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こういうのは苦手だ。普段は広間として使われているホールを見回してため息をつく。そこには知った顔がたくさん正装して集まっている。楽団も優雅な曲を奏で、中央では色とりどりのドレスを着た女性がタキシード姿や軍服を着た男性たちと滑るように踊っている。楽器の音が、話し声が、笑い声がさんざめくパーティー会場。こういった席に出るのは久しぶりのことだった。
 父がいた頃はこういうことも嫌いではなかったのだが、あの戦争以来、どうにも苦手になってしまった。
 解放軍リーダー。その肩書きが人を遠ざける理由のひとつになっている。
 もちろん、ソウルイーターもその理由だけど、何よりもみんなが崇め奉るほど、聖人ではない事は自分がよく知っているから。
 「ファロン、どうかしたのかね?」
 ミルイヒおじ様に声をかけられてはっとする。
 心配そうな顔を浮かべられて、とっさに首を振った。
 「それならいいが…。」
 舞踏会が始まって2時間。
 誰とも踊らずに、特別にしつらえられた一段高い席に座ったまま。誘われなかったわけではないけれど、できれば誰とも踊りたくない。今日のこの舞踏会の本当の主旨は理解しているから。
 「ちょっと人に酔ったようです。…少し席をはずします。」
 それだけ言って、つと席を立ちホールの外に出る。中にはたくさんの人で溢れかえっているのに、廊下は全くといっていいほど人気がない。ドアが閉まるとホールの喧騒が別空間のことのように廊下は静まり返る。見張りの兵士がいるだけで、他には誰もいない。
 先ほどの人に酔ったというのは嘘ではない。胸が焼けるような気分の悪さに少し外気に当たろうと、コツコツとヒールの音を響かせながら屋上に続く階段を上がって、今もあのときの面影が残る屋上庭園に出た。
 ここが建物の屋上だとは俄かに信じられないくらいに沢山の草花が植わっていて、湖からの風にその葉や花弁を儚げに揺らしている。
 『ここが最後の領土。』
 バルバロッサの言葉が頭をよぎる。この国の中で最も美しい場所、それを彼はとても愛していたのだろう。
 すっかりと日の落ちたこの時間でも夜行性の美しい花々が咲く花畑に一人で立つ。
 できるだけあの頃の庭を忠実に再現したとレパントは言っていた。ここは人々が昔を偲ぶ場所であり、ウェンディとバルバロッサの墓標でもある。同時に首都に住む人々の憩いの場所であり、あの事を決して忘れないという戒めでもあるという。
 じり、と赤っぽい石を敷いた小道を行く。この赤は赤月帝国を示す赤。わざわざある地方で産出する赤い石を平らに削って敷き詰めたらしい。そこまでのレパントの懲り方が少し意外な気がしながら庭園をゆっくりと進んでいく。
 奥のほうの一段高くなっている手前まで進むと足が止まった。
 庭園の一段高くなっているところの一番奥にはフッチがブラックを失うきっかけになったあの花が植えられている。
 ちょうどここ、ここにあの時、私は立っていたのだ。
 目を閉じなくともあのときの光景が鮮やかに目の前によみがえってくる。
 目の前にはバルバロッサが変化した竜がいて、私の前にはフリックがいた。その横にはビクトールとパーンが、私の隣にはルビィとカスミちゃんがいて。
 なかなか倒れないバルバロッサに何度も切りかかっていくフリックのマントが風に煽られて揺れて、最終決戦の最中なのにそれがすごく綺麗だって思っていた。強い瞳で敵をしっかり見据える横顔もとても男らしくて。少しでもダメージを与えるために上位呪文を唱えるたびに気遣わしげに私を見るのが嬉しくて。
 酷く力を消耗していたのに、それだけで頑張れた。
 そしてとうとう彼を倒した瞬間に、こちらを振り返って笑った顔に胸が痛んで、このまま時が止まってしまえばいいって思った。
 ざわ、と不意に吹き抜けた強い風に周りの草木がいっせいに揺れ、それが合図であったかのように幻影も一瞬でかき消える。
 知らず知らずに緊張していたらしい体の力を息と一緒に吐き出した。
 どんなに焦がれても叶えられない思いはあるから。
 それが静かにいい思い出に変わっていくまで、まだ当分時間がかかりそうなのは自分でも少し情けない。こんなに思い切りの悪い人間だったなんて思わなかった。
 ため息をついて元来た道を戻り階段の方に足を運ぶ。
 誰もいない階段をこつんこつんとヒールの音を鳴らしながら降りていく。
 すぐには会場に戻る気もなく、ふらふ らと長い階段を降りきって、1階に着くと長い廊下を行く。正面玄関のほうに大きく曲がるそこで私は立ち止まった。
 私にとってはこの地上で最も忌むべき場所。忘れられない場所。
 ここでフリックが傷を負った。
 服にみるみるうちに染みて行く赤。突き刺さった矢を歯を食いしばって抜き去って、投げ捨てた。その光景だって今、さっきのことのようにありありと思い出せる。
 おまえを助けることができてよかったと、痛みに顔をしかめながら言った言葉に、まだオデッサさんのことを後悔しているんだと分かって悲しかった。
