初めての旅行〜3〜


夏の京都は暑い。盆地だから仕方ないけど、本当に暑い。
京都駅について、新幹線のホームから駅の反対側の烏丸口にあるバスターミナルへ出て、市バスに乗り込むまでにうっすらと汗をかいてしまう。
本当はレンタカーを借りた方がいいかもしれないけど、訪れる店はそれほど大店というわけではないから駐車場に困るので敢えてバスで回ることにした。
「まずは清水ね。」
「ああ。丁度バスが来ている。」
二人はバスが出てしまわないように走って停留所に止まっているバスに乗り込んだ。冷房のひんやりと効いている車内に入ると後部の二人がけの席に座った。
「これから行くところはお爺様からの知り合いでね。僕も随分と世話になっているんだ。焼き物が専門で、今回、僕が探していたモノの半分を持ってるんだ。」
「へぇ…。」
「なかなか抜け目ない商売人だけどね、人間は悪くない。」
そう言いながらメモを龍麻に渡してくれる。それには店の名前と今回めあての品物がかかれている。それを眺めているうちにバスはゆっくりと走り出した。
大文字を2日後に控え、観光客が溢れる京都の街を沢山の観光客を乗せたバスが走る。明日明後日はもっと混むことだろう。
やがて清水の参道入り口につき、バスから降りて日差しの暑さと、アスファルトの照り返しの暑さでうだりながら、だらだらとした上り坂の参道を歩いていき、参道が賑やかになったあたりで路地に入る。
「ここだよ。」
そう言って指差した先はかなり洒落た作りの店構え。店先には打ち水がしてあって、ひんやりとしている。入り口の左にしつらえたつくばいに細い竹の先から水がちょろちょろと流れていて、目の覚めるような緑をした竹でできた柄杓が置かれている様がなんとも涼しげである。
「こんにちは。」
翡翠はからからと引き戸を開けて中に入っていく。
「やぁ、如月の若旦那。いらっしゃい。」
そう言って出迎えたのは年の頃は60を過ぎたであろう中肉中背の老人。白髪の混じる頭髪をさっぱりと刈り、背筋をしゃんとのばしている姿はかなり若い印象を与える。翡翠を見て、にこにこと微笑んでいた。
「ご無沙汰しています。」
「今年は受験だったんだろう?」
「ええ。なんとか大学に潜りこめたので、また商売に精を出そうと思いまして。なにしろ、学費も稼がなければだし。」
「何をおっしゃる。おたくは老舗だから儲かりましょう?」
「この不景気でね。なかなか。」
さすがに商売人らしく、翡翠はにこにことしながらそんな話のやり取りを当たり前のようにしている。一通りの挨拶が終わって、店の主人はふと後ろに控えている龍麻に視線を泳がせる。
「おや、また今日は随分と可愛らしいお嬢さん連れで。若旦那の彼女?若旦那もなかなかすみにおけない。」
からかった相手に、翡翠はにっこりと爽やかな笑みを浮かべて応酬する。
「ええ。彼女です。とても大事な、ね。」
それをさらりと受け流すどころか、しっかりと強調して、むしろのろけてから後ろを振り返り、目で龍麻に挨拶をするようにと合図する。それに気付いて慌てて龍麻は口を開いた。
「あ、えと、緋勇龍麻っていいます。」
名前を名乗ってからお辞儀をする。
そんな龍麻の様子に店主は珍しいものでもみるように不躾なくらいの視線を投げかけていた。
「店の手伝いをしてもらっているから勉強がてら連れてきたんですよ。大学は違うけど、キュレーターの勉強をしているし。これでなかなか筋はいいですよ?」
「ほう。」
紹介の言葉に店主の目がすぅっと細められる。
「あ、いえ、まだまだ勉強中で…。」
慌てて弁解する龍麻の言葉も聞かずに、店主は人の悪い笑顔を浮かべる。
「じゃあ、勉強ついでにこれでも見てもらいましょう。」
そう言って店の奥に入り、少ししてから二つの皿を持ってきて並べる。
それはどちらもそっくりな大きさ、色、絵の皿である。
「ほう。鍋島の尺皿ですか。…随分、値が張るでしょう?」
翡翠に尋ねられて店主は頷く。
「片方はニセモノなんです。」
その言葉に翡翠も珍しそうに覗き込んだ。
「まさか、騙された?」
翡翠がからかうようにくすくすと笑いながら店主に言うと、とんでもない、と否定する。
「頼んで作ってもらったんですよ。さすがに1000万以上もする皿を店先にほいっと飾るほど人間ができてるわけじゃないんでねぇ。」
「ふうん。」
気のない返事をしながら既に翡翠はどっちが本物か、もうわかっているようだった。傍らで首を捻る龍麻に面白そうに言う。
「さて、龍麻。よーくごらん?」
そう言われても、鑑定団みたいな真似、できるわけないじゃんと恨めしげな視線を翡翠に投げる龍麻に翡翠は静かに微笑んでいるのみで何も手助けはしてくれない。龍麻はとりあえず、よーく見てみたけれど、自慢じゃないがやっぱり全然わからない。
「わからないかい?じゃあ、失礼して、お皿に少し触らせてもらって。きっと、それなら分かるはずだ。」
龍麻はどうして翡翠がそんな自信たっぷりに言うのか、わからないままに、とりあえずお皿を触ってみることにした。
陶器のひやりとした温度とつるりとした肌触りが暑い外を歩いてきた龍麻に心地よい感触を与える。まるでそれは、水にでも触れているような冷たさ…いや、それだけではなく、じんわりと、ゆっくりと染み込んでくる優しさみたいなものが篭っている。と、龍麻は指先から流れ込んでくる感覚で感じ取る。
龍麻がもうひとつの皿に触ってみると、今度は長い、気の遠くなるような時間の流れを感じる。それに、皿自体が意思をもってるような、ざわざわと今にも蠢きそうな、妙な感じを受けた。
「こっち?」
恐る恐る、龍麻は翡翠と店主に尋ねてみる。
「あたり。でしょう?」
そう言って翡翠も店主に尋ねる。
「ううむ。よくわかりましたな。…かなり精巧にできていると思ったんだが。」
店主も唸って、まじまじと二枚の皿を見比べている。この二枚の皿の真贋の区別はつくまいと思っていたらしい。
「どこがおかしいとかじゃなくって、素人は素人なりの雰囲気でわかるようですよ?」
翡翠が笑いながら言うと、やれやれと店主は肩を竦めた。そんな店主の様子に翡翠は苦笑しながら早速商談に移る事にした。
「ところで。電話で頼んでおいたもの、どうですか?」
「ああ。揃えておいたよ。今回はなかなかいいのが入ってね。」
翡翠は店の奥に案内されて二人は商談に突入する。その間、龍麻は失礼して店の中にある品物を見せてもらっていた。
綺麗にディスプレイされた皿や壷をゆっくりと見て回る。
その中で龍麻はさっきの偽のお皿と同じ作者のものがないかどうかを探していた。
持った瞬間に流れ込んできた優しい気配。それはなんだか穏やかで心安らぐ感じがして龍麻は気に入っていたのだ。
沢山の商品をひとつひとつ手にとって見ていった。
「龍麻、龍麻?」
はっと名前を呼ばれる声に気付いて顔を上げる。
「何か気に入ったのがあったかい?」
にこにこと微笑んで、翡翠が側に来る。
「さっきのニセモノの作者さん、他のがないかなあって。」
すると店主は苦笑しながら首を左右に振った。
「アレね、知り合いの店の紹介でやってもらったんでねえ。」
「知り合いの店?」
翡翠が聞き返すと主人がうなづく。
「ほら、神宮そばの。」
店に心当たりがあるようで、翡翠はああとうなづいた。
「そこへ行って聞けばわかるかな?」
「おそらく。…しかしねぇ、聞いた話によると、作ったのは隠居同然の人で、焼き物は趣味でやってるっていうからねぇ。はたして他の作品がそうあるかどうか。」
その言葉に龍麻はがくりとして肩を落としてしまう。
「はははは。よっぽど気に入ったんだね。」
落胆振りを店主に笑われて、恥ずかしそうに龍麻はぽりぽりと頬を掻いた。
「さあて、そろそろ行くよ?」
「あ、はい。」
返事をすると店を出ようとしている翡翠のところにいき、ぺこりと店主に頭を下げた。
「また、おいでなさい。」
その可愛らしい様子に店主は笑いながら二人を送り出した。
「さてと。せっかくここまで来たから清水にでもいこうか。」
「うんっ!」

