招待〜25〜

 

 

この地に足を踏み入れたのはどのくらいぶりだろうか。
城門をくぐりながらそんなことを考える。
解放戦争の最終決戦、王城攻略、それが前回の来訪の目的だった。もう二度と戻ってこないかもしれないと思ったこともあったが、こうして戻ってくるととても懐かしく、安堵に似た気持ちも多少は湧いてきて、やはり自分の故郷なのだと実感してしまう。
感慨深く辺りを見回してみると、市街は解放戦争前のまま、ほとんど無傷で当時の面影を残していて、トラン共和国になってからさらに市街地が広がり、旧市街地も整備された。
元の王城、現共和国政庁舎に向かって歩いていくと広場に大きな噴水が見える。
かなり夜も遅いというのに、その周りは煌々と街灯が灯り、いまだに人通りがある。酔った男が2,3人、気勢をあげて次の酒場へと乗り込むところだろう、肩を組んで大声で歌いながら繁華街へ向かって歩いていった。
そんなところが現在戦争のない平和な国らしい。
北にあるデュナンよりも幾分温かなグレッグミンスターの夜道をまっすぐ王城目指して歩いていく。
自分の記憶に間違いがなければあの、王城の側にある大きな屋敷がマクドール家のはずだった。王城の側にあること、大きな屋敷であることが赤月帝国時代、この家の主がかなりの重臣であったことを物語っている。
目的の屋敷の前に立つとその外観をゆっくりと眺める。
俺の実家の何倍はあるだろうか。
石造りの堅固な屋敷はよく手入れがされているらしく、苔むしたところもなく、窓もどこを見てもぴかぴかに磨き上げられている。
これがマクドール家。ファロンの実家。
本来ならば田舎育ちの俺なんかでは、とてもじゃないけど釣り合いが取れないことは十分に分かっている。
だけど、ファロン以外には考えられないから。
他なんて何の意味もないから。
俺を望んでくれるならば、なんだってする。隣にいるために教養が必要ならいくらでも身につける覚悟だってある。
深呼吸を一度、それから獅子の頭部をかたどったノッカーに手をかけてゆっくりと3回、重厚な木のドアをノックした。

