「だめったら、だめっ。」
12月23日午後。桜ヶ丘病院の病室で目を吊り上げて怒っていたのは龍麻だった。柳生に斬られた時には現場にいなかったはずの如月が、どうして病室にいるかわからなかった龍麻だったが、京一が如月に連絡を入れたという事がわかって納得したのも束の間、3日もの間、ずっと自分につきっきりであったという事実もわかって怒っていたのだ。
「ずーっとついていてくれたのは嬉しいけどっ。でも、いいかげんにしなきゃ翡翠が倒れちゃうっ!」
「僕は大丈夫だよ。」
自身たっぷりに言う如月の目の下には濃いくまができていて、頬から顎にかけては無精ひげが伸びてうっすらと影になっている。普段の翡翠からは想像できないようなやつれ方で、龍麻はそれが自分のせいであることをとても申し訳なく思っていた。3日もずっとつきっきりでいてくれたことは嬉しいけど、これ以上無理をさせるのは嫌だった。
「まぁまぁ、如月。ひーちゃんだって、女の子なんだし、な?」
どっちも譲らない二人に、京一がなんとかとりもとうと中に入るが、言い方が悪かったようで途端に逆鱗に触れたように如月が怒りだした。
「僕は何もしないっ。」
「い、いや、そーいうんじゃなくってよ。」
すごい勢いで食って掛かる如月に、京一が思わず後ずさる。京一は隣にいる醍醐に助けを求めようとしたが、京一よりも弁が立たない醍醐には無理な話であった。
「如月君。龍麻は早ければ明日には退院できるそうなの。」
急に後ろからした声に如月が振り返った。声の主は葵だった。それにほっとしたように京一が胸をなでおろし、まるで逃げるように如月から離れて、醍醐の影に隠れた。
「明日?」
何が言いたいと、顔に訝しげな様子を露わにして如月は葵のほうに向き直った。
「ええ。でも、退院といっても、完治しているわけではないの。だから、クリスマスイブで忙しいところ悪いのだけど、明日、龍麻を家まで送っていってあげてくれないかしら?」
「それは構わないが。」
「それなら、今日は一度帰って、明日、改めて迎えにきて?ちゃんと、お風呂に入って、ひげをそって、明日、外を出歩くのに恥ずかしくないように。いい?一緒に歩くのに、恥ずかしい思いをするのはあなたじゃなくって、龍麻なのよ?」
穏やかに言われて、そこでようやく如月は帰るのに承諾した。もっとも、かなりしぶしぶではあったのだが。龍麻は名残惜しそうに帰っていく如月を、病室の窓からも見送って、如月の姿がすっかり見えなくなった頃、ようやく窓から視線を戻した。
「ありがと、葵。」
すまなさそうに言う龍麻に葵はどういたしましてといって柔らかに微笑む。
「龍麻、明日はクリスマスイブよ?今日はあなたもゆっくりと休んで、明日は一緒にデートでもなさい。」
「あ、葵っ。」
真っ赤になって照れる龍麻を目を細めて愛しそうに眺める菩薩眼。
「じゃあ、私達も帰るから。ゆっくり休むのよ?」
「はぁい。」
可愛らしく返事をした龍麻に、微笑をこぼして病室を辞した。
「葵、明日、ひーちゃんを家に送るくらいなら私たちだって良かったんじゃないの?」
帰り道、葵に尋ねる小蒔に先ほどとは対照的な絶対零度の微笑を見せて菩薩眼の少女は言う。
「明日はクリスマスイブね。」
「え?うん、そうだけど?」
「あの、橘っていう如月君の同級生、京一君が如月君の家に連絡したときに側にいたみたいなの。」
「ええっ!?ホントっ!?」
驚く小蒔にうなづいて葵は話を続ける。
「これは推測だけど。京一君が電話をかけたときに、如月君は誰かに『すまないね』と言ってから、如月ですと名乗ったそうなの。誰かがそばにいたようなのよ。お店のお客さんなら、『すまないね』ではなくってもっと丁寧な言葉になるでしょう?」
