暗躍〜3〜

 

そして、その戦いから1ヶ月半。結局葵の予想通り、何の進展もなかった二人はそのまま受験に突入した。葵は早々に大学を合格し余裕であったのに対して、龍麻は急に進路を変更したために毎日厳しい受験勉強を余儀なくされていた。
今日、2月14日。世間的にはバレンタインデーである。
葵は龍麻が早朝に如月の家に置いてきたことを聞いて、様子を見に如月骨董品店までやってきた。ここに来るのは正月に龍麻が世話になってたとき以来である。いつもは静かな、よく手入れされた佇まいの店も、流石に今日ばかりは店主の人気を反映して、店の入り口には店の雰囲気に不似合いなラッピングのチョコレートが山のように置かれている。そして、美貌の店主が姿を見せないものかと、淡い期待を抱いた女子高生たちが何人か店の側に立っていた。
葵の登場にその女子高生達が一斉に注目する。嫉妬と羨望の混じったその中を悠然と歩き、店の前に立った。店先にあるチョコレートの山を一瞥すると、すぐに視線を戻してガラス戸に手をかける。
「こんにちは。如月君、いるかしら?」
綺麗なよく通る声で、半ば挑戦的に回りにいる女子高生にも聞こえるように言いながら葵は中に入っていった。店の奥の、大抵彼が座っているはずの帳場には姿はなく、いつも開け放してある店と座敷を仕切る障子がきっちりと閉められている。上がり框のところには見慣れぬ女性のローファーの靴が1足。それを見た葵の目は物騒な光を宿してすぅっと細められた。やはり。つぶやくのとほぼ同時に障子が細めに開いて、中から相手を認めると、さっきよりもやや広めに開いて中から店主が顔を出した。
「やぁ、美里君。どうしたんだい?」
「どうしたって、今日はバレンタインデーでしょう?如月君には去年、散々お世話になったから感謝をこめてチョコレートを渡しに来たのよ。」
にっこりと微笑む葵の言葉を如月はそのまま信用したようだった。
「それはわざわざありがとう。悪いけど、ちょっと座敷の方に上がってくれないかな?今日はそっちにいるわけにも行かないから。」
葵はうなづいて『お邪魔します』と断って座敷に上がっていった。彼女が上がるとすぐさま障子は元のようにぴっちりと閉められる。改めて室内を見ると、如月の向かいにはメガネをかけた女性が座っていた。なるほど、これがそうなのね。宣戦布告ともいうような慇懃な笑顔を顔に浮かべると彼女に会釈をする。彼女も多少警戒をするような表情だったが少しだけそれを緩めると葵に会釈を返す。
「お邪魔してごめんなさい。」
葵は少しすまなそうな顔をして彼女に断り、傍らに置いた鞄の中から綺麗にラッピングされた箱を取り出し、如月の前に置く。
「去年は本当にありがとう。如月君には言葉では感謝しきれないくらいにお世話になったから、少しでもお礼をしようと思って持ってきたの。」
「僕も商売だからね、お互い様だ。」
「それに。」
言葉をつなげる葵に如月は首をかしげる。
「龍麻のことも。如月君、龍麻をずっと守ってくれて、ありがとう。」
言われた瞬間に如月の顔がぽっと赤くなった。この如月の変化に橘はどう思うかとちらりと表情を盗み見をすると、穏やかではないようで顔つきが険しくなっている。
「そういえば、龍麻はどうしてる?」
そんな橘に気付かぬ様子で、如月は何気なさを装って葵に尋ねてみた。橘が同席しているにも関わらず、そういうことを尋ねてしまう辺り、如月自身も長いこと龍麻に会っていないための禁断症状が出てきているようである。
「あら?今日、プレゼントを渡しにきたのでしょう?」
葵がわざととぼけて答えると、如月は困ったように笑っている。
「来たのは、来たんだけどね。何しろ、僕は既に寝ていたから。だって真夜中だよ?」
「来たのに気付かなかった?」
「いや。気付いたけど、外に出たときには遅かった。」
わざわざ外にまで出たというのは葵の予想外だった。
「来るなら、昼間ゆっくりときてくれれば良かったのに。」
「そうも行かなかったようよ?あなたも知っていると思うけど龍麻はとてもナイーブだからいろいろと考えることもあったようだし。」
含みをもたせた葵の言葉に如月の顔が苦々しく変わっていく。普段、他のことなら冷静で通っている彼も龍麻のことになるとその冷静さが吹き飛んで、非常にわかりやすくなってしまう。しかも、すぐそこには橘がいるにもかかわらず、だ。葵は笑いをこらえながら次の言葉をつなげた。
「それに、今日は壬生君の学校に行くって言っていたから。」
その言葉にぴくりと如月の眉が動く。
「壬生の学校に?」
「ええ。チョコレートを渡しにって。」
葵は嘘は言っていない。正しくは拳武館(=壬生の学校)に行って館長にチョコレートを渡してくるといっていたのだが。多少、言葉を変えたり、削ったりしたものの、決して嘘ではない。
明らかに様子の変わった如月は冷静さをすっかり失っていた。顔色はさっきの赤から青に変わり、表情は明らかにショックを受けて呆然としている。その狼狽振りは、自分でもわかっているようで、それをごまかすためか急に如月は席を立った。
「お茶を淹れてこよう。」
「おかまいなく。」
そういうのも無視して、というよりも耳に入ってなくって、そのまま台所に向かっていった。後に座敷に残されたのは橘と二人だけである。
「あなたも、真神の?」
如月の姿が見えなくなるとすぐに橘が口を開いた。
「はい。真神学園3年の美里葵っていいます。あなたは、橘さん?」