「久し振りね。」
そういって微笑んだのはファロンの姉代わりであるクレオ。彼女もまた、あの解放戦争にファロンとともに加わっていた。
俺はあまり詳しいことは知らないが、グレミオ同様、彼女もまたファロンの父親の命令でファロンの面倒を見ていた一人であり、途中、戦線離脱していたグレミオよりもあの時、ファロンの身近にいた。後半戦はパーティメンバーから外れることのほうが多かったが、それでもファロンに寄り添い、かいがいしく世話をしていたのが印象に残っている。
そしてある意味、ファロンの女としての部分を一番知っている人物である。
「ファロンは…いるか…?」
「まだ舞踏会から戻っていないわ。…急用?」
「いや…。」
冷静に考えれば、まだ帰ってなくても不思議はない時間である。夜遅い、とはいってもまだまだ日付が変わるには時間がある。
それにしてもいなかった場合のことなんか全然考えてなかった。ただ、ファロンに会いたい、それだけで。
「あと2時間もすれば戻ってくるでしょう。急いでないのなら待ってやってくれるかしら?」
「あ、ああ…。」
2時間後、というのはかなり遅い時間帯で、子供などはとっくに寝ている時間になる。それからファロンと会って話をするとなると、深夜に及ぶ可能性も出てくる。
一応、今日はトランに宿泊するつもりではあったがまだ宿泊先を決めていない。
「じゃあ、先にマリーの宿屋で部屋をとってくる。」
そういって踵を返そうとすると彼女はゆっくりと首を振る。
「今日は建国記念の舞踏会であちこちから人がきてるから、今からではもう宿はとれないでしょう。…宿泊先がないのなら家に泊まるといいわ。」
穏やかな、静かな顔でクレオは言う。
最初はファロンに反発していた俺にいい印象はもっていなかった。元来が武人だという彼女は随分と俺を厳しい目で見ていたけれど、はっきりと敵意を示さなかったのはファロンがそう指示をしていたことと、すぐに俺もファロンをリーダーとして認めたからで、それからの彼女は随分と穏やかな、そしてファロンのことに関して頼りがいのある人になった。
俺は宿を諦め、彼女の好意に甘えることにして、促されるまま屋敷の中に足を踏み入れた。
家の中は外観同様、とても綺麗にしていた。高級品ではあるが豪華すぎない、シンプルな調度品が置いてあり、その配置も種類も実に機能的である。真新しいものはさほど見当たらないことからもこれらはテオ将軍の趣味なのだろう。武人ではあるが、かなり趣味はいい。
そのまま彼女は奥のキッチンにいるらしいグレミオに食事の支度を頼んでから、2階に上る。食堂、のようなところに通されるとすぐにグレミオがグラスやら何やらを持ってやってきた。
「フリックさん、こんばんは。」
にこ、といつもの笑顔を浮かべて彼は俺の前にワイングラスを置く。
「ああ。…急に訪ねてすまない。」
「かまいませんよ。…お一人ですか?」
「ああ。」
くす、と小さく笑ったのはクレオだったのか。
グレミオは済ました顔でグラスになみなみとワインを注ぎ、それからシチューを取りにいそいそと下に戻っていく。
「さぁ、どうぞ。すぐに食事の用意ができますから。」
クレオの勧めでまずはワインを一口飲む。
極上品、というわけではないがかなりの高級品であることは違いない。シーアン城ではシェイがグレッグミンスターに買い付けに出ない限り手に入る代物ではない。急の来客にもこういったものがすぐに出せるほどの家なのだ。
「うまいな。」
「そう?口にあってなによりだわ。」
バナーからの道中、一人で戦ってきたためにかなり体力を消耗していて、正直言って酷くお腹がすいていた。食べ物にありつけるのならば、それがグレミオのシチューならばかなりありがたい。
いつもなら一度は遠慮しているところだがそんな状態ではなかった。
「バナーから一人で、ですか。…よほど重要な話ですか?」
クレオが柔らかい笑顔で尋ねる。
聞かれて、はた、と考える。俺にとっては重要だが、ファロンにとってはそうではないかもしれない。むしろ、どうでもいいことの部類に入る可能性さえある。
「重要、というわけではないんだが…。」
返事を口の中でもごもごとしているとクレオはもう一度微笑む。
「デュナン軍のこと?」
「あ、いや…そういうわけではないが…。」
まったくそうでないとも言い切れないのは、出かけ間際にシュウに頼まれたこともあるから。
「…まぁ、いいでしょう。…とりあえず、道中ご苦労様です。どうぞ。」
クレオは答えあぐねている俺に笑いながらさらにワインをすすめる。
当時よりも穏やかに笑う彼女もまた、あの解放軍で苦しんでいた人間だった。
解放軍内でも世間一般的にもファロンの悲劇が有名で、為に陰に隠れてはいるけれど彼女にもひどく落ち込んだ時期はあったのだ。
ファロンの父であるテオ将軍が信頼し、彼女もテオ将軍を信頼し、敬愛していた。その将軍と、自分がグレミオと一緒に守り育ててきたファロンが戦い、テオ将軍が倒れたのである。
元が軍人であったから決して表には出さなかったけれど、それでも深夜に一人泣いていたのをパーンだって、俺だって、ビクトールだって知っていた。
ある意味、ファロンよりも悲しかったに違いない。
それでも、残ったファロンを守り、ファロンが失踪したあとのマクドール家を守ってきたのは彼女なのである。
あの深い悲しみを乗り越えたのだろうか、彼女は穏やかな表情になった。
「戦況は大丈夫なの?」
「今のところは。…でも、そうゆっくりとはしていられない。」
「…ファロン様が、随分と世話になったようね。」