裏道から表参道に戻り、てくてくと参道を歩いていると暑さにうだりそうになる。本当に京の夏は暑い。龍麻は夏の暑さが苦手なので尚更そう思う。
「音羽川の渓谷は、昔、死体で一杯だったんだよ。」
観光客に混じって清水寺の方に向かっていった。どこかの団体旅行のグループが門前の階段で写真をとっているのを横目で見ながら境内に入っていく。
あちこちの建物をみながら移動し、あの高名な清水の舞台から谷を見下ろしていると翡翠が物騒なことを教えてくれる。
「ずうっと昔は死体置き場というか、死体捨て場だったんだ。鳥辺野といってね、風葬が行われていたんだよ。」
にっこりと微笑みながら言う言葉じゃないなと、龍麻は思いながら舞台下に広がる涼しげな木立に目を落とす。今では勿論、そんな死体のひとつも見当たらない。
「六道珍皇寺が鳥辺野の管理をしていたそうだけど。そう考えると小野篁があそこから地獄へ通ったというのもうなづけるね。」
翡翠の物騒な話に相槌を打ちながら、舞台から音羽の滝のほうに巡る。
かなり沢山の人が音羽の滝の水を飲むために並んでいたので飲まなかったけれど、零れ落ちる滝の水に手を浸すと、冷たくって気持ちいい。離れがたくて、いつまでもちゃぷちゃぷと遊んでいる龍麻にひっそりと苦笑して翡翠が声をかけた。
「一休みしていこうか?」
翡翠は滝の脇にある茶店に入っていく。龍麻は助かったとばかりに踊るような足取りで続いて入っていった。木陰にあるし、すぐ側に滝があるので冷房をいれなくてもひんやりとして涼しい。ひやしあめを頼んで、待っている間、龍麻はふと気になったことを尋ねてみた。
「あのさ、なんで私にお皿の真贋の区別がつくって、翡翠にわかったの?」
すると翡翠がくすくすっと微笑む。
「それはね、龍麻は気に敏感だろう?お皿とか、そういったモノにも気があるんだ。…龍麻は付喪神って知っているかい?」
「ううん。」
「モノも使われて古くなると魂を持つって言われてる。それは強ち嘘じゃない。モノの魂を気として感じることができれば、真贋なんて簡単にわかるだろう?」
「確かに…さっき、そうだった。」
「ただね、僕ら骨董品屋はそれだけじゃダメなんだ。それがどういう由来のものであるか、モノの正体もきちんと見極めないと。だから知識が必要になる。」
「そっか…。」
「僕もたまにものの真贋を見極めるためにそういった手段を使うことはあるけどね。なるべくちゃんとした知識を得ようと努力はしている。」
そういう話を聞くと翡翠がどれだけ真面目に骨董品屋をやっているかわかる気がする。改めて尊敬の眼差しを向けると翡翠は照れたように微笑んだ。

 

 

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