招待〜26〜

 

 

退屈な舞踏会がようやくお開きになって、これで家に帰れるとばかりに急いで退出しようとしたところをデュナン軍一行に出会い、明日デュナンに戻る前にもう一度会う約束をした。前回来たときにはゆっくりとできなかったグレッグミンスターの街を案内して欲しいのだという。それに快諾して、王城そばの迎賓館に泊まる彼らと別れたのは夜も随分更けた頃。
それから改めて一人で帰宅しようとする私に、アレンもグレンシールも送るといって随分としつこかったが、王城から出てわずかのところに家があるのでそれには及ばないと、こちらもしつこいぐらいにそれを繰り返し、半ば強引に歩き出した。
良家の子女はお一人で、ましてや徒歩などで帰ったりしないなどとグレンシールが言うものだから、ついつい、お父様だって城に出向くようになったらいつもそうするべきだと言っていたと言い返すと、二人は酷く悲しそうな顔をする。二人に父の話をするのは酷な事だということに気がついてはいるけれど、一向に止めるつもりがないお嬢様扱いに多少辟易してもいたから。
ソニアだって王城から戻るときには馬車などは使わずに歩いて戻ってくる。
非戦闘員である子女と武人のはしくれである私とは(正確にはソニアを含めた私達とは)違うのだから仕方ない。やはり二人は父の部下であったし、私が解放軍のリーダーになる前から知っているということからも、どうしてもお嬢様扱いをしたがって困ってしまう。
最早父はなく、二人ともそれぞれに独立して立派な士官になったのだから、いつまでも私を上司のお嬢様という目で見るのは改めてもらいたいものだ、などと思いながら家に戻るとグレミオとクレオは嬉しそうに、本当に子供みたいな笑顔を浮かべて私を出迎えた。
「お帰りなさいませ、ファロン様。」
うきうき、といった様子でグレミオがドアを大きく開ける。何かいいことでもあったらしく、そのように浮かれたグレミオの顔など見るのは久しぶりのことだった。随分長い間旅に付き合わせてしまったから楽しいことなど久しぶりなんだろうな、などと思いながら家に入る。
「ただいま。」
「お疲れになったでしょう?お食事はどうなさいますか?支度はできておりますよ?」
正直、ずっとひな壇のところに飾られて、飲み物は飲むことはできたけどあまり食べることはできなかったから多少空腹ではあった。
「ああ、少し食べようかな。…その前に着替えをしてくる。」
そういいながら階段をあがり、自分の部屋に入ろうとするとクレオがその行く手をささっと阻む。
「え、ええと、実は、その、ファロン様のお部屋ですが、少し散らかしておりまして。…えーと、そのお支度の後片付けが済んでいないもので…足の踏み場もなく…。」
いつもはきはきとよどみなく話すクレオが、これもまた珍しく口ごもりながら答える。
それにあれから数時間たつのに片づけをしていないなど、彼女にしては大変に珍しいことだ。昔はよく後片付けができていないなどと叱られたものだったが。
忙しかったのだろう。
私はそう思いながら頷いた。
「わかった。では、食事の前にお風呂に入る。」
「お風呂はただいまパーンがっ!」
遮るようにグレミオに言われ、それならば仕方がないと諦めて私は食堂に足を向ける。本当はドレスなんか早いところ脱ぎ捨てて、楽な格好になりたいものだが仕方がない。
「シチューが中に用意してありますのでどうぞ召し上がってくださいね。」
そのグレミオの言葉におや?と思いながら食堂のドアに手をかける。普段ならばグレミオは私の給仕まで勤めて、それが当たり前なのだと公言して憚らないのに、今日に限って給仕をしないらしい。
珍しいこともあるものだ。
先ほどからの浮ついた様子も、おそらく久しぶりにグレッグミンスターに戻ってきて羽を伸ばしているせいかもしれない。旅をしている間中私に付き添って、なにくれとなく世話をしてくれていたからたまには休みもいいだろう。そんなことを思いながら中に入ると、そこには見慣れない人影、いや、正確に言うと、見慣れているけれど、この場所にいるはずのない人影が目に入る。
鮮やかなブルー。それが一番先に目に入ったもの。
この色を好んで身につけていて、ここに来る可能性がある人間を二人だけしか知らない。一人は先ほど王城の舞踏会でデュナン軍主の姉に付き従っていた騎士。もう一人は、可能性があるにしても実際にここにいるはずのない人。シーアン城で軍主を助けているはずの。
「…フリック…。」
「…よぉ。」
