氷解〜1〜

 

12月に入ってからも壬生の集中訓練と自分達の訓練を兼ねた旧校舎潜りを続け、何時の間にか僕らはもうこれ以上、体力も何も上がらないほどになっていた。
10人編成で行う通常の訓練も行ってはいたけれど、そこではトドメをさすのは自分たちよりも体力も守備力も弱い、強化すべき人間を優先することになっていたので自分達の訓練にはならなかったのだ。
「ふぅ…。今日はこんなもんかな。」
龍麻が声をかける。今日の参加者は3人。僕と龍麻と壬生と。いつも龍麻に強制参加させられている蓬莱寺はうまく逃げおおせたらしく、この場にはいなかった。
「ここ、何階だ?」
龍麻が顔を上げる。
「100階。随分と潜ったね。」
壬生が自分でトドメをさした敵から回収したアイテムを僕が貸した袋にがさっと入れて担ぎ上げた。
「それにしてもさ、壬生もレベル上がるの早かったな。」
龍麻が、今日とうとう体力も何も上がらない領域にまでなった壬生に声をかける。
「毎日のようにここに来てたからね。おかげでいい鍛錬になった。」
笑顔で答える壬生が階段を先に上り始める。長い階段を上がり、1階に戻ってくると僕はいつものようにアイテムの査定を始めた。
「玄武はもう持ってるよな?」
「ああ。これは買い上げよう。…龍麻の拾ったのはこれで全部?」
「ああ、そうだ。壬生は?」
壬生の持ってきたアイテムを広げるとほとんど入手済みのアイテムであったが、中に1点だけ、未入手のアイテムがあった。
「これ…。」
先に龍麻が気付いて拾い上げる。
手甲の甲の部分に目を剥いた恐ろしい形相の龍が細工されている。今にも天地を震わせる咆哮が聞こえそうなほどの迫力に満ちたその龍は鮮やかな黄色に彩られていた。
「…黄龍…?」
龍麻の口からその言葉が出たときに、僕は思わずぎくりとした。黄龍なんて言葉自体を知っている人間はさほど多くもない。だから龍麻からその言葉が出てきたことに僕はかなりうろたえた。
「これ、黄龍だよな?」
僕に念を押すように龍麻が尋ねる。
「…ああ。」
「なんで、黄龍なんだ?」
龍麻が独り言のように呟く。
「それは今の四神甲よりもいいものだから、このまま龍麻が使うといい。」
龍麻の問いには答えず、僕はそれだけ言って他のアイテムの買取価格の計算に入る。地下100階あたりまで来ると高額なアイテムが拾えるから金額も自然と大きくなる。
「じゃあ、今日はこれで。3で割って、一人あたりこの金額を銀行に振り込もう。」
二人が承知するのを確認してから荷物を持って真神学園をあとにする。
いつも僕の家によって夕食をともにするのが最近の習慣になっていて、今日も途中のスーパーで夕食の買い物をしてから僕の家に戻る。
僕は帰宅してからすぐに夕食の支度に取り掛かるために台所に入った。
「龍麻は?」
食事の支度の手伝いに入ってきた壬生に尋ねる。
「書庫の方に篭もってますよ。」
ああ、と僕は短くため息をついた。
僕の家に来て、龍麻はよく書庫にある本を読み耽る。だけど、いつもは本を書庫から持ち出して座敷でお茶を飲みながら読んでいるのだが、今日に限っては書庫に篭もった。それは、いつものようにじっくりと興味のある1冊を読み耽るのではなく、おそらく今日入手した手甲に疑問を抱いてそれについて調べたいと思っているからだろう。あそこにある本の大半は僕の本ではないし、僕自身も仕事で使用するためあの書庫から1冊しか持ち出さないように言っていたから何かを調べたりするにはあそこに篭った方が都合がいい。
「如月さん…龍麻の手甲…。」
壬生も龍麻の意図が分かったらしく、僕に尋ねる。
「ああ。…壬生はどこまで知ってる?」
尋ねると彼は普段から低い声を一層低くして返答した。
「ほとんど…全部。」
「そうか…。」
僕はため息混じりにうなづいた。壬生はおそらく師匠である拳武館館長から龍麻のことについて大方を聞かされているのであろう。
「如月さんは、どこまで…?」
言葉少なに尋ねる壬生に僕は話すべきかどうかしばらく考え込む。だけど、龍麻の後見人である拳武館の館長が龍麻にさえも教えていない本人の秘密について語っていることからも、僕は壬生に話すことを決めて顔を上げた。
「僕の家は…代々、玄武の能力者をよく輩出するんだが…昔、一人の玄武がいたんだ。」
夕食の支度をしながらぽつりぽつりと語りはじめる僕を、壬生は黙って見つめていた。