「あ、そか。」
「だから、その場所にいた人間が如月くんと同等の立場の人間であると思うの。かなり親しい、もしくは目下の人間になら、彼は『悪いな』っていうでしょう?」
「うんうん。」
小蒔は、いつも龍麻に接している如月の様子を思い浮かべながらうなづいた。
「さらに言うなら、そこにいたのが私達の仲間であるなら、きっとその連絡を受けた時点で一緒に桜ヶ丘にくるでしょう?でも、如月君は一人できた。つまり、私達の仲間でもないっていうこと。」
「なるほど。」
「もっと詳しく言えば、『すまないね』という謝る言葉自体、普通は電話を取る前に言うでしょう?それが電話に入ったということは如月君が電話をとっても、相手がまだ電話を先に取ることに納得していなかった。つまり、何らかの会話の最中に電話がかかってきて、如月君が話を中断させて電話に出たということ。それはつまり、相手が如月くんとかなりではないけどそこそこに親しい間柄ということ。ただの如月君のファンなら、彼、きっと謝らないだろうから。」
「うんうん。」
「店のお客さんではなく、如月くんと同等の立場で、私達の仲間でもなくそこそこに如月くんと親しい。龍麻から如月君の家に来る人をいろいろ聞くけどそんな条件に合う人は、私は一人しか知らないわ。」
冷たい微笑を浮かべたまま菩薩眼の少女は言う。
「時期が時期ですもの、彼女だって如月君にちょっかいかけたくもなるでしょうね。でも。それで龍麻が悲しむのは許せないわ。」
そうでしょう?と小蒔に同意を求められて、小蒔はかくかくとうなづくしかなかった。
「明日、龍麻と一緒なら彼女も手出しは出来ないでしょう?」
そう言った葵の表情に小蒔は凍りつきそうになった。
『そのとき、ここが南極なのかと思うほど冷たいブリザードがあたりに吹き荒れてました』というのは小蒔の談。背筋に冷や汗を流しつつ、小蒔はそれを聞いているしかなかった。
正月。葵は正月も橘の動きを警戒していた。しかし、退院から如月はずっと龍麻の側を離れようとはしなかったため、ただの危惧でそれは済んでしまった。そして大晦日、織部神社の襲撃に始まる一連の事件は龍麻も、如月をもゆっくりと新年を迎えられないような状況に追い込んだ。その間も如月は龍麻に気付かれぬようそっと側にいる。それほど柳生に斬られたと言う苦々しい記憶は彼を苛んでいた。
葵は、龍麻の側に見え隠れする如月の気配に苦笑しながら、それでも満足そうに家路についた。きっと、最終決戦が終わるまで如月は龍麻を守るだろう。そんな確信を持って。
実際、葵の確信どおりに如月は龍麻を守り続けた。
龍麻がマリアと戦っている時も、如月は真神学園にいた。龍麻に何かあったらすぐに出て行くつもりでその悲しい戦いの一部始終を見守っていた。最初は、マリアが戦いを挑んだ時点で援護に行こうとしたのだが、それは真神学園の教師、犬神によって止められた。マリアは緋勇には勝てない、という彼の言葉どおりマリアは負け、校舎から落ち、犬神に助けられたのも如月はずっと見ていたのだ。
そして、元旦の夜は更けて最終決戦の時がやってきた。龍麻の側から離れなかった如月は寛永寺の外で待機し、いつでも援護に出られるように準備していた。携帯電話に援護の依頼が入るが早いか、龍麻の元に駆けつけ、龍麻を守るようにしてその力を振るう。以前、彼の打たれ弱いのを気にした龍麻は大黒天の神水と福禄寿の神水をたらふく如月に飲ませていたので、いまや如月は醍醐なみの耐久力と生命力を持っている。そして元から行動力の高い彼は縦横無尽に動き回り、龍麻に寄って来る敵に体を張って立ちはだかり、また攻撃を仕掛けていた。
