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清水を降りて、再び市バスに乗って次の取引先のある平安神宮を目指す。
 かんかん照りの中、最寄のバス停に到着した時点で既にお昼を回っていたので、食事を軽く取ってから、すぐには取引先には出向かずに先に平安神宮に寄ってみた。
 眩しい日差しを受けて鈍く反射をしている砂利を踏みしめながら、朱も鮮やかな応天門を潜ると青龍と白虎の楼閣が左右に見えてくる。裏手には池もあり、市中にあるにしてはかなり広い敷地である。
 龍麻はその敷地をまわりながら、ふと考える。
 京都はまさに四神相応な土地柄なのだ。今はもうないけれど、昔は京の市中の南に巨椋池というのがあったという。その昔、わざわざそういった土地を選んで都にしたのだ。
 東京よりも遥か昔に、この地に自然の理に重ねるようにして強固な守りを引いた陰陽師は、そういえば自分の仲間である御門の祖先だったのだ。
 そのせいか、自分は他の土地に行くより京によく馴染むと思う。
 そう思いながら神苑を回っているときに翡翠がぽつりと龍麻に言う。
 「僕はね、玄武でよかったと思ってるよ。…まさか黄龍の器が、女性なんて思いもしなかったけど、それが君の側にいる理由に一つになるなら嬉しいよ。…無論、玄武に関係なく僕が、如月翡翠が、緋勇龍麻の側にいたいんだけどね?」
 穏やかな笑顔でそう言われて、龍麻は思わず顔から火が出そうなほどになる。
 「迷惑…かい?」
 戸惑うように尋ねた言葉にふるふると慌てて首を振る。その返答に安心したように言葉を繋げる。
 「君に、言わなかったけど。…君が東都女子大を、美術論クラスを選んだって知った時に僕は不覚だけど泣いてしまったよ。…君が同じ道を歩んでくれる、それだけで嬉しかった。僕に関係なく、ただ純粋に君がそうしたかったのだとしても、やっぱり、それでも嬉しかったんだ。一緒にものを見て話が出来る。僕がしていることを君に分かってもらえると思っただけで、嬉しくて、嬉しくて、ね。」
 頬を僅かに染めて恥ずかしそうに告白した翡翠がとてもきれいで。龍麻は見とれちゃいそうなほどだった。それでも、すぐに自分が今勉強している道を選んだ決意を翡翠に知らせるために口を開く。
 「あのね。…元から興味あったけど。…でも、翡翠がいたから、この道を選んだんだ。」
 その言葉に翡翠は瞠目して龍麻を見た。
 「…翡翠は、橘さんと付き合っているんだと思ってたから。…それでも、もっと時間が過ぎて、大人になって、そういう思いも笑って過ごせるようになったときに、翡翠と骨董品の話ができたらいいなぁって思ったの。…驚く翡翠の顔も見たかったし。それに、少しでも私のことをおぼえててほしかったから。」
 「忘れるもんか。」
 「こうして、今、隣に立ってるのが嘘みたいなの。」
 にこ、と笑うと翡翠も穏やかに微笑み返してくれる。
 「さぁ。行こうか。」
 「うん。」
 翡翠は龍麻の手をそっと握って歩き出した。
 
 「ごめんください。」
 次の店は、大きなビルの1階にある普通の、シンプルな作りの店だった。だけど、それなりの歴史を感じさせるのは、ビルの作りがやや古いのと、入り口が自動などではなく手動であること。さきほどの店がやや観光客相手でもあったのと対称に、こっちは本当に京都の人を相手に商いをしているといった感じである。
 翡翠の話によると、ここは何代か前からの古い付き合いであるらしい。
 「おや、如月の。1年ぶり、だったかね?」
 出てきたのは50代くらいの穏やかな笑みを浮かべた人だった。大柄な体に、身に付けた開襟のシャツにと薄いねずみ色のスラックスは決して安物ではなく、ズボンの折り目もきっちりして、身奇麗にしている感じの人間であった。
 「ええ。去年はいろいろとありましてね。」
 「正月、東京はえらい大変だったそうだね。」
 「ええ、まぁ、それもありますけど。今年は僕が受験で。」
 「おや、もうそんな年だったかい?いつまでも先代に連れられてきたときみたいに子供じゃないんだねェ。」
 はははと笑ってからちらりと龍麻の方に視線をよこす。
 「時に、カタブツで有名な若旦那。こちらのお嬢さんは?」
 「彼女、ですよ。」
 にっこりと返す翡翠に面白そうに男が笑う。
 「おや。若旦那を射止めるなど、随分と金星をあげたもんだ。」
 そう言われると何も言い返せない龍麻が、へどもどしながら短く名前を名乗る。
 「緋勇龍麻、です。」
