バナーからトランへは険しい山道で、深い森を行かなくてはならない。途中、モンスターなども出てくるから決して気の抜けない道中であるし、ここを自由に行き来できるのはよっぽどの腕前の人間に限られる。
そういった意味合いでは、トランの英雄とその付き人、デュナン軍の若き軍主の姉、マチルダ騎士団の元騎士団長の二人、そしてトラン共和国の首都警備の左右将軍となればこの森を通行するには十分である。
中でもファロンの優雅な棍裁きは格別で、一閃で相手をなぎ倒し、他の誰の手出しも必要ないときもしばしばで、同行している者たちも時々その鮮やかさに目を奪われてしまうこともあった。
一向は無事に国境に到着し、トラン領内に入るとそこからは護衛がつくので戦う必要もない。
「ファロン様、これよりは我等が露払いを致します。」
国境から護衛として新たに加わった者たちがそう告げると、ファロンは頷いて、今まで手に持って歩いていた棍を背中に収める。
その様子がナナミの目には、いかにも元トラン解放軍のリーダーらしく映る。実際、今護衛についた者も元はトラン解放軍に参加していたという。
伝説になる程の武勇で知られ、そうとは見えない外見であるのに、デュナン軍でもビクトールをはじめとするメンバーに慕われ、デュナン軍でない、トランの国の人々にも当然ではあるけれど敬われている姿を見ると、本当にこの女の子がトランの英雄だってことを思い知らされる。
自分の弟でありデュナン軍の軍主であるシェイとそう変わりない、いや、シェイよりももっとそれらしくない少女であるのに、だ。
一体、この細腕でどれほどの戦いを切り抜けてきたのだろう。この冴え冴えとした瞳で何を見てきたのだろう。
そんなことを考えながらぼんやりとファロンを見つめていたナナミの視線にファロンが気づいた。
「なに?」
ファロンは微笑みながら自分を見つめる少女に尋ねた。
それでようやくファロンをじっと見つめていたのだということに気づいて、ナナミは少し赤くなり、続いて少し考えてから、小さな声でファロンに尋ねる。
「ファロンさんて…どうして戦ってたんですか?」
言った後で自分がなんて唐突なことを聞いているのだろうということに気づいたのは、ファロンがきょとんとした表情をしたからだった。
慌てて取り消そうとして両手をぶんぶんと振るけれど、ファロンは真面目にも首を傾げて考えている。
「あ、あのっ、べ、別にっ…。」
慌てるナナミとは対照的に、ファロンは静かに口を開く。
「オデッサさんから後を託された、っていうのがきっかけだったかな。」
オデッサ、という名前にナナミは少しだけ反応した。
詳しいことは聞いたことはないけれど、フリックの彼女だった人だとビクトールやニナから聞いた覚えがある。
ファロンからしてみればライバル、とでもいうべき立場の人間だということはナナミにもすぐにわかった。
「オデッサさんって…フリックさんの…?」
恐る恐る尋ねてみると、意外にもファロンは素直に明るく頷いた。
「うん、そう。…彼女だった人。」
ファロンの口調に、決して彼女はオデッサという人物を敵視しているわけではないと分かって少しだけ気が楽になった。それでもこれ以上、彼女の話題を続けるべきでないと思ったナナミは慌てて少しだけ方向転換をする。
「…でも、後を託されたって言っても…ファロンさんが戦う必要はなかったんじゃ…?」
「…そうだね。」
ファロンは静かに頷いた。
「でもね、そうしたかったんだ。…誰かがやらないといけないことだったし。…見過ごすことはできるけど、それによってたくさんの人の命が奪われるから。自分にその力があるのなら、そうするのがいいと…。」
そこまで答えてからふとファロンは言葉を止める。そして、首を少し傾げて難しい顔をしたと思ったらゆっくりと首を振った。
「いや、そんなんじゃないな。…もっと単純な理由だ。」
まるで独り言のようにファロンの口からそんな言葉が毀れ出る。
そのときの彼女の表情が酷く悲しそうで、ナナミはなんだか聞いてはいけないことを聞いてしまった気がしてそれ以上を聞けないでいると、逆にファロンが不思議そうにナナミを見つめる。
「…ナナミちゃん…シェイに戦ってほしくない?」
その言葉は図星をついていたようで、ナナミははっきりと分かるぐらいに動揺している。もともと自分の心の中に何かを隠して置けるほど器用な性質ではなく、その明るさがデュナン軍の戦時中という殺伐とした雰囲気を随分と和らげる働きをしていたのだ。
しかし、それを指摘されてまるで悪いことが見つかってしまった子供のような表情をしたナナミにファロンは怯えさせないように勤めて穏やかに微笑む。
「そう思うのは悪いことじゃない。むしろ、姉弟であるならばその心配は当たり前だよ。」
てっきり責められるんじゃないかと思っていたナナミはファロンの意外な言葉にびっくりしたような表情を浮かべていた。
「…ファロンさんにも…戦ってほしくないって言った人、いた?」
「…父のことを考えてほしいとは言われたよ。」
「それで、どう思いました?」
それが一番聞きたかったことなのだろうと、ファロンはナナミの真剣さから推測し、同時に以前、シェイが言っていたことを思い出す。
逃げようとナナミに言われたこと。でも、もう自分は自分一人の身ではないこと。
きっとまだそれらをこの少女が理解するには純粋すぎて。