「その人が残した記録があるんだが…それが恐ろしいほどに今の僕たちに酷似しててね。」
僕が小さい頃から祖父に叩き込まれた玄武としての使命は、その人が残した記録に全部由来している。
「菩薩眼の女性が強い気をもつ男性と契って産まれたのが陽の黄龍の器。黄龍の力を収めることのできる人間のことだ。それはこの世を征服できる力ともなる。だからこそ、菩薩眼の女性は狙われ、陽の黄龍の器を産ませようと権力者はやっきになる。…今年の秋あたりまでに起こった一連の事件はまさに菩薩眼、美里君を狙ったものだったんだ。」
壬生は最近仲間になったからどこまで知ってるか分からなかったが、その話に対して微かにうなづいたところを見ると、今年の秋口までに立て続けに起こった不思議な事件について、それなりに知らされていたようだった。
「だけどね。それ以降の事件については美里君じゃない。最近転校生を狙った誘拐事件が多発しているのを知っているだろう?これは明らかに龍麻を狙っている。これがどうしてか、君は知っているだろう?」
すると壬生はこくりとうなづいた。
「龍麻が…菩薩眼の女性と強い気を発する男性の間に生まれた、陽の黄龍の器…だからですね?」
壬生の答えに僕はゆっくりとうなづいた。
「君も知ってるとおり、龍麻の父は君の師匠と対をなす存在だったのだろう?当然強い気を持つ人間であるに違いない。そして、母は菩薩眼だった。だから龍麻は陽の黄龍の器である。そういうことだ。」
僕はふぅっとため息をつく。黄龍の器。それがどんな意味をもつのか、龍麻はまだ知らない。
「館長は…龍麻の父親がその命をもって封じたはずの凶星の者が復活をはたした、とおっしゃってました。おそらく、龍麻を付け狙っているのはそいつです。」
壬生のその話に僕は多少思い当たることがあった。祖父が、昔言っていたのだ。凶星のものがどこかに封じられたと。しかし、それはそのうちに復活を果たし、やがておまえの前に現れる黄龍の器とこの世の存続をかけて戦うことになる。おまえは、黄龍の器を護り、助け、この東京を、ひいてはこの日本を、世界を救うのだと。
「でも、僕にはひとつわからないことがあるんです。」
壬生が僕をまっすぐに見て尋ねる。
「あの、黄龍甲。なぜ、手甲が…。」
最後は呟くように言った壬生の質問に、今度は僕が答えを出す番だった。
「龍麻の、緋勇家は古武道を伝える家でもある。…だが、どういうわけか、菩薩眼の女性との関わりも深い。…実は、記録を残した玄武が仕えていたのは、龍麻以前に緋勇家に生まれた陽の黄龍の器だったんだ。」
その言葉に壬生は驚いた表情を浮かべる。
「だからね。手甲に黄龍甲があったとしてもおかしくはない。あの手甲は緋勇家の伝える武道に使われるものだから。」
壬生が俯いてしばらく考え込む。
「なぜ、拳武館の館長は龍麻に真実を話さないんだい?」
僕が尋ねると、壬生ははっと顔をあげる。
「それは…できるなら、龍麻にはふつうの人間として育って欲しかったと、そう聞いています。それに…星が巡るのなら、館長がわざわざ教えずとも、自分でその答えを求め、知る日がくるだろうから、と。」
僕らは顔を見合わせて互いに深いため息をついた。龍麻が背負った宿星の重さに、今更ながら胸が塞がる思いだった。
「もしかして…如月さんが…男装しているのも、龍麻のため…ですか?」
不意に聞かれて、ぼくは驚いたが、もう隠す必要もないから素直にうなづいた。
「ああ、そうだ。…黄龍の器を護るのに、男のほうがいいと、僕の祖父がそうしたんだ。」
壬生はしばらく考えて、それから僕にまた尋ねる。
「龍麻…黄龍という言葉を知ってましたね。」
「ああ。」
「…四神が中央に配される黄龍を護るものだということに、龍麻は気付いているんでしょうか?」
「…多分。その確証を得るために、書庫に篭もっているんじゃないかな。」
僕は夕食の支度をする手を再び動かし始める。
「僕は…。」
壬生が不意に何かをいいかける。手を止めて壬生を見ると、壬生はなんだか悲しそうな顔をしていた。
「僕は、僕らが一対だから龍麻を助けるわけじゃない。…僕は、僕自身の意思で、龍麻を助けたいと思います。」
そう言いきって壬生はざくざくと鮭のちゃんちゃん焼き用のキャベツを刻みはじめた。


 

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