招待〜21〜

 

 

「長い間、お世話になりました。」
ファロンが頭を下げるとそこにいた者が皆寂しそうな顔をする。
ホールにはシェイを始めとする、デュナン軍幹部のほとんどがずらりと顔を揃えていて、それはそれは壮観な眺めであった。こんなことは戦でもない限り滅多にない。
それというのも1週間ほどの滞在の間にファロンのファンが増殖し、名残惜しそうにトラン共和国へ帰るファロンの見送りにやってきているのだ。
「こちらこそ長い間引き留めてすまなかった。…道中、くれぐれも気をつけて。」
思いがけないシュウの優しい言葉にファロンは少しびっくりしたような顔をして、ついでにっこりと笑う。
「ありがとう。」
その隣でシェイは少し困ったように笑いながらひっそりとファロンに頼み込むようにして言う。
「迷惑かけるかもしれないけど、ナナミのこと、よろしくね。」
「わかった。」
ファロンがそう請け負うとシェイも苦笑して頷いた。目下のところ、それが一番の問題なのだ。しかし、当のナナミはファロンの横で少し膨れ面をして大丈夫だもん、などと胸を張っている。
だけど、ファロンと違った意味でデュナン軍の幹部連中に愛されているナナミは『トランの挨拶は殴ることだ』などとあることないこと吹き込まれて、軍創立以来、初めてのシェイ抜きの道中を冷やかされている。
それをファロンは笑って眺めているものの、すぐさま視線が落ち着かない様子で彷徨うのをビクトールやシュウは少し困惑したような表情で見つめていた。
「じゃあ、遅くならないうちに…。」
ファロンと同行するカミューとマイクロトフが促すとファロンはうん、と頷きながらも未だ何かを探すようにホールのあちこちに視線を彷徨わせている。
「ファロン?」
もう一度マイクロトフに促されて、ようやく諦めたようにファロンはビッキーの前に立つ。
「ビッキー、バナーまで頼むよ。」
仕方ない、といった風にそういうとファロンは一行を振り返る。ナナミ、グレミオ、カミューにマイクロトフ、アレンとグレンシール。全員の準備が整っていた。それを確認したファロンがもう一度ビッキーの方を向くと彼女も心得た、とばかりに頷いた。
次の瞬間には、えいっというビッキーの掛け声とともにファロンたち一行の姿が掻き消える。後には、ふわりと、空気だけが残っていた。
「…行っちゃったね。」
そう呟いたのはシェイ。
「ああ。」
頷くのはビクトール。
「また、来てくれるかな?」
シェイの言葉にシュウはフンと鼻を鳴らす。
「どっかの青いのがとっとと覚悟を決めれば、だな。」
その言葉にビクトールやシェイが思わず笑いを零す。
「まったく…外見だけでなく、尻まで青いとは。」
二人のひっそりとした笑い声が聞こえたのかそうでないのか、続けてシュウから零されたその言葉に今度は二人、爆笑したあとで、部屋に引き上げていくシュウの後姿を見ながらシェイとビクトールは不思議そうに首を傾げる。
「…シュウ、機嫌悪い?」
「…そうみたいだな。」
二人はその理由をしばらく探していたけど、考えられる理由はやはり一つしかなくて、それがどうにも彼らしくないからシェイもビクトールも信じられない気持ちになる。
「…ファロン、帰っちゃったの、面白くなかったのかな?」
「…あの鬼軍師がねぇ…。」
やっぱり信じられないといったようにビクトールが呟くとシェイも同意したようにこくこくと2、3度首を上下する。
「ま、それでこそファロンなんだろうが、な。…さて。俺はちょっと青い尻のところへでも顔を出してくるか。」
その言い草にもう一度シェイは笑う。
「フリックさんのほうがシュウよりも年上なのにねぇ。」
「精神年齢はまるきりガキだからな。」
ビクトールはそういってひらひらとシェイに手を振った。