名前を言われて驚いたように彼女は一瞬目を見開いた。
「え、ええ。」
「雪乃さんや雨紋君からお話は伺ってます。」
あえて龍麻からとは言わないでおく。橘は少し考えるような仕草を見せてから、顔を上げて葵に尋ねた。
「あの…緋勇さんと、お知りあいですか?」
「ええ。同じクラスなの。席も隣だし仲良くしているわ。」
「緋勇さんと、如月君って、どういう…?」
切羽詰ったような表情で橘は葵に問い掛けてきた。やはり龍麻のことが気になっていたのだろう。葵はわざと微笑んで逆に尋ねてみる。
「どういうふうに見えるかしら?」
「どうって…。」
彼女の表情が曇る。それは言外に、龍麻と如月が付き合っているのではないかと考えていることを物語っていた。まぁ、あのひどい狼狽振りからわからない方がおかしいか。あれでわからないのはきっと龍麻だけね。葵は小さく笑って、ふと、呟く。
「如月君、火傷しなきゃいいけど。」
葵が言ったそばから台所から何かをひっくり返したような音が聞こえる。それにもう一度くすりと小さく笑って、葵は再び橘を見据えた。
「私は第三者だから、どうということはできないわ。ただ…。」
「ただ?」
「龍麻が真夜中に自転車でプレゼントを郵便受けに入れにきたのを、彼は寝てても気付いてわざわざ外に出る、そういうことのようね?」
頭のよさそうな女性。そう聞いているし、実際に見た感じもそうである。ならば余計なことは言わずともわかるはず。葵はそう判断した。
「緋勇さんは…如月君のことが、好きなんですか?」
「好きというか…。」
葵は元気な彼女の笑顔を思い浮かべて苦笑した。普段は全く無敵の黄龍の器の癖に、如月がからむとこれも如月同様、かなりうろたえたり、普段の調子がでなくなる。もはや、それは好きという領域ではなく、もっと深いところに根ざしているのかもしれない。
「きっと本能なのね。」
葵はひとりごちる。
「私、何度かここを通りかかったときに、遊びに来ている緋勇さんを見かけました。」
橘は俯いたまま話し出す。
「緋勇さんは、いつも明るく無邪気に笑ってて、それを見てる如月君もとても嬉しそうでした。…如月君、学校ではそんな顔で笑ったことなんかないのに。」
葵も如月の、龍麻を見つめる幸せそうな顔を思い出す。
「私の、どこがいけないんですか?私と緋勇さん、どこが違うんですか?一体、どうして…。私は、如月君の隣に立ちたかっただけなのに…!」
橘はきゅっと唇をかみ締めて俯いた。
「ごめんなさい、私にはそれに答えを出して上げられないけれど…でも、あなたが決して龍麻に劣っているわけじゃないわ。ただ、そうね、きっと運が悪かっただけ。」
「運?」
「そう。運悪く、頑迷で、自分の使命にバカがつくほど忠実で、それを全うすることにこの上もないほどの喜びを感じるような男を好きになったのがいけなかったのよ。」
そこでようやく橘が小さい笑いを漏らした。
「少しはいいところもあるんですよ?」
かばうようにいう橘に葵はくすっと笑って、片目をつぶって答える。
「少しはね。」
その答えに、ようやく明るい笑顔をみせた。
「美里さん、ひとつ伺っていいですか?」
「ええ。」
「美里さんは、如月君は好きですか?」
「あなたや龍麻には申し訳ないけど、そういうこと考えたことないの。嫌いというわけじゃないんだけど、そうね、やっぱりあくまで仲間なのね。」
間髪をいれずに答えた葵に橘は満足そうに笑った。
「わかりました。」
そう言って彼女は席を立つ。
「先に失礼すると、如月君に伝えて置いてください。」
「わかったわ。」
鞄を持った彼女は障子を少しだけ開けてローファーを履いた。
「また、もしどこかで会うことがあったら。」
そこで切れた言葉の先は、そのときにはいろんな話ができるといいと、彼女はそう言いたいのだろうと葵は予想した。まだ気持ちの整理など出来るはずがない。長い間、きっと彼を見つめて、その思いを暖めてきたのだろうから。
「ええ。」
葵は承知したというように微笑んで彼女にうなづいた。それを見てから橘は障子を閉め、そして少し小走りで店から出て行ったようだった。ごめんなさいね。葵は少しだけ彼女に同情するがこれも仕方のないことだ。
「さてと。…如月君。そこにいるんでしょう?」
葵の言葉が合図のように、襖が開く。
「乙女の会話、盗み聞きなんて趣味が悪いわ。」
「そういうつもりじゃ…。」
如月が持ってきたお茶を葵に出した。
「知ってたんでしょう?彼女の気持ち。」
「…ああ。」
「そういうの、相手を傷つけるだけじゃなく、予想外の影響も出るものよ?」
「予想外の影響?」
「あなたが気付かないのならそれでいいわ。」
葵はこくりとお茶を飲んだ。これはふつうのお茶。龍麻が来たときとは明らかに差がある。ま、いいかと思いながらもう一口飲む。
「龍麻は、元気?」
「ええ、元気よ。本当に真剣に勉強をしているわ。」
「…そんなにしなきゃ、入れないところ?」
「あなただったらきっと勉強しなくても大丈夫でしょうけど。」
その言葉に一体どこを受験しようとしているのかと如月が考え込む。
「さてと、随分長居しちゃったわ。またそのうちに来ます。お茶、ご馳走様。」
「あ、ああ。」
葵も店先に下りて靴を履く。
「あ、そうそう。今日ね、壬生君、受験の日なんだって。学校には登校していないそうよ。」
帰り際に葵が残した言葉に店主の顔がぱっと明るく輝くのを見てから葵は店を辞したのだった。


