから。…あれで終わりになって、また新しい生を得て、今度は幸せになって欲しい…。」
 祈る姿は、黄龍などではなく、ただの、どこにでもいる女性で。
 だからこそ翡翠は龍麻を護ってやりたくて。
 「…それに。…九角とか、水岐とか、佐久間とか。…みんな、幸せに生まれ変わると…いいね…。」
 最後は涙声だった。
 もう去年の話だと、翡翠はとっくに忘れていた。それを龍麻はずうっと、気に病んでいたのだ。
 自分が手を下して、そして消えていった人々を。
 彼女は今まで何も言わなかったけれど、いつも心のどこかでは覚えていたのかもしれない。
 たとえ、自分と対峙したとしても人の命には違いない。外法を使い、人ならざるものとなったものでも。
 「大丈夫。…みんな戻ってこれるよ。」
 今はただ、慰めてやることしか出来ない翡翠は気休めにでもなればとそう答える。
 「…龍麻が、そう願うのなら。みんな次には幸せになれるから。」
 「…そ…だね…。」
 僅かにうなづいて、あわせた手を硬く組んで、後悔に震えるかのように龍麻が涙ぐみ、それにあわせて肩が小刻みに上下する。
 やがて、それは嗚咽になり、翡翠はひくひくと小さく上下する肩を抱いて、龍麻の気が済むまでそうしていた。
 
 
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