氷解〜2〜

 

結局、龍麻が調べたかったことが記載されている本が見つからなかったらしく、明日また来ると言い置いてその晩は夕食を食べて帰って行った。
そして、その翌日。
旧校舎潜りも今日は休みで、僕は得意先に品物を届けに出ていたところだった。夕方、急に呼び出しがかかり、急いで行って見るとそこには僕の見知った顔が龍麻と対峙している。
「如月…?」
彼、村雨は僕が援護に来たことに酷く驚いて、一瞬彼らしくなく呆然としていた。
彼と出会った頃は、僕はいつ来るともわからない黄龍の器の存在に疑問を抱き始めていたし、毎日学校と店だけの真面目な生活にも疲れ始めていた。得意先に寄った帰りに立ち寄った繁華街で彼に出会ったのだ。
「おまえ、こいつらと知り合いか?」
村雨は龍麻たちをちらりと見る。
「ああ。訳あって、一緒に戦っている。」
僕の返答に村雨は鼻で笑った。
「はっ…、おまえも物好きなこった。…さぁ、そこのアンタ、メンツも揃ったみてぇだしいっちょ始めるか。」
舎弟と見られる男たちと一緒に戦いを挑んできた。もうこれ以上レベルがあがらないところまで来ている龍麻や蓬莱寺、壬生が揃っている僕らの敵ではないことは明らかだったが、僕は全力でうちのめすことにした。どんな理由があるにせよ、村雨が戦うというのならそれはその後ろにあの男が控えているに違いなかった。
普段は歌舞伎町界隈で勝負事をして遊んでいる村雨が、こういった戦いをすることなどほとんどない。強運の持ち主である村雨は、ほとんどトラブルには巻き込まれることなどなく、もし何かのトラブルに巻き込まれたとしても戦うのではなく、相手をケムに巻いて逃げるに違いないからだ。喧嘩が弱いわけではなく、寧ろ強いほうだが面倒が嫌でそうしている。それをあえて戦っている以上、必ず背後にいる彼が出てくるに違いない。さらに言えば、その彼が自分の関係のない揉め事に口出ししてくるとは到底思えなかったので、多分、今回のこの事件は村雨や彼が守護している人が何らかの干渉をすべく、彼に、ひいては村雨に指示を出したと見るのが妥当であると踏んでいた。彼の守護している人が出てくるとは、事態はかなり悪いことを物語っている。
僕は祖父の言う凶星の者の復活をこれで確信した。
ほどなく、村雨は龍麻にのされて素直に負けを認めた。
村雨が言うには、やはり僕の予想通り、彼が龍麻を探しているという。いや、彼が、ではなく彼の守護している人がというべきかもしれない。
「強ぇな。あいつ。」
村雨は苦笑して僕に言う。
「最近、付き合いがわりぃと思ったら、喧嘩ごっこたァ、おまえらしくもない。」
皮肉っぽく言われて僕はつい眉をひそめてしまう。僕らしい、確かに彼の知っている僕はきっとこんな風ではなかっただろう。だけど、僕はもう出会ってしまったから。
「そっちこそ。…珍しく彼と仲良く仕事をしているようじゃないか。」
僕の嫌味交じりの返答にくくくっと村雨が笑う。
「しょうがねぇよ。あいつの頼みだったらゴメンだが…。」
「…秋月さん…か。」
「ああ。」
村雨が帽子をかぶりなおす。
「如月、知り合いなのか?」
龍麻が不機嫌そうに目を細めて隣から口を出した。
「ああ。…マージャン仲間だ。」
「マージャン?おまえが?」
驚く龍麻を見て、そういえば、龍麻と戦うようになってからマージャンなんてやってないことを思い出した。
「如月、そういうの一切しませんって顔してないか?」
「…オマエ、激しく誤解うけてねぇか?」