 フリックの運命を変えたのは私だ。それも悲しい方に。だから何をしても償わなければならなかったのに何もできないままで。
 傷を負いながらも敵を切り伏せていく後姿が目に浮かぶ。
 早く行け、と怒鳴りながら、負傷した腕をものともせずに、切り結ぶその後姿が。
 じわ、と目の前が急に滲む。
 つんと痛くなった鼻を堪えても、浮かんでくる涙は堪えきれず、そのまま幾筋かが頬を伝った。
 あの時の別れが私たちの歩む道をも分けてしまったのかもしれない。
 それが今の立場となって現れているから。デュナン軍の幹部であり、誰からも頼られるフリックと、虚構の栄光に縛られている自分と。悲しいけれど、それが私たちの差なのだろう。
 「ファロン…?」
 急に声をかけられてぎくりとする。
 慌てながらも気づかれないように急いで涙を腕でこすって振り向くと、そこには不思議そうな顔のマイクロトフがいた。
 「マイク…。」
 「どうか…したのですか…?」
 「あ、ううん。」
 慌てて首を振るけれど、マイクは心配そうに顔を覗き込む。
 「…何か…ありましたか…?」
 「なんでもないよ。」
 「なんでもない、という顔じゃありません。」
 誰かに何かされたのだろうかと、心配してくれるのはいいが、その誰かをとっちめようとしそうな勢いに慌てて私は止めに入る。
 「ほんとになんでもないって。」
 「なんでもない人がそんな泣いているわけないじゃないですか。」
 理由を説明するべきかどうか、ちょっとの間悩んで。それでも説明しなければ納得しなさそうなマイクに私はそっとため息をついて言う。
 「…ここ、ちょっといわくつきのところなんだ。」
 「いわくつき…?」
 マイクの頭にはとっさに怪談の類が浮かんだようで、少し眉をしかめて辺りをきょろきょろと見回した。その姿がまるで少年のようで私は苦笑しながらもう一度首を振る。
 「そうじゃないよ。…ここ…盾の廊下というんだ。」
 それは解放戦争以後についたこの廊下の名前。先日、家を訪れたソニアが教えてくれたのだ。
 「盾の…廊下、ですか?」
 不思議そうにその名前を反芻してマイクは首を傾げる。
 「…あの戦争の時。…最終決戦で、勝利した私たちが脱出するとき、私を狙って放たれた矢を変わりにフリックが自らの腕で受けたんだ。」
 「フリックさんが…?」
 「ああ。…最後までフリックに迷惑かけっぱなしだった。…そのあと行方不明になってしまって…結局何の恩も返せなかった。」
 自嘲気味に笑う私をマイクは悲しそうな顔で見つめている。
 「…そのあと私もトランを出てしまったからね。…こうしてゆっくりと王城を回るのはあれ以来なんだ。」
 わざと明るく言う私にマイクはまだ眉をひそめたままで。
 彼の相棒のカミューならばこういった話もせずに済んだろうに、見つかってしまったのがマイクの方だったのは運がよかったのか、不運だったのか。
 「なるべく忠実に再現したってレパントは言っていたけど…いろんなことを思い出しちゃうなぁと思ってさ。…あれから4年、また会えるとは思ってなかったから。」
 「…会いたくなかったですか?」
 彼にしては珍しい突っ込んだ、いや違う、彼だからこそのストレートな質問に私は苦笑した。
 「さぁ、どうなんだろう。…会いたかったかもしれないし、会いたくなかったかもしれない。…元気でいるのかどうかも知りたかったし、…どの面下げて会えるのかとも思っていたし。」
 「フリックさんは、喜んでいたと思います。」
 先ほどまで心配そうな顔をしていたマイクがやけに力強く断言する。慰めてくれようとしていることは痛いほど分かる。彼は人の心に鈍感ではあるが、決して冷たい人間ではなく、むしろかなり優しいと思う。
 「どうかな。」
 自嘲気味に笑いながらの言葉に、さらに熱を込めて反論した。
 「絶対そうです。…私はまだデュナン軍に入ってから日が浅いですが、フリックさんはいつもあなたのことを気にかけていました。…だからこそシェイ殿を救ったんだと思います。」
 それはまるで聞き分けのない子供にとくとくと説いて聞かせる父親のように。彼が決して慰めだけではなく本気でそう思っていることが伝わってくる。
 マイクの真面目な顔に今度は素直にうん、とうなづいてもう一度廊下を眺める。
 「何か、できるといいのにな。」
 自然とこぼれた呟きに彼は静かに笑う。
 「大丈夫ですよ、きっと。」
 今度は別にたいした根拠もない励ましの言葉かもしれない。
 だけど、今の私にはそれだけでも心強く。
 「そだね。…うん。」
 頷いてみせるとマイクも嬉しそうに笑った。
 「さぁ、そろそろ会場に戻りましょうか。みんなが心配するといけません。」
 促されてまた会場へと階段を上り始める。
 今はまだ何もできないかもしれない。だけど、そのうち。
 先を行くマイクの後姿、服の青がフリックの青を想起させる。
 きっと。よかったって思ってもらえるようになりたい。
 そう思いながら会場の重厚なドアを押し開けた。
 
 
 
 
 
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