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結局、龍麻はあれから来なかった。おそらく龍山先生のところで何かを話していて遅くなったのだろう。翌日、僕の学校はすでにテスト休みに入っていたので朝から家で片付け物に追われていた。大して大店というわけではないが、やはり新年を迎えるにあたりすることは沢山ある。
 帳場に置いてあった携帯電話がメール着信の音をけたたましく鳴らしたのは丁度店の品物にはたきをかけ終わったときだった。
 急いで出かけていくと新宿中央公園にはただならぬ妖気が漂っている。
 それを撃退すると僕たちの前に一人の老人が現れた。
 「楢崎…道心…。」
 僕の隣で壬生が小声で呟いた。どうやらそれがその老人の名前らしい。
 「知っているのか?」
 「ええ。前に1度あったことがあります。…館長たちと一緒に、中国で戦った人なんですよ。」
 壬生の答えに僕はなんともいえない嫌な予感がした。
 「まさか…。」
 壬生も同じ予感がしたらしく、僕らは揃って顔を見合わせた。龍麻たちはわざわざこのサイケな老人に会いにきたらしい。壬生が小声で教えてくれたところによると、彼は元は坊主であったという。
 彼も中国まで渡って一緒に戦った仲間であり、おそらく今回の一連の事件について彼ならば真実を知っているだろうということで龍麻たちはここにきたようだった。
 僕らは龍麻たちの後ろで一緒に彼の話を聞くことになった。言霊の話、天海の話、そして龍脈の話。
 僕の頭がガンガンと鳴る。それを知らせてはいけない。…知らせたくない。
 だけど、老師の口からとうとう龍麻の宿星が、そして背負ったものの重さが明かされた。
 全ての話を聞いて龍麻は、最初呆然として、だけどすぐに立ち直ると少し俯き加減になって何かを考え込むが、龍麻の思考の邪魔をするように再び異形の者達が襲い掛かってくる。
 それを迎え撃ちながらも、龍麻はいつものような精彩がなく、しきりに何かを考えているようだった。それでも敵からダメージをくらうことなく、撃破したのはさすがとしか言いようがないのだが、その破壊力を見ていて僕はとてつもなく不安に思った。
 彼の拳の本質が違っていたからだ。龍麻は怒りに任せて剄を放って、多少冷静さに欠いている。あれだけの重大な話をされた直後に冷静になれという方が無理なのかもしれないが、それでも普段の龍麻だったらもっと冷静なはずなのに。
 全てを倒すと龍麻はゆっくりと僕の方を振り返った。
 「如月…。」
 ゆらり、と龍麻の気が揺れたような気がした。
 「…最初から…知っていたのか…?」
 低い、彼の怒りが土を這い伝わってくるような低い声で、じろりと龍麻は僕をねめつける。その不穏な声に側にいた蓬莱寺を始めとする真神の4人も、劉も、壬生でさえも.思わず息を飲む。怒りに龍麻の気が震えているのだ。
 僕に向けられた表情は、怒りと悲しみで奇妙に歪んでいて。
 僕の脳裏には初めて龍麻に会ったときのことが浮かんでいた。
 桜の花が散りきらない頃、店にやってきた龍麻。長い前髪の奥から覗く優しげな瞳に見つめられて、僕はらしくもなく平静を失った。
 なんて柔らかく笑うんだろう。纏っている気は確かに黄龍の器たる荘厳な気。でも、本人の笑顔は優しくて穏やかで暖かで、側にいて気持ちのいい人。
 一目ぼれだった。僕はその笑顔が大好きだった。
 なのに、僕は彼にこんな表情をさせてしまっている。
 それなのに、やはり僕は嘘をつけなかった。一度でも嘘をついてしまったら全てが嘘になってしまう気がしたから。
 「知ってた…。」
 僕の返答に龍麻の気が怒りに再び大きく揺らぐ。
 「…四神は…ある説によると中央に配される黄龍を守護する役目があると…おまえの家の本にあったよ…。…それに俺の使っていた四神甲は…そういうことなんだろう?」
 こくりと、僕はうなづいた。喉がひりひりとしてはりついてしまったようになって声がでない。頭の中で警鐘がさっきからがんがんと激しい頭痛がするほどに鳴り続けている。
 「…だとすれば…玄武。…おまえは四神の長たる立場で、率先して黄龍を護るのが使命、そういうことだよな?」
 こくりと、僕はもう一度うなづいた。
 「で。…使命好きなおまえのことだから、どんな手を使ってでもオレを護ろうとした、ってわけだな?」
 違うっ!僕は口に出して叫びたかった。だけど、言葉が出てこない。そんな風に思われるとは思ってなかった。僕はふるふると首を左右に振る。
 そんなんじゃない。僕は、本当に龍麻のことが好きだから。だから、僕は…。
 言いたいことが沢山あって、でもどれからいっていいかわからなくって。そして喉がはりついた僕は掠れた声で否定する。
 「そうじゃない…。」
 「じゃあ、何だって言うんだよっ!」
 ぐおん、と大きく龍麻の気が揺れる。
 「面白かったか?何も知らないで、オマエの計略にはまる俺が、そんなに面白かったのかよっ!?」
 吐き捨てるように言った龍麻の顔が、僕は悲しくて。
 龍麻はくしゃくしゃに顔を歪めて、今にも泣き出しそうだった。それでも涙をこぼさなかったのは龍麻らしく、それがかえって痛々しい。
 「ちが…。」
 僕が否定しようとしたときだった。
 突如として、まさにそこに急に降って沸いたように、ものすごい殺気が沸き起こる。
 慌てて龍麻が振り向くと、そこには赤い学生服の男が立っていた。
 「緋勇龍麻…。」
 男に名前を呼ばれ、龍麻は間合いを計るためにじり、と数歩後ずさる。
 今までに感じたことのないような、圧倒的な殺気。彼の身に纏っているのは純粋な殺気なのだ。それも、恐ろしいほど強く。周りの空気をもぶるぶると震わせて、そこには尋常な人間では存在すらできないほど。
 すらりと抜かれた刀に、僕は息を飲んだ。まさか!