 頭を下げると、その龍麻のリアクションに店主がますます面白そうに笑う。しかし、これ以上は可哀想だと、翡翠はその先を切って、話を切り出した。
 「時に、先ほど清水に行ったんですがね。鍋島の尺皿。」
 それだけで店主はなんの話か合点が行ったようで頷いてみせる。
 「ああ、あれね。」
 「あれを焼いた人の他の作品ってありませんか?」
 随分とあれを気にいっていた龍麻のために、またこれ以上龍麻をからかわれないようにとの予防線で翡翠が尋ねてみた。
 「あれねぇ、なんでも変わり者の隠居の作品だって話なんだよ。私が懇意にしているある料亭の主人の知り合いなんだがね。別に売ってるわけではないから他の作品って言ってもねぇ。」
 渋い答えに翡翠が食い下がる。
 「よく、あれを発注できましたね?」
 「ああ。たまたまその料亭の主人と話をしてて、その老人ならきっとうまくやるだろうっていうんで頼んでみたんだよ。お金は勿論心づけ程度で済んだし。」
 「そうですか。…趣味でやっているとなると、入手は難しいか。」
 あごに手をあて考え込む翡翠に、店主はうなづきながら答える。
 「一応、話はしておきますよ。若旦那、いつものところにお泊りでしょう?」
 「ええ。今回は18日に東京へ帰ることになってるんで。」
 「それなら、もし気が乗るようだったらそちらへ連絡するように伝えておきましょう。」
 「ありがとうございます。」
 それからすぐに翡翠は商談に入ってしまう。
 龍麻は先ほどと同じように商談の邪魔をしないよう、店の他の品物を見せて貰っていた。
 武具関係が割とよく揃っている。店内にあるのは刀剣をはじめ、甲冑、馬具はもちろんのこと、弓矢や槍、薙刀、火縄といったものもある。さすがに如月骨董品店ほどではないにしろ、ひとつの店にこれだけ多種多様な武具が揃っているのは珍しい。
 去年の戦いを通じて、龍麻は多少なりと武器には詳しくなった。日本刀や弓などが陳列してある中を去年の出来事を思い出しながらゆっくりと見て回る。
 「気にいったのはありましたかな?」
 急に後ろから声をかけられてはっとして振り向くと店主が微笑んで立っている。油断していて、後ろから近づく気配に気がつかなかった。
 「あ、いえ。武器が多いなぁと思って。」
 「うちはもともとそういうの専門だったんですわ。」
 そう言って主人が手近にあった弓を手に取る。それは去年、一時小蒔が使っていた板額の弓であった。
 「これなんかオススメなんですがね。それと…あなた、薙刀はやりますか?」
 「いえ。」
 薙刀は雪乃だなと思いつつ首を振る。
 龍麻に否定され、店主は宛てが外れたといったような顔で、不思議そうに尋ね返す。
 「そうですか…失礼ですが、何か武道をやっていらっしゃるでしょう?」
 急に聞かれて龍麻は驚いてこくりとうなづいた。
 「やはり。隙がないですからね。さすがは若旦那が彼女にするだけはある。」
 くくくっと笑って弓を元に戻す。自分の勘は間違ってなかったことに、店主はようやく笑顔に戻って、それならばと何かを物色しようとした。
 「ご主人も、何かやってらっしゃったでしょう?剣道、かな?」
 龍麻の言葉に今度は店主が驚いたようだった。
 「なぜわかりました?」
 「…それこそ、隙がないし。…足の運びが。」
 「ははははは。これは1本とられましたな。」
 店主は翡翠のほうに向かって笑いかけると翡翠も笑いながらうなづいた。
 まさか、見た目普通の女性に自分が剣道をやっていたことを指摘されるとは思いもよらなかったようだ。
 店主の驚きに翡翠が横から口を出す。
 「龍麻は古武道なんですよ。…男の僕でさえも打ち負かすほどでね。」
 「ほう。」
 その言葉に店主の目がきらりと嬉しそうに光るのを翡翠は慌ててけん制する。
 「まぁ、僕はこの通りですからね。大して強くはない。」
 「なるほどね。金星、ではなく、いや、若旦那が金星だったと。」
 「そういうことです。」
 翡翠がにっこりと笑って答えた。
 店主は龍麻の腕を見たいようだったが、龍麻はそれを固持してなんとか逃れることができた。第一、あの技を一般人にやるには威力がありすぎる。そして相手が多少使える人間なら、その力の加減を誤ってしまう可能性があるからだった。
 そのあと、翡翠は購入したものを東京に送ってくれるように手配をしてから店を辞した。
 「ああ、もういい時間だな。そろそろ宿に行くとするか。」
 翡翠はそう言ってバス停まで歩いていった。
 
 
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