葵はそうやって戦う如月を見ていて時々思う。やっぱり、これで気付かないほうがおかしいわ。守られているという実感はあるのに、どうして守ってくれるのかその理由を龍麻は考えない。いや、考えているのに、全然違う方に行っている。確かに、彼は玄武だけど。そして、龍麻は黄龍の器だけど。そんなのは、彼の照れ隠しだって、誰もが知っていることなのに。使命だからといって、あんなに嬉しそうに己が盾になるってことの意味を龍麻は全然わかっていない。龍麻だからわからない。自分が、他人の盾になることに何ら疑問も感じないで、さも当たり前のようにみんなをかばう、そんな龍麻だから如月の行動の意味がわからないのかもしれない。
「葵っ、危ないっ!」
龍麻の言葉に顔を上げると鬼が近づいてきていた。
「熾天使の紅。」
彼女の呟きに技が発動し鬼が倒される。ほっとした顔の龍麻が葵に微笑みかけて、またすぐに他の人の方に視線を動かした。戦いのことには聡いのに、どうして恋愛になるとああなんだか。葵はくすりと口元だけで微笑むと、愛しい女友達を守るために歩を進めた。
長い長い戦いが終わったのは夜明け間近だった。長い戦いもこれで終わるのかと思うと、自然に微笑みが毀れてくる。とうとう勝った。その喜びに興奮して、語り合う中に一人だけ様子の違うものがいる。
「龍麻?」
葵が近寄ると、龍麻は力なく微笑んだ。
「大丈夫?怪我でもしたの?」
「ううん。ちょっと、疲れた…だ…け…。」
そう言いながら、龍麻はぐらりとその体を傾けた。
「龍麻っ!」
悲鳴のような葵の叫びにみんなが驚いて龍麻を見る。龍麻は側にいた如月にもたれるように倒れ、その腕の中に収まった。倒れかかってきた瞬間に、良くない予感に顔を強張らせた如月だったが、龍麻の顔を覗き込むとすぐにその顔の強張りを解き、今までに誰も見たことのないような、慈しみの深い、穏やかな、優しい笑顔を浮かべた。
「龍麻はっ!?」
問い掛け、走り寄った葵に、如月は龍麻をお姫様抱っこに抱え直すとほら、とでもいいたげに龍麻の顔を葵のほうに向ける。
「寝てるよ。よっぽど疲れたんだろうね。」
如月の腕の中では、みんなの心配をよそに幸せそうに睡眠を貪る陽の黄龍の器がいた。
「ひーちゃんたら。」
その様を見た小蒔が横で笑いをかみ殺している。葵も苦笑しながら安らかな彼女の寝顔を見つめた。そこに行きたかったのね、龍麻。心の中でそう思いながら。
「如月君。悪いけど、龍麻をよろしくね?」
葵は龍麻をお姫様抱っこにしたままの如月に言った。
「ここからなら、あなたの家が近いし。長い戦いでかなり消耗しているでしょうから、ゆっくりと休ませてあげて?どうせ龍麻は家に戻ってもロクなもの食べないでしょうから、あなたの家ならその点は心配ないわ。」
「うちは食堂じゃないんだけど。」
如月が苦笑交じりに言う。
「似たようなものでしょう?それと、始業式までに回復しないようなら、2,3日学校を休ませてもかまわないから。」
「ああ。」
「一度、あさってぐらいに様子を見に行くわ。」
「わかった。確かに預かっていくよ。」
如月は大事そうに龍麻を抱え直して歩き始める。後に残った8人はその如月の後姿を見送ってから呟いた。
「役得だな、あれ。」
京一がうらやましそうに言う。
「これで、うまくいくかな?」
小蒔が葵に小声で聞いて来た。葵はちょっと首を傾げて考える。
「きっと、本当に看病だけよ。そこで何かあるような人なら、ここまでこんな状態なわけないもの。」
困惑顔で言う葵に小蒔が同意してうなづいた。
「それにね、まだ心配ごとが残っているのよ。」
そう言った葵の目は決して笑っていなかった。
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