ビクトールがフリックの部屋に入ると、件の彼は起きてはいるものの頭痛が酷いのか、ベッドに横たわったままで、額に手をあててぼんやりと天井を見つめている。
「ファロン、さっきトランに帰ったぞ。」
ビクトールが窓に向かった机の椅子をベッド側に引き寄せて座ってもフリックはその姿勢のまま微動だにしない。
「誰が運んできてくれたんだ?」
しゃべるのも億劫だといった風ではあるが、昨日の最後の記憶とかみ合わない景色に、おそらく誰かに迷惑をかけてしまったのだろうことが予想され、礼を言わなくてはならないと義理堅い性格から尋ねてみると。
「俺だよ。レオナから聞いてな。」
「そうか…悪かったな。」
珍しく殊勝に謝るフリックにやれやれとビクトールは肩を竦める。
それは余計なツッコミを今は入れてくれるな、という彼の意思表示なのだろう。
「気にすんな。お互い様だ。」
その意を汲んでそう返すと、それが返って気に触ったようで額に当てていた手を外して、横に座っていたビクトールの膝をパーンと思い切り打った。
「誰がお互い様、だ。俺のほうが回数は少ないからな。」
そう、確かにこのしっかりモノの相棒が潰れたのなんて久しぶりに見たとビクトールは思った。
前回はいつだったか。
確か、トランを出奔してまもなくの頃だった。
ファロンのために彼女の側にいることを諦め、それでも溢れる思いを持て余して、なんとか紛らわそうと苦しんでいた頃。
今も苦しいのだろうか。
再会できて、思いは伝わったはずなのに。
ビクトールはベッドに横たわったままの不器用な青年を見下ろしそっと心の中でため息をつく。
「なぁ、いいのか?舞踏会、ファロンの婿探しも兼ねているんだろう?」
あのミルイヒ元将軍が主催なのだ。
ファロンの父がわりを買って出ているような人間が、そのことに触れないわけはない。
むしろ、そのための舞踏会なのかもしれない。
だからこそ、わざわざトランから首都を警備しているはずの左右両将軍を迎えによこしたのだ。父親であるテオ将軍の最も忠実にして有能な二人。トラン共和国内では最もファロンに近いところにいる、婿にふさわしい人間と目されている二人。
「このままじゃ…。」
言いかけるビクトールの言葉を遮るようにして、フリックは呟く。
「どうしたらよかったんだろう。」
その言葉に、ビクトールはおや、とばかりに首を傾げる。
フリックは片手を目の上に置いたまま、表情は口元しか伺い知れないがそれが決して快い状態であるとはいえないことは一目瞭然。
「戦いが終わって、ファロンはトランをでちまった。ファロンはどうしたかったんだ?何をしたかったんだ?」
それは自分に問いかけているようであり、ビクトールに問いかけていたようであり。
「そんなのはファロンに聞け。」
そう言い返すとフリックは目の上に置いてあった腕をどけて、少し悲しそうに笑った。
「…ああ…そうだな…。」
「…ファロンに会いに行けよ。…話したいときに話しておかないと二度とそうすることもできなくなることだってある。…おまえだって一度、その思いを味わってるはずだろ?」
ビクトールの言葉に今度はフリックがはっとした。
それはビクトールにとってはつい最近の出来事。自分にとってはあの戦いの最中での出来事だった。
「俺が言いたいのはそんだけだ。…じゃあな。」
そうしてビクトールはひらひらと手を振って部屋から出て行ってしまった。
一人部屋に残されたフリックは、ビクトールのことを好きだったらしい彼女と、初代のトラン解放同盟の盟主であり自分の憧れだった女性を思い出す。
もし、もう二度と会えなくなってしまったら。
フリックは思わず身震いをする。
それと同時に、痛む頭に顔を顰めながらベッドから起き上がる。
もうあんな思いはごめんだ。
二度と味わいたくない。
そう思いながらマントを羽織っていた。




                                                

END

 

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