何故だか少々バツが悪そうに返事をした彼は、それでも次の瞬間に、私の姿を下から上へへとゆっくりと見上げてからにっこりと笑顔を浮かべていた。
一体、何がどうなったのか判断がつかずに半ば呆然としながらその笑顔を見ていると、背後でかちゃんと鍵が閉まる音がする。
「…っ!しまったっ!!」
それで、ようやく先ほどからのグレミオとクレオの挙動不審の理由がわかったような気がした。
慌ててこの場を退出しようにも、うちの食堂は中から掛ける鍵と外からかける鍵の種類が違う。だからもうすでにここに閉じ込められてしまったのだ。
「…もう…。」
私は二人の悪戯に困惑しながら、それでもいつまでもフリックに背中を向けているわけにも行かず、仕方なく振り返る。
にこにことしながらも珍しそうにこちらを眺める視線で、ようやく私は今の自分の格好に気がついたのだった。
「っ…!こっ…これはっ!…パーティーだからっ!」
「うん。…すごく綺麗だ。」
にこにこした笑顔のまま言われて、途端に耳まで熱くなる。嬉しいのと、恥ずかしいので頭の中がぐるぐるしてしまいそうになったけれど、それでも、フリックがいつでも優しいのを知っているから。
「無理…しなくて…いい…。」
「無理じゃないさ。本当に綺麗だ。」
笑顔のまま改めて言われて、自分では見えないけれど絶対に顔なんか真っ赤になっている自信があるくらい頭にかぁっと血が上る。
「…あ…ありが…と…。」
緊張しないようにと思っているのに、口から言葉がすんなりとは出てこない。
「舞踏会、どうだった?」
話をそらそうとしていたところに逆にフリックに尋ねられて、ほっと胸を撫で下ろしながら助かったとばかりに小さく頷く。
「うん、盛況だった。みんな元気そうだったし。久しぶりに会えて懐かしかったよ。」
「…誰かと踊った?」
「ううん。ずっとひな壇に座ってた。」
「そうか…。」
安堵したような表情を浮かべるフリックに首をかしげながら、それよりも聞きたかったことを尋ねることにした。
「ところで、フリック。一体どうしたの?デュナン軍で何かあったの?」
その言葉にフリックは苦笑しながらゆっくりと首を振る。
「いや、そうじゃないよ。…まったく、グレミオとクレオと同じことを言うんだな。」
「だって、フリックがわざわざここに来るなんて何かよっぽどのことかと思ったんだ。」
「ファロンに用事があった。」
「私に?」
フリックは微笑んではいるものの、決してふざけた様子ではない。何事かと私は顔を引き締める。
「ああ、そんなにたいそうな話じゃないさ。」
グラスに残っていたワインを一気に飲み干してしまうと口をぐいっと腕で拭いて呼吸をひとつ。フリックのその様子から本人が言うほどラフな話ではないことがわかるから私はつと立ち上がった。
「フリック。場所を変えよう。」
その言葉に彼自身もそう思っていたようですぐに頷いて立ち上がる。
おそらくグレミオ達の悪戯の目的は果たされただろうから、鍵はすでに開いていると思いながらドアノブを回すと、やはり予想通りにすんなりとドアが開いた。傍らには壁に張り付いた二人。
「盗み聞き?」
「いえ。拝聴していただけです。」
にっこりと悪びれもせず答えるあたり、グレミオも図太くなってきた。
「まったく。…フリック、今夜の予定は?」
振り返って後ろにいるフリックに尋ねると、ああ、と小さく頷いた。
「クレオの好意でこの家に泊めてもらえることになった。…もっともどこに寝るかは聞いていないが。」
あっとばかりにクレオが気まずい顔を浮かべた。どうやらフリックの部屋の準備を忘れていたらしい。彼女のらしくない失態にため息をひとつついてから廊下を歩き出す。
「…じゃあ、私の部屋で話そう。それでいい?」
「ああ、かまわない。」
そのまま南向きの西側にある自分の部屋にフリックを案内する。
私の部屋は壁が厚くなっているから立ち聞きの心配も少ない。南向きの部屋はすべてこの家の主または家族の部屋であるため、全部そういう造りにしてあったが父の部屋はもうない。私が旅に出ている間にクレオが改装したらしい。だから現在、唯一この部屋だけが壁が厚い。
「ここが、ファロンの部屋?」
フリックが不思議そうに尋ねる。
とりたてて豪華でもない、装飾もない部屋が私の部屋である。
おおよそ、女らしくない、むしろ男の子の部屋といってもおかしくないほどの部屋。
「…うん…。」
自分の部屋にフリックを招くのは恥ずかしかったけれど、この家の中では仕方がない。クレオは散らかったと先ほど言っていたけれど、中はきちんと片付いていて先ほどの彼女の言葉がやっぱりうそであったことがわかる。
何をやってんだか。