龍麻の言葉に村雨が面白そうな顔で笑っている。確かに昔はヒマを持て余していたからよく村雨とも遊んでいたが、最近はそんな余裕などなくなっていた。
それよりも龍麻にはそんな風に見えていたのかと、意外な感想を知ってそっちの方が驚いた。そんな真面目に見えたのだろうか。
不機嫌そうに少し口を尖らせている龍麻に説明する。
「…嫌いじゃないよ。…ただメンツとヒマがなかっただけで。」
龍麻はまだ憮然とした表情のまま納得できない様子でいる。
「龍麻は…できるのか?」
尋ねると、難しい顔のままうなづいた。
「ああ、…一応な。」
「へっ…おもしれぇ。…全部済んだら、いっちょ手合わせするかい?」
村雨がからかうように龍麻に言うとぎろりと睨みかえす。
「ああ。首洗って待ってな。」
低いトーンで龍麻が答えると村雨はふざけたように笑いながらひらひらと手を振った。
「その言葉、そのまま返すぜ。…じゃあ、また明日な。」
そうして村雨はまだ路上に倒れている舎弟を起こしながら半ば引きずって帰って行った。
僕らはそれを見送った後で解散となる。
「如月。メシ。」
龍麻の声色はとても不機嫌そうで。
「ああ。うちにくるといい。何か作ろう。」
だから僕も余計なことは言わずにそのまま駅の方に向かって歩き出した。
「壬生!」
龍麻がいらいらとした様子で壬生を呼びつける。きっと壬生は、自分が暴走しないための歯止めなのだろう。それほどに龍麻は怒っているらしい。
でも、何に?
僕は原因に思い当ることがなくって、首をかしげながら歩いていると隣を歩く龍麻がぼそりと呟いた。
「あいつ、…おまえが女だって知ってるのか?」
ちらりと龍麻の顔を見ると、酷く苛ついているようで唇をかみ締めている。
「いや…知らないよ。」
「…マージャン仲間って…。」
「うん?」
龍麻は何かを聞きかけて、それきり黙りこんでしまった。
帰りにいつものようにスーパーに寄ったときも、夕食の支度をしていてもそれきり龍麻は喋ることなく、夕食をとっているときも僕も壬生もあまり喋らない方だから恐ろしく静かな食卓となった。
夕食後、龍麻はすぐに帰ってしまい、壬生と僕とが残った。
「龍麻は、どうしたんだろう?」
片づけをしながら呟いた僕の言葉に壬生が目を見開く。
「…如月さん…本気でその質問…してますか?」
やや呆れたように壬生が言うから、僕はそのまま素直にうなづいた。すると、壬生は大きくため息をついてからやや大げさに頭が痛いといったリアクションをする。
「なんだよ。」
「…誰が見ても、あれは嫉妬だと思うんですけど。」
「誰に?」
「村雨さん、でしたっけ?今日戦った、彼。」
壬生がふきんで食器を拭きながら答える。
村雨になぜ嫉妬をする必要があるんだろう。村雨とは本当にタダのマージャン友達で、それどころか村雨自身僕が女だと知らない。もっとも知られていたら、一番危ない人物ではあるが。
「なんで?」
「自分の彼女が、見るからにやばそーな男と知り合いだったら心配しますよね。」
「…マージャン仲間でも?」
「それを信じろと?」
「本当のことだ。」
「そんなこと僕に言ったって仕方ないでしょう?」
壬生が食器棚に食器をしまい終わって布巾を漂白剤につける。
「あれでなかなか心配性なんですよ。…そうは見えないけど。」
おかしそうに笑いながら壬生は言う。そうだろうか?いつも僕の方が心配している気がするけど。
「とにかく、明日にでもちゃんと弁解した方がいいと思いますよ?」
壬生はそう言い残して僕の家を出て行った。