 そこからはスローモーションのようだった。
 男が鈍く銀に光る刃を振り上げ、龍麻はそれをじっと見ているだけで。
 危ないと思った刹那、僕は瀧遡刃を放ち、それと同時に彼の刀は龍麻めがけてゆっくりと、まるでコマ送りのように振り下ろされていく。僕の技が彼に到達するのが少しだけ早かったが、彼にはほとんどキズも与えられず、そのままばさりと龍麻は切伏せられた。
 「チッ…手元が狂った…。」
 そう言って彼は僕を睨む。
 その瞬間、龍麻は血飛沫を上げて、どう、と地面に崩れるように倒れた。
 美里君と桜井君の悲鳴。蓬莱寺の怒号。龍麻に駆け寄る壬生。それらを冷たく見下ろすその男。
 「まぁいい。」
 男はそう呟き、僕が震える足で龍麻に駆け寄っている間に姿を消した。
 「龍麻、龍麻――ッ!!」
 僕は慌てて薬を龍麻の口に押し込む。だけどごふっと、血を吐き、それを戻してしまう。
 「美里くんっ!早くッ!」
 「あ、ハイッ!」
 僕の叫び声に我に返った美里君が慌てて龍麻に治療を施すが、それも応急手当的なもので本復には到底いたらない。体力よりも気が失われ抜けていく。
 「蓬莱寺。病院だっ!」
 真っ先に駆け寄って龍麻の止血をした壬生が龍麻を抱え上げた。だらりと、力なく降ろされた龍麻の手足が止血は済んだが予断は許さない状況であることを物語っていた。
 蓬莱寺の案内で搬送した病院で、すぐに面会謝絶になり、慌しく院長と高見沢君が結界を張った病室に入っていく。普段はどっしりと構えた院長が、蒼白の顔で入っていくのを見たとき、龍麻の容態が決して楽観できない状態であることを物語っていた。
 待合室にいた僕らは一様に言葉も出ないほどショックを受けていて、ただ龍麻の容態が快方に向かうのを祈っていた。
 どのくらいそうしていただろうか。
 ふと、何者かの気を感じて顔をあげた。
 「…館長…。」
 そこには長髪のしっかりした体格の男が息を弾ませて立っていた。僕は初めて会うが、隣に座っていた壬生が館長と呼んだことからその男は龍麻の後見人である拳武館の館長であることは間違いない。龍麻を病室に運んだ直後に壬生が連絡をしていたのを思い出した。それから急いで駆けつけたのだろう。
 「壬生。…龍麻の容態はどうだ。」
 「わかりません…。急いで止血をしましたが、傷が深くて…。」
 微かにうなづいて治療の施されている病室の方を見やり、そしてまた僕達の方に視線を戻す。
 「岩山院長が治療に当たっているのか。」
 「ええ。ずっと部屋に入ったきりですが。」
 そう言っているとその岩山院長が病室から出てくる。随分と疲れた顔をしていたが、僕らの顔を見て少し笑って見せた。
 「おや、随分と懐かしい顔があるねぇ。」
 院長は鳴瀧館長を見て笑う。
 「このたびは、龍麻が随分と迷惑をかけた。」
 「ほんとだよ。あの子にはもう少し命を大事にするように教えてやらないと。命がいくつあったって足りやしないよ。」
 「…では、助かるんだね?」
 「あたしを誰だと思っている。…もっとも傷が急所をわずかにそれていたからね。命拾いだ。」
 その言葉に壬生がぴくりと反応する。
 周りにいた蓬莱寺たちもほっとした表情で龍麻の命が繋がったことに安堵し、みな悦びに沸いていた。
 龍麻が助かった。僕は思わず足から力が抜けてすわりこみそうになったのを、ぐ、とこらえて踏ん張った。良かった。龍麻が逝かなくて良かった。目頭から鼻にかけてじんわりと熱く痺れるような感じがする。触れてみると、熱い涙が目に溜まっていた。
 「膨大な量の気を失ってしまったから、まだ当分は目覚めんじゃろうが…とりあえず危機は脱したからあとは高見沢に任せてある。」
 そう言って岩山院長は巨体を揺らしながら医局の方に消えていった。
 鳴瀧館長もほっとした表情でうなづくと、今度はぼくらの方を振り返る。
 「あとは拳武館が引き受ける。…もう随分と遅い。君たちも家に帰るといい。」
 「でも…。」
 美里君は帰りがたいらしく何かを言いかけたが、ゆっくりと鳴瀧館長はかぶりを振って続ける。
 「…龍麻が心配なのは分かる。だが、ここにいてもなにもできまい?あまり遅くなると君たちの家族にも心配をかける。あとは私たちに任せて家に帰りなさい。何かあったら必ず連絡する。」