「いや、うちの方が世話になった。ファロンのおかげで士気もあがったし。」
「ファロン様らしいわね。」
くすくすとクレオは笑って軽く肩をすくめて見せた。
「腕前の方も相変わらずで、あれでもちょっとは鈍ったなんて本人は言ってたが、それでもぜんぜん敵わない。…やっぱり、ファロンはファロンだ。」
その言葉に彼女も笑いながらうなづいて、でも、と反論を口にする。
「少し見ない間に、やはり感じは変わったでしょう。外見はあのときのままだけど、雰囲気は少し変わったわ。」
クレオの意見には確かに俺も賛成だった。
どう変わったのか、とうまくいえないけれど、激しい悲しみから抜け出して、今は深い、静かな悲しみを纏っているように見える。
それが本人にとってあまり喜ばしいことではないのは分かっているが、それでも今すぐにでも崩れてしまいそうな危うい状況でないことだけは安心できる。
「…少し湿っぽくなってしまったわね。…ごめんなさい。そろそろ食事の支度ができるでしょうからもう少し待ってくれるかしら?私は部屋の方を片付けてくるから。」
「申し訳ない。」
「お待たせしました。フリックさん。」
クレオが出るのと同時にグレミオが入ってくる。かいがいしく給仕をしてくれて、それがいたについているところからも普段から彼がファロンにそうして仕えていることがよく分かる。
「お一人でバナーからとは、随分と大変でしたね。」
「あ、いや…。」
深皿に盛られたシチューがなんともいい香りで。思わずごくりと唾を飲む。
「さぁ、どうぞ。」
薦められるままに手をつければ、やはりグレミオのシチューは絶品で。
お腹がすいていたのも手伝って普段にないくらいの勢いでがっつく俺をグレミオは静かに微笑みながらワインを飲んでいる。
「…フリックさんがいらっしゃっているということは、戦況はしばらく動かないということですか?」
「まぁ、そんなところだな。…ハイランドも今は自国の動揺を抑えるのに精一杯で戦に本腰を入れられるところじゃないだろうしな。」
「でも、それが絶好の機会なんじゃないですか?」
「さぁな。…逆に弔い合戦だとばかりに力が入るかもしれないな。」
「なるほど。」
チーズをつまみにゆっくりとグラスを傾けるグレミオは、わざわざ俺の食事に付き合ってくれているらしい。確かにこんな広い食堂で一人でシチューを食べるのもなんだか落ち着かず、その心遣いはありがたい。
「そういえば、シェイ殿を拾い上げたのはフリックさんとビクトールさんだそうですね。…相変わらずで。」
「…まぁな。…正直、あいつを拾い上げたときにはここまでこれるとは思わなかったが。」
「でも、諦めてもいなかったんでしょう?」
「そりゃな。」
「相変わらずですよ、やはり。」
グレミオの微笑にうなづいてからまたシチューを口に運ぶ。
「ファロン様に用事、というのはデュナン軍の?」
皿が空になくなるころにずばりきいていたグレミオに俺は思わずむせそうになる。
「いや。…俺の個人的な用事だ。」
その言葉にグレミオの眉がぴくりと動く。
「いまさら、ファロン様に何の用事で?」
敵意を隠しもせずにグレミオは鋭い視線を投げかけてくる。
「…私はフリックさんに申し上げたはずですよ?ファロン様を守る役目は私が引き受けます、と。」
「その役は渡せない。」
「ならば、先日お話したときにそういえばよかったじゃないですか。」
「それは…。」
確かにグレミオの言うとおり。
でも、俺は。
「…俺は…自信がなかった。…ファロンが俺を選んでくれるとは思えなかったから。地位も家柄も財産もない俺は…ファロンには不釣合いだから…。」
グレミオは怒ったような顔のまま俺をじっとにらんでいる。
「…それでも。俺は、ファロンの側にいたい。ファロンと一緒にいるために教養が必要ならばそんなもの、どんなことをしたって身につけてやる。財産が必要ならば何をしたって稼いでやる。…ファロンがそれを許さないのなら仕方がないが…そうじゃないなら、俺はどんなことをしたってファロンの側にいたい。」
そしてできるならば、ファロンの望みをかなえてやりたい。
おそらくは誰にもいえないでいる本当の望みを。
「…覚悟ができたと、そういうことですか?」
グレミオは静かに口を開く。先ほどまでの厳しい表情はすでに消えて、不安そうな、張り詰めたような表情を浮かべている。
「ああ。そうだ。…本当の意味でファロンを守りたい。」
頷きながら、宣誓にも近い気持ちで言うと、グレミオは疲れたような、けれどどこかほっとしたような安堵の表情でほうっと大きな息をつく。
「そこまでおっしゃるのならば私はもう何も申しません。…あとはファロン様に。」
「ああ。」
そうしてグレミオは俺にまたワインを注ぐ。
自身もまたワインをなみなみと満たしたグラスを口元に持っていき、一気にそれを煽る。
そうしてから席を立つとまだ使っていない、綺麗な深皿を俺の前に出した。
おそらくファロンのための用意なのだろう。
「パーティーはお開きになったようですよ。…そろそろファロン様もお戻りになられます。」
戻ってきたファロンがすぐに食事を取れるようにすっかり支度を整えた後、彼はそういって静かに席を立った。
外はざわざわと、パーティーからの帰りの馬車の音、人の声が立ち始める。
グラスに残ったワインを煽ると、息をつく。
決戦はまもなく。
本当の戦争以上の不安と恐れを抱きながら、やがて目の前の席に着くであろう愛しい人の到着を待っていた。





                                                

END

 

 home