ひそかにため息をつきながら、フリックに椅子をすすめて自分はベッドの端に浅く腰掛ける。本当は床にでも座りたかったけれど、ドレスではそうもいかず、他に椅子のないこの部屋では仕方のない選択だ。
「…ファロン。」
フリックに名前を呼ばれ、びくりと思わず震える。
酷く、困ったような顔をしたまま、こちらを見つめている。その表情からは話の内容があまりよいものではないことが容易に予想された。
1週間もデュナンにいたから邪魔になってしまったかもしれない。
もう来るなと言われるかもしれない。
瞬間的にそこまで覚悟をきめた。みんなの好意をいいことに随分邪魔をしてしまったし、もしかしたらデュナン軍内部でトラン義勇軍の動きを危ぶむ声があったのかもしれない。やりすぎたかもしれないと少々反省をしながらフリックの言葉を待つ。
「ファロンは…なんであの戦争を…戦っていたんだ?」
急に予想外の質問をされ、頭の中が一瞬真っ白になる。
「…え?」
頭がうまく回らなく、答えを返せないでいると困ったような顔をしたフリックがさらに続ける。
「あんなに辛い思いをしてまで…もちろん、国民のため、というのはあるだろう。…だけど…あの戦いはファロンに何をもたらしたんだ?」
真剣なフリックの眼差しはここ数日間の生活ではみたことがない、いや、再会を果たした日の晩はそうであったかもしれないが。
それでも普段の彼からはあまり想像がつかないような真剣さで問いかけてくる。
それはまるで戦闘でも行ってるときの真剣さにも似ていて。
「…国主の地位を手に入れるでもなく。…戦いが終わったらまるで煙か何かのように姿を消しちまった。…あれほど辛い思いをしてまで赤月帝国を倒したのに、おまえはどうしてその国を捨てた?」
「…。」
その問いに答えることはできない。
簡単に答えることができるほど単純明快な決定ではなかったからだ。
ただ、今でも確かにいえることはそのときの私は自分が打ち立てたとされる功績よりも、ずっとずっと大きな絶望の中にいたことだけだ。そして、その絶望は今でも傍らにある。
「なぁ、ファロン。…おまえの本当の望みはなんだ?」
望み。
私のたった一つの望み。
それをかなえることができるのは世界中でたった一人。
だけど、それは一生叶えられることのない願い。
だから、それはもはや望みとは言えるものではない。敵わないものならば夢でさえもない。
「望みは…。」
「うん?」
「みんなが幸せになること、かな。」
だから、そんな建前を口にする。
夢も望みもないのなら、みんなが望むリーダーの姿を実現すればいい。そうしてできあがったトランの英雄の姿は未だ、この国の人々に根強く残っているのが皮肉だった。
だけど、その答えにフリックは少し悲しそうな表情を浮かべた。
「…そんなことじゃない。…ファロンの、ファロン個人の望み、だ。…おまえはどうしたかった?何がしたかった?」
個人の望みなんて決まっている。たったひとつ。
フリックの…恋人になりたかった。
それだけが唯一の、望み。
だけど、それは。やはり口にすることはできないから。
「…ないんだ、ほんとに。」
かぶり続けた仮面はもうすっかりと慣れてしまって、そんな言葉もすらりと口からこぼれ出る。
「みんなが幸せになればいい。そうしたら、それで満足だよ。」
フリックが幸せであればいい。
私のせいで大事な人を失ったフリックが少しでも幸せになればいい。
彼の望むものすべてが彼に与えられるように。そして、彼が負った心の傷が少しでも癒えればいい。
そう祈るだけ。
それだけしか、できない。
だけど、目の前のフリックはいぶかしむように私を見て、それから少しの間考えて。
「ファロンの幸せは…?」
幸せを望める人間じゃないことはよくわかっているから。
だから、そんなこと考えないほうがいい。
手に入れられないものを望んだって、何もなりはしない。
考えれば考えるだけ自分がどんどん厭わしくなっていくから。
「…ないよ。」
「そんなこと!」
「しいて言うなら、私にかかわった人がコレに巻き込まれないでいてくれること。そしてできるだけ被害者をなくすこと、かな。」
わざとおどけて言うと、今度は怒った顔をして私の右手を取った。はめていた白の手袋を乱暴に取り去ると、フリックの目の前にはソウルイーターが現れる。
「これが、ファロンにそんなことを言わせるのか?」
ぎり、と容赦ない力で腕を取られ、多少痛くなる。
でも、私よりも辛そうな顔をしているのもフリックで。
