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翌日は朝からまた仕入れに回る一日だった。
 知り合いの店では、頼んでいたものを購入し、また知人からの紹介の店ではこれからの付き合いのこともあり、丁寧に話をしている。
 翡翠に聞いたところ、こうした知己の店は市中に20軒はあり、店の得意客から品物を探して欲しいという依頼を受けるそれぞれの店に連絡を取るのだという。
 また、先代以前からの付き合いではなく、翡翠が自ら新たに開拓した店もあり、その数は増える一方らしい。こうした地道な努力が『如月骨董品店』の看板を揺るがぬものにしているのだと思う。
 龍麻は去年まではあまり知らなかったが、東京の『如月骨董品店』といえば、骨董品業界ではかなり有名であるらしい。創業は元禄というから300年あまりの伝統を誇る、老舗中の老舗なのである。
 店主が年若い、というせいであれこれと噂するものが多いが、よく見知った店の主人達はその若輩の店主の目がいかに確かであるかよく分かっているので、これまで通りの付き合いを続けている。
 龍麻は、春から店番をするようになってからこうした店の実情を知るようになり、改めてその凄さに翡翠を尊敬し直していたのだ。
 朝一番から店を4軒ほど回ったところで日が傾き始める。
 今日は、夜は五山送り火があるせいか、ひどく街中は混み合っていた。
 昼食をとるのさえも一苦労で、観光客が行きそうな有名店はもちろんのこと、地元の人が行くような店までひどい混雑である。
 当然のことながら交通機関も一杯で、午後になるに従ってバスなども酷い混雑で、移動も大変になってきた。
 「さてと、今日は早めに切り上げるか。こんなに混んでいては仕事にならない。」
 ため息をつきながら翡翠が言う。
 「今日は五山の送り火があるからね。…どうするかい?船岡山まで行こうか?それとも嵐山で鳥居だけ見るかい?」
 尋ねられた龍麻はうーんと首をひねる。
 今日一日の混雑で正直言って疲れていた。
 それでなくても京都の夏は暑くて体力を消耗している。これ以上の人ゴミは避けたいところだけど、折角のイベント、見ないのも何か勿体無い気がする。
 そんな龍麻の気持ちがわかったのか、翡翠はくすりと笑うと新たな提案をする。
 「それじゃあ、楽に行けるようにしようか。…とにかく、一度旅館に戻って、汗を流してから出かけよう。」
 それから一度バスで嵐山に戻って、渡月橋脇から船に乗る。
 丁度チェックイン開始の時刻だったようで船室には一杯の人がいた。
 「お帰りなさいませ、若旦那様。」
 船頭が恭しく頭を下げて二人を出迎える。
 「ただいま。…今日は船はどれくらい出しているかい?」
 「へぇ。12時が最終なのは変わりないです。今日は送り火ですからね。おでかけですか?」
 「ああ、折角来たからね。…龍麻に見せようと思って。」
 すると船頭はにこにこと笑って頷いた。
 「それがよろしゅうございますよ。いつもは7時以降は1時間おきですが、今日は10時までは30分おきですから遠慮なく使ってください。」
 「ありがとう。」
 翡翠が礼を言い、二人揃って一番前の座席に落ち着くと同時にゆっくりと船が動き出す。
 今日の泊り客は送り火を見物に行くのか、みんな早くから宿に帰り、早目に夕食を取ってまた出かけていくつもりらしい。
 巨岩の並ぶ渓谷を遡っていくと船室のあちこちから感嘆の声があがる。
 やがて旅館の下の船着場に到着すると沢山の仲居さんが出迎えに降りてきていて、昨日と同じように一斉に頭を下げての挨拶に出迎えられる。
 2泊目の私達はそのまま一番奥の離れに戻ると、早速今日、仕入れてきた小物などを出す。
 大きいものや壊れないものなどは東京に送ってもらうのだけど、小さいものとか大事なもの、壊れ物はそのまま手で持って帰ることにしている。
 「若旦那様。」
 今日の仕入れ品の整理をしているところへ女将がやってくる。龍麻に櫛などの小物の整理を任せて翡翠が出て行った。
 「ああ、待っていたよ。…どうかな?」
 「ええ。これでいかがでしょうか?」
 「ああ。十分だよ。忙しいのに、悪かったね。ありがとう。」
 「お役に立てて何よりです。…では。」
 出入り口のところで翡翠と女将さんがそんな会話を交わしていた。戻ってきた翡翠が何かを持っているのを見て、龍麻が不思議そうに首を傾げる。
 「何?」
 翡翠が龍麻の前に座りこんで、畳紙に包まれたものを置く。
 「浴衣だよ。…僕が女将に頼んでおいたんだ。…着てくれるよね?」
 畳紙を開くと中には確かに浴衣とモスリンの腰紐、帯が入っている。
 当然のことのように言う翡翠に、龍麻の顔にぴきっと一瞬筋が入る。
 「…これ、もしかして、買ったの?」
 「まぁね。」
 そうじゃないかとは思っていたが、なんでもないことのように返事する翡翠に龍麻はじと目を返す。
 「…前に、高価なプレゼント禁止って言わなかったっけ?」
 その言葉に、翡翠は今年の春、初めて龍麻にプレゼントした時のことを思い出す。
 もちろん、愛する龍麻の言葉だから忘れてはいない。
 「…プレゼントは禁止なんだろう?これはプレゼントじゃない。」
 「だって、買ったって言ったじゃない。」
 「これは、龍麻への報酬だよ。…荷物持ちしてくれているだろう?」
 さらりと言ってのけたその言葉に龍麻は苦笑する。
 言い出したら聞かない頑固者。
 どんな屁理屈をこねてもプレゼントするに決まっているのだから。
 「こんな高価なもの、貰うような働きしてないんだけどね。」
 だけど、素直に貰うのもなんなので、わざと意地悪く言い返すと、しれっとさらに言い返される。
 「…してるさ。…僕は龍麻がいてくれるから商売にも身が入るようになったし。…いつも店番してくれるから、結構助かってるんだ。…それに、僕は龍麻に今まで正当な報酬を支払ってないだろう?だから、その分。そう考えると安いとは思わないかい?」
 「…どうなんだろ?」
 「安いさ。…さぁ。早くお風呂入って、夕食にしよう。遅くなると見れなくなるからね。」
 うまいこと龍麻を丸め込み、翡翠は得意満面で荷物を片付け始める。
 やれやれ。龍麻は相変わらずな翡翠に苦笑して、それからゆっくりと頷くのだった。
 
 
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