だからこそ、シェイもそれを言えないでいる。
たった一人の姉だから突き放すようなことは言えなくて、だけど軍主である自分と一緒にいたら絶対に危ない目には遭うに決まっている。たった一人の姉だから危険な目にもあわせたくなくて、最近、腕のたつ仲間が増えたことを理由に彼女を戦いから遠ざけ、パーティーから外す様にしているのはシェイなりの気遣いであろうことはわかっている。
「…一介の兵卒ならばそれも簡単だけどね。…リーダーとなるとそうもいかなかったよ。私に力を貸してくれる人々を置いて自分だけ戦いを止めることはできないからね。」
「でも、そこで止めればそれ以上の犠牲は出なくなるんじゃないですか?」
真剣に尋ねてくるナナミの真直ぐな気持ちがファロンには分からないでもない。
そう考えるのは当然のことなのだ。
「じゃあ、それまでの戦で命を落とした人はどうなんだろう。それこそ無駄死にだろう?」
ファロンの言葉にナナミはあっと小さく声をあげた。
「やーめた、で終わる戦争ならば初めから意味などない。そしてその戦で奪われた命は無駄死ににも等しい。…だからたとえ相手が父でも、戦わなければならなかったんだ。」
ナナミはきゅっと唇をかみ締めて俯き加減でいる。
「でも、ジョウイは…。ジョウイとシェイは親友なのに、親友同士で戦うなんて!きっとジョウイだって戦いたくなんてないに決まってる!」
「ジョウイ・ブライトはレオン・シルバーバーグを軍師にしている。…トラン解放戦争でレオンは私の仲間だったことがあるが、彼は勝つためならばどんな手段も厭わない。そういった彼の性格を知らずに軍師に迎えているとは到底思えないし、いやいやしたがっているとも思えない。…つまりジョウイ・ブライトは本気でシェイを倒す用意があるということだ。もっとも、昔はどうだったか知らないけれど。」
そのことに思いあたることがあったようでナナミは悲しげに表情を曇らせる。
「どうして…こんなことになっちゃったんだろう…。」
悲しそうに呟くナナミにかけてやる言葉はファロンには見つからない。
前を行く護衛と元マチルダ騎士団長の二人は時折ファロンを気にしながら歩き、付き人であるグレミオは3歩ほど下がってファロンの後に従い、最後尾にいるトラン共和国首都警備隊の二人はグレミオのさらに後ろを歩いている。
誰もがかつて戦いの中に身を置いていたもの、今まさに戦いの中に身を置くものである。
「私はただ…シェイを守りたかっただけなのに…。」
その気持ちはファロンとて分からないでもない。そして当の本人でもあるシェイだってよくわかっている。
血のつながりのない姉が一生懸命に自分を守ろうとしてくれていることに感謝もしているし、嬉しくも思っている。だが、今はもうそんな事態ではないことも彼にはよくわかっていた。
戦う相手が親友であっても、自分が軍主でありたくさんの人間の命を預かる身となってしまっている以上、そんな生易しいことを言っているわけにはいかない。
奇麗事で済む時期をとっくに逸してしまっていたから。
しばらく何事かを考えるようにしていたナナミはふと思い出したように顔を上げ、ファロンのほうを眺める。
「…ひとつ聞いていいですか?」
「うん?」
「最後の決戦に、誰と行ったんですか?」
予想もしていなかった質問にファロンは少々面食らったようだったが、表情を元のように和らげると考える間もなく答える。
「私と、フリックとビクトール、それにパーンっていう父の食客、ルビィというエルフの青年とカスミちゃん。」
「クレオさんとグレミオさんは…?」
後をついてくるグレミオに聞こえないように遠慮がちに聞いたナナミの心遣いにファロンは微笑してから答える。
「最終決戦だからね。…最強メンバーで行った。」
自分たちの手に届かないところにファロンが行ってしまったことはクレオもグレミオも承知していた。だからこそ最終決戦のメンバーに入らなかったことで文句も言わなかったし、城門のところで出てくるファロンを待っていた。
足手まといになることはできない。
父の部下だったクレオは戦の厳しさを良く知っていて、グレミオは自分の経験上わかっていたからこその行動だった。
「…二人は何も言わなかった…?」
「ああ。二人とも自分の力量は良く分かっていたし、自分のわがままが戦に及ぼす影響も分かっているからね。」
「私には、できない。」
きっぱりとナナミが宣言する。
ファロンはそれに怒るでもなく、同意するでもなく、淡々と続ける。
「二人は大人だし、戦いというものを分かっていたからこその行動だ。ナナミちゃんはナナミちゃんが思ったとおりにすればいい。」
ファロンの言葉にナナミは唇をきゅっとかみ締める。
分かっているのだ。
最近、シェイが自分をパーティーに入れない真意は。
だからこそ余計にシェイが心配になる。自分よりも年少の弟が何万もの人間の命を左右する地位にいることも、自ら先陣を切って戦うことも。
自分の力の及ばないところでのことになりつつある。
でもあれは自分の弟なのだ。
「…絶対に、守りたい。…守らなきゃ。」
唇を噛み締めて顔をあげ、決意に燃える瞳のそこに一抹の焦りが見え隠れしているのに気づいても、それが戦場では命取りになることを分かっていてもファロンはそれを止めることはできなかった。
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