「…あの晩、俺は言った。おまえの持つものならば怖くないし、これは俺を食わない。俺は、死ぬはずだった最終決戦を生き残ったんだ。だから…。」
フリックはそのままぐいっと腕を引いて私を抱き寄せた。
昔よりも格段に筋肉がついてたくましくなった腕に抱きこまれて身動きができなくなる。慌てて逃れようとするが、もっとしっかりと抱き込まれてそれも敵わない。反論しようと顔をあげると怒ったような、嘆いているような目が射すくめる。
燃えるように綺麗な青の瞳に見つめられて、何も言えなくなる。
「…俺では…だめか…?」
搾り出すような声に言葉が詰まる。
「…俺は、何も持ってない。だからおまえを幸せにできないと一度は諦めてトランを出た。だけど、どうしても俺はファロンを忘れることはできなかった。…だったら、何をかけてでもおまえを幸せにするから。」
抱きしめている腕に力がこもる。
「だから、俺にどうすればいいか教えてくれ。」
何をしてくれなくてもいい。
ただ、そばにいたいだけ。ただ、その姿を見ていたかっただけ。
こちらを向いていなくとも構わない。ただ、彼の笑顔が見られれば、幸せであってくれれば、それでいい。
「何も、いらない。」
私は小さな声で答えた。声は少し震えていた。
「ファロン!」
「…フリックが幸せなら、私は…幸せだよ。」
その言葉には嘘はなかった。
もしも、フリックと一緒にいたいと口にしてしまえば、優しいこの人は本当に一緒にいてくれるだろう。そうしていつかはコレの餌食になってしまうかもしれない。
きっと、そうなってしまっても、喜んでその命さえ差し出してしまうような人だから。
そして最後の際まで私のせいじゃないって、言ってくれる人だから。
だから、言えない。
それよりも、生きて、他の誰かと幸せになる方がいい。
「俺は、ファロンと一緒にいたい。」
「他に、たくさん…女の子はいる…。」
シーアン城にだって、沢山の女性がいる。
可愛らしい人や綺麗な人。優しい人や、おおらかな人。誰かがきっとフリックを幸せにしてくれるだろう。優しくて、強くてあれほどもてるのだから。
ただ、誰がフリックの隣にいたって、きっと心の奥では悲しいのに違いないだろうけど。
「ファロンじゃなければいやだ。…今の戦いが終わったら、俺と、結婚してほしい。」
そういってから、急に強く抱きしめていた腕を解き、慌ててポケットを探って何かを取り出した。藍色のビロードの箱を出し、ふたを開けるとそこにはトルコ石の指輪が入っている。
「これだけしか買えなかった。もっといいのを買ってやる約束してたけど…。」
そういいながら指輪を私の左手の薬指にそっと通す。それは少しゆるくて、だからすんなりと指を通って収まった。
「全部終わったら、今度こそ約束どおりちゃんといいのを買うから。…だから、しばらくはこれで我慢して欲しい。」
その言葉に、急に頭のそこに眠っていた記憶が蘇る。
オデッサ城の部屋で。ぶっきらぼうに『これやる』の言葉とともに渡されたネックレスは未だ私の首にあって、そのときにもっといいのを買ってやるといわれたんだった。
約束、覚えてたんだ。
そう思っただけで鼻がつんとする。
きっと忘れてるって思ったから。
それでもいいって思っていたから。
果たされることなんかなくても、約束してくれたことだけですごく嬉しかったから。
旅の間中も、ふとネックレスに触れながらそのときの事を思い出すだけで幸せで、幸せで。
解放軍のリーダーと副リーダーとしてではない、そのやりとりが。女の子として扱ってくれたそのことが嬉しくて。
だから、つい、ぽろりと涙がこぼれてしまった。
「ファロン…?」
一度こぼれた涙はもう止まらない。
左手の薬指にはめられた指輪を眺めながら、ぼろぼろと涙が次から次へとこぼれていく。
やっぱりフリックが好きだ。
たとえ自分の命を引き換えにしても構わないほどに。
神様、お願いだからもう少しだけ、フリックと一緒にいさせてください。
思わず心の中で叫んでいた。
「これだけで…十分…。」
きっと、一生大事にする。
目の前に立つフリックの背中にそっと手を回して抱きしめる。ふんわりと柔らかな人の温もりがする。顔を胸に埋めると跳ねるような少し忙しい心音は以前と同じで。
「…す…き…。」
ずっと、ずっと、好きでいる。
一生、ずっと、ずっと、…私の命が潰えるときまで。




                                                

END

 

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