3月某日。真神学園の正門で如月が龍麻を待っていた。長かった友達関係にも終わりを告げる日がきたようだ。みんなで途中まで一緒に帰り、如月に龍麻を押し付けて4人はいつものようにラーメン屋に入った。
「あーあ。とうとうひーちゃんも如月のモンになっちまうのかぁ。」
京一が残念そうに呟く。
「それにしても。葵、なんで如月クンならいいの?御門クンや村雨クン、壬生クンとかが近寄ると怒ったくせに。」
小蒔の素朴な質問に葵はにっこりと、ほんとうに気味が悪いくらいににっこりと微笑んだ。
「如月君なら、ご両親がいないから龍麻が遊びに行こうがお嫁にいこうがとやかくは言われないでしょう?それに。都内であの敷地の家。あの店。普通に考えるとかなりの資産家よ?」
そこで3人は改めて考えてみた。いくら東京の端とはいえ、23区内にあれだけの敷地をもっているということは葵の言う通りかなりの資産家である。今までさして考えもしなかったのだが。そこまで既に考えていた葵の計算高さにうそ寒い思いがする。
「それに如月君の経営手腕は去年、よくわかったし。武具関係、もともと商品の仕入れ、タダなんでしょう?蓬莱寺君?」
「ああ。どっかの迷路とかからもって来るんだよ。俺、マージャンの負けのかわりに何回か付き合わされた。」
「仕入れ値がタダで、あの金額で売ったらほぼ全額が利益になるでしょう?私たちの他にも顧客はかなりいるようだし。」
「なんでそんなことわかるんだよ?」
「前にちょっと顧客帳、覗いたの。」
3人はこともなげに言ってみせる葵に今更ながら恐ろしいものを感じる。
「まぁ。まっとうな骨董品も結構扱ってるようだし。あの通り、マメな人だから、龍麻がお嫁に行っても大変な思いをすることはそうそうないと思うの。」
お嫁に、ねぇ。口には出さないまでも、3人は巷によくいるお見合いをまとめることに命をかけるおせっかいな叔母さんを思い浮かべていた。
「でもね。ほんとは、最後の戦いが終わって、龍麻が倒れたときに、如月君、龍麻が寝てるだけだってわかったら、すごくいい顔をして笑ったの。あんな顔をするくらいに龍麻が好きなら、きっと、一生、龍麻を不幸になんかしないから。」
ああ、と3人ともその情景をすぐに頭の中に思い浮かべた。そのときの如月は、心底愛しそうに龍麻を見つめていたのだから。
「まぁ、アレだよな。もし、ひーちゃんを泣かせるようなことがあったら、俺が如月を倒しに行くし。」
「中国に行っちゃうくせにぃ?」
京一の言葉に突っ込みを入れたのは小蒔だった。
「でも、俺が中国から戻ってきても、ひーちゃんは如月んちにいけば会えるんだろ?」
京一の醍醐もうんうんとうなづく。
「あそこは絶対に動かないからな。考えてみれば俺たちにとっても、如月の家ほど龍麻がいるのにいい場所はないかも知れんなぁ。」
「そーゆーコト言うと、『うちは寄り合い所じゃない』って言われちゃうよぉ?」
みんなが小蒔のモノマネに一斉に吹き出す。ひとしきり笑った後、笑いすぎて涙がでたのをハンカチで押さえながら葵が言う。
「とりあえず、当面の問題は片付いたし。次は一体、何があるかしら。」
その言葉に小蒔は葵の家にいる小さな妹分の行く末に不安を感じ、醍醐は自分と小蒔の世話もしてくれないかなぁと期待をし、そして蓬莱寺は今後の如月と龍麻に密かに同情を寄せた。
菩薩眼の少女の暗躍はまだまだ続く。


                                                END

 

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