 そう言われて蓬莱寺たちはしぶしぶ家路についた。
 だけど僕は足が動かない。帰りたくない。帰れない。僕は龍麻の側にいたい。
 「君は…。」
 帰ろうとしない僕を、拳武館の館長は困ったように見つめる。
 「…如月さんは…龍麻の…彼女なんです。」
 壬生の言葉に彼は驚いたように目を見開いた。
 「…ここにいさせてください。…何も出来ないのは分かってます。だけど、僕は…。」
 頼み込む僕に、鳴瀧館長はやれやれといったように肩を竦めて笑う。
 「龍麻の、彼女か。…アレも、そういう年頃になったんだな。」
 ぼそりと鳴瀧館長が呟き、微かに微笑んだ。
 「…傷が急所をそれたのは、如月さんのおかげなんです。…とっさに放った技で奴の手元が狂って…。」
 壬生に言われて僕はようやく、ああ、と思い出した。そういえば龍麻が切りかかられる瞬間に瀧遡刃を放ったんだった。あれで龍麻の命がつなぎとめられたのなら放った甲斐もある。…だけど、本当はせめてあいつに一太刀浴びせたかった。
 「さて、悪いが壬生、後を頼む。何かあったらすぐに私に連絡をいれるように。」
 「はい、承知いたしました。」
 壬生が病院から出て行く鳴瀧館長を見送るのを僕はぼんやりと眺めていた。
 「あ、いたいたぁ。如月くぅん、壬生くぅん。」
 不意に後ろから甘い喋り方で声をかけられ振り返ると、高見沢君がにこにこと笑いながら立っている。
 「龍麻は?」
 「今眠ってるのぉ。すっごい一杯気をなくしちゃったからぁ、床に方陣を書いてェ、気の補充をしてるんだよぉ。」
 にこにこと笑う高見沢さんの笑顔で龍麻の容態がかなり安定してきていることがわかる。
 「龍麻に会える?」
 壬生が尋ねると高見沢さんはこくりとうなづいた。
 「目がさめてないけどねぇ、側にいることはできるよぉ。方陣の線は踏まないでねぇ。」
 「…ありがとう。」
 壬生は、心底安心したように、嬉しそうに顔をほころばせた。
 「うふふふっ、壬生君が喜んでくれると、舞子も嬉しいっ。」
 高見沢さんはカルテを抱きしめるようにして本当に嬉しそうに笑った。
 「じゃあ、病室に入らせてもらうよ。…さぁ、如月さん。」
 壬生に促され、僕は高見沢さんに軽くうなづいて龍麻の病室に入る。
 病室の入り口すぐに立ててある衝立の裏側に入ると、床に方陣がかかれている。僕らはそれを踏まないように気をつけながら龍麻の側に寄って行った。
 真新しいリネンに包まれて寝ている龍麻は、血染めの学生服は脱がされ、白地に紺の、よくある浴衣を着せられていた。まさに首の皮一枚といったところでつながった龍麻の命は、美里君がすぐに体力を回復させてくれたが、気力が戻らないためにその顔にはあまり生気が感じられない。
 龍麻の周りを覆っている、あの強い、荘厳なオーラも今はほとんど感じられない。
 まるで蝋人形のような、どこか作り物めいた顔立ちはやはりまだ気力の回復に時間のかかることを示していた。
 「龍麻…。」
 僕はそのときに初めて龍麻の寝顔を見た。
 いつもは長い前髪に隠されている目は閉じられて、その前髪もさらりと枕の方に全部流れている。横になっていると龍麻の鼻梁がすっきりと通っているのが強調されている。ただ、いつもは強気の王様発言が数々出てくる口は、唇はかさかさになり軽く閉じられ、僕が薬を飲ませようとしたときに吐いた血が口角にどす黒くこびり付いていた。
 高見沢君が置いていったのだろうか、ベッドサイドのテーブルにあった水差しの水を僕のハンカチに少しだけ浸すとそれでゆっくりと龍麻の口を拭ってやる。
 口の中は搬入された際に喉などに異物が詰まってないか見たときにガーゼで拭っていたからおそらくは綺麗だろう。
 僕は栄養補給のための点滴を受けている手を握った。僕なんかの気ではあまり役には立たないかもしれないけど、それで少しでも早く回復するのであれば。
 美里君のように体力の回復はできないが、己が身を玄武に変生できる僕は、多少は強い気を持っている。どうか、早く目覚めて。
 僕は龍麻の手を握る手に力と気を篭めた。
 
 
 
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