翌日は学校から帰って、年末が近いから家中の掃除をしているときに龍麻からの援護要請のメールが入った。
「遅い。」
急いで現場に駆けつけると不機嫌そうに言う龍麻の側には村雨と、そしてやはり彼、御門晴明、そして彼の式である芙蓉も揃っている。
「おや。」
御門は僕の姿を見つけるとそれだけ言って口元を扇で覆って笑う。遅かったですね、とでもいいたげな様子に僕は相変わらずだ、と思った。
僕が玄武の能力者である以上、東の陰陽師の頭領である彼とは切っても切れない間柄である。僕の家は仕事でも昔から彼の家に出入りしていたし、僕が玄武であることは彼も承知している。そして何よりも、彼は僕が女であることも知っているのだ。御門の家と僕の家は随分昔からの付き合いだし、同じ年の、しかも1ヶ月も違わずに子供が生まれて性別を知らないほうがおかしいだろう。それに、僕は如月骨董品店の次代の主、または玄武の能力者として、御門は次代の東の頭領としてそれぞれの立場もある。考えてみれば、小さい頃、僕は御門と遊んだこともあったんだ。祖父が注文の品物を届けに来たときなんか、僕はいつも御門の部屋で遊んでいたような気がする。
僕のことをよく知っている男だけど、かといって村雨にそれをわざわざ喋るような人間ではなく、素直ではないが信頼の置ける人間だと僕は思っている。
「如月。こっちを頼む。」
龍麻から指示が飛んできて僕は我に帰り、慌てて指示された方向に出向き、そこらへんにいる雑魚を一掃すると龍麻たちに合流するべく奥手に向かう。
そこには、髪の長い派手な服を着たオカマのような男と年老いた老師がいた。あらかたのザコは壬生や僕で潰してしまい、龍麻や醍醐、蓬莱寺が彼らを追い詰めていた。
「御門、とどめさしたい?」
後から追いついてきた御門に龍麻が尋ねる。このオカマモドキは彼の知人で僕も良く知っている。いや、知人というより勝手にライバル視されて迷惑している、と彼ならば言うであろう。
「別にこだわりはありません。」
すました顔で言い放つ御門に龍麻は肩を竦めて見せる。
「あ、そ。冷たいね。」
龍麻は笑いながら、ではと言って彼に最後の一撃を加えた。ぼろぼろになった陰陽師親子はほうほうの体で逃げていく。
それを追うことはせず、龍麻はそのままみんなを集合させた。
「如月、壬生、サンキュ。」
龍麻に礼を言われて僕らは軽くうなづいた。
「あなたも、ですか。」
御門は扇で口元を隠しながら僕に言う。
「…久しぶり。…君も、か。」
「私はマサキ様から、力になるように言われただけですよ。」
済ました顔で答える彼が、いかにもらしい返事をよこすので僕はひっそり苦笑する。
いくら秋月家から言われようと、自分で納得できないものは絶対にしないくせに。しかも、守護する二人ともがここにいて、その上芙蓉までここにいるなど普段の彼ならば絶対にしないこと。なんだかんだと理由をつけても結局は龍麻が気になっているのだろう。この分じゃ、きっと御門も、そして芙蓉も龍麻に力を貸すに違いない。
「如月…こいつも知り合い?」
龍麻が尋ねてきた。僕はとっさに頭の中に昨日の僕と壬生の会話を思い出す。
『…誰が見ても、あれは嫉妬だと思うんですけど。』
そうなのだろうか。…そうだとしたら、僕が正直に答えたらやっぱり龍麻は嫉妬するだろうか。そんな考えが頭の中にちらと浮かぶ。
でも僕は嘘はつきたくなかった。
「先代からの知りあいだよ。仕事上、彼の家には何度か行っているし。」
するとすぅっと龍麻の目が剣呑さを含んだまま細められる。
「…アイツは…知ってるのか?」
急に声を潜めて尋ねられ、僕は思わず息を飲んだ。龍麻は押し殺してはいるけれど、かなり怒ってて、ぴりぴりとした感情がそこに篭められ、思わずすくみあがりそうになる。嘘をつけばいい。そう分かってるのに、それでも僕は嘘はつけない。
「…知ってる。」
その返答に龍麻の顔が奇妙に歪む。
怒っているのか、泣いているのか分からない表情を一瞬だけ見せて、だけど、すぐに元の表情に戻して振り返ってみんなの元に戻っていった。
「これから龍山センセイのとこ行くから、今日は解散。」
龍麻は壬生にそう言って、それから蓬莱寺たちと引き上げていく。
僕はといえば、龍麻のそんな表情を見せられて考え込んでいた。一体、今の表情はなんだろう。怒っているのだろうか。それとも…?しかし、あの龍麻が泣くはずなどない。僕の見間違いだったのだろうか。
「如月さん…?」
考え込む僕を心配して壬生が声をかけてくれた。
「何か言われたんですか…?」
「いや。」
僕は首を振る。何か言われたわけではない。何も彼は言わなかった。言うはずなんてないのだ。
僕は少し落胆した。たとえば、ちょっとだけでも嫌だと言ってくれたら、弁解できるのに。龍麻が何も言わないのに自分ひとりで弁解するなんておかしいから。だから僕も何もいえない。
「…帰りましょう。」
「ああ。」
僕は短く返事をしてそのまますぐに